■Fall in love with you again and again 【14:発覚】

 皇族専用の食堂で朝食を食べ終えたシャニは、少し遅れて姿を見せた長兄と雑談をしながら食後のお茶を楽しんでいた。
 基本的に、彼らは全員が席についてから『いただきます』と揃って食事を始めるわけではない。
 国を復興し発展させるという目的がある以上、仕事が優先なのである。
 朝早く出かけることがあれば、夜遅くに帰ってきて朝が少々遅くなることもある。
 時間が合えば一緒に、というのが現在の彼らの食事に関するスタンスとなっていた。
 その上、この食堂を使うのは四人しかいないにもかかわらず、半月前からここに姿を見せるのは二人だけだった。
 傷の癒えた次兄は数日前から再びここを使うようになったが、義姉に至ってはずっと部屋で食事をしているらしい。 次兄に起きた衝撃的な事件以降食が細り、その上あの監禁騒ぎ── 仕方のないことだろう。
 食事を終えたら、仕事の前に義姉の顔を見に行ってみよう、とシャニは考えていた。
「── ねえ兄様、昨日捕まえた文官は何かしゃべったの?」
「いや……だんまりを決め込んでいる」
「でもさ、今のアシュヴィン兄様ならぎゅうぎゅう締め上げて話をさせそうだよね」
「ああ、締めすぎて文官を殺してしまわぬように、アシュの方をしっかり見張っておかねばな」
「言えてる〜!」
 物騒だが長兄にしては珍しい冗談── 実は本気でそう思っているのかもしれないが── に、シャニはころころと笑った。
 ばっ、と廊下側の扉が勢いよく開く。
 姿を見せたのは、たった今噂に上がっていた次兄だった。
 感情の読み取れない無表情な顔で、自分の席へと向かっていく。
「おはよう、アシュヴィン兄さ── あっ!」
 次兄が移動したその後ろに、義姉の姿があったのだ。
 まるで半月前に戻ったような錯覚に陥ってしまう。 朝から仲良く楽しそうに笑い合いながら、いつもこうしてここに入ってきていた二人。
 そういえば、次兄はあの薄暗い書庫から助け出した義姉を自分の部屋に連れて行き、彼女はしばらく過ごした客室には戻らずそのままその部屋にいると聞いている。
 もしかしたら次兄の記憶が戻ったのかもしれない── そんな希望的な考えはあくまで希望でしかないことは二人の表情で読み取れたけれど。
 複雑な思いで見守っていると、義姉は何を躊躇っているのか、部屋の中に入ろうとして少し眉をしかめてから一歩後ずさった。
 ふと彼女と目が合った。
 微かな笑みを浮かべ、小さく頭を横に振る。
 それは次兄の記憶が戻ったのではない、ということなのか、『心配しないで』の意味なのかはわからなかったが── 恐らく両方の意味だろう── とにかく義姉がここに姿を見せたことが嬉しかった。
「おはよう、義姉様!」
 シャニはでき得る限りの笑顔で義姉を迎え入れた。

