■旅路の果てに掴むもの【4:縁】 龍馬

「── まったく、あんたという人は……」
 嘆かわしい、と言わんばかりの大きな溜息を吐いたのは、龍馬の隣を歩く中岡慎太郎だった。 中岡もまた龍馬と同じく土佐藩を脱藩した人物で、現在は長州藩に身を寄せている。 龍馬にとっては信頼に足る同志であり、気の置けない友人の一人だった。
「まあまあ、そう言うな慎太郎。 実りのある、いい話し合いだったじゃないか」
「それはそうだが……」
 深夜まで続いた会合が終わり、一杯飲みたくて酒場に向かう道すがら、中岡は再び溜息を吐く。
 彼が嘆くのは会合の内容ではない。 龍馬が言う通り、話は一歩とまではいかないものの、半歩程度は前に進む成果を見せたのだから。
 それよりも、約束の時間が過ぎても姿を現さない人物に焦れた長州藩士が席を立とうとするのを必死に宥めていたところに、すまん、と言いつつも悪びれるどころか上機嫌でやってきた龍馬。 険悪になっていた空気をあっという間に和ませて、白熱する議論の場へと持っていった。 元々人を引き付ける天賦の才のある龍馬ではあったが、普段以上の機嫌のよさに藩士たちが丸め込まれてしまったと言っても過言ではない。
「なあ、龍馬さん……何かいいことでもあったのか?」
「おっ、よくぞ聞いてくれた、慎太郎!  実はな、ようやくお嬢に会えたんだ!」
「……お嬢?」
 酒場に着いた二人は、席に座って食事と酒を注文する。
「長門を出てすぐに出会って、ここまで一緒に来たんだが── まあ、俺の大事な人ってとこだ」
「へぇ……龍馬さんにそんな人がいるとは知らなかった」
 先に届いたお銚子を傾け、互いの杯を満たして一口呷る。
「誰にも言ったことなかったしな。 それにしても、俺のお嬢は十年前とまるで変わらず可愛かった!」
 二杯目の杯をぐびっと一息に飲み干し、ぷはぁ、と満足そうに息を吐く。 彼にとってはよほど美味い酒なのだろう。
 どうやら龍馬と『お嬢』は十年ぶりの再会を果たしたらしい。 十年ぶりとなると、相手には亭主はおろか、子供の一人や二人いてもおかしくないだろうに。 彼の浮かれっぷりから見て、まさか『お嬢』はすでに未亡人なのか。 それを『可愛い』などと評するとは、彼らしいというか、失礼極まりないというか。 ともあれ彼の関係者となれば、可愛い、と言われて、ありがとう、とにっこり笑っていられるくらいには度量が大きいに違いない。
「……そうか、それはよかったな。 これで心配の種がひとつ減った」
「心配?  何を心配してたんだ?」
「龍馬さんの周りには浮いた話を聞かないからな、変わった趣向を持っているのかと──」
「なっ !?  慎太郎、お前、俺に衆道の気があると思ってたのか !?」
「疑っていた程度だが」
「おいおい、馬鹿なこと言ってもらっちゃ困るぜ。 俺は男だ、女が好きに決まってるだろ!  ……いや、違うな、俺は別に無類の女好きってわけじゃあない。 そう、俺はお嬢が── お嬢が好きなんだ!」
 恥ずかしげもなく大声で力説する龍馬。 この時ばかりはさすがの中岡も、彼との友人関係をこのまま続けてもいいものかと頭を悩ませた。
 そして今日の龍馬は、この後酒を飲む間もずっと、どこまでも上機嫌だった。

*  *  *  *  *

 相手を打ち負かすのは武力戦ではなく舌戦であるべきだ、と龍馬は思う。 自分の意見を相手に伝え、相手の意見を理解した上で、押し通すか受け入れるか、あるいは互いに歩み寄るかなのだ、と。
 だが、この国では命の重みがますます薄らいでいく。 思想が違うというだけで命の灯火は簡単に消され、遺された者は血眼になって仇討ちの相手を探し、そこでまた命が消えていく。 死の連鎖は途切れることを知らない。
 長州での再会から一年── 刻一刻と変わっていく世の中と同じく、龍馬の周辺も大きな変化を見せていた。

