■Rewriting of fate 【4:頬】
たった半月とはいえ、留まる以上地理を知っていたほうがいい。
そう思ったアシュヴィンは、風早から地図を借り受けて葦原家周辺をぐるりと歩いてみた。
見れば見るほど不可思議な世界。
細かい石で黒く舗装された道は定規で線を引いたように狂いなく、そこを車輪をつけた妙な箱が人を乗せて馬よりも速く走っていた。
家の中もそうだった。見たこともない機械で溢れている。
発明好きの某側近を連れて来ていれば、どんなにか目を輝かせて喜んだことだろう。
ふと、枯れ果てた自国のことが脳裡を過ぎった。
復興に着手する時は、この街並みを参考にするのもいいかもしれない。
街道の整備や区画整理をして── ここよりももっと余裕を持たせたほうがいいだろうが。
葦原家に戻る前に耳成山の入り口まで足を伸ばした。
一度通ってはいるものの、昨日は風早という案内人がいたし、空の明るさで景色の印象がずいぶん違って見える。
行きと帰りで目印になるものを頭に叩き込んだ。
というのも『荒魂退治当番』に強制的に組み込まれてしまったのだ。
耳成山に荒魂が出現するのは、彼らがこの世界に逃げ込んだことが原因なのである。その尻拭いのような真似をなぜ常世の皇子である自分がやらねばならないのだろうか。
はっきりそう言うと、風早は笑ってこう答えた── 『働かざる者、食うべからず』ですよ、と。
ただ、千尋は当番の員数外らしい。
彼女には荒魂のことも、それを従者たちが片付けていることも伏せてあるのだと。
確かに身を挺して主を守るのが従者の役目であり、率先して戦いの先頭に立つ姫がいるのならば一度会ってみたいものだ。
『当番』を断固として拒否をして家を追い出されたとしても、元の世界でならば何とでもなる。いざとなれば黒麒麟で一翔けすればいい。
だが、『ここ』では黒麒麟は呼びかけに応えてはくれなかった。
孤独、なのだと思った。
寂しいとか心細いとかの感情の問題ではなく、身動きが取れないことがもどかしい。
『理が違う』というこの世界では、彼らに従っておくことしかできないのが歯痒かった。
昼過ぎに葦原家を出て、一刻ほどして戻ってきた。
春の日差しは暖かくて少し汗ばんだため、着替えるために寝室として宛がわれた部屋へ向かう。
と。
そこには── 『龍の姫』がいた。
朝、アシュヴィンが二階へと運ばされた布団。
午後になり、彼が出かけている間に彼女が運び下ろしたのだろうか。
たたんで積み重ねた布団の側に膝立ちし、そのまま突っ伏したような格好で眠っている。
横に向けた顔はうっすらと微笑んで、とても幸せそうに見えた。
この少女が常世の国に射す光明になり得るのだろうか?
そんな力を持っているようにはとても見えなかった。
中つ国から常世へ寝返った胡散臭い軍師からの情報なのだから、信憑性は非常に疑わしい。
それでも一縷の望みとして賭けに乗ったのだ。
昨日出会った時に当て身のひとつも食らわせてさっさと連れ帰ればよかったのに。彼女に力がないのなら、それはその時に考えればいいことだ。
だが、あの軍師の言う通り、異世界に彼女は存在していた。
ということは、情報は正しかったと思わざるを得ない。
ただ── 調子が狂う。
この少女を見ていると。
きらきらと降り注ぐ日差しの中、何の悩みもなさそうな顔で眠っている彼女の姿を、『前から知っていた』ような気がするのだ。
心の中が凪いで、穏やかな気分になってくる。
その柔らかそうな頬に手を伸ばしたくなって──
「── 妙なこと考えるなよ」
「っ !?」
戸口に立ち竦んでいたアシュヴィンの後ろからの声。
振り返ると那岐が静かに佇んでいた。
腕を組んで壁に凭れ、眠そうではあるが鋭い光をその瞳に湛えている。
