■Rewriting of fate 【9:回帰】
暗い洞窟をひたすら歩いていたはずが、いつしか周囲を包んでいた光を抜けると、そこには懐かしい景色が広がっていた。
以前は何もわからないまま放り出された、始まりの場所。
遠く連なる高千穂の山々。
身を包む衣装も、懐かしいこの世界のものに変わっている。
千尋の『中つ国の二ノ姫』としての運命が、ここから再び動き出すのだ。
「……戻って、きたんだね」
「ああ」
並んで見下ろす山裾に広がる雲海が、淡い光を帯びて神秘的な光景を作り出していた。
吸い込む空気は痛いほどに冷たく澄んでいる。
「しばらく……会えないのね」
「そうでもないさ」
心細そうに呟いて俯いてしまった千尋の肩に、アシュヴィンはそっと腕を回── そうとしたが、ボスッという音と共にあえなく阻まれてしまった。
ふたりとも大きなリュックサックを背負っていたことをすっかり失念していたのである。
きょとんとした顔を見合わせた瞬間、ふっと笑いがこみ上げてくる。
「お土産、持って来れてよかったね」
「杞憂だったな」
これから先への意気込みと不安が緊張となって、荷物の重さを忘れさせていたのだろう。
思い出したようにずっしりと圧し掛かる重みに辟易して、ふたりはリュックを地面に下ろした。
「── 風早、俺の荷物を頼む。千尋の分は、那岐、お前が運べ」
「はあっ !? なんで僕がっ !?」
突然話を振られて、素っ頓狂な声を上げて抗議する那岐。
「大荷物を背負った姫と手ぶらの従者、では格好がつかんだろう?」
アシュヴィンは同意を求めるかのように、風早へとちらりと視線を送った。
風早は思わず浮かぶ苦笑を隠すこともなく、
「まあ、山を降りれば砦はすぐですから」
「あんたまでっ !?」
「案ずるな、麓までは運んでやる」
そう言うと、アシュヴィンはすっと片手を上げる。
それに応えるかのように、どこからともなく一頭の黒い獣が姿を現した。
千尋は、あっ、と声を上げ、顔を輝かせた。
が、すぐに不安そうな表情になり、
「えと……私のこと、わかる…のかな?」
祈るように胸元で手を握り締め、おずおずと獣に訊く。
漆黒の身体に赤いペイントを施したような、禍々しさすら感じる黒い麒麟は、その印象に反して凪いだ瞳でじっと千尋を見つめていた。
と、すっと宙を滑るように移動して、千尋に擦り寄ってくる。
「……よかった!」
ばふっと麒麟の首に抱きつき、嬉しそうにすりすりと頬ずりをする千尋。
「── 『以前』の俺たちも知っているのか」
「獣の姿とはいえ、神の眷属ですからね。人とは理が違うんでしょう」
麒麟と戯れる千尋を前に、アシュヴィンは好奇心の見える眼差しを送り、風早はそれに気づいていながらもしれっと答える。
「……手を上げたら現れるなんて── まるでタクシーだな」
ふたりの後ろで那岐が不機嫌丸出しで呟いた言葉に、風早が「うまいこと言いますね」と笑ったおかげで那岐の不機嫌度がさらに増す。
「とりあえず、山を降りましょうか。いつまでもここにいても仕方ありませんから」
苦笑しながらの風早の提案。
だが、この世界での乗り物としてポピュラーな馬よりも二周り以上小柄な黒麒麟の背には、当然大人4人が乗れるはずもなく。
結局、前後に荷物に挟まれるような格好の千尋を乗せてふよふよと進む黒麒麟の後ろを、男三人が歩いて山を降りることで一応の決着を見たのだった。
* * * * *
足元の傾斜がなくなり、街道と呼べる整備された道まであと少し、というところで一行は足を止めた。
千尋と荷物とを黒麒麟から降ろし、代わりにアシュヴィンがその背に跨った。
ここから千尋は中つ国の姫として、アシュヴィンは常世の皇子として、しばし別の道を歩むことになる。
「── 俺はリブと合流して、土雷の動向を探った後で国に戻る。高千穂は任せたぞ」
「ええ……」
俯きがちに黒麒麟の長いたてがみを指先で弄ぶ千尋の口から溜息が漏れた。
「そんな顔をするな」
苦笑混じりに言ったアシュヴィンはひらりと麒麟から飛び降り、彼女の前に立つ。
驚いて顔を上げた彼女の頬に、そっと手を添えた。
「これから何が起きるか、何をすべきかを、俺たちは知っている」
少し潤んだ瞳を覗き込むようにして囁く彼の言葉に、千尋は微かに頷く。
「早く片が付けば、それだけ早く復興に着手できる」
さっきよりも少し大きな動作で千尋が頷いた。
「高千穂を発つ前には会いに行くさ」
こくん、と大きく頷いた千尋の目から、雫が零れ落ちた。
「かの地では芳しい花の香りの中で過ごすこともできるだろう。その後は──」
「── ずっと一緒、よね?」
一生懸命微笑もうとするが残念ながら泣き笑いになってしまった千尋の顔に、アシュヴィンは自らの顔を近づけた。
距離を縮めながら、ああ、と答え、彼女の華奢な腰を攫って引き寄せる。
が。
「ちょ、ちょっと待って! ふ、ふたりが…っ!」
胸元に置いた手を懸命に突っ張って、首を捩っている千尋。
彼女の顔が向いている方向に目をやれば、少し離れた場所に二つの大きな塊が見えた。
アシュヴィンに強引に押し付けられたリュックを背負い、突如始まった妖しげな光景を視界に入れないようにするため『回れ右』をした風早と那岐の後ろ姿である。
「……せっかく向こうを向いてくれてるんだ、その厚意を無にするな」
「そういう問題じゃないでしょっ!」
「俺は見られても一向に構わんが」
「恥ずかしいものは恥ずかしいのっ!」
顔を真っ赤にしながら喚き散らす千尋に、アシュヴィンは溜息を吐く。
「……我侭を言うな」
アシュヴィンは背に垂れるマントの縁を掴んで宙に放り投げた。
ぶわっと広がった黒い布地は引き戻されるようにふたりの上へと降りてくる。
「!」
我侭って何よーっ!
マントが作り出した闇の中での千尋の叫びは、アシュヴィンの口付けにより音になって響くことはなかった。
【プチあとがき】
さて、ここからは第2部とでもいいましょうか。
夫婦として連れ添った記憶を持つ二人が遙か4本編ストーリーを進むとどうなるのか。
ビバばかっぷる!な感じで進めたいのですが、どうなることやら。
そして、やっぱりあたしは黒麒麟が好きだっ!
……と叫んでおく(笑)
今回短めでごめんなさい。
【2009/06/26 up】