 あれからしばらく、龍馬は下関近辺を巡って『お嬢』を探したが、彼女の姿はおろか、見かけたという情報を聞くことすらできなかった。 まるでこの世から消えてしまったかのようだ── 十年前に心に受けた古傷がズキリと痛む。
 だが立ち止まっているわけにはいかない。 一刻も早くこの国を平和な国にすればいい。 国が平和になれば、彼女を探す時間もたっぷりできるのだから。 己の志にがむしゃらに邁進するのが、一番の近道だと思えた。
 そして龍馬は現在、師・勝 海舟が発足させた神戸海軍操練所で操船技術を学んでいる。
 国内で争っている場合ではなく、海の外に目を向けるべき── 海軍として国力の強い諸外国から日本という国を守り、商船として海外との貿易で国を豊かにするために、船は必要不可欠なのである。
 『象山先生が上洛された』という知らせを聞いた龍馬は、居ても立ってもいられず、操練所で共に学ぶ同志数人と京へと馳せ参じた。
 象山先生── 兵学者・佐久間象山は龍馬のもう一人の師であり、勝もまた象山の弟子の一人である。
 京の町を歩く龍馬の胸は、やけに高鳴っていた。 久々に師に会えるからだろうか。
「── おっ?」
「どうした、坂本さん?」
 胸の高鳴りは、どうやら予感だったらしい。 急に足を止めた龍馬の視線の先には、立ち話をする少し奇異な衣装に身を包んだ三人組の姿があった。
「ああ、俺の知り合いだ。 ちっとばかり待っててくれるか」
「急いでくれよ、坂本さん」
「わかってるって」
 同志たちから離れ、三人組の背後から近づいていく。
「── 治安が悪いの?」
 こくん、と小首を傾げて問う姿はなんと可愛らしいことか。
「ああ、血で血を洗う武力抗争が連発。 こんな危険な町、他にないだろうな」
「その通り!  今の京には危険がいっぱいさ」
 男と見紛う装いをした少女の言葉を受け継いで、龍馬は洋々と言い放った。
「あ、龍馬さん」
 ふわり、と花のように微笑む彼女の顔を見た龍馬の顔にも笑みが綻んだ。 普段の彼を知る者が見れば、だらしない、と評する程に緩んだ顔だ。
 一年前、長州であれほど探して見つからなかった彼女と、遠く離れたこの京で会えた。 彼女と自分との間には、切っても切れない縁があるに違いない、と確信する。 一度目は偶然だったとしても、二度目以降は偶然とは言わない── 確率の観点から見た龍馬の持論である。
「……あんた、ホントにあの『坂本龍馬』?」
「あの、ってのがどれか知らんが、俺は正真正銘、坂本龍馬だぜ」
 男装の少女に胡散臭そうな視線を向けられるものの、龍馬は胸を張ってそう答える。 そこそこ名が知れ渡ってしまっている現在、こんなふうに聞き返されることがないわけではなかった。
「へぇ……なんかイメージと違うな」
「都、そんな言い方、失礼だよ」
 『お嬢』は男装の少女── 都の腕を掴んで、眉をひそめながらたしなめる。
「そうか、あんたは都ちゃんっていうのか。 よろしくな」
「うげっ、『ちゃん』とかつけるな、気色悪っ!  呼び捨てでいい── 私はこの子のいとこの八雲 都だ」
「都、でいいんだな?  悪い悪い、そう興奮するなって。 んで、こっちの兄ちゃんは?」
 次に水を向けたのは長身の青年。 『お嬢』を守ろうとしているのか、彼女の姿を半ば隠すように立ち、こちらに警戒の目を向けている。
「あー、こいつは桐生 瞬。 ま、私らみんなまとめて兄妹みたいなもんだな」
 青年── 瞬が口を開こうとしないのに焦れたのか、都が代わりに名を告げる。 都の様子からして、瞬は往々にして口数が少ないらしい。
 ふと、瞬が往来の方へと鋭い視線を向けた。 賑やかではあるが和やかな雰囲気だった町が、突如緊張を孕む。
「── ゆき、こちらへ」
「どうしたの、瞬兄?」
「なっ !?  ちょ、ちょっと待て!  今……なんて言った?  もしかして、お嬢……『ゆき』って名前なのか !?」
 彼女背を押し脇道へ入ろうとした瞬を、龍馬は慌てて引き止めた。
 龍馬にとって『お嬢』は『お嬢』である。 一年前に長州で会った時、呼ぶのに困らなかったため名前を聞いていなかったことに今更気がついた。
「── 坂本さん!  まずい、新選組だ!」
 少し離れた場所で待っていたはずの同志の一人が、耳元で鋭く囁いて、腕を引っ張った。
「すまん、お嬢!  また会おうぜ!」
 龍馬を含めた操練所の者たちはぱっと散り、身を隠す。 こんな時の逃げ足は、みな天下一品だ。
 せっかくまた会えたのに── 後ろ髪を引かれる思いに歯噛みしながら、龍馬は裏路地を駆け抜けた。
 だが、悪いことばかりじゃない。
 『お嬢』は『ゆき』で、十一年間忘れられずにいる人物に間違いない── 確信の中にほんの少しだけ残っていた、もしかしたら別人なのかもしれないという疑念が払拭されたのだから。

〜つづく〜

【プチあとがき】
 龍馬さん視点なので、1章すっ飛ばして2章に入りました。
 いくらゲームのストーリー沿いで展開させるとはいえ、なかなか難しゅうございます。
 コルダ3の時は2日に1本ペースで書けたんですけどね(汗)
 やはり幕末に生きた経験がないせいでしょう。
 えー、ゲームと違うじゃん、とか言わないでね。
 捏造ですから、あくまでも。
 冒頭の中岡さんとの会話は書いてて楽しかったっす(笑)

【2011/05/15 up】