■旅路の果てに掴むもの【10:騒乱】
寺田屋に戻ってきた龍馬を待っていたのは、意外な知らせだった。
部屋では緊張した面持ちの同志たちが、一人の見知らぬ男を警戒しつつ、距離を取って遠巻きに睨んでいる。
「やっと帰ってきたか!」
「なっ、ど、どうしたっ !?」
天の助けとばかりに同志の一人が飛びついてきて、そのまま部屋の隅に引きずられた。
「── あの男、薩摩の者らしいが……どうしても坂本さんに直接会わせろと言ってきかんのだ」
「薩摩が……俺に?」
こそこそと耳打ちされて、龍馬は男の方へちらりと目をやった。
きちんとした身なり、真っ直ぐに背筋を伸ばして座っている様を見れば、確かにちゃんとした藩仕えの者に間違いないだろう。
「── 俺に会いたいっていうなら、会ってやろうじゃねえか」
「だが……大丈夫なのか?」
「怪しいと思うんだったら、部屋に招き入れるなよ」
苦笑混じりに言うと、同志はうっと言葉を詰まらせた。
もしかすると敵かもしれない男とひとつ部屋にいたという事実に、改めて戦慄したらしい。
龍馬は励ますように同志の肩をぽんと叩き、微動だにせず座っている男の前にどさりと腰を下ろした。
「── 俺が坂本龍馬だ。
薩摩のもんらしいが、俺に何の用だい?」
男は懐から出した書状を、すっと龍馬の前に差し出した。
表には見知った文字で『坂本殿』と書かれている。
手に取って裏を返せば、『麟太郎』と記されていた。
「こりゃあ……」
龍馬は書状を開き、中の折りたたまれた紙を放り投げるようにして一気に広げた。
「誰からなんだ?
何が書かれてあるっ !?」
「まあ待てって」
書状に群がってくる同志たちを宥め、龍馬は書を読み進める。
と言っても、文面はただ一行しか書かれていなかった。
ごく簡潔に、『この書状を持参した男の指示に従え』とだけ。
「ははっ、先生らしいというか、なんというか──
で、俺たちはどうすりゃいい?」
投げかけた言葉に、男は微かに頷いて、
「── 勝安房守殿の命により、貴殿ら神戸海軍塾御一同を、我が薩摩藩にてお預かり致す」
「そりゃ、いつからのことだ?」
「今宵、夜が明けぬうちに」
「……わかった。
案内してくれ」
向かったのは、京にいくつかある薩摩藩邸のひとつ。
寺田屋から最も近い、どちらかと言えば京の外れに位置する邸だった。
そこで聞かされたのは、今夜、池田屋に集まっていた尊攘志士が新選組により粛清されたという事実だった。
騒ぎの中で出火し、危うく京の町が火の海になりかけたらしい。
局地的に降った雨のおかげで早いうちに鎮火したらしいが、焼け出された町人が大勢いるという。
なるほど、松代藩邸に向かっていた時の爆音と火の手はそれだったのか。
納得しつつ話を聞くうち、龍馬の背筋を凍らせる情報が耳に入ってきた。
出火の原因は、炎をその身に纏う巨大な鳥だった、というのだ。
それは四神のうちの一柱『朱雀』に間違いない。
朱雀の札は新選組が所持しているという話だったのだから。
だがその札を探していた人物──
龍神の神子一行が関わっていないことを切に願いながら、続々と入ってくる情報に焦燥を覚えつつ、龍馬は眠れぬ一夜を明かすことになった。
* * * * *
池田屋での騒動から数日後の夕方、薩摩藩家老・小松帯刀は部下である西郷隆盛の要請で藩邸のひとつに馬を走らせていた。
最初の要請は騒動翌日のことだったのだが、多忙な家老職にある以上、そうそうすぐに時間を割くこともできず。
だが、興味深い人物に会わせるから、と言われれば、なんとか時間を作ってやろうという気にもなった。
門前で馬を降りた小松は出迎えた藩士に手綱を渡し、邸の中へと入る。
「── おお、お早かったですな、御家老」
やけに機嫌の良さそうな西郷が小松を出迎えた。
「……西郷、それは嫌味なの?」
小松は苛立ったように片眉をぴくりと動かした。
邸に上がるなり脇目も振らず廊下を進む小松の後ろを、まるで飼い犬のように西郷が従った。
「とんでもない!
到着は日が暮れてからだと思っておりましたから」
「あのね、私が忙しいことくらい知ってるでしょ?
