■旅路の果てに掴むもの【14:奔る】
バタバタバタと宿中に慌ただしい足音が響いていた。
あちらこちらで襖や障子がスパーンと小気味よいほどの音を立てて開けられ、その度に『なんだテメェ!』『きゃーっ!』と怒号や悲鳴が響き渡る。
もちろん音の主は龍馬である。
ゆき(とお供二人)の姿が目の前で掻き消えた時、龍馬はただ呆然としていた。
直後、我に帰ったと同時に、気が触れたとしか言いようのない異常な行動を始めたのだ。
異常、というのはあくまで事情を知らない者から見れば、の話。
龍馬からすれば、十年以上前の悲しい別れが、彼を駆り立てていただけのこと。
一度ならず二度までもあんな風に消えられては──
心臓が捩じ切られそうに痛い。
そして宿を一周して元の部屋に駆け込んできた龍馬は鬼気迫る勢いで部屋を横切り、今度は押入れの障子に手をかけた。
「── 龍馬、いい加減にしてくれる?」
小松の冷え切った声は、龍馬の耳には届いていない。
スパーンと勢いよく襖を開き、詰め込んである布団の間を一枚一枚確認していく。
どう考えても、そんなところに大人三人が潜んでいるはずもないのに。
ちっ、と舌打ちして、再び龍馬が駆け出した時──
「── 桜智」
小松に呼ばれ、桜智が腰の得物──
愛用の鞭を手に取った。
手首をくいっと捻り、しなやかな動きで龍馬目がけて打ち下ろす。
「ぬわっ !?」
足元を絡め取られた龍馬は地響きがするほどの音を立ててすっ転び、廊下の床板で顔面をしたたかに打ちつけた。
結局とばっちりを食らったのは、部屋を借りていた小松たち薩摩の者である。
宿のおかみから丁重ではあるが厳しいお叱りを受け、頭を下げると同時に宿代に迷惑料を上乗せすることでどうにか怒りを収めてもらったのである。
「── 少しは頭が冷えた?」
「………………」
答えようとしない龍馬に、小松は心底呆れたような深い溜息を吐いた。
部屋に仰向けに寝転がる龍馬の顔の上には濡らした手拭い。
頭、というより、打ち付けて赤く腫れた顔を冷やしている真っ最中である。
「……まったく、君らしくもないね。
確かに目の前で人間が消え失せたのには驚いたけれど、そこまで我を失うほどのことでもないでしょ」
「………………」
小松は僅かに肩を竦め、後ろに控えていた二人の方へ身体を向けた。
「── チナミ、さっきの話をもう一度確認するけど、神子殿たちは無事なんだね?」
「はい……おそらく」
「本当か、チナミっ!」
勢いよく起き上がった龍馬の顔から、手拭いがぱたりと落ちた。
「ああ……先程のようにあいつらが消えるのを、何度か見ました。
その後、言われた場所へ行くと、あいつらが現れて──」
「『言われた』…?
誰に?」
「それは……」
チナミは苦しそうに俯いて言い淀んだ。
「── 宰相殿、だよ……チナミくんは、宰相殿から神子の護衛を命じられているから……」
代わりに答えたのは桜智。
彼はつい最近、宰相直属の臣下であることを告白したばかりである。
その横で気配を消している沖田は、獲物である龍馬の言動をじっと観察しているらしかった。
「……あの三人は、この世界の人間ではありません。
ゆきは奇妙な砂時計を持っていて、中の砂が落ち切ると自分の世界へ戻るのだ、と……」
「それから……あの砂時計は、神子を最も必要とする時、場所へと導く……と聞いたよ……」
「この世界とは別の世界、ね……にわかには信じがたい話だけど──
一応の辻褄は合う」
ふむ、とひとり納得した小松はすっと立ち上がった。
「小松殿?」
「君たちはしばらく私に同行してもらうよ。
神子殿たちが姿を現した時に一緒にいたほうがいいだろうからね。
それと、明日には宇部に向かうから、そのつもりで」
「おい、ちょっと待ってくれ、帯刀!」
「なに?」
部屋を出ようとした小松は、足を止めて迷惑そうに振り返る。
胡坐をかいた龍馬は、ぼりぼりと頭を掻きながら、
「いや、できればここを動かないほうがいいんじゃねぇか?
もしかしたら、明日にでもここにひょっこり戻ってくるかもしれん」
「……君と違って、私はそんなに暇ではないのだけど?」
「だがなぁ…」
「本当に君らしくないね……よく考えてごらん。
四神を集めている彼女が求めているのは、長州が持つ玄武。
そして、宰相殿の庇護が受けられる京ならいざ知らず、何の後ろ盾もない長州で姿を現すとしたら協力者のいる場所である可能性が高い」
「そりゃそうなんだが……」
「まったく……だったら願掛けでもしていれば?」
「へっ?」
きょとんとして見上げてくる龍馬に、小松は思わず苦笑を浮かべた。
思慮深いとは決して言えないものの、勘の良さと抜群の行動力を持つ男が一人の小娘にここまで翻弄されているのが滑稽で仕方なかった。
「彼女は『神子を必要とする場所』に現れるんでしょ?
