■旅路の果てに掴むもの【7:師と死】 龍馬

「── 坂本さん、勝先生から知らせがあったぞ!」
 京での定宿である寺田屋の一室に同志が駆け込んできたのは、夜半を過ぎた頃のことだった。
「おっ、ようやくか。 で、先生はなんて?」
「明後日の夜、象山先生をお招きして、一席設けてくださるそうだ」
「そりゃありがたい!  明後日か……」
 待ちに待った師との再会に心が浮き立つと同時に、明後日の夜まで自由に行動できることがやけに嬉しく思えた。

*  *  *  *  *

 翌朝、朝餉を済ませた龍馬は京の町に出た。 不穏な情勢や怨霊の恐怖があるとはいえ、活気に満ち溢れた町だ。
「さて、と──」
 龍馬が起こす行動はただ一つ。 『お嬢』を探すことである。
 飯屋でばったり遭遇したのはもう三日も前になる。 探し物をしている、と言っていたから、今日も彼女は京の町のどこかを歩き回っているのだろう。 できることなら手伝ってやりたい。 移動している人間を探し出すというのはなかなか難しいことではあるが、彼女との『縁』を考えれば、今日あたりどこかでひょっこり会えそうな気がした。
 ただ、気になるのは町の噂。 近頃やけに耳にするのは『龍神の神子』に関する噂だった。
 『清らかな御手により怨霊が浄化された』などというのは少し前から出ていた話だが、ここ数日は『龍神の神子が幕府に加護を与えている』といった内容も聞かれ始めた。
 何かしらの加護を与えることができるのは、神子ではなくて龍神のほうだろうに、と呆れながらも、他人事と聞き流すことは龍馬にはできない。 『龍神の神子』は、『お嬢』なのだから。 噂話の中に真実があるとするならば、すなわち彼女が幕府と関わっているということになる。
 龍馬の足は危険を承知で二条城の方向へと向かっていた。

 途中、京に出回る瓦版の中で最も信憑性が高いと評判の夢の屋の瓦版を買い求めた。 書かれているのは、長州藩絡みのきな臭い内容だ。 この状況をなんとかしたい、と逸る気持ちを奥歯でギリッと噛みしめる。
「── おっ?」
 見えてきた二条城の城門の前、見知った四人の姿があった。 会えそうだ、と思った予感は見事的中だ。 だが、彼女がここにいるということは、彼女と幕府との関わりを裏付けてしまったようで、少しだけ気が重くなった。 もちろん幕府と関わっているから悪いと言うつもりはない。 そもそも龍馬の師である勝海舟は幕臣の一人だ。 それでも彼女だけは無関係でいて欲しいという思いの方が強かった。
 気持ちを切り替えようと大きく息を吸い、勢いよく吐き出す。 もう一度息を吸い込んで、
「おーい、お嬢!」
 呼んだ声に、立ち話をしていた四人の顔が一斉にこちらに向いた。
「あ……龍馬さん」
「また会えたな、お嬢。 探し物は見つかったのかい?」
「それがまだ見つからなくて……毎日、瓦版を頼りに探してるんですけど……」
 表情を曇らせた彼女の横で、都がキランと目を輝かせる。
「いいもん持ってんじゃん、坂本!」
 都は軽い身のこなしで龍馬の手から細い筒を抜き取った。 それはここに来る途中で買った瓦版。 なかなか目聡い少女だ。
「おっ、夢の屋の瓦版じゃん。 ラッキー♪」
 丸めた紙を広げてニカッと笑った都は、瓦版を瞬に向かって突き出した。 鬱陶しそうに眉間に皺を寄せながらも受け取った瞬は、諦めの溜息を漏らしてから瓦版を読み始めた。
「── 俺たちが求める情報は載っていない」
「なんだ、ハズレかよ。 あー、今日も化け物の目撃情報の聞き込みに歩き回らなきゃなんないのかー」
「その瓦版によれば、今の京は一触即発の状態にあるということか。 四神を探すオレたちが危険視されてしまう可能性もある。 気を引き締めて行動しなくては」
 瞬が広げた瓦版を覗き込む三人。 彼らが口にした内容に、気になる言葉がいくつも出てきた。
「……なあ、お前たち、一体何を探してるんだ……?」
「あ、はい── 私たち、『朱雀』を探してるんです」
 にっこり笑って答えた彼女に、龍馬は思わず言葉を失った。

*  *  *  *  *

 彼女らが大きな赤い鳥『朱雀』から京で有名な情報屋に探す目標を変更したのは、龍馬の進言によるものだった。
 情報屋の正確な居場所を知っていたわけではないが、聞き込みをして探すなら、人外のものより人間の方が見つかる可能性は高い。 そして情報屋が見つかれば、おそらく素人では掴むことのできないネタを引き出すことができるかもしれないのだ。
 明日の夜までの空いた時間を彼女の手伝いに費やす気満々でいたというのに、全く当てにされていなかったようで置いて行かれそうになったけれど。 だが、長州で慌ただしく別れて以来一年ぶりに彼女に同行できるのは嬉しいことだった。
 ── 『龍神の神子』、か。
 女の子二人並んで楽しそうにおしゃべりをしながら前を行く彼女の後ろ姿を見ながら、何気なく懐に手を入れる。 そこに収めてある一枚の札の乾いた手触りが、龍馬の胸に一抹の不安を呼び起こした。

