■旅路の果てに掴むもの【8:夜道の再会】 龍馬

 龍馬は京の町をとぼとぼと歩いていた。
 知らせを耳にして駆け込んだのは宿から西に位置する松代藩邸。 師・佐久間象山は松代藩士なのである。
 藩邸に向かう途中で聞こえた爆音。 直後、北側の夜空を不気味に赤く染めた炎は何なのか、その時は気にしているどころではなかった。
 邸は藩の頭脳である象山の突然の死に恐慌状態に陥っていた。 最初はすげなく追い返されそうになったが、龍馬が名乗ると丁重に師の元へ通された。 藩士たちの様子からすると、師の口から自分の名を聞かされたことがあったらしい。 ちゃんと覚えていてもらえたことが嬉しくもあり、それがわかったのがこんな時だということが悲しかった。
 冷たくなってしまった師に手を合わせ、藩邸を辞した。 まだまだ教わりたいことが山ほどあったというのに。 誰がこんなことを── 憎しみと失望に打ちひしがれながら、宿に向かって引きずるように足を動かす。 天を覆う闇が圧し掛かってくるように思えた。 もしも今何者かに襲われるようなことがあれば、即座に反撃に移れる自信はない。
「── 龍馬さん?」
「っ !?」
 ふいにかけられた声にギクリとして足が止まる。 声の主は、もしかすると今一番会いたくなかった人かもしれない。 そのまま立ち去ろうとも思ったが、龍馬はゆっくりと振り返った。
「……お嬢じゃないか。 こんなとこで奇遇だな」
 こんな時間まで朱雀探しをしていたのだろうか。 いや、彼女たちは朱雀を所有しているという新選組の屯所に向かうため、断腸の思いで別行動を決めたのだ。 この時間まで長居しての帰りなのかもしれない。
 と、彼女が怪訝な顔で小首を傾げていた。
「どうした、お嬢?」
「いえ……あの、龍馬さん、こんな夜遅くにどうしたんですか?」
「ん……ちょっと野暮用でな。 それより、お嬢こそこんな遅くにどうしたんだ?  少し、顔色が悪いぞ?」
「え?」
 暗がりでもわかるほどの顔色の悪さを彼女は指摘されて初めて知ったのか、自分の頬に手を当てる。
「お嬢は帰る途中だったんだよな。 引き止めて悪かった。 身体、大事にしろよ」
 彼女が言葉を挟む暇も与えず早口で言って、さっと踵を返す。
 何の約束もしていないのにこうしてひょっこり会えてしまう彼女との縁は嬉しいものだが、今はちゃんと笑うことができない。 彼女とはいつでも笑いながら楽しい話をしていたいのだ。

