■旅路の果てに掴むもの【2:一方通行な思い】
「── お嬢っ !?
お嬢じゃないか!
なんでこんなところに──
って、そんなもんはどうでもいい、運命ってもんだ。
いやぁ、こういうのを感慨無量って言うんだろうな。
ほら、お嬢、しっかと顔を見せてくれよ。
そりゃあもう、ずっと会いたかったんだぜ!」
龍馬は駆け寄るなり少女の手をがしりと掴み、外国人がよくやる『しぇいくはんど』の数倍激しく上下に振った。
本当は彼女の華奢な身体が潰れてしまうほど抱き締めてしまいたかったが、驚かせてしまっても申し訳ないので、そこは必死に我慢である。
一応は気を遣ったつもりではあったが、結局のところ彼女を驚かせてしまう結果に終わってしまったらしい。
不安げな表情に戸惑いを加えた少女は、手を掴まれながらもじりじりと後ろに下がろうとしていたのである。
さすがの龍馬も彼女の異変に気付いた。
「……お嬢?」
「あ、あの……助けてくれて、ありがとうございました」
丁寧なお辞儀をして、無理に笑ってみせる少女の顔は、怨霊に襲われた恐怖から抜け切れていないらしく、まだ少し蒼褪めていた。
「そんな、他人行儀な……お嬢、本当にどうしちまったんだ?」
動きを止めた龍馬の手の中から、彼女がすっと手を引き抜いた。
抜けていくその感触がなんだか寂しい。
「あの、初めてお会いすると思います。
それより、ここは一体どこなんでしょうか…?」
一層不安の色を濃くしたこの少女は、あの日空に消えてしまった少女に間違いないはず──
記憶が、いや魂が龍馬にそう告げている。
なのに彼女は自分を知らないと言う。
たまに頭を打って記憶がなくなった、という人の話を聞く。
もしかすると彼女もそんな類の状態なのかもしれない。
あんな不思議な消え方をしたのだ、何か代償があって然るべきだ。
龍馬は頭の中で、そう結論づけた。
「あー……ここは長州の北のほう、長門の近くだ。
んで、南に下っていくと、下関っていうでっかい港町がある──
わかるか?」
「下関……」
子供に言い含めるようにゆっくりと告げた言葉を、彼女は復唱してしばし考え込む。
そして、
「── ということは、ここは日本なんですよね?」
こくん、と可愛らしい仕草で小首を傾げる彼女の言葉に、龍馬は瞠目した。
今、この国に『日本』という概念で動いている人間はそう多くはない。
閉鎖的な幕府を頂点に、地方の国を治める諸藩がひしめいている状態では、ひとつの国として諸外国と対等に渡り合うことなどできないのだ。
だからこそ龍馬は今、『日本』という国を創るべく奔走している。
自分の行動は間違っていなかったのだ、と彼女の言葉で確信して、龍馬は嬉しくなった。
「……やっぱりお嬢は、よくわかってるんだな」
その時、林の奥で耳障りな叫び声が聞こえた。
たぶん、先程倒した怨霊に引き寄せられた、別の怨霊だろう。
のどかな田舎だとはいえ、やはり怨霊はここでも増えているらしい。
「── お嬢、悪いがちょっくら走るぜ!」
「えっ、あ、あのっ!」
龍馬は彼女の手を取り、南へ向けて駆け出した。
さっきの戦いで、龍馬の銃は弾を使い果たしている。
侍の命とも言うべき刀を持ち歩かない龍馬は今丸腰状態だった。
こんな時は、逃げるが勝ちなのである。
しばらく走った二人は、迫る山の手前で足を止めた。
田を迂回するように伸びていた街道は、もう少し行けば起伏のある山道へと変わる。
「急に走らせちまって悪かったな。
大丈夫だったか? お嬢」
「はっ……だい、じょう、ぶ……です、はぁ…っ」
手を離してやると、彼女は膝に手をつき、肩で荒い息を吐いていた。
多少加減したとはいえ、男の足でほぼ全速力で走ったのだから無理もない。
あー、しまった、と龍馬は苦い思いを抱きつつ、周囲の気配を探る。
鳥のさえずりが聞こえるこの辺りに危険はないようだ。
見れば道の脇に人が二人腰を下ろして休むには十分の大きさの岩があった。
「よし、ここらで腹ごしらえといこうぜ。
なーに、今朝方もらった握り飯があるし、水もある」
「え……あ、はい……」
ようやく息を整えた彼女は、自分の腹の辺りをそっと押さえてみてから、小さく頷いた。
龍馬が先に岩の上にドサリと腰を下ろすと、彼女も隣にちょこんと座る。
「ほら、全部飲んじまっていいぜ」
手荷物の中から出した竹筒の栓を抜いて、彼女に渡す。
続いて竹の皮の包みを取り出した。
包みの中から顔を出したのは大きな握り飯が三つ。
それに大粒の梅干しが添えてあった。
「……ありがとうございました」
走って喉が渇いているだろうに、遠慮しているのか二口ほど水を飲んだ彼女が竹筒を返してきた。
代わりにとばかりに握り飯を差し出す。
「遠慮しなくていいぜ。
どうせ貰いもんだからな。
いやいやいや、どうせ、なんて言っちゃいかんな。
ありがたーくいただかんと」
笑ってみせると、彼女も少し表情を緩めてくれた。
握り飯のひとつを取って、口に運ぶ。
小さな口で飯粒を齧り取った彼女は、
「……あ、おいしい」
「だろ?
