■旅路の果てに掴むもの【11:思いがけぬ再会】
禁裏での戦の後、京の町がどうにか落ち着きを取り戻し始めた頃、薩摩藩邸に龍馬を訪ねる客があった。
「── 先生!」
「よう、龍馬。
ちゃあんと生きてたかい?」
ニヤリと笑いながら憎まれ口を叩くのは、龍馬の師・勝海舟である。
幕府の人間でありながら脱藩浪士である自分を弟子にしてくれ、海軍操練所にも入れてくれ、今回は命の危険を回避すべく薩摩に口利きしてくれた大恩人。
これまではもちろん、今後も一生頭が上がらない人物となったことは間違いない。
「先生、この度はいろいろとありが──」
「ああ、そんなのはいいってことよ。
ところで龍馬、お前、今どうせ暇なんだろ?」
「へっ?
……はあ、まあ」
「じゃ、いっちょ旅でもしねぇか」
唐突な師の誘いに、一瞬龍馬は戸惑った。
この一月余りの間に京で立て続けに起きた騒動のせいで、彼女の安否を知ることができていないからだ。
彼女には頼もしそうな護衛も付いているし、そう気を揉む必要もないのかもしれないが──
京を出ることになるのなら、できればその前に一目無事を確認しておきたい。
「先生……それは急ぎの旅でしょうか」
煮え切らない返事に勝はぴくりと片眉を上げたが、すぐに普段の悪戯めいた笑みを浮かべ、
「なんだ、いつもなら打てば良くも悪くも響きまくるお前にしちゃ、珍しく歯切れが悪いな」
「はあ……って、『良くも悪くも』ってどういう意味ですか、先生っ」
「ほらな?
そうやってすぐに響いて反応すんのがお前だろ」
「うっ……」
確かに今はいつもの自分らしくない自覚はある。
思わず龍馬は黙り込んだ。
「のんびりしてる時間はねぇ。
できることなら西の奴らを何とかしてやろうって話だ」
「西……長州…?
先生、まさか戦の下調べを…?」
朝敵・長州に兵を送るよう幕府から命令が出ているのは龍馬も知っていた。
どの藩も厳しい懐事情を抱えているため、まだ重い腰を上げようとはしていないが、それでも時間が経てば幕府から厳しくせっつかれ、兵を出さなければならない羽目になるだろう。
現に薩摩藩家老である小松は国元へ戻ると数日前に京を出た。
途中しばらく長州に滞在するという話だったから、彼の場合は国に戻って出兵準備というよりも、長州での情報収集の方が主な目的なのかもしれない。
「── 馬鹿言うんじゃねぇよ。
戦がしてぇなら、とっとと兵を掻き集めるさ」
「じゃあ……」
「ああ、長州の腹ん中探って、止められる戦は止めねぇとな」
師の言葉は龍馬の焦りを行動へと替えさせる。
必ずまたどこかで会える──
彼女との絆を信じて、龍馬は旅支度を始めた。
* * * * *
翌日、龍馬は師と薩摩藩邸に預けられていた同志たちと共に京を出た。
途中、神戸の操練所に戻る同志たちと別れ、そこからは師と二人、山陽道をひたすら西へ下る。
十数日かけてようやく長州に辿り着いた二人は、藩庁のある山口の手前の宿場町・小郡で宿を取ることにした。
「── ワッハハハハ!」
「アハハハ!
先生、まあ一献!」
豪快に笑う師の持つ盃に、笑いを返しながら徳利を傾ける。
ここまでの二人旅、師が語る話は龍馬に大きな感銘を与え、そしてこうして一日の疲れを取るべく酒を飲みながらの話はとても幕府の人間とは思えぬ砕けた内容で龍馬を大いに笑わせた。
師の身柄を守るという役目を忘れそうな程に楽しい旅だ。
「── あのぅ、お客さん……」
おずおずと部屋に顔を出したのは、この宿の使用人。
「ん?
どうかしたかい?」
「もうちぃとお声を落としていただけると……」
「しまった、苦情でも出たか……そりゃ申し訳なかった。
おい龍馬、これ持って詫び入れてこい」
「はい、任せてください!」
師が差し出した、まだ手をつけてない徳利を手に苦情申し立てがあったという隣の部屋へ。
「やあ、ご迷惑をかけて申し訳ない!
