■Fall in love with you again and again 【7:謀略の陰】
その日のうちに隣村まで到着したアシュヴィンと千尋は調査団の面々と合流した。
彼らから詳しい事情を聞けるかと思いきや、会議室に飛び込んで来た文官からの短い報告以上の情報はなく。
彼らも訳もわからず村を追い立てられたという。
宿屋などない小さな村のため村長の家で一晩を過ごさせてもらい、翌朝温泉村へ。半日歩き村に到着すると、調査団を入り口に待機させておいて、皇夫妻二人だけで村の中へ足を踏み入れた。
いつもなら和やかに温かく迎えてくれる村の空気はどことなく冷え切っているようで、出会った村人たちは引きつった顔でそそくさと姿を消していった。
「── 妙な雰囲気だな」
「ええ……まずは村長さんに話を聞いてみましょう」
迷いなく村の奥へ進もうとする千尋の後に続こうと足を踏み出したところで、前方から小さな子供がぱたぱたと駆け寄ってくるのに気付いた。
「ちひろさま〜!
あしゅびんさま〜!」
童女は走る勢いのまま千尋の足元にばふっと抱きつくと、顔を上げてにぱっと笑った。
「ねえねえ、きょうはなにしてあそぶ?」
「あ……えと、ごめんなさい、今日はお仕事で来たのよ」
「おんせん?」
「ええ」
すると童女はやけに大人びた険しい表情で唇を尖らせた。
「おんせんにいってもおとなのひとたちがとおせんぼしてるよ。
だれにもはいらせないんだって」
「何か、あったのかな?」
千尋は童女の両手を取り、子供の目線にしゃがみこむ。
彼女の質問に少し首を傾げた童女は、
「あのね、いまのらーじゃはわるいひとなんだって」
「…なっ」
たとえ子供の言うこととはいえ、聞き捨てならないこともある。
思わずぐっと握り締めたアシュヴィンの拳に千尋がそっと指先で触れ、彼を見上げて首を小さく横に振った。
アシュヴィンは力を抜き、口を噤む。
「大人の人たちがそう言ってたの?」
「うん、らーじゃはみんながはいれるおふろをつくるってうそついて、じぶんたちの『りきゅう』をつくっておんせんをひとりじめするんだって」
「『離宮』?」
「『りきゅう』ができたら、むらのひとたちはみんなおいだされるんだよ。
だからむらのおとなのひとたちは、らーじゃがはいってこれないようにとおせんぼしてるの」
童女には『わるいらーじゃ』と言われている人物がまさか目の前にいるアシュヴィンだとは思っていないのだろう。
大人たちの会話を聞きかじって、彼女なりに憤慨してるらしい。
千尋はしばし考えてから、穏やかな笑みをその顔に浮かべた。
「── 皇は悪い人なんかじゃないわ、とっても優しい人よ。
『離宮』なんて作らないし、みんなが入れるお風呂もちゃんと作る。
あなたが泳げるくらい大きなお風呂よ」
「およげるの !?
じゃあちひろさま、おふろができたらいっしょにおよごうね!」
「ええ、楽しみにしてるわね」
明るい笑顔が戻った童女は、また遊ぼうね、と大きく手を振って走っていった。
千尋も立ち上がり、手を振ってそれに応え。
童女の姿が見えなくなると、深い溜息を吐いた。
「……どうしてそんな話になってるのかしら…?」
口元に指を当てて険しい表情で考え込んでいる千尋の横顔を眺めているアシュヴィンの口から、ふ、と小さな笑いが漏れた。
「……なに…?」
怪訝な目で見る千尋に、
「いや、ここは一応、礼を言っておいたほうがいいのかと思ってな」
「礼…?」
「『皇は優しい人』、なんだろう?」
アシュヴィンが口の端に笑みを浮かべてそう言うと、
「……そんな言い方………意地悪だわ」
千尋は俯いて唇を噛み締めた。
村長の家に行くと、家の脇で藍染の格子柄の着物を着た一人の青年が薪割りに汗を流していた。
「こんにちは。
村長さん、いらっしゃいますか?」
千尋が声をかけると、手を止めた青年は首にかけた手拭いで汗を拭いながら二人の方へ顔を向け、一瞬ピクリと身体を震わせた。
「……少々お待ちください」
積み上げられた薪に斧を立てかけると、青年はそそくさと家の中へ入っていった。
何気なく隣にいる千尋に視線を向けると、彼女は蒼褪めた顔で虚空の一点を見つめていた。
「どうかしたのか?」
「え……あ、ううん、なんでもないわ」
すぐに戻ってきた青年は、お入りください、と二人を村長の部屋まで案内してから姿を消した。
二人の訪問を大歓迎で迎えた村長は、今の村の状況に相当困惑していた。
一月ほど前から『離宮』に関する噂が出始めたという。
アシュヴィンや千尋を深く信頼している村長は『そんなことをあの方たちがするはずがない』と皆を説いたのだが、噂は小さな村にあっという間に広まってしまった。
事の真相を確かめに根宮に赴こうと思っても、高齢の村長にはそんな体力はなく。
使者を立てようと思っても、噂に踊らされた村人の誰も引き受けてはくれなかった。
そんなわけで、皇、または后妃の来訪を待ちわびていたらしい。
「── 噂の根本を突き止めるしかないだろうな」
「……そうね」
「も、申し訳ございませぬ、私の力が及ばぬばかりに……」
「大丈夫ですよ、私たちが何とかしますから」
千尋は床に頭をこすり付けるほどに平伏する村長の傍へ行き、そっと身体を起こしてやった。
「あ……あの、村長さん、もうひとつお聞きしたいことがあるんですけど……」
「はい、なんなりと…」
老人の傍で居ずまいを正した千尋はなぜか俯いて黙りこくってしまった。
「── 千尋、聞きたいことがあるならさっさと聞け」
アシュヴィンの声にはっとした千尋は、苦しげにもう一度逡巡してから、ようやく口を開いた。
「……さっき私たちをここに案内してくれた人は……?