「── 審問の間の兵の配備は?」
「問題ない。 それから審問中は各門の門衛を倍増して警備に当たらせるよう指示してある」
「そうか……まあ、あの老体がこの警戒を掻い潜って逃げようなどという気にはならんだろうがな」
 難しい顔で話をしている兄二人は放っておいて、シャニは飲みかけのお茶を持って、席についた姉の隣へ腰を降ろした。
「義姉様、身体の調子はどう?」
「えっ !?」
 なぜか頬を赤く染めてうろたえている義姉を不思議に思いながらも、
「手とか縛られてたじゃない?  痣になったりしてないの?」
「あ、うん、それは大丈夫。 痣になるほどきつく縛られてなかったみたいだし」
 ほら、と見せられた義姉のほっそりと白い腕には目に付くような傷は見当たらなかった。
「よかった……じゃあ、あとはしっかりご飯食べて、体力つけなきゃね」
「うん、そうだね」
 義姉がふわり、と笑った顔がとても穏やかで優しく見えて、シャニは思わず目を見張った。
 元々美人で笑顔の素敵な人ではあるのだが、これまでの笑顔とは何かが違うような気がしたのだ。
「そうだ、気分がよかったら碧の斎庭へ行ってみない?  そろそろ夏の花が咲き始めるんだ」
「── 笹百合、は?」
「うん、ちらほら開き始めてるよ」
「ほんと?  ……楽しみだわ」
 と、厨房の方から兄夫婦のための食事を持った女官が入ってきた。
 静かに義姉の前に置かれたのは野菜のたっぷり入ったおかゆ。 湯気と共にいい匂いがしてくる。
 別メニューを食べ終えて満腹のシャニも食べてみたくなって、女官に言って一杯もらおうかな、などと考えていると、
「── ごめんっ!」
 ガタンと大きな音を立てて立ち上がった義姉が口元を押さえ、慌てて廊下に飛び出していった。
「あっ、義姉様っ !?」
 物音に仕事の話を中断された兄二人も、義姉が飛び出していった扉をぽかんとした顔で見つめている。
「…………なんなんだ、あいつは…?」
 ぽつんと呟く次兄の怪訝な顔を見ているうち、シャニは思い出した。
 以前出雲の領主をしている頃、同じような光景を目にしたことがあったのだ。
 それはしばらく前に結婚した女性で、その後その一家を中心に村がお祝いムードに沸きかえり──
「……もしかして義姉様── 赤ちゃんできたんじゃない?」
「は…?」
「だからー、今の『つわり』でしょ?」
「………」
 次兄は眉をひそめ、何か考え込んでいる。
 その時シャニの頭にひらめいた── このおめでたい出来事が次兄の失われた記憶を刺激して、何もかも思い出してくれるのではないか、と。
「兄様、そんな難しい顔してないで喜びなよ!」
 思わず立ち上がり、テーブルを両手で力任せにバンッと叩く。
 ジロリと冷たい視線で睨まれて一瞬怯むものの、ここで退くわけにはいかなかった。
「兄様と義姉様は見てて暑苦しいくらい仲がいいんだから、赤ちゃんできて当然でしょ。 兄様たちが結婚してもう一年以上経つんだから遅いくらいだよ。 今頃皇子か姫の元気な鳴き声でうるさいくらい賑やかでもおかしくないんだからね!」
「── シャニ」
 次に何を言ってやろうかと考えていたシャニを遮ったのは怖い顔でテーブルの上の朝食を睨みつけている次兄ではなく、食事の手を止めて二人のやり取りを静観していた長兄だった。
「……ナーサティヤ兄様…」
「アシュをいじめるのもそれくらいにしておけ」
「でも…っ!  アシュヴィン兄様に喜んでもらえないんじゃ義姉様が可哀想だよ!」
 長兄は小さく首を横に振り、静かに次兄の方へと視線を向けた。
「アシュ……今日の審問、お前は席を外してもかまわん── その間、今後どうするか考えるがいい」
「な……」
「お前の記憶が戻る確証はない。 ならばお前の取る道は二つに一つ── 受け入れるか、拒絶するか」
「拒絶……?」
「千尋を妻と認められず、生まれてくる子を自分の子として認められないならば、今のうちに適当な理由をつけて千尋を中つ国へ返すしかあるまい」
「兄様!  そんな酷いこと!」
 叫ぶように訴えたシャニの声には目もくれず、長兄は静かに次兄を見つめ続けていた。
 ゆらりと次兄が椅子から立ち上がり、さっき義姉が飛び出して行った扉の方へと向かう。
 途中立ち止まり、
「── 審問には間に合うように戻る」
 振り向かないまま呟くと、次兄は部屋を出て行った。
 息の詰まるような空気がふっと緩み、シャニは力なく椅子に腰を落とした。
「……兄様、アシュヴィン兄様をいじめてるのは兄様の方じゃない…」
「…かもしれんな」
「じゃあ、どうしてあんなこと…?」
 長兄は表情を和らげると、
「── 今の状態を何とかしたいと思っているのは、お前だけではないということだ」
 ぽつりと呟いた。