お詫び代わりにぜひ一献──
おおっ !?」
龍馬は今、泥酔とまではいかないが、適度に酔っている。
この程度の酒で幻覚が見えるようになってしまったのか──
ぎゅっと閉じた目をごしごしと手の甲でこすった。
それから、ぱっちりと思いっきり目を開く。
決して幻覚ではない姿がそこにあった。
「お、お嬢っ!」
「── 坂本……龍馬」
微笑む彼女とは別の方向から聞こえた自分の名と、鯉口を切るキンッと澄んだ金属音。
目にすれば反射的に身を隠したくなる浅葱色を身に纏った少年が、今にも刀を抜こうとしていた。
「おわっ !?」
「だめ、総司さんっ!
刀を抜いたりしちゃ!」
柄を握る少年の手を、彼女が咄嗟に押さえつける。
少年は無表情の中に微かに不服の色を浮かべた。
「── なんだいなんだい、知り人かい?」
背後から声がしたが、混乱する龍馬はすぐに応じられなかった。
彼女がここ長州にいて、なぜか新選組が一緒にいて──
「おい、師匠がもの尋ねてんだ、ぼんやりしてねぇでさっさと答えろ、龍馬!」
「……あっ、勝先生。
この人は、その……俺の、その……」
── もう駄目だ、嬉しくて仕方ない。
本当に絆はあるんだ…!
師となにやら話をしている彼女の姿をひたすら見つめながら、龍馬は胸の奥がじわじわと熱くなっていくのを感じていた。
* * * * *
「── で、なんでまたお嬢は長州にいるんだい?」
「白虎が長州にいるって聞いて、それで」
「そうか……札集めはまだ続いてるんだな」
「はい」
どうにか落ち着いて車座になった面々の顔ぶれは、驚くほど奇妙なものだった。
幕臣に脱藩浪士に新選組、そして龍神の神子。
追う者と追われる者が少々緊張を孕みつつも穏やかに同席している。
「龍馬さんはどうしてここに?」
「俺は勝先生のお供なんだが──」
隣に座る師に目を向けると、師の方もこちらを見ていた。
その視線が『黙ってろ』と言っているように見えて、龍馬は慌てて口を噤む。
それから師は彼女の方へ顔を向けた。
「その前に、ひとつ嬢ちゃんに聞きてぇ」
「え、あ、はい……なんでしょうか?」
「── あんた、一体何者だい?
新選組をお供に従えて、その抜刀すら制してみせる──
ただの娘にそんなことができるはずもねぇ」
「何者、って……」
と彼女は困惑した顔を隣に座る都へと向ける。
都は苦笑して、
「……龍神の神子、だよな?」
「うん……確かにそう呼ばれてるけど……」
「ほう、龍神の神子!
こりゃあ、思いがけない人物に会えたもんだ。
宰相が神子を保護したってのは聞いてたが、嬢ちゃんがそうだったのかい」
胡坐の膝をぺちんと叩き、少々興奮気味の師の口からさらっと出てきた言葉に、龍馬はドキリとした。
やはり彼女は幕府に保護されていたのだ。
それなら市中で噂が聞こえなくなったのも納得できる。
二条城で大切に扱われているというなら、それはそれでいいことじゃないか。
「あの……勝先生は幕府の人なんですよね?」
彼女がおずおずと尋ねてくる。
「おう、一応軍艦奉行ってのをやらされてるぜ」
「じゃあ……長州で戦が始まるっていうのは本当なんですか…?」
龍馬には師が身を固くしたのがわかった。
表面上は笑みを浮かべたままで。
「……聞いてばかりで悪いが、もう一つ尋ねるぜ?
── 嬢ちゃんは、宰相の指示で動いてるのかい?」
「え…?
……天海にはお世話になってるし、いろいろ助言はもらっているけれど……」
小首を傾げて考えながら呟いていた彼女が、すっと背筋を伸ばして居住まいを正した。
「でも、四神の札を探しているのは、私の意志です」
師が、にやり、と口の端を上げた。
「よし、じゃあこっから先は他言無用だ。
ああ、そこの新選組の兄ちゃんも心得ておいてくれよ?