しっかり食べろよ、お嬢。
腹が減っては戦はできぬ、ってな。
いや、戦はいかん。
まずは腹を割って話し合わんといかんよな」
今日の俺はいつも以上に饒舌だ、と龍馬は思っていた。
それはそうだ、ずっと会いたいと思っていた人に会えて気分が高揚しているのだから。
やけに喉が渇いている気がして、龍馬は竹筒の水を──
呷ろうとしてはたと動きを止めた。
「あー……」
たった今彼女が口をつけた竹筒から水を飲むのが、どうにも気恥かしくなってしまったのだ。
野郎どもの集まりで酒瓶で酒を回し飲みするのとは訳が違う。
ちらりと横目で彼女の様子を伺えば、まるで栗鼠のように可愛らしく握り飯を食べていた。
ごくり、と出てもいない唾を飲み込んでから、龍馬はひと思いに竹筒を呷る。
飲んだのは水のはずなのに、酒を飲んだようにかーっと顔が熱くなってくるのを誤魔化したくて、思い切り大きな口を開けて握り飯にかぶりついた。
* * * * *
「── で、お嬢はこの辺りで何をしてたんだい?」
腹を満たし、人心地ついたところで龍馬は尋ねた。
「……わかりません」
「なんだって?」
聞き返してから、龍馬は自分の失態に気付いた。
彼女は記憶がないらしいのだから、自分が何をしていたのかも忘れているのかもしれない。
「いや、すまんっ!
俺の聞き方が悪かった!」
「あ、いえ……そんなことは……」
下げた頭の上でぱちんと手を合わせ、拝むようにして詫びると、彼女は小さく微笑みながら首を横に振った。
「なあ、お嬢……行く当てがないんなら──
俺と一緒に行かないか?」
再会していくばくも経たないうちの一世一代の誘い。
だが彼女は当然ながら首を横に振る。
「でも……私、一緒に来た幼なじみやいとことはぐれてしまって……探さないと」
「なんだ……お嬢、連れがいたのかい?」
「はい……たぶん私のこと、探してると思うんですけど……」
来た道を不安そうに見やる彼女。
「……俺がお嬢に出会うまで、誰かを探しているような様子の奴にゃ出会わんかったぜ。
だったら南だ。
俺の行き先も都合のいいことに南なんだ。
途中でそいつら出会えれば万々歳。
出会えなくても下関まで行きゃ、何か手がかりが掴めるだろ。
途中、長府って町に寄らせてもらうが……連れに会えるまで、とことんお嬢に付き合ってやるぜ」
ふわり、と彼女の顔に笑みが広がった。
間違いない、十年間焦がれてやまなかった笑顔だ。
「ありがとうございます。
えと、あの……」
「俺か?
……俺は、龍馬だ──
坂本龍馬」
「龍馬、さん?」
「ああ」
『あ、思い出しました。お久しぶりです、龍馬さん』なんて展開を期待していたわけではないけれど。
「じゃあ……下関までよろしくお願いします、龍馬さん」
ぺこりと頭を下げた彼女に落胆したのは事実だった。
だがそんなことを気取らせるわけにはいかない。
パチン、と腿を叩き、気合を入れて岩から立ち上がる。
「── よし、じゃあ行こうぜ、お嬢!」
【プチあとがき】
第2話にして迷走し始めたような気がしないでも……
しょっぱなから捏造過多でございますな(笑)
ちょっぴり乙女な龍馬さんの姿をお楽しみください(笑)
まだほとんど話が進んでない……
【2011/05/06 up】