 小走りで少し進むと自然と足が止まった。 何気なく夜空を見上げてみる。 松代藩邸に向かうときに見えた不気味な赤はすっかり消え去り、たくさんの星が瞬いていた。
「── 龍馬さん!」
 後ろから聞こえた声に、どうしてこんなところで足を止めてしまったのかと後悔した。
「よかった、追いついて」
 彼女は上がった息を整えてから、ふわりと微笑んだ。
「お嬢……ひょっとして俺を追いかけてきてくれたのかい?  ……そんな可愛い顔が見れるんなら、たまには隠れ鬼でもするか?  俺はお嬢がどこにいたって探し出せる自信があるぜ?」
 茶化した言葉を吐きながら、懸命に口の端を上げる。 自分の顔はちゃんと笑った顔に見えているだろうか。 悲しみが、戯言の中で掻き消されてくれていればいい、と必死に願う。
 だが、彼女の瞳は心の中を覗き込むかのように真っ直ぐに龍馬に向けられていた。
「何か、あったんですか?」
 ギクリ、とした。 頼むから、誤魔化されておいてくれ──
「── なーんもないぜ。 ただ、空を見ていた……それだけだ」
 彼女は一度空を見上げた後、再び龍馬をじっと見つめてくる。
 お互い口を開かぬまま、しばしの間見つめ合う。 こんな時でもなければ大歓迎な状況だというのに。 いたたまれなくなった龍馬はすっと視線を逸らし、頭を掻いた。
「……いや、参った。 俺が悪かった、心配かけちまったな」
「龍馬さん、何かあったんじゃないですか?」
 どうしても彼女は見逃すつもりはないらしい。
「あ……もしかして、象山先生のところからの帰りですか?  まさか、喧嘩しちゃったとか…?」
 京に来た理由を昼間同行した僅かの間に話していたから、彼女はそう聞いてきたのだろう。 なかなか鋭いところを突いてくるじゃないか。 けれど── ただの喧嘩別れだったらどんなによかったか。
「先生は………………先生が、暗殺された」
 無理矢理に言葉を絞り出す。 彼女は血の気の失せた顔を一層蒼褪めさせて息を飲み、口元を両手で覆った。
 一度口を開いてしまえば、堰を切ったように言葉が溢れ出した。 開国派である象山は攘夷派の標的となってしまったこと。 今のこの国は、人の命が粗末にされすぎている。 思想が違うからといって、話もせずに命を奪う。 どうしてそんなもったいないことをするんだ。 臆病者だと謗られようと、俺は人を殺すのは嫌いだ──
 滔々と訴えると、大きくうなずいた後で彼女は、龍馬さんは間違ってないと思います、とぽつりと呟いた。
「── 私も、人が死ぬのも殺されるのも嫌いです。 同じように思ってる人はきっとたくさんいます。 思っていない人には、わかってもらえばいいんです」
「お嬢……?」
「武器で人を傷つけるんじゃなくて、言葉を武器にすればいいんです。 わかってもらえるまで何度も話をすればいいと思います。 そうやって、人の命を大事にする国に、龍馬さんが変えていけばいいんじゃないですか?」
「っ………………」
「あっ、もちろん私もお手伝いできるなら一緒に頑張ります!  ……だめですか?」
 胸元できゅっと両手を握り合わせ、小首を傾げながら彼女は龍馬の答えを待っていた。
 そうだ、今のこの国を憂うなら、自らその憂いを取り除いてしまえばいい。
 彼女は初めて会った時から、袋小路に入ってしまった龍馬の視界を、こうしてぱあっと広く切り拓いてくれる。 感動すらしつつ彼女への答えを探していると、はっと何かに気付いた彼女があたふたと慌て出した。
「あ、あのっ、さっきの『言葉を武器に』っていうのは取り消します。 人を傷つけるようなことを言っちゃいけませんよね。 だからさっきのは── えっ?」
 彼女が不思議そうな顔をしたのは、龍馬が彼女の腕を掴んだからだ。 そのまま引き寄せて抱き締めてしまいたかった。 もしかすると抱き締めてほしかったのかもしれない。 けれど今の彼女にそれを求めるのは間違っているような気がした。
 緩く掴んだまま彼女の手の甲まで己の手を滑らせた。 少し捻って彼女の手のひらを上に向ける。 その上に懐から取り出した青龍の札をそっと置いた。 途端、札は柔らかな光に包まれ、穏やかに光は消えた。
「龍馬さん、これ……?」
「ああ、青龍の札だ。 どうやらうまい具合に呪詛も消えたみたいだな。 さすが龍神の神子様ってとこか」
「あ、あの……?」
 彼女の手の上にある札の上に、龍馬はそっと手を重ねた。 呪詛のせいか札にいつも纏わりついていた禍々しさはもう感じない。 神子の清らかな御手により、青龍は救われたのだと実感した。
「俺は青龍とは何かと縁があってな。 この札は代々俺の家に伝わったものだし、俺が生まれた時にゃ青い龍の鱗みたいなもんを握ってたらしいしな」
「そんな大事なもの、もらえません」
「いや、たぶんこの札は、お嬢に渡すために俺のところに来たんじゃないかって思うんだ」
 それが彼女との縁。 朱雀を探していると聞いたときに、おぼろげに感じたことだった。
 この国を守護する龍神。 龍神に選ばれた神子。 その神子が龍神に仕える四神のうちの一柱を探しているというのだ、青龍も必要とされていることに間違いはないだろう。
 もちろん、それだけで終わる縁だとは決して思ってはいないけれど。
「んじゃ、俺はそろそろ行くぜ。 後ろもおっかないしな」
「えっ?」
 龍馬が投げる視線につられて振り返った彼女が、あ、と小さな声を漏らした。 しばらく前からそこにいたのは、彼女の仲間三人。 特に瞬は人を殺せそうな視線で龍馬を睨んでいる。 相変わらずとはいえ、あまりの警戒ぶりに思わず笑ってしまうほどだ。
 空いている彼女の手を自分の手の代わりに札の上にそっと重ね、その上からぽんと軽く叩いてから、またな、と踵を返した。
「あ、待って、龍馬さん」
 頼むから今は引き止めんでくれ── そう思わなくもなかったが、彼女に呼び止められて無視することもできず。 足を止めた龍馬が肩越しに振り返ると、彼女はちょうど地面に屈みこんで何かを拾い上げているところだった。
「あの、これ、龍馬さんがお札を出した時に懐から落ちたような気がしたんですけど……」
 彼女が差し出すものを見て、はっと胸元に手を当てる。 あるはずの硬い感触のひとつが感じられない。
「これ……ガラス?  ……あの、龍馬さん、このままだと危なくありませんか?」
 指先で摘まんだ透明な欠片をまじまじと見ている彼女の姿に、龍馬の口からふと苦笑が漏れた。
── 人を引き上げておいて思いっきり底まで突き落とすなんざ……罪な女だな、お嬢は
「えっ?」
「いや、なんでもねぇよ……拾ってくれて、ありがとうな。 こうして十年以上も懐に仕舞ってるが、怪我なんてしたことないから安心してくれ」
 差し出した手の上に、そっと欠片が置かれた。
 龍馬にとって大切な思い出であるガラスの欠片は、彼女の記憶の中にはなかったらしい。 単に失われているだけなのか、それとも元々存在しないものなのかはわからないが、師の暗殺で沈んだ心に追い打ちをかけるには十分だった。
 緩く握った欠片を懐に仕舞い込んだ。
「……じゃ、今度こそ、俺は行くな」
「あ……はい。 あの、青龍のお札、ありがとうございました」
 口の端を微かに上げるのみで応え、彼女に背を向け歩き出す。
 足を進めると同時に流れていく地面。 これじゃいかん、と龍馬は無理矢理目線を上げた。 悲しんでいる暇があるなら師の志を引き継いで行動していたほうがよほどいい。
 なんとかなる。 いや、なんとかする。 彼女という味方がいてくれさえするなら、この上もなく心強いことじゃないか。
 宿へ戻る龍馬の頭の中では、次にどう動いていくかの計画が着々と組み上げられていた。

〜つづく〜

【プチあとがき】
 松代藩邸がどこにあったのか、調べきれませんでした。
 なので超適当です(汗)
 龍馬さんの行動も完全な捏造です。
 サブタイトルはイベント名そのまんま(汗)
(追記)
 加筆修正しました。
 最後の方のガラスの欠片についてです。
 ゲームでの展開と違い、最初に見せなかった分、ここで見せようと思ってたのに、
 ついつい入れるのを忘れておりました(汗)

【2011/06/11 up/2011/06/17 加筆修正】