■【旅路番外編】スウィートお江戸ライフ♪【1:歌声】
稽古が始まる時間より少し早く千葉道場に到着した龍馬は、彼女の顔を見に行くことにした。
いや、稽古の前にまず彼女に会おうと、土佐藩邸を早めに出てきたのだ。
千葉家の母屋を訪ねた龍馬は、使用人の一人から聞いた彼女の居場所へ足を踏み入れた。
「── ask for anything more〜♪」
聞こえてきたのは彼女の澄んだ歌声。
今まで聞いたことのない、心が浮き立つような旋律だ。
中庭に立てられた物干し台。
竿にかけた浴衣を丁寧に広げながら干している彼女が口ずさんでいる言葉はまるで読経か何かの呪文のようで、龍馬の耳ではまったく意味を聞き取ることができなかった。
「── おはよう、お嬢」
「あ、龍馬さん。
おはようございます」
声をかけると、浴衣をぱんぱんと叩いて皺を伸ばす手を止め振り返った彼女がふわりと笑う。
朝からその顔を見られるのは、まさに『早起きは三文の得』と言うものだ。
「お嬢、今歌ってたのは何だい?
聞いたことのない歌だったんだが」
「え?
えと……ミュージカルの中の1曲で、『アイ・ガット・リズム』っていう曲です」
「みゅー……? あいが……?」
彼女の発する言葉はちんぷんかんぷんで、龍馬は思わず首を傾げる。
すると彼女は慌てた様子で、
「あっ、ミュージカルっていうのは歌を歌いながらするお芝居のことなんですけど……」
「もしかして……その『みゅーなんとか』や『あいがなんとか』ってのは、外国の言葉かい?」
そう考えれば、龍馬が彼女の言葉を理解できなかった理由がつく。
だが、どうして彼女は外国の言葉や歌を知っているのだろう?
そうだ、彼女はこの千葉道場に厄介になる前のことを覚えていないのだった。
もしかすると近しい人物の中に蘭学者か何かがいたのかもしれない。
日本は鎖国しているとはいえ、長崎の出島にはある程度の外国の文化は流れ込んできているのだから。
彼女が以前のことを思い出しつつあるというのなら、それはとても喜ばしいことで──
龍馬がはたと我に返ると、彼女は皺を伸ばしたばかりの浴衣を縋るようにぎゅっと掴んで、難しい顔で何かを考え込んでいた。
「い、いや、すまんっ!
きっとお嬢も誰かから聞いたのに違いない!
な?」
「…………はい」
彼女は申し訳なさそうに微笑むと、皺をつけてしまった浴衣を労わるようにそっと撫でた。
「で、どういう内容の歌なのか、知ってたら教えてくれるかい?」
記憶の糸を手繰る手助けになるかもしれない、そう思って龍馬は尋ねた。
彼女はふわりと笑って、はい、と答える。
「── 女の人が歌うんですけど、『私にはリズムがある、歌もある、愛する人もいる。他に何が必要なの?』って」
「あ、愛する……?」
不覚にもドキリとして呟いてしまった言葉は彼女の耳には届かなかったらしい。
「前は、必要なものは他にもあるんじゃないのかな、って思ってたんですけど、最近はなんとなくわかる気がするんです……他には何もいらない、って気持ち。
あ、ミュージカルのタイトルは『クレイジー・フォー・ユー』っていうんですけど、意味は──」
何かに思いを馳せるように真っ青な朝の空を見上げていた彼女の声がぷつりと途切れた。
口を開けたまま固まった顔の上で大きな瞳がきょろきょろと泳いだかと思うと、夕陽を浴びたように頬がぱあっと真っ赤に染まっていく。
「ど、どうしたんだ、お嬢 !?
意味を言うと何かまずいのか?」
すると彼女は赤くなった頬を隠すように両手で押さえると、少し潤んだ瞳で上目使いに見つめてきて、
「その……意味は……」
「意味は…?」
おうむ返しに尋ねると、彼女は恥ずかしそうに目を伏せた。
「── 『あなたに夢中』」
「っ !?」
龍馬の顔もぼふんと一気に真っ赤に染まる。
彼女から愛の告白をされたような錯覚と、自分の心の中を、それも当の彼女の口から暴かれてしまったような気恥ずかしさと。
洗濯物のはためく中庭で、真っ赤な顔の二人は向かい合ったまま、もじもじと猛烈な照れを持て余しつつしばしの時を過ごした──
時間になっても道場に姿を見せない龍馬に師匠の雷が落ちるまで。
〜おしまい〜
【プチあとがき】
十年前妄想、開始いたします!
5/20現在、本編ではまだ『お嬢』呼びではありませんが、すでにその後ということで。
ネタ投下していただいた順に書いていきますので、時系列もバラバラになるかと。
今回は名もなき神子様よりいただいたネタ。
『ゆきの鼻歌を聞いて、歌詞を聞く龍馬。
答えようとしたら熱烈な恋愛ソングだったことに気付いてしどろもどろになるゆき』
例としてAIさんの「STORY」と「創聖のアクエリオン」を挙げていただいていたのですが、
留学生活の長いゆきちゃんは日本文化に疎いんじゃあるまいか、と。
EDの行き先と、序盤で『ダウンタウンより危ないの?』とか言ってることから、
どうやら留学先はアメリカのようなので、ミュージカルの曲をチョイスしてみました。
コルダ3の至誠館の演奏曲として馴染みのある曲でもありますしね。
よろしければアクエリオンネタはコルダ土日「一万二千年の恋」でお楽しみください(笑)
【2011/05/20 up/2011/05/24 拍手より移動】