俺たちはな──
長州の腹を探りに来たところよ」
「腹を……探る…?」
「幕府と長州が事を構えたりしねぇで、なんとか穏便に済ます方法はねぇかってな」
彼女はふいに眉間に皺を寄せ、唇を噛んだ。
幾分顔色が悪くなったようにも見える。
「── 戦になったら、人がたくさん傷ついて、倒れて──」
苦しげに何か呟いた彼女がすっと顔を上げた。
真っ直ぐに師を見据え、
「── 勝先生のお仕事がうまくいくよう、私も祈っています」
「おう、任せとけ。
嬢ちゃんも頑張れよ」
「はい、頑張ります。
みんなが力を貸してくれるから、大丈夫です」
ふわり、と花のような微笑みを浮かべる彼女。
龍馬はなんだか不思議な気分だった。
とても大切に思っている人物と、尊敬してやまない人物が、こうして笑いながら話をしている姿を眺めるというのは。
それは、嬉しい、という一言に尽きるのだろう。
「── 先生も、龍馬さんがいるから大丈夫ですね」
「ほぅ、龍馬がいりゃあ大丈夫かい」
「はい、龍馬さんはとても頼りになる人ですから」
「そうかい、龍馬は頼りになる男かい──
よかったな、龍馬!」
「うぐっ!」
龍馬は突然痛みが走った脇を押さえて蹲った。
ニヤニヤ笑う師が思い切り肘で小突いたせいだ。
「勘弁してください、先生……」
脇を押さえたまま見上げると、そこに師の笑みが見えた。
楽しくて仕方ないという顔。
そう、面白い悪戯を思い付いたガキ大将のような顔だ。
「そこまで信頼されてちゃ、応えねぇわけにいかねぇよなぁ?」
「え…?」
「龍馬、明日からこの嬢ちゃんの力になってやれや」
「……ええっ !?」
「よしっ、そうと決まりゃ、今日は早く休んで明日に備えねぇとな。
んじゃ、嬢ちゃん、明日からこいつのこと頼んだぜ。
ほら龍馬、さっさと部屋戻って、とっとと寝やがれ!」
ぽかんとした顔の並ぶ車座から離脱して、元の部屋へと追いやられる。
「ちょ、せ、先生!
勝手に決めないでください!
護衛はどうす──
ぬわっ!」
背中をどんっと押されて転がり伏した。
隣の部屋に行っている間に敷かれていた布団のおかげで痛みはなかったけれど。
「あの嬢ちゃん、お前の『いい人』なのかい?」
布団の横にしゃがみ、顔を覗き込んでくる師は意味ありげな笑みを浮かべたまま。
「いい人、といいますか……その……いっ !?」
照れ臭さの余りぼりぼりと掻いていた頭に、ゴッ、と鈍い音が響いた。
今度は頭を小突かれたのである。
「先生〜…」
「ったく、お前があの嬢ちゃんのそばにいたくてたまんねぇ、って顔してんだからしょうがねぇだろ」
「なら……新選組に頼んで誰か護衛につけてください」
「馬鹿言え。
この長州で一目で新選組だと判る格好のヤツを従えててみろ、いくつ命があっても足りゃしねぇ」
「だったら、俺が今からひとっ走り山口まで行って、長州の奴を誰か連れてきます」
「あのな……これから腹探りに行く相手に、身を守ってくれって言えた義理かい?」
「じゃあ!
河原宿に帯刀がいるはずだから、薩摩の奴を──」
「阿呆!
お前が今から出かけちまったら、嬢ちゃんはどうすんだい」
「うっ……」
師はすっくと立ち上がり、部屋を出て行く。
「先生っ、どこに──」
「お前にいい情報教えてもらったからな、新選組から一人借りて河原宿まで走ってもらうさ。
いいからお前はとっとと寝てやがれ」
ニヤリと笑ってそう言うと、師は廊下の向こうに消えていった。
龍馬は布団の上できちんと座り直し、廊下に向かってガバリと頭を下げた。
【プチあとがき】
勝先生大活躍(笑)
某ドラマの影響もあって、おいらの中で勝先生フィーバーが起きております(笑)
ゲームでの勝先生がエスパーすぎるので、ここでは状況を見て『何者だ?』と
尋ねさせてみました。
なんかセリフばっかで見苦しいですね……
恋愛色が足りないせいか、執筆ペースが上がらなくて申し訳ないです(汗)
でも、龍馬さんは一緒に行動できることになって、思いっきり浮かれてると思います(笑)
※修正しました。(6/29)
小松さんの居場所・長府→河原宿
すんません、勘違いしてました(汗)
【2011/06/28 up】