■Rewriting of fate 【2:異世界】

 闇深い比良坂の更に闇濃い脇道をひたすら前に進み、いつしか前方に見え始めた光を目指していると、何かを押し破るような違和感を身体に感じて目を開けた。
 いつの間に目を瞑ってしまっていたのだろう? ずっと光を見ていたはずなのに。
 眼前に広がっていたのは鬱蒼と生い茂る雑木林だった。
 なんとなく振り返ってみると、木々に隠されるように小さな洞窟が虚ろな口をぽっかりと開けている。
「── 抜けた、か」
 ここが自分の生きる世界とは異なる世界というのか。
 そう思えば空気が違うような気もしてくる。
 ぐるりと辺りを見回してみるが、見えるのは木ばかり。
 地面に傾斜があるところを見ると、ここは山の一部なのだろう。
 獣道すらないゆるやかな斜面に沿って素直に降りることにした。
 木の幹ばかりだった視界が次第に開けてきて、アシュヴィンは息を飲む。
 そこにはかつて見たことのない光景が広がっていた。
 神経質なまでに整備された道路が縦横無尽に張り巡らされ、その両脇の高い塀や生垣で区切られた場所には判で押したように画一化された建物がずらりと並んでいる。
 せせこましくて息が詰まりそうだ、と思った。
 胡散臭い隻眼の軍師が張った結界によって人の気配のないゴーストタウンのような街並みは、朽ち果てた故郷の景色よりもよほど不気味だった。
「……まったく、どこへ向かえば『龍の姫』とやらに逢えるんだ?」
 誰も答えてくれることのない独り言を呟いて、アシュヴィンは足を止める。
 よく見れば少しずつ形の違う、大きさはさほどでもないのに迫ってくるような周囲の建物に苛立ちを覚え始めた。
 と、背後に生まれたのはここへ来て初めて出会う生きたモノの気配。
 振り返ると、そこには金の髪を結い上げて、蒼い瞳に戸惑いの色を浮かべた美しい少女が立っていた。

*  *  *  *  *

「── どこまで行く気だ?」
「もうすぐですよ」
 憮然とした問いに苦笑混じりの声が帰ってくる。
 ようやく出逢えた『龍の姫』の住まいから出ると、さっきまでの燃えるような夕焼けの赤は夜の闇に染まり始めていた。
 奇妙ないでたちの人々が行き交う中、向かっているのはそこから西に見える山。
 アシュヴィンがこの地に第一歩を踏み入れた場所である。
 『姫付きの従者』と自己紹介した風早という名の男は確実にそこへ向かっていた。
 ついてきてください、と言われ、従う義理はないがここはおとなしく従っておくしかなかった。
 勝手のわからない異世界では分が悪すぎる。
 さっきまでとは打って変わって活気に満ちた街並み。
 柊の施した結界が消えたのだろう。
 アシュヴィンの手にはマントを巻きつけた得物があった。
 小ぢんまりした邸を出る時、風早に指示されたのだ。
 一度は拒否したものの、『この世界にはこの世界の理があります』と言われれば逆らうわけにもいかず。
 『でないと銃刀法違反で捕まってしまいますよ』という言葉は理解できなかったが。
 マントを外したおかげで、すれ違う人々もアシュヴィンの姿をそれほど奇異な目では見なかった。ちょっと変わったデザインのライダースーツとでも思ったのかもしれない。 どちらかと言えば、長い後ろ髪の三つ編みの方が人目を引いていた。
 そんなことはアシュヴィンの知る範疇ではなかったけれど。
 昼間のような、とは言わないまでも妙な灯りにやけに明るく照らされた街を外れ、踏みしめられて作られた細い山道を登る。
 ふと、前を進む風早の手にいつの間にか一振りの刀が握られているのに気づいてアシュヴィンは片眉を上げた。
「── 力ずくで追い返そうという魂胆か?」
 刀を持つ手に視線を落とした風早が『ああ、これですか』と小さく笑う。
「最悪それもありなんですが、今は違いますよ。ちょっと手伝ってほしいんです」
 この辺りかな、と呟いて足を止めた風早が振り返る。
 薄闇の中、すべてを解っているといった顔で警戒心のかけらもなく笑ってみせる彼の態度が鼻についた。
 嫌味のひとつも言ってやろうかと口を開きかけたところで、その笑みがすっと消える。
「君の抜けてきた穴から結構な数の荒魂がこちらに出てきてしまったんです。これまでも『道』の開く満月と新月の夜は数が増えていましたが、今日はその比ではない──」
 しゅっ、と刀を抜く風早。
 それを合図にしたかのように、じっとりと湿り、冷たく凍りつくような感覚が襲ってきた。
 間違いようもない、荒魂が放つ強い陰の気だった。

