■旅路の果てに掴むもの【1:再会】
悲しい言葉を紡いだ彼女の身体が、ふわり、と宙に浮いた。
咄嗟に細い手を掴んで引き止める。
「嫌だ……行かないでくれ!」
透けていく彼女の身体。
ついさっき羽織の紐をしっかりと結んでくれた手も、もう温もりすら感じられない。
ただひたすらに己の拳を握り締めることしかできなかった。
どうか……元気で──
空気を震わせることなく耳に届いた声と共に、彼女の悲しげな微笑が青い空に溶けていく。
「お嬢っ!
行くな……っ !!
ゆき─── っ !!!」
そこにはただ、ひたすらに青い空が広がるだけだった。
* * * * *
がばっと勢いよく身を起こすと、滴る汗が顎を伝ってぽたりと腕に落ちた。
「── おお、坂本殿、ようやくお目覚めか」
声のする方へ視線を巡らせば、そこに見えたのは知り人の顔。
「んあ……?」
「坂本殿は寝言も豪快じゃのう」
「ああ、違いない」
わはは、と笑い声が起きる。
ようやく寝ぼけた頭が働き始め、龍馬はここがどこであるのかを思い出した。
長州の長門──
懇意にしている長州藩士の邸である。
この国の未来を憂い、現状を打破しようと情熱を燃やす者たちが集まれば話は弾み、酒も進む。
ひとりふたりと脱落していき、結局雑魚寝状態で朝を迎えたらしい。
先に目覚めた者たちが朝餉を味わう同じ部屋の隅で、いまだ夢の中を彷徨っている者も数人いた。
「あー……俺、なんて言ってたか…?」
ぼりぼりと頭を掻きながら、身体にかけてあった薄い布団を丸めて脇に寄せる。
焼き魚の香ばしい匂いに腹がくぅと鳴いた。
楽しい酒は身体に悪影響を残すこともなく、普段通りの食欲があるらしい。
「大きい声でおらびよったが、何と言うたかまではわからん」
「恐ろしげな声じゃったが、夢の中でも刺客に追われちょるんじゃろう」
「気をつけてくれよ、坂本さん。
今あんたに死なれちゃ、この国はお先真っ暗じゃ」
ははは、と再び笑いが起きた。
賑やかな笑い声で目覚めたのか、まだ転がっていたひとりがむくりと起きて大きなあくびをする。
「……そりゃ騒がせて悪かったな。
ちょっくら顔洗ってくるぜ」
首はまだ洗わんでいいぞー、と笑い混じりの軽口を背中に受けながら部屋を出た。
この夢も久しぶりだ──
水場へ向かいながら、龍馬は額に浮かぶ嫌な汗を無意識に袖で拭う。
この10年、見続けてきた悪夢。
ただの夢ならばどんなにいいだろう。
それは眠りが創り出した幻想ではなく、事実の再現なのだ。
最初の頃は毎晩のようにうなされては目を覚ますということを繰り返していたが、年を経るにつれ頻度は減っていった。
だが、今日のように深酒をした時や、少し気弱になった時には思い出したように夢に現れる。
井戸から汲み上げた冷たい水を、バシャッと顔に叩きつけた。
何度か繰り返して、手拭いで乱暴に顔を拭う。
うーん、と大きく背伸びをして、真っ青に澄み渡る空を見上げた。
青い空は龍馬にとって、彼女の悲しげな笑みそのものだった。
今でも鮮明に蘇る彼女の面影に向かって、にっ、と笑みを作る。
「── 待ってろよ、お嬢。
絶対に見つけ出してやるからな」
あの日から決して変わることのない決意を口にして見上げる青い空は、どこまでも青く澄んでいた。
* * * * *
朝餉をご馳走になった後、昼食用にと握り飯まで持たせてもらい、長州藩士の邸を後にした。
次に向かうは長府。
そこで人と会う約束をしているのは3日後。
のんびり行っても明日のうちには辿り着けるだろう。