「ふ……『妙な』とは心外だな」
「人の寝顔をずっと眺めてるのって、妙なこととしか言いようがないと思うけど?」
「……ならばあの娘を起こしてさっさと連れて行け。俺は少し休みたい」
那岐は眉間に皺を寄せると腕を解いて壁を蹴って、凭れていた身体を起こした。
通り過ぎざまにアシュヴィンを一睨みして部屋へ入っていく。
眠る彼女の傍にしゃがみ込み、軽く肩を揺らした。
「千尋、起きなよ」
ん、と唸って口をむにゃむにゃと動かしたものの、目覚めるまでには至らなかったらしい。再び安らかな寝顔に戻る。
はぁ、と溜息を吐いた那岐はおもむろに千尋の頬をむにゅっとつまんだ。
「ん……な、那岐…? い、痛いよ、手、放して」
「こんなとこで寝てるのが悪いんだよ。物理教えてくれって言ったの、千尋だろ」
「あ、そうだった。ごめーん、ふかふかお布団の誘惑に勝てなくって」
頬をさすりながら、えへへ、と照れ笑いしている千尋。
と、戸口に立っているアシュヴィンの姿に気づいてニコリと笑った。
「あっ、アシュヴィンさん、お散歩どうでしたか?」
「どう、と聞かれても返答に困るが」
「そ、そうですよね、ごめんなさい」
しゅんとして俯いてしまった彼女の腕を掴み、那岐が立ち上がる。
「いいから行くよ。僕の貴重な時間を無駄にしないでくれ」
ぐいぐいと腕を引っ張り、部屋の外へ。
「もう、自分はしょっちゅう昼寝してるくせに、私が昼寝するとどうしてそんなに不機嫌なの?」
「……その昼寝の時間を千尋がテスト勉強で潰したからだよ」
「うわ、ごめん。物理教えてください、那岐センセイっ」
階段を上がっていく音と共に、徐々に小さくなっていく会話。
アシュヴィンは部屋に入り、後ろ手に扉を閉めて凭れかかる。
簡単に彼女の頬に触れた那岐のことが、やけに腹立たしく思えた。
* * * * *
数日の後。
アシュヴィンは耳成山の道なき道を登っていた。
今日が二度目の『当番』。
前回は三体ほどの荒魂を斬っただけで、肩慣らしにもならないほど簡単だった。
こんな状況が続けば身体が鈍ってしまいそうなくらいに平和呆けした世界。
ここでは日常からしてそうなのだから、仕方のないことなのかもしれないが。
葦原家の三人は、朝出かけて夕方帰ってくるという生活をしていた。
『学校』という場所に通っているらしい。
一人は職務として、二人は学ぶ者として。
アシュヴィンがこの世界に来た翌日と翌々日はたまたま休日で家にいたのだ、と。
彼らが出かけてしまうと必然的にあのちんまりした家にひとり取り残されることになり、
勝手の違う場所ではすべきこともなく、日がな一日『テレビ』とか言う動く絵の映る機械を見て過ごすのにも飽きてきた。
── まったく腹が立つ。
常世の皇子たる者がまるきり『居候』扱いなことが。
事実『居候』であることを認めてしまうのも癪だった。
こんな時は荒魂を斬りまくって発散させるしかない。
そんなことを考えながら足を踏み入れた山は、前の当番の時とは何かが違っていた。
肌を刺すような冷たい瘴気が山全体を覆っているような。
まさか、誰かが『こちら』へ抜けて来たのだろうか。
いや、次に『道』が開くまでにはまだ日がある。
一応確認しておこうと、彼がこの世界へ足を踏み入れた場所、あの大岩のところへと向かう。
その時。
── きゃあぁぁぁぁぁっ!
響き渡った悲鳴。
山に迷い込んだ人間が荒魂に襲われている?
アシュヴィンは小さく舌打ちすると、足場の悪い山道も物ともせずに駆け出した。
【プチあとがき】
短くてすまん。
アシュサイドと千尋サイドを交互にしてるので仕方がないのだよ。
前回から間が空いたので、どう展開させようと思ってたのかちょっぴし忘れちゃった(汗)
【2009/02/18 up/2009/02/26 改】