■一万二千年の恋
ある休日。
日野香穂子と俺、土浦梁太郎は春からの音楽科編入のため、どちらかの自宅で専門科目の勉強を一緒にするのが恒例となっていた。
今日の勉強会場は、香穂の家。
少々休憩しようということになり、俺は持参したパズル雑誌を広げ、やりかけのパズルを解き始めた。
しばらくのうちは香穂もあーだこーだと口出ししていたが、そのうち飽きてしまったのか、近くにあったファッション誌をパラパラとめくり始めた。
いつしか部屋には俺がパズルに書き込みするシャーペンの音と、香穂が雑誌をめくる音のみになり。
「── ふんふふ〜ん♪」
ふと聞こえて来た鼻歌に顔を上げると、香穂が雑誌に視線を落としたまま、頭を揺らして小さくリズムを取っていた。
軽快なその曲が何であるかはわからなかったが、そこは文化祭で観客を熱狂させたディーヴァのこと、ハミングだけでもウットリものの美声である。
その上、それはそれは楽しそうに口ずさむ姿に、俺はパズルを考えているような振りをしてテーブルに頬杖をつき、しばらく眺めてみることにした。
「── いちまんねんとにせんねんまえからあ・い・し・て・る〜♪」
ガタンッ
肘がズルッと滑り、よろけた身体がテーブルにぶつかって派手な音を立てた。
「わっ、びっくりした〜」
大きく見開いた目をぱちくりさせている香穂。
「どうしたの?」
「な、なんでもねえ」
「あ、もしかして居眠りしてた?」
「……違うって」
肘をついたままの手で口元を隠すようにして顔をそらす。きっと赤くなっているだろうから。
それにしても── いきなり『愛してる』とか言うんじゃねえっ!
……いや、もちろん俺に対して言ったわけでもないし、歌詞には『愛』だの『恋』だのという言葉が臆面もなく使われているのはわかりきったことではあるのだが。
言葉なんて単に50音を組み合わせただけのもののはずなのに、香穂子の声で聞くその5つの音は── ただの言葉だろうが歌だろうが── 俺にとっては特別なものとなるのだ。
とはいえ、歌ひとつにいちいち反応してる俺……なんか情けねぇ…。
「あははっ、じゃあ、濃いめのコーヒーでも淹れてこよっか」
そう言って香穂は席を立った。
まあ……今は居眠りしてたと思われてても、ま、いいか。
* * * * *
「なあ、さっきお前が歌ってたの、何て歌だ?」
コーヒーを乗せたトレイを手に戻ってきた香穂が座るのを待って訊いてみた。
勉強している間はテーブルを挟んだ向かい側に座っていた香穂は、今はテーブルの角を挟んだ隣に腰を落ち着けている。
香穂が席を外している間に態勢は整えた。顔の赤味も消えたはず。
次に遭遇したときのためにも、歌の正体は知っておかなければ。
……知ったところでどうなるものでもないんだが。
「ああ、あれ? アニメの主題歌らしいんだけど、私もよく知らないんだよね」
「……は?」
「最近そのアニメのパチンコ台が出たらしくて、CMがヘビロテしてたんだよ。だから覚えちゃった」
「へえ……」
パチンコなら高校生の俺たちに縁のないものだし、遭遇することもないか…。
「でもすごいよねぇ、12000年前から愛してるんだよ、気の長い話だよねぇ」
ぶっ
思わず口にしていたコーヒーを吹き出しそうになる。
「……そりゃアニメの話だからだろうが。人間そう長くは生きられないぜ?」
「そうだけど……でも『輪廻転生』って言うじゃない? 12000年前に愛し合ってた人たちが、何度生まれ変わっても同じ人とまた愛し合えたら素敵なことだよ」
なんか心臓がバクバクしてきた。
……女ってのはよくもさらりと『愛し合う』とか言えるもんだよな…。
「それに……12000年目が梁太郎と私なのかもしれないし」
ドキン
小さな声で呟かれたその言葉。
ちらりと見ると、あさっての方向へ視線を向けた香穂が両手で包んだカップをそっと口に付け、一口すすってそっとテーブルの上に置いた。
その頬は熱いコーヒーのせいかそうではないのか、ほんのりとピンク色に染まっている。
香穂の手がカップから離れているのを確認すると、俺は身体をずらして香穂を背中から抱きしめた。
「りょ、梁太郎っ !?」
「── たとえ輪廻転生ってもんがあるとしても、俺が土浦梁太郎であり、お前が日野香穂子であるのは今だけだろ。
俺はその『今』を大事にしたい……前世とか来世とかは関係ねえんだよ」
この程度のセリフを言うだけで極度の照れが襲ってくる。
背中から抱きしめたこの状態では香穂に真っ赤に染まった顔を見られることはないものの、照れ隠しのために口調は多少ぶっきらぼうになってしまった。
と、香穂はぷっと吹き出して、
「梁太郎、『ロマンティック』って言葉、知ってる?」
「知るかっ」
俺の即答に再び吹き出す香穂。
その時、香穂の手が俺の手の上にふわりと重なった。さっきまでカップを持っていた柔らかな手のひらが、俺の手の甲にじんわりと温もりを伝えてくる。
「あの歌、サビの最後の歌詞がいいんだよね〜」
「…へえ、どんな歌詞なんだ?」
「『君を知ったその日から僕の地獄に音楽は絶えない』── 『地獄』っていうのを『生活』とか『人生』とかに変えると、私にピッタリ」
香穂はふふっ、と嬉しそうに笑うと俺の腕に鼻先をうずめ、俺の手をきゅっと握る。
── 俺を知ったその日から、香穂の人生に音楽は絶えない。
なんだか嬉しくなった俺は、香穂の首筋に顔をうずめて、抱きしめる腕に力を込めた。
…………ちょっと待てぃ。
お前の音楽人生が始まったのは、リリを知ったその日から、だろうがっ!
ま、解くほどの誤解でもないし── まあ、いっか。
〜おしまい〜
【プチあとがき】
なーにやってんだ、あたしは(笑)
何のCMか、わかるよね?
そうそう、ア○エリ○ンですよ。
2年前くらいのアニメだそうで。見たことないけど。
パチンコ台のほうは結構知ってます(笑) 打ったことないけど。
液晶の上下にロボット(?)の役モノがあって、それがグイーンと動いて『合体』するんですよっ。
さらにその後『気持ちいい』演出が入ると激アツだとか(笑)
【2007/11/22 up】