■Fall in love with you again and again 【6:動き始める想い】

 ── ますますわからなくなる。
 アシュヴィンは小さくなっていく弟の後ろ姿を見つめながら、慢性化しつつある疼くような頭痛と、 薄絹が幾重にも重なっていて見たいと望む向こう側が見えないようなもどかしさに顔をしかめていた。
 二人の会話を盗み聞きするつもりは毛頭なかったが、聞こえてしまったものはしょうがない。
 第一、弟ならいくらか話を聞けるだろうと思ってやって来たその場に、まさか彼女までいようとは思ってもおらず、 さてどうしようかと考えたのがまずかった。
 ── 『千尋妃』はやはり彼女だった。
 滅ぼした常世の国と、滅ぼされた中つ国。
 彼女が中つ国の二ノ姫であり、中つ国が今では復興しているとなれば、そこに見えてくるのは『政略結婚』。
 力なきものが力あるものに慈悲と庇護を望む場合の常套手段── 国と国とを結ぶ『道具』。
 感情抜き、それどころか悪感情を抱いての結婚だったのならば負傷した夫の元に彼女が姿を見せなかったことも理解できる。
 だがそうなると、それを告げた時に彼女の蒼い瞳に浮かんだ悲しげな色と、その前に言っていた『逃げている』という言葉がわからない。
 夫婦としての愛情はなくても、一年も形だけの夫婦として過ごしていれば何らかの情は湧いているということなのか。 弟ともずいぶん打ち解けているようだったし、竹簡に何度も名前が出てくるほど国政にも深く関わっているらしいが。
 それに黒麒麟のこともある。 アシュヴィン以外の者が迂闊に触れようともすれば威嚇してくるような獣神が、彼女に対しては当然のように従順になっている。
 そういえば目覚めてすぐにリブが言っていた。
 二ノ姫率いる中つ国の残党との交戦中に父皇からの攻撃を受け、そのまま中つ国と手を組んだ、と。
 そのあたりの経緯が気になる── 『敵の敵は味方』などという安直な理由でそうしたとは考えたくもないが。
 ── わからないことだらけで、頭を掻き毟りたい気分だ。
 その頭はずっとずくずくと疼いて忌々しい。
 今日初めて、彼女の顔をまともに見た、気がする。
 目覚めた時に見た顔はまだ意識がはっきりしていなかったせいかとても曖昧だったし、窓越しに下の階のテラスで見かけた時は顔が隠れていた。 それから何度か窓の外を見るも、彼女の姿は見かけなかったから。
 印象的な蒼い瞳と日差しを写し取ったかのような金色の髪。
 整った美しい顔立ちを固く強張らせているのが惜しい。
 笑っていればもっと美しく、愛らしいだろうに──
 ズキン、と激しく脈打つような痛みが頭に走り、アシュヴィンの眉間に深い皺が寄る。
 『お前が千尋か』と問い、彼女がそれを肯定した時に感じた、胸の奥がくすぐったくなるような感覚は何だったのだろうか。
 またもズキリと頭が痛む。
 どうやら彼女のことを考えると頭が痛むらしいことにようやく気がついた。
 頭痛が日常的になっていたのは、無意識にいつも彼女のことを考えていたのだろう。
 薄絹の向こうに隠された彼女との関係に関する記憶がそこまで気になっているのだろうか?
 思わず自嘲の笑みを口の端に浮かべ、アシュヴィンは大きく深呼吸した。
 ふと目に入ったのは足元に広がる緑。
「笹百合……か」
 ── そういえば出雲には笹百合が群生する谷があったな。
 そう考えた瞬間、アシュヴィンの頭がまたズキリと疼いた。

*  *  *  *  *

 最新の竹簡を読み終え、アシュヴィンは凝り固まった身体をほぐすように背伸びをする。
 首を左右に動かせば、ゴリゴリと鈍い音がした。
 この一年の国の情勢は把握した。
 どう質問されても答える自信はあるし、この先の展望も見えている。
 目覚めてからまだ半月── いや、もう半月も経っている。
 自分が皇なのなら、皇としての務めを果たすまでだ。
 この部屋に閉じ込められているだけでは何も変わらないのだから──
 アシュヴィンは外していたマントを身につけると部屋を出た。