だったら、彼女が必要だと強く願っていればいいんじゃないの?」
「あ……ああ、そうだな!
さすが帯刀、いいこと言うぜ!」
小松は苦笑を深め、優雅な足取りで別室へと向かっていった。
静かな足音が遠ざかると、龍馬はごろんと床に転がり、大の字になって天井を仰ぐ。
「…………強く願う、か……」
そんなことで彼女が戻ってくるというのなら、今すぐこの瞬間に戻ってきてもおかしくないのに。
だが確かに、いつどこに現れるかわからない相手をじっと待ち続けるより、動けるだけ動いた方がいい。
彼女が無事であるらしいことがわかっただけでも十分だ、と思うことにした。
彼女と自分との間にある縁は、こんなことで切れてしまうほど細くも脆くもないはずだから。
それならあの日、空に消えていった『お嬢』はどこに向かったのか──
それを考えると少し切なかった。
* * * * *
宇部に移ってから数日後の早朝。
「── 御家老!
一大事にございます!」
拠点としている宿に駆け込んできたのは一人の薩摩藩士。
夜通し馬を走らせてきたせいか、ガクガクして上手く立てない足で転がり込んできたというほうが正しいかもしれない。
「神子殿が現れたの?」
「なにっ !?
本当かっ !?
どこにだ !?」
床にへたり込んだ薩摩藩士に飛びつこうとした龍馬を、小松が制す。
まだ息を整え切れない藩士は、床に手をついたまま大きく首を横に振った。
「神子殿の姿が見えたら知らせるように、幾人か山口に残しておいたのだけど……どうやら別件のようだね」
「帯刀……」
冷たい物言いをしていた割に、龍馬の意を汲んでくれていたらしい。
感謝してもしきれない。
「それで、何事?」
「はいっ……下関沖に外国船の一団が出現。
長州はこれを砲撃にて迎え撃つとのことにございますっ」
「そりゃいかん!
下手すりゃ長州藩は壊滅しちまう!」
「……征討の真っ最中だというのに、長州の者にも呆れるね」
腕を組んでしばし考え込んでいた小松は、別の藩士を呼び付け、馬の手配を申し付ける。
「── これ以上優秀な人材を失うわけにはいかないからね、私たちも下関に向かうよ」
「……っ」
龍馬は応と即答することができなかった。
確かに、この戦は止めなければならない。
けれど──
「…………ん…?」
緊張感が走る部屋の中、ひとり興味なさげに窓の外を眺めていた桜智が、ふと上空を見上げた。
「あれは…………ゆきちゃん……?」
「なっ !?」
龍馬はドタドタと窓辺に駆け寄り、落ちそうなほど身体を乗り出し空を見る。
青く澄んだ空に、一条の美しい光が差していた。
光の先は港の方へと落ち、吸い込まれるようにして消えた。
直後、龍馬が部屋を飛び出して行ったのは言うまでもない。
港に着いた龍馬の視線の先に、間違いなく先日目の前で姿を消した三人が佇んでいた。
波に反射した光は、まるで彼女に後光が差しているように見える。
「お嬢ーーーーーっ!」
呼び声に気づいた彼女が、ふわりと微笑んだ。
逸る気持ちを抑えきれない龍馬の足は、疾風の如く龍馬の身体を彼女の元へ運んでくれる。
そして喜びの余り抱きつこうとしたところで──
「ぐわっ !?」
苦悶の声と共に龍馬の身体はくの字に折れた。
こめかみをぴくぴく震わせながら都が突き出したトンファーの先端が、龍馬の腹にめり込んでいたのである。
「そりゃないぜ、都ぉ……」
「ふんっ、どさくさに紛れてゆきに抱きつこうとしたって、この私が許さないからな!」
痛む腹をさすりながら、龍馬はへらりと笑う。
痛かろうが怒鳴られようが、まるで気にならない。
また彼女の元気な顔を拝むことができた喜びの方が数倍も勝っているのだから。
「もう、都ったら……大丈夫ですか、龍馬さん?」
「ああ、大丈──」
腹を押さえる手の上に、彼女の指が触れた。
年甲斐もなくドキリとして、顔が一気に熱くなる。
「── 感動の再会はそこまでにして」
「あっ、小松さん……みんなも」
ようやく追いついた小松たちがぞろぞろと集まってくる。
それぞれが皆ほっとしたような顔をしていた。
「あの、この間はお話の途中で、ごめんなさい」
「そちらの事情は後でいいよ。
今は時間が惜しい。
こちらの事情は移動しながら説明させてもらうから」
その時、宿のある方向から馬の嘶きが聞こえてきた。
【プチあとがき】
漫画版ではいきなり抱きついてた(顎に一撃くらってたけど)龍馬さんだけど、
うちじゃそうはいかないよ(笑)
龍馬さんが青すぎる(笑)
そして小松さん大活躍。
【2012/02/16 up】