■旅路の果てに掴むもの【13:白虎】 龍馬

 河原宿にある宿のひとつ。 風にはためく暖簾をくぐったところで見えた侍のいかめしい顔つきは龍馬の見知ったもの── 京の薩摩藩邸で何度か酒を酌み交わしたことのある薩摩藩士だった。
 薩摩の家老一行がここにいるのは間違いないらしい。 しばらく河原宿に逗留する、というのは耳にしていた龍馬だが、どこの宿までは聞かされていなかった。 同行している情報屋は、ぼんやりしているようで仕事の腕は確かなようだ。
「── これは坂本殿!」
「おう、帯刀はいるかい?」
 後ろから『えっ !?』『マジか!』と声が聞こえて龍馬は苦笑した。 『小松帯刀に取り次いでやる』と申し出た昨夜からずっと疑わしい目を向けられてきたのだが、確かに一介の脱藩浪士が薩摩藩の御家老と顔見知り、というのはあまり聞かない話だろう。 龍馬自身、薩摩藩邸に匿われることになった頃には想像もしていなかったことだ。
「御家老なら、庭に出ておられるかと」
「そうか、ありがとな」
 軽く手を振りながら礼を言い、ずかずかと宿に上がり込む。 後ろから慌てたようについてくる足音を引き連れながら、およその見当をつけて庭へと向かった。 どこの宿も造りにそれほど大きな違いはないものだ。

 やけにざわついているな、と思った方向に庭があった。 ところどころに岩が配置された趣のある庭は、青々と茂る梢が日差しを遮り心地よさそうな日陰をつくっている。
 そこに一人佇む男の姿。 耳の下でひとつに結わえた長い髪が、吹き抜ける風に揺れていた。 入れ替わり立ち替わり侍が駆け寄って、男に向かって何やら報告すると、再び慌ただしく散っていく。 ものものしい雰囲気の中で漏れ聞こえてくる会話からすると、何か探し物をしているらしい。
「── よお、帯刀」
「……龍馬…?」
 振り返った男── 薩摩藩家老・小松帯刀は、迷惑そうに顔を歪めて、小さく溜め息を吐いた。
「……安房守殿にはちゃんと護衛をつけてあげたよ」
「おお、そりゃありがたい。 手間かけちまったな」
 小松は呆れたように小さく首を振りながら、まったく、とひとりごちる。
「── で?  まだ何か用?」
「ああ、用なら大アリだぜ!  ── お嬢!」
 隠れるようにしてこちらを窺っていたゆきに向かって手招きする。 おずおずと出てきた彼女は、お久しぶりです、と遠慮がちに言ってぺこりと頭を下げた。
 小松の顔に浮かんだ呆れの表情がさらに濃さを増した。
「……まさか長州でお会いするとは、奇遇ですね。 しかも、その男と連れ立ってこんなところをうろついているなど、龍神の神子殿はよほど暇と見える」
 ゆきは僅かに柳眉をひそめて唇を噛む。
「おいおい、俺のお嬢に冷たいこと言ってくれるなよ、帯刀」
「…………『俺の』、ね」
 少々皮肉っぽく鼻で笑った小松は、ひょいと肩を竦めてから視線をゆきへと移した。
「……それで?  龍神の神子殿が私に何のご用ですか?」
 こくり、と小さく喉を鳴らしたゆきが、意を決したように口を開いた。

*  *  *  *  *

「── かの者を封ぜよ…」
 前に出したゆきの両手がぽぅと白い光を帯び、斬りつけられ、或いは撃たれて地に伏した怨霊たちが光の粒となって霧散していく。
 宇部から山口へと向かう行程で、かれこれ三度目の怨霊退治である。

 白虎を持っているのか、というゆきの問いに、あっさりと事実であることを認めた小松。
 そして大慌てで探し回っていたのが、その白虎だというのだから驚いた。 しまっておいた箱から抜け出したらしいのだが、いつも懐に青龍の札を入れておいた龍馬は他人事ではない。 もしもいきなり懐から青龍が飛び出してきたら、腰を抜かすどころではないはずだ。 今は札をゆきに託しているから、そんな事態に陥ることはないけれど。 神子の清らかな手によって呪詛を解かれた青龍は、彼女の元で大人しくしているに違いない。
 見つけた白虎は彼女に譲渡されることが約束され、白虎が向かったと思しき宇部で情報屋の取り巻きとの一悶着があり、 山口に出没する白虎ならぬ『白猫』の怨霊退治に向かうことになり、今はその途中である。