もちろん、この国の未来を思えば、のんびりしている暇はないのだが。
深く生い茂った林と、田植えが終わったばかりの一面の若草色の田の境目に沿って走る街道を、龍馬は南を目指して歩く。
この辺りはまだまだのどかなものだ。
京では市中にまで現れるようになった異形のもの──
怨霊に、人々は怯えながら暮らしているというのに。
ここ長州にも怨霊はいるにはいるが、力も弱く、数もそう多くはない。
だが、戦う術を持たない人間にとっては命にかかわる脅威であることには違いない。
龍馬がそんなことをつらつらと考えていたその時、林の奥でバサバサと激しく羽根を打つ音が聞こえた。
舞い上がった鳥の群れが怯えたように空の向こうに飛び去っていく。
妙な胸騒ぎがして、龍馬は林の中に飛び込んだ。
鳥たちが飛び立った場所に見当をつけ、木々の間を縫うようにして突き進む。
危険の臭いがした。
それは感覚的なものから、実際に嗅覚を刺激する、何かが腐ったような不快な臭いへと変わっていく。
「── いやっ……!」
林の奥から悲痛な声が聞こえた──
若い女の声だ。
龍馬は声が聞こえた方へとひた走った。
袖を通していない羽織がマントのように風にはためく。
「助けて、誰かっ!」
華奢な少女の後ろ姿が見えた。
立ち竦む足が恐怖に震えている。
その向こうに見えるのは、間違いなく怨霊。
少女を襲おうと鋭く尖った爪を不気味に蠢かせる。
どうしてこんなところに若い娘が、などと考える以前に身体が動いていた。
腰のベルトに通した革のホルダーから愛用の二丁の銃を抜き、怨霊へと狙いをつける。
銃声と同時に左右の銃から間髪入れずに発射された弾丸は見事命中、バヂュバヂュッ、と耳を塞ぎたくなるような音を立てて不気味な身体にめり込んだ。
とさっ、と思ったより軽い音を立て、怨霊は地に伏す。
龍馬は軽く息を吐いてから、動きと止めたそれに銃口を向けたまま、ゆっくりと近づいた。
真上から見下ろす位置まで近づくと、龍馬は人間の子供程の大きさの背中に、残りの弾丸全てを撃ち込んだ。
怨霊というのは、一度仕留めたと思っても、しばらくすると復活してしまうこともあるのだ。
この怨霊に誰も傷つけられることのないよう、念には念を入れて──
一発撃つたびに、生臭い飛沫が辺りに飛び散った。
こんな時、銃を向けた相手が人間ではなくて本当によかったと龍馬は思う。
相手が人間なら、根気強く話せば解り合うこともできる。
だが怨霊にそれは絶対に通じない。
断末魔を叫ぶこともできずに息絶えたこの怨霊は、もう復活することはないだろう。
時の流れのままに自然に還っていくのだ。
息と一緒に戦闘の緊張を身体の外へ追いやって、弾が尽きて軽くなった銃をホルダーに滑り込ませながら振り返る。
「よし、これでもう大丈夫だ。怪我はな── っ !?」
心臓が止まるかと思った。
「──── お嬢っ !?」
10年間追い求め続けてきた愛しい人の姿が、あの日のまま、そこにあった。
【プチあとがき】
やっちまいましたー(笑)
というわけで、初遙か5創作をお届けいたします。
ゲームがゆきちゃん視点なので、龍馬さん視点の話を書こうと思います。
もちろんただのノベライズではなく、妄想てんこ盛りでいきますよ〜(笑)
「おらぶ」は漢字で書くと「叫ぶ」ですが、あえてひらがなで。
タイトル横のアイコンは東金さんと同じくへたリズむ様にてお借りしました。
可愛い龍馬さんをありがとうございます♪(直接言えよ、とかツッコまないで)
それでは、しばらくお付き合いのほどよろしくです♪
【2011/05/03 up】