■Rewriting of fate 【8:幕間】

 まるでピクニックか遠足だ、と風早は苦笑した。
 それはここにいる4人のうち、大きな荷物を背負った2人に限られたことではあったが。
 ましてや今は夜。
 それも月のない、闇濃い夜なのである。
 ピクニック、というより『夜逃げ』と表現したほうがしっくりくる。
 登山道に入れば街頭もなく。
 懐中電灯の明かりを頼りに山へ分け入っていった。
「── 荷物、代わりましょうか?」
 風早はぜいぜいと息を切らしている千尋を見かねて声をかけた。
 彼はいつものスーツ姿で、完全な手ぶらである。
「う、ううん、だ、大丈夫っ!」
 とても大丈夫とは思えない様子で返事をして、ラフなジーンズ姿の千尋は背中のリュックサックをよいしょ、と背負い直す。
 ちなみに彼女が背負っているリュックは大型の、本格的な登山用のもの。
「まったく── 千尋は欲張りすぎ。そんなもの、あっちで役に立つとは思えないけど」
 千尋と同じような格好の那岐がげんなりとした顔で言い放つ。
 彼もまた手には何も持っていなかった。ただし、羽織ったパーカーのポケットに突っ込んだ手には愛用の御統が握られている。
「そんなことないもん! リブには工具セットでしょ、シャニにはお花のお手入れセット、サティには──」
「だから誰だよそれっ!」
「何度も説明したでしょっ! ……いいよもう、そのうちわかるからっ! とにかく、みんなへのお土産なのっ!」
 じゃれるように言い合うふたりに、風早の苦笑が濃くなった。
 彼がふと移した視線の先で、同じ表情を浮かべる男がもう一人── アシュヴィンである。
「── 無駄口はそれぐらいにしておけ。時間が惜しい」
 ぞんざいな言い方ではあったが、冷たさはない。
 現に、ほら、と千尋に手を差し延べるアシュヴィンの口元には笑みが浮かんでいた。
 少し前までは手負いの獣のようなとげとげしさで武装していたというのに、今では精悍さを残しつつも穏やかな人物に見える。
 だが、風早はそんな彼も知っていた。
 メビウスの輪のように幾度も繰り返すことを運命付けられた彼女の生。そのうちの一筋の道で彼が見せる顔だ。
 そう、なぜか彼らには、かつて通ったその道の記憶が蘇っていた。
 なぜそんなことになってしまったのか、訊ねてもアシュヴィンはニヤリと笑うだけ。
 千尋にいたってはもごもごと言い澱んで、耳まで赤くなった顔を俯けてしまう。
 おおよそ何があったか想像することは容易かった。
 数日前、外から戻ってくるなり部屋にこもってしまった千尋に薬を届けさせたアシュヴィンはずいぶん時間が経っても階下へ戻って来なかった。
 そして、チクチクするような胸騒ぎを感じて様子を見に行った風早の耳に届いたのは、真剣に今後の戦局を分析する彼らの声だった。
 この世界のものと似て非なる地名がふんだんに盛り込まれた会話に、風早は身体がすぅっと冷えるのを感じた。
 同時に感じる無力感。
 千尋は風早の顔を見るなり、『元の世界に戻る』と宣言した。凛とした、迷いの欠片もない瞳で。
 彼の仕える大いなる存在は、何が何でも彼女を連れ戻したいのだ。
 招かざる来訪者がかつての旧友から敵国の皇子に置き換わったとしても、必ず彼女をかの世界へと誘ってしまう。
 風早は千尋にアシュヴィンを近づけすぎたことを後悔した。
 ただ、彼女の人となりを知らしめて、穏便に帰ってほしかっただけなのに。
 もしかしたらこの平和な世界で一生を全うさせてやることが初めてできるかもしれない、という微かな期待は打ち砕かれてしまった。
 また彼女を戦乱の渦に放り込んでしまうことが辛かった。
 だが、こうなってしまったからには、彼女を護らなければ──
 決意も新たに上げた視線の先に、手を繋いで山を上がっていく二人の姿が見えた。
 千尋の背中のリュックサックが重そうに揺れている。
 横を行くアシュヴィンの背中のマントが大きく膨らんでいた。
 その下には、千尋と同じタイプのリュックサックが隠れている。
 一国の皇子である彼の高いプライドはそんなものを背負うことを拒否するだろうと思っていたが、意外にもあっさり承諾したのである。
 ただしマントは譲れないらしく、少々滑稽な姿になってしまっているけれど。
 今日までの数日間、楽しげに『お土産』を買い揃えていく彼らを見ていると、風早は何も言えなかった。
 気がつけば、目の前の山肌に大岩が見えていた。
 ここと、異世界とを繋ぐ門。
 先に到着して待っている千尋たちの横を通り過ぎ、風早は岩の前に立った。
 手をかざせば岩はぼぅっと淡く光り、岩は消え去り虚ろが現れる。
「── それじゃ、行きましょうか」
 知らず浮かぶ弱々しい笑みで、風早は三人を促した。
 小さく頷いて、こくりと喉を鳴らす千尋。
 繋がれたままの手にアシュヴィンが少し力をこめたのがわかった。
「怖いか?」
「── 大丈夫………私たちは、強いもの」
 緊張を孕んだ声に、アシュヴィンは喉の奥を鳴らして笑う。
「相変わらず俺の奥方は気丈だな」
 那岐が『お前ら、いつ結婚したんだよっ!』と喚く横で、アシュヴィンは意に介さず豪快に笑い続け。
 ふと和らいだ表情を浮かべて繋いだ手を持ち上げ、彼女の手の甲にそっと唇を押し当てた。
「── だが、それでいい。俺たちはこれから何が起きるか知っている。うまくやれるさ」
 緊張の解けた千尋の顔に笑みが浮かぶ。
「そうね── 行きましょう」
 先陣を切って千尋が暗い洞窟へと足を踏み入れた。
 手を引かれるようにしてアシュヴィンもそれに続く。
 いまだブツブツと文句を言いながらも那岐がふたりの後を追い。
 最後に入った風早はゆっくりと振り返った。
 不格好なアーチの向こうに広がる光景。
 耳成山を覆う木々の向こうに見えるのは、深夜になり灯りのほとんどなくなった街並み。
 風早はすっと手を前にかざす。
 静かに目を閉じて念じると、ぽっかりと空いた虚ろはただの岩肌になった。
 これで完全に遮断された。
 荒魂があちらの世界へと迷い出ることはもう、ない。
 ゆっくりと手を下ろし、ふぅ、と深い息を吐く。
── 風早ー、置いてっちゃうよー
 ずいぶん先まで進んだらしい大切な姫が呼ぶ、エコーのかかった声が聞こえる。
 ── そうだ、進まなければ。
「………ひどいな、千尋。ちょっと待ってください」
 わざと明るい声を張り上げて、風早は奥へと駆け出した。
 向かうは豊葦原、高千穂の地へ──

〜つづく〜

【プチあとがき】
 幕間、ということで、風早視点でお送りしました。
 支離滅裂なのは相変わらず。
 今後は『遙か4本編アナザーストーリー』らしきものが始まると思われます。
 本編と言ってもアシュルートなんだけどね。
 さーて、どうこじつけよう。
 え゛、前回と今回の展開が突飛すぎる?

【2009/06/10 up】