*  *  *  *  *

 千尋はしばらく籠もっていた手洗いから出ると、よろよろと自室へと戻ってきた。
 驚きの連続だった目覚めの後、急にそっけなくなったアシュヴィンに促されて食堂に赴いたものの、食べ物の匂いに耐えられなくなって飛び出してきてしまった。
 崩れるように椅子に座り、いまだムカムカする胸をさすりながら息を吐く。
 少し落ち着いて、胸を撫でていた手をゆっくりと下ろし、下腹に当てた。
「……さすがにバレちゃったよね……」
 書庫から助け出された翌日、熊野から戻ってきたエイカにそれまでの体調不良と合わせて診てもらったところ、『小さな命が宿っている』と告げられて。
 愛する人の子を授かった喜びは大きかったけれど、それ以上に大きな不安が押し寄せてきた。
 今のアシュヴィンとこの喜びを分かち合うことができないのは判っていたから。
 お腹が目立ち始めるまでに彼の記憶が戻ることを信じて、彼を混乱させないためにもそれまでは言わないでおこうと思っていたのに。
 何分初めての経験ゆえ、『つわり』というものがあることに気付いていなかった。
「……うぅ、どうしよう…」
 はふぅ、と大きな溜息が零れる。
 コンコン、と控えめなノックの音が聞こえ、彼女付きの女官が顔を見せた。
「千尋様、エイカ殿がお見えです」
「あ、うん、通して」
 女官に先導されてきたのは土蜘蛛二人。
 『棺』と彼らが呼ぶ衣装は頭の天辺から床すれすれまでをすっぽりと覆い、初見だと不気味としか言いようがない。 一人は背格好からしてエイカだが、もう一人は彼より一回り小柄だった。
「御前にて失礼いたします」
 そう断ってから二人は『棺』を脱いだ。姿を現したのはエイカと見知らぬ土蜘蛛の女性。
「……ごめんなさい、さっそくみんなに知られちゃったわ」
 千尋は微苦笑でそう報告した。
 するとエイカも苦笑を浮かべ、
「ええ、宮に入った途端、歓喜と困惑の気配を感じました」
「ふふっ、いきなりつわりが始まるなんて思わなかったわ」
 なぜか笑いがこみ上げてきて、ひとしきりクスクスと笑った後で、千尋はエイカの後ろで柔らかな微笑みを湛えている女性に目を向けた。
「……えと、そちらの方が…?」
「はい、先日お話した者にございます」
 女性は一歩前に出て、恭しく頭を下げた。
「千尋妃殿下、この度は誠におめでとうございます。 私はシズルと申す者、妃殿下のご出産までのお手伝いを命じられ参上いたしました」
「シズル、さん……」
「『静かに流れる』と書いてシズル── 『命の流れを静かに見守る者』という意味を持ちます」
「『静流』……素敵な名前ね」
 ありがとうございます、とシズルは嬉しそうに微笑んだ。
 エイカにしても、かつての戦友であるもう一人の土蜘蛛の少年にしてもそうだが、土蜘蛛と呼ばれる人たちはなんて神秘的な美しさを持っているのだろう、と千尋は見とれてしまった。
 色の濃い肌と対照的に、銀にも見える淡い色の髪、整った顔立ち──
「── エイカにはおっしゃりづらいことも、私相手でしたらご安心でしょう。 些細なことでも何でもおっしゃってくださいませ」
「あっ……はい、よろしくお願いしますっ」
 我に返って慌てて立ち上がり、深々とお辞儀をする。
「シズルも子を持つ母、よき相談相手となりましょう」
「えっ、うそっ、シズルさんもお母さんなの !?」
 エイカの一言に千尋は驚いた。 自分とさほど変わらない年齢だと思っていたのに。
「妃殿下はトオヤをご存知でいらっしゃいましたね?」
「ええ、よく知ってるわ」
「私の息子はトオヤと同い年ですわ」
「ええっ !?」
 まさに『目が点』である。 遠夜は確か自分より1つ年上だったはず。 その年齢の子を持つ母親にはとても見えない。
「シズルさんって私よりちょっと年上くらいかなって思ってた…」
「まあ、お世辞でも嬉しいですわ」
「ううん、お世辞なんかじゃなくて!」
 口元に手を当て、クスクスと笑っている彼女はやはりそんな歳には見えなかった。
 和やかな雰囲気の中、カタンと小さな音がした戸口に三人は一斉に振り返る。
 そこには── 深刻な表情をしたアシュヴィンが静かに佇んでいた。

〜つづく〜

【プチあとがき】
 祝・おめでた!
 この展開を予想してくださった方もいらっしゃいましたが(汗)
 まあ、判りやすいっちゃ判りやすかったですよね。
 それにしてもみんなに愛されてるな、千尋ちゃんは(笑)
 さあ、どうするアシュヴィン(笑)

【2008/11/19 up】