「── にしても、お嬢は戦いにずいぶんと慣れてきたな」
 怨霊との戦いの後、少し息を整える程度の休憩しか取らずに歩き出した直後、すかさず勝ち取った『彼女の隣』という位置を歩きながら、龍馬は問いかけた。 彼女を挟んだ反対側の隣には、当然の如く、瞬が難しい顔で黙々と歩いている。
「そうですか?」
「ああ、なかなか筋がいいぜ」
 前に長州で出会った時には、現れた怨霊にただ怯えるだけだった彼女。 もちろん傍にいられる時には絶対に守り通すつもりでいるが、万が一の時に自分で自分の身を守れるに越したことはない。 果敢に怨霊に立ち向かう姿を見ると、まずまず安心だ。
「お嬢と瞬は同じ流派みたいだが、どこの道場だ?  剣の形も、ちと変わってるしな。 北辰一刀流でいいなら、俺が稽古つけてやるぜ?」
「えっ?  龍馬さん、剣も使えるんですか?」
 目をぱちくりさせて、小首を傾げるゆき。
 確かに今の龍馬は腰に刀を差しておらず、戦いには二丁の拳銃を使っている。 だが──
「……ああ、江戸の道場に通ってた」
「江戸?」
「ああ、江戸だ」
 慎重に確認を取るように、言葉を紡ぐ。
 と、しばらく考えていた彼女は、
「── 剣も銃も使えるなんて……すごいですね、龍馬さん」
 とにっこり笑ったのである。
 龍馬は僅かに肩を落とした。
 溜息が漏れそうになった口から、うわっ!と大きな声が出た。 背後からドンッと衝撃を受けて弾き飛ばされたせいだ。 ぶつかってきたのは都。 ゆきとの間に割り込まれてしまった。
「── 坂本の稽古なんて必要ないって。 ゆきはフェンシングの大会で優勝する腕前だもんな」
「ふぇん……?」
「……西洋の剣術だ。 ただし、人を傷つけるためのものではない」
 ぼそりと瞬が呟く。
「へぇ、そりゃすごいな!  だったら今度、そのふぇん……なんとかってのを、俺にも教──」
「── ゆき、少し急いでください。 このペースでは、山口に着くまでに日が暮れてしまいます」
「あっ、そうだね」
 瞬に促されたゆきの歩調が速くなり、出遅れてしまった龍馬はひとり取り残された。
「うーん……」
 ぼりぼりと頭を掻く。
「やっぱり、別人…………かぁ…」
 呟きは仰ぎ見た空に紛れていった。

*  *  *  *  *

 天の配剤というべきか、ただの幸運だったのか、『白猫の怨霊』は『白虎』そのもので。 札に戻った白虎は無事に神子の手に収まった。 いや、無事に、とは言えない。 彼女に傷をつける、という狼藉を働いたのだから。
 怒りをぶつけようにも、相手は札の姿。 紙切れの状態なのである。 神が相手だろうがこの落とし前はいつかきっちりつけてやる、とひとまず怒りを飲み込んだ。
 その夜は彼女の負傷もあり、異変を聞きつけ河原宿から山口に移ってきていた小松が逗留する宿に世話になることになった。
 そして一夜明け、彼女が元気な姿を見せ、皆が安堵したところで、小松が意外なことを言い出した。
「── 我が薩摩に乗り換えませんか?」
 『龍神の神子』の名は他藩との交渉に有利になる、という彼の言葉には打算的な思惑が垣間見える。 彼女そのものではなく、彼女の持つ力を気に入ったらしい。 だが、小松帯刀という人物の人となりを知っている龍馬には、それだけではないと解っていた。
 しかし、他の者は小松の傲慢にも見える態度にカチンときたようだ。 家老相手には口にできない怒りが表情に出てしまっている。
「……それは、薩摩のために働けということですか…?」
 静かに、ゆきが口を開いた。
「単刀直入に言えば、そうですね」
「………………そのお話、お断りします。 ごめんなさい」
 頭を下げるゆきに、小松はぴくりと眉を上げた。
「……龍神の神子は、この世界を救う存在だと聞きました。 だから、どこかひとつの藩だけのために、っていうのはよくないと思うんです。 もちろん今だって、幕府のために働いているわけではありません。 この力は、苦しんでいる人みんなのために使いたい──」
 ゆっくりと言葉を選びながら話していたゆきは、急に口を噤んだ。 苦しそうに眉をひそめ、唇を噛んで深く俯く。
「神子殿?」
「……違うんです。 私、小松さんに必要としてもらえるような人間じゃありません…」
 彼女は俯いたまま、ふるふると首を振りながら言葉を絞り出した。
「……四神を集めているのだって、全部自分のため……」
「お嬢……?」
 どうして彼女がそんなに卑下するのかがよくわからない。 四神は龍神に仕える存在。 龍神に選ばれた神子が四神を集めることは、至極当然のように思えるのだが。
「── くっ……あはははっ」
「お、おい、帯刀?」
「君の『お嬢』は面白い子だね、龍馬」
「っ !?」
 確かにそんなことを口走った記憶はあるが、改めて言われると面映ゆい。
「いいよ、この際薩摩だ幕府だなどと言うのはやめておこう。 私は個人的に神子殿を援助する。 代わりに君は私の必要に応じて『龍神の神子』の名を貸す── これでどう?」
「えっ……あの……」
 龍馬は戸惑う彼女の肩にぽふんと手を乗せた。
「難しく考えなさんな。 帯刀はお嬢が困っていたら助ける。 お嬢は帯刀が困った時に助ける。 そういうこった」
「あ……」
 彼女の眉間にあった皺がすっと消え、ほっとしたように微笑んだ。 龍馬もそれに微笑み返す。
「よし、そんじゃ話がまとまったところで──」
「あっ!」
「なっ、お嬢、どうした?」
 ゆきの手の上で、何かが淡く光を放っていた。
「砂が落ち切ったのか !?」
 駆け寄った都が光を放つゆきの手を包むように握る。 瞬がゆきの腕をそっと掴んだ。
 次の瞬間──
「──っ !?」
 光を纏った三人の姿は、一瞬にしてその場から消え去ったのだった。

〜つづく〜

【プチあとがき】
 7ヶ月ぶりの更新とか、ホント申し訳ない(汗)
 風花記発売までにもう少し進めたいものである(滝汗)

【2012/02/11 up】