あまりに君が急かすから──
ああ、もういいよ。
それで、坂本龍馬はまだここにいるの?」
「しばらくは外に出すなとのご指示ゆえ」
「まったく……安房守殿も面倒なことを押し付けてくれたものだね」
勝海舟から、弟子を何人か預かってほしい、と打診を受けた西郷からの報告に了承の返事をするよう決断したのは小松自身である。
有能な人物の命が次々に失われている今、これ以上の才能の喪失を危惧してのことだ。
開国派のひとりとして幕府から命を狙われている坂本龍馬という男は、この国にとって今失われていいものではない。
京の市中の宿に潜伏していたのでは、いつ命を落とすかわからない。
新選組も要注意人物が薩摩藩邸に匿われているとは思わないだろう。
例え知れたとしても、手を出してくるような馬鹿な真似はできないはずだ。
もしも手を出してきたなら、それは薩摩と新選組との睨み合いというだけでなく、薩摩と新選組を預かる会津との戦に発展しかねないのだから。
「── さて、佐久間殿亡き今、開国派はどうなることやら……」
「そりゃあ、坂本殿が中心となって動いていくでしょうな」
部屋に入るとほぼ同時に思考が口から零れてしまっていたらしい。
答えたのはもちろん西郷だ。
「……そう?」
「実に面白い人物ですよ、坂本殿は。
新選組に殺られた者の中に友人がいたようで、一時は塞いでおられたが……たった数日でこの邸の者とはすっかり竹馬の友だ。
ああ、そうそう、御家老とは生まれ年が同じだとか。
話も合うのではありませんか?」
「あのね……同い年だからといって簡単に話が合うなら苦労はしないよ」
溜息交じりに呟きながらも、小松の中では坂本という男に対する興味はますます膨らんでいた。
人を見る目にはことのほか厳しい部下にそこまで言わせるとは、いかほどの人物だろうか。
「……西郷、国元から焼酎が届いていたでしょ。
あれを振る舞ってやることにしようか。
一応は客人なのだからね」
「おお、それはいいですなあ!」
自分も相伴に預かれると思ってか目を輝かせた部下を見て、小松はこっそりと苦笑を漏らした。
── その後、坂本龍馬と『龍馬』『帯刀』と名前で呼び合うまでに意気投合した小松は、
西郷から『ほらご覧なさい』と言わんばかりの意味ありげな笑みを向けられて苦い顔をする羽目になったのである。
* * * * *
寺田屋の一件から半月も経つと、龍馬はある程度自由に動けるようになった。
あれ以来、新選組は大掛かりな御用改めは行っていないらしい。
ただ、薩摩に世話になっている以上、迷惑をかけるような行動は慎まなければならない。
人が無意味に命を落とすことのない国を作るために何かしなければという焦りはあったが、今は我慢の時だと辛抱することにした。
市中に出て、藩邸の中では聞けない情報を集める。
幕府や長州の動きも気にはなったが、あの日慌ただしく別れた彼女の動向が一番気になっていた。
寺田屋での死亡者の中に若い娘はいなかった、とは聞いているが、もしも怪我でもしていたらと思うと全身に冷たい汗が噴き出してくる。
それどころか朱雀を使役したのが神子だったと誤解され、尊攘派に狙われるようなことにでもなっていたら──
嫌な想像を振り払うように頭をぶんぶんと激しく振った。
結局、以前は少し歩けば聞こえてきた神子の噂は、まるでなかったことのように全く聞こえてはこなかった。
さらに半月ほど経った頃、やけにきな臭い噂が龍馬の耳に聞こえてきた。
長州が京で何か事を起こす、という。
龍馬はすぐに親友・中岡慎太郎の隠れ家へ向かった。
中岡は長州に与している。
問い質せば、明らかに武力に訴えようとしているらしかった。
龍馬は必死に説得したが、中岡は頑なに耳を貸そうとはしなかった。
そして、ついに京に上った長州が御所に攻め込んだ。
激しい戦いの末、多くの血が流れ、多くの命が失われた。
御所の防衛に当たった薩摩や会津が勝利し、敗北した長州は朝廷に刃向かう朝敵となった。
何度も足を運んで大勢の親しい友人のいる長州と、現在世話になっている薩摩との板挟みになってしまった龍馬は、ただ唇を噛むことしかできなかった。
【プチあとがき】
ずびばぜん……時間かかった上、まったく面白くもない話で(汗)
女っ気ゼロ(笑)
歴史に詳しい方、ツッコまないでね。
史実だと、龍馬さんが薩摩に保護されるのは禁門の変の後のようです。
いつの間にかこうなってました(汗)
さらに、龍馬さんと小松さんが出会うのは、勝先生が罷免された後らしいですが、
そうなると4章の白虎捜索の辺りと話が噛み合わなくなるので、
ここで出会っておいてもらいました。
もうすっかりマブダチです(笑)
【2011/06/22 up】