 うまい具合に情報屋に辿り着き、朱雀の行方を知ることができたが── 人目を忍んで情報を集めているはずの情報屋『夢の屋』が、妙に色気を振り撒いているあんな派手な男だったことに驚きを隠せない。
 それよりも、問題は現在の朱雀の所在場所だ。
 『朱雀は新選組の懐にあり』── 夢の屋が彼女に託した情報は、龍馬の気を重くした。 新選組は龍馬にとって天敵のようなものだ。 といっても、龍馬からすれば向こうが一方的に追ってくるだけの話なのだが。
 今、彼女たちは新選組に接触を図るため、壬生にある屯所へと向かっている。
「── お嬢」
「はい?」
「悪いんだが……俺はここで別行動させてもらうぜ」
「えっ、どうして── あっ」
 何かを思い出したのか、彼女の顔がみるみる切なく曇っていく。
「そういえば、龍馬さん、前に新選組に追われていましたよね……」
「ま、そういうこった。 すまねえな、お嬢。 手伝わせてくれ、なんて言っておきながら、早々に抜けちまって」
「いえ……龍馬さんの命の方が大切ですから」
 彼女は少し俯いた蒼褪めた顔で、唇を微かに震わせながらそう言った。 もしかすると、会えずにいた間に人の死── 誰かが斬られる場面を目撃してしまったのかもしれない、と直感した。 それをあり得ないと否定できない程度には、今の京には死が溢れている。
「……心配してくれて、ありがとうな」
「あの……また、会えますか?」
 すっと顔を上げた彼女の瞳が不安げに揺れながらもまっすぐに向けられて、思わずドキリとした。 せっかく会えたというのに、すぐに離れてしまう自分を咎めているような── いや、彼女は決して他者を咎めるようなことはしないはずだ。 寂しいと思ってくれているのか、また会いたいと思ってくれているのか。 行き先が新選組の屯所でさえなければ、どこまでも一緒に行ってやれるのに。 胸の奥がチクチクと痛い。 それを誤魔化すように、後ろ頭をボリボリと掻き毟る。
「……まいった。 そんな風に言われて、もう二度と会えんと答える男はこの世にはいないぜ」
「え、そうなんですか?」
「まあ、そういうもんだ」
「はあ」
 さっきまでの真摯なまでの彼女の眼差しが、打って変わってきょとんとした愛嬌のある目に変わり、なんだか拍子抜けして思わず苦笑する。
「きっとまた会えるさ。 それまで達者でいてくれよ、お嬢」
「はい。 龍馬さんも気をつけて」
「ああ……じゃあな」
 後ろ髪引かれる思いでその場を離れ、宿へと戻ることにした。

*  *  *  *  *

 寺田屋に戻った龍馬は、部屋の真ん中にどさりと腰を下ろした。
 丸一日すら彼女と行動を共にできなかったのは残念だが、今更それをどうこう言っても始まらない。
 しばらくの間、腕を組み、じっと考え込んでいた龍馬は、懐からあれこれ取り出した。 それを目の前の畳の上にそっと置いて並べていく。
 まずは一枚の札。
 青い龍が描かれたそれは坂本家に代々伝わり、龍馬が元服した時に父より託されたものだが、伝承の中に出てくる四神のうちの一柱、青龍を封じた札であるという。 所有者の呼び声に応えて姿を現し、大いなる神の力を振るう── らしいのだが、どういう訳か呪詛を受けているため決して使ってはならん、ときつく言われている。
 使ってはいけないものを託される、というのは腑に落ちないが、次に龍馬が置いたものと関係があるのだろう。
 それは真っ青な小さな板状のもの。
 『青龍の鱗』と聞かされてきたそれは、龍馬が母の腹から出てきた時に握り締めていたものらしいが、本当に青龍の身体から剥がれ落ちた鱗なのかは定かではない。 そもそも青龍という存在が伝承の域を越えないものなのだから。
 だが坂本家には『青龍の札』が存在した。 そのため、父は龍馬が札を所有するに値すると判じて託してくれたのだろう。
 そしてもう一つは玻璃の欠片。 緩く丸みを帯びた透き通った欠片は、あの日『お嬢』から手渡されたもの。 直後、彼女は雪のように空に溶けていったのだ。
 そっと指で摘まんで、外に向かってかざしてみる。 夕暮れ近い赤みを帯びた光に、キラリと欠片が輝いて見えた。
「── 次に会えたら、これを見せてみるか。 何か思い出してくれるといいが……」
 それから龍馬は三つ並べた品物を見つめながら、しばらくの間瞑想するかのように考え込んでいた。

 その日の夜。
 他の泊まり客の迷惑も顧みず、バタバタと派手な足音を立てて部屋に飛び込んできた同志がもたらした知らせは、龍馬を打ちのめすには十分なものだった。
「── 大変だ、坂本さんっ!」
「おいおい、どうした、そんなに慌てて」
「先生が……象山先生が、殺られたっ」
「っ !?」
 待て、と制止する同志たちの声を振り切るようにして、龍馬は宿を飛び出していた。

〜つづく〜

【プチあとがき】
 ぐはぁ、ほんとマジですみません(滝汗)
 なんかもう、頭がまったく動かなくて。
 完全な五里霧中状態でございました。
 ……精進します。

【2011/06/06 up】