■来し方と行く末
あはは、と笑い合って。
エールを込めて肩をポンと叩く。
いつものように。
しかし、その後は『いつも』とは違っていた。
いつもなら肩を叩いた後すぐにポケットに直行してしまう俺の手は、今回に限っては超強力な磁石にでもなったかのように彼女の細い肩から動こうとしなかった。
コクリ。
小さく喉を鳴らしたのは、俺なのか。それとも彼女なのか。
吸い寄せられるように、俺の視界の中の彼女の顔が大きさを増していく。
あと10センチ。
ほんの一瞬瞳を揺らした彼女が、全てを委ねるようにゆっくりと目を閉じた。
あと5センチ。
そして──
「ぬおわああぁぁぁぁぁっ !?」
叫びと共に跳ね起きて、皮膚を突き破りそうなほどに暴れる心臓を両手で押さえ込み、グラウンド10周ランニングの後よりも荒い息に肩を揺らす。
冬だというのに、つぅっとこめかみを流れ落ちていく汗。
「……………」
少し息は落ち着いたものの頭はまだ混乱したまま、ぐるりと周囲を見回してみる。
カーテンの隙間から射す柔らかな光。
その光を反射しているグランドピアノ。
机の上には通学用のカバンが置かれ。
自分のベッドの上にいる俺。
「はあぁぁぁぁぁ……夢か…」
よく『夢は願望の現れ』と言う。
できればもう少し後に目覚めてくれていれば、せめて夢の中で……。
……………。
「だあぁぁぁっ何考えてんだ俺っ !?」
再び襲ってきた混乱に、俺は頭を掻きむしることしかできなかった。
なんとなくいつもより少し早く家を出た俺。
大抵交差点あたりで彼女に追いつくパターンが多いのだが、時間をずらした今日は会うことはないだろう。
……あんな夢を見た直後に、どんな顔してあいつに会えってんだ。
春の音楽祭の学院代表オケのコンミスに指名された彼女。それを不満に思う理事たちによる試験であるアンサンブルコンサートを明日に控え、今日の放課後は最後の練習となる。
それまでには何とか平静を取り戻さねば。
赤信号で足を止める。
と、パタパタと後ろから近づいてくる足音。
パシン、と叩かれる背中。
どきっ。
「おっはよ、土浦くんっ」
うわーっ !? な、なんでいるんだよっ!
せっかく時間ずらしたのが水の泡じゃねーかっ!
「……よ、よう、日野」
隣に並んだ日野はきょとんとした顔で俺を見上げ、
「体調、悪い?」
わーっ、そんな顔で俺を見るなっ! 夢の中でのこいつの顔がダブって、まともに正視できねぇ!
「い、いや、そんなことはないぜ。それより、いつもより早いんだな」
「うん、明日のステージの最終確認があるから早めに来てくれって吉羅理事長に言われてるんだ」
「へぇ……」
「そういう訳で、悪いけど先行くね。じゃ、放課後に!」
信号が青に変わった瞬間、駆け出していく日野。
………ふぅ、助かった。
どんどん小さくなっていく彼女の後ろ姿をぼんやりと見つめながら重い足を動かして。
大きく息を吸い込んでみたが、バクバクする心臓はどうにも治まりそうになかった。
最後の練習を終えて外に出ると、既に真っ暗になっていた。
まだ2月半ば。6時過ぎれば日はとっぷりと暮れている。
みんなで一緒に学校を出れば、同じ方向に帰る俺と日野は必然的に一緒に帰ることになり。
しかし朝のようにうろたえることはなかった。
体育の時間と昼休みに身体を動かして発散したし、練習の時は音楽にのめり込んだ。
何より明日の本番を控え、余分な力が入っているならリラックスさせてやりたかったし、励ましてもやりたかったから。
自販機で温かい飲み物を買い、彼女の家の近くの児童公園で少し話をすることにした。
ベンチに座り、今日の練習のことや、これまでのいろんなことを話し、あはは、と笑い合って。
「これまでやってこれたんだ、明日も大丈夫さ。それに、舞台に上がるのはお前だけじゃないんだし」
エールを込めて肩をポンと叩く。
いつものように。
「俺たちが……俺が──」
しかし、その後は『いつも』とは違っていた。
いつもなら肩を叩いた後すぐにポケットに直行してしまう俺の手は、今回に限っては超強力な磁石にでもなったかのように彼女の細い肩から動こうとしなかった。
コクリ。
小さく喉を鳴らしたのは、俺なのか。それとも彼女なのか。
吸い寄せられるように、俺の視界の中の彼女の顔が大きさを増していく。
あと10センチ。
そして──
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【A】一瞬瞳を揺らした彼女が、ゆっくりと目を閉じた。
【B】不思議そうに小首を傾げた彼女が、ふわりと微笑んだ。
【C】ふいに視線を落とした彼女が、ぷっと小さく吹き出した。
【プチあとがき】
アンコイベ『来し方』のあたりより。
さあ、あなたはどの香穂子さんの反応を選ぶのか !?
【2008/06/08 up】