 ザシュッ!
 真っ二つに切り裂かれた醜い異形── 荒魂が耳障りな怨嗟の声を残して塵と化す。
 一体をほぼ一太刀で滅しているというのに一向に数は減らなかった。荒れた常世の国でさえ、一度にこれほどの数の荒魂と対峙することはない。
 その上、立ち並ぶ木の幹に当てないように剣を振るのはなかなか骨が折れた。
 次第に息が上がってくる。
 彼が呼ぶ雷をひとつ落とせば、ここにいる大半の荒魂は消し去れるというのに。
 それをしないのは、戦いが始まってすぐ風早に『黒雷を放つのはやめてくださいね』と釘を刺されたから。
 曰く、こんな天気のいい夜に雷が落ちれば騒ぎになる、という。
 それから、万が一山火事にでもなれば取り返しがつかない、とも。
 自分がここへやってきたことが今の事態を招いていると解れば、それを無視することなどできなかった。
 彼が自分の国と民を守ろうと動いているのと同じく、風早もまたこの街の民を守ろうとしているのだ。
 比良坂で幾度か荒魂と遭遇したが、もしかすると潜んでいたそれらを知らず引き連れてきたのかもしれないと思うと多少の罪悪感も湧いてくる。
 アシュヴィンは額に浮かぶ汗を手の甲で拭い、次々に襲い掛かってくる荒魂に辟易しながらも剣を振り下ろし続けた。

 鳥肌が立つような瘴気は次第に薄れ、ようやく二人は刃を収めることができた。
 気がつけば見覚えのある場所── アシュヴィンがこの世界で最初に見た風景。
 荒魂はこの場所からこちらへ迷い出て、その方向へと斬り進んでいたのだから当然といえば当然だろう。
 ただ一つ違うのは、洞窟だと思っていた場所が少しえぐれただけの大きな岩に変わっていたこと。
「── できれば今日のうちに帰ってほしかったんですが」
 岩肌をそっと撫でながら、風早が嘆息する。
「『道』は閉ざされた、ということか?」
「ええ── 恐らく今日のところはもう大丈夫でしょう」
 疲労のあまり働きの鈍くなったアシュヴィンの頭は『元の世界に帰れなくなったことがどうして大丈夫なのか』と考えるが、 一拍置いて『道が閉じて荒魂が現れない』ことが大丈夫なのだと気づいて苦笑に口元を歪めた。
 ふと違和感を感じる。
 戦いが始まる前、確か風早は『道が開くと数が増える』と言った。それは道が閉じている時も荒魂は恒常的に出現している、ということだ。
 思ったことをそのまま質問すると、風早は重い口を開いた。
 この『道』は、彼らがこの世界に逃げ延びてきた時に作られたものであり、理の異なるこの世界では完全に塞ぐことができず、僅かなひずみが残っているらしい。
 肉体を持たない荒ぶる魂が、稀にそのひずみを通り抜けてしまうのだ。
 そしてそのひずみはこの世界の月の満ち欠けに影響され、満月と新月の夜に肉体を持つ者も通り抜けられる『道』を開いてしまう。
 山の麓から山頂までを包み込むように、風早によって結界が張られているらしい。
 荒魂を閉じ込める檻の役割である。
 ならば荒魂が出てこれないように道の開く岩の部分に結界を張ればいい、と口を挟むと、それが一番いいんですがうまくいかないんですよ、と風早は苦笑した。
 いくら檻を施したとはいえ、荒魂の数が増えれば内部の陰の気は濃くなり、力を増した荒魂が檻を破って外へ出てこないとも限らない。
 だからもう一人── 家にいた金の髪の少年・那岐と交代で定期的に滅しているのだ、と。

「── じゃあ、帰りましょうか」
 しばしの沈黙の後、重くなった雰囲気を振り払うように風早が明るい声で言う。
「帰る…?」
「俺たちの家です。次の新月に『道』が開くまで、行くところがないでしょう?」
 完全に日が落ちた暗闇の中で、表情は見て取れないまでも明らかに苦笑の混じった風早の声にアシュヴィンは眉根を寄せた。
 確実に風早はアシュヴィンを知っている。常世の皇子だということも知っているのだろう。
 彼ら中つ国の人間にとって常世の人間は国を滅ぼした仇に他ならない。
 なのにどうして彼はこうも簡単に『隠れ家』へと誘うことができるのだろうか。
 『元の世界に帰れ』と言われたところで既に道は閉ざされているのだからどうしようもないのだが、仮に帰れる状況にあったとしても拒否していただろう── 『龍の姫』を連れ帰るという目的を果たしていないのだから。
 しかし、それがただの口実に成り下がっていることにふと気づいてアシュヴィンは小さく笑う。
 彼女の腕を掴んだ時の感覚。
 何かが流れ込んでくるような、湧き上がってくるような── 優しく、懐かしさすら感じるあの感覚の正体を突き止めたい。
 これまでの五年間を考えれば、満ちた月が闇に姿を隠すまでの半月程度帰りが遅くなったとしてもさして影響はないだろう。
 興味を抱いたものに執着するのは自分の悪い癖だ、とアシュヴィンは自嘲の笑みを浮かべた。
 気がつけばざくざくと草を踏みしめる音が徐々に遠ざかっていく。
 慌てて追いかけ、アシュヴィンは本日二度目の下山をすることになった。

〜つづく〜

【プチあとがき】
 設定説明な回、ですね。
 いろいろとオリジナル設定てんこ盛りですが、今後活かせるのかは不明。
 でも捏造って楽しい♪(笑)
 ゲームでは耳成山は自宅近くから道が伸びてますが、
 最初のアシュは南側から下山したということにしてください(汗)

【2009/02/05 up】