 カツカツと足音を響かせ回廊を闊歩する。
 目指すは会議室。
 今日は定例会議があるはずだ。
 基本的に参加者は文官、武官、女官それぞれの長と宰相のリブ、皇の兄弟のナーサティヤとシャニと皇であるアシュヴィン自身── そして皇の妃、と竹簡に記されていた。
 バン、と大きく扉を開けて部屋に入れば、一斉に七対の目がアシュヴィンに向けられた。
 真っ先に目に入った千尋の顔は碧の斎庭で見た時のように強張っていた。
「アシュ………お前はまだ静養中のはずだろう?」
「十分休ませてもらったさ。 そろそろ働かなくては身体が鈍ってしょうがない。 これから会議なんだろう?  仲間外れにしてくれるなよ、サティ」
 ニヤリ、と口元に笑みを浮かべるアシュヴィン。
 ナーサティヤは諦めの溜息を吐き、ならば席に着け、と促した。
 アシュヴィンは大きなテーブルの上座に空いていた席── 千尋の隣に腰を下ろした。
 膝の上に置いた拳をぎゅっと握り締めて小さくなっている彼女の姿に複雑なものを感じながらも、アシュヴィンは『始めてくれ』と一言。 今回の議長役なのだろう武官長が咳払いをして、では、と口を開いたところで入り口の扉が激しく叩かれた。
 女官長が扉を開けに行き、姿を現したのはひとりの年若い文官。
「会議中申し訳ございませんっ、至急お耳に入れたいことがっ!」
「大丈夫よ、落ち着いて。 何があったのか話してちょうだい」
 戸口に膝をついて深く頭を下げている文官に声をかけたのは千尋だった。
 すっと立ち上がった姿は凛として、その横顔に浮かべた微笑みは柔らかく。
 これまでに見た彼女の姿とはまったく違う、一国の姫としても妃としても十分すぎるほどの威厳を備えた姿に、アシュヴィンは思わず感嘆の声を上げそうになった。
「は、はいっ。 西方の温泉村にて、村の者たちが突如源泉一帯を封鎖し、村を追い出された調査団は手前の村まで退避したとのことでございます」
「そう── わかりました、報告ありがとう」
 無事役目を終えてほっとした顔の文官が姿を消すと、さっきとは一転、不安げな顔で千尋はゆっくりと腰を下ろした。
「何があったのかしら…?」
「義姉様、そろそろ建物を造り始めるんじゃなかったの?」
「うん、そうなんだけど……村の人たち、あんなに喜んでくれてたのに、どうして今頃になって……」
「ここでこうしていても、解決はしないだろう」
「そうね……」
 俯いていた千尋がすっと顔を上げた。
「私、ちょっと様子を見てくるわ。 今から出て馬を飛ばせば明日には村に着くだろうし」
「いけません、妃殿下!  兵を何人かお連れください!」
「だめよ、兵を連れて行けば村の人たちを刺激することになるわ。 向こうへ行けば調査団とも合流できるし、何かあっても人手は足りるもの」
「ですが…っ」
「わかったわ………サティ、同行をお願いできる?」
「……いいだろう」
「じゃあ、すぐに出発しましょう」
 がたん、と音を立てて席を離れる二人。
 その時、腕を組み、目を瞑って今のやり取りを黙って聞いていたアシュヴィンが静かに口を開いた。
「── 俺が行く」
「え……?」
 目を開け、立ち上がったアシュヴィンは部屋の入り口へと歩きながら、
「同じ飛ばすなら、文字通り空を飛ぶ黒麒麟の方が馬よりも早い。 温泉施設の計画のことはちゃんと頭に入ってるさ、心配するな」
 扉を開き、回廊へと足を踏み出そうとしたアシュヴィンが振り返った。
「── 千尋、行くぞ」
「え…」
「村の様子を見に行くと言ったのはお前だろう?  お前が行かずして誰が行く?」
 しばしの逡巡の後、小さく頷いた千尋はアシュヴィンの後を追って走り出した。

 回廊の柱の隙間から中庭に出たアシュヴィンは、空に手を掲げ黒麒麟を呼び出した。
 黒い靄の渦から姿を現した麒麟は、アシュヴィンの後ろからついてきていた千尋の傍に迷いなく降り立ち、姿勢を低くする。
「どうした?  早く乗れ」
 戸惑っている千尋を急かす。
 それでもまだ何か迷っている彼女に少々焦れたアシュヴィンは彼女の背後に近づき、
「きゃっ!」
 いきなり腰を掴んで抱え上げ、彼女の上げた悲鳴にも構うことなく無理矢理麒麟の背に乗せると、その後ろに跨った。
 たてがみの上の部分を緩く掴んでいる彼女の脇から手を伸ばし、麒麟の首の付け根あたりの毛を掴む。
 途端ふわりとした浮遊感に続いて空をぐんぐん突き抜けていくような風を感じる── 麒麟が空を翔けているのだ。
 ふと、心地よい温もりに