初めて見る顔だった気がするんですけど…」
「ああ、あれはうちで雇った下働きの者でございます。
南方から流れてきたようですが、よう働いてくれましてなあ。
ああ見えて学問の心得もあるようで」
「彼はいつからここに?」
「そうですなあ、あれが村に来てから……かれこれ一月になりますかな」
自分が口にした言葉から何かに気付いて愕然とした顔になった村長を残し、二人はこの家を辞した。
「── 愚かだな」
封鎖されているという源泉へ向かいながら、アシュヴィンはぽつりと漏らす。
「え?」
「一月前に村に現れた新参者、時を同じくして流れ始めた噂──
因果関係がないと考える方が無理というものだろう?
それに気付かぬとは、愚かとしか言いようがない」
「……そうね」
「あの男、俺たちを見てひどく狼狽したようにも見えたしな」
「……そうね」
アシュヴィンは生返事ばかりの千尋の腕を掴んで歩みを止める。
くん、と引っ張られ、小さな悲鳴を上げてよろめいた千尋の金の髪がふわっと宙に散らばった。
「…どうしたの…?」
「それを訊きたいのはこっちの方だ。さっきから心ここにあらずに見えるが?」
「そんなこと……ないわ」
小さな声で呟いて、彼女は深く俯いてしまった。
「仮にも夫の目の前で、他の男に心奪われたか?
我が妃は色事に奔放な性質(たち)のようだな」
「違うっ!」
揶揄を滲ませたアシュヴィンの言葉を、千尋は噛みつくように否定して、再び深く俯く。
彼女の顔が伏せられる瞬間、見えたのは彼女の目元に光る涙。
はっとしたアシュヴィンの中にもやもやしたものが湧き上がる。
泣くほどのことでもないだろうに、という半ば呆れる気持ちと、泣かせるつもりではなかったのに、という後悔。
確かに、今の発言は意地が悪すぎたかもしれない。
「……悪かった──
気になることがあるなら、言ってくれないか」
温泉の湧く裏山に続く村はずれの道で、二人は向かい合ったまま立ち尽くしていた。
気の早い蝉がジリジリと鳴く耳障りな声が周りの木立から迫ってくる。
「── 声が……」
「声?」
再び、虫の声が辺りを支配する。
── 彼女はこれほどまでに何を躊躇っているのだろうか?
アシュヴィンはこめかみの辺りがちくちくと痛み始めるのを感じていた。
次の言葉を急かしたくなるのを必死に堪える。泣かせた詫びに迷う時間を与えてやるつもりで。
と、千尋が観念したように大きな息をして、ゆっくり顔を上げた。
「── 私たちを襲った犯人の声に似てる……ううん、間違いなくあの声だったわ」
「……襲われた、のか?
お前と、俺が……?」
こくり。千尋が頷く。
「……それが俺の怪我と記憶の喪失の原因、というわけか」
こくり。今にも泣き出しそうな顔で、また千尋が頷いた。
「っ……」
刺すような頭の痛みに、アシュヴィンは小さく呻いて、頭を押さえる。
「アシュヴィン、大丈夫っ !?」
心配そうに顔を歪めた千尋が頭へ手を伸ばしてくる。その手をやんわりと握り止め、
「……そんな顔をするな」
「無理しないで!」
「ふっ……俺をこんな目に遭わせた罪、あの男にはしっかりと贖ってもらわねばな」
口元に不敵な笑みを浮かべるアシュヴィン。
「詳しい話は後で聞かせてもらうが、今は時間が惜しい──
行くぞ」
頭の近くで握った手と、引き止めてからずっと掴みっ放しになっていた彼女の細い腕から手を放し、アシュヴィンはマントを翻して源泉へ向けて歩き出した。
【プチあとがき】
女の子の「あしゅびんさま」はタイプミスじゃありません、わざとです(笑)
子供のセリフ、ひらがなばっかで読みにくいですね、すんません(汗)
視点はほぼ第三者。心理描写は控えめにしてあります。
ま、そのうちアシュさまが千尋への愛を切々と語るパートがやってくるでしょう(笑)
それにしても都合よすぎな展開な上にヌルすぎる……
次回、更に都合よすぎ展開が待ってます(笑)
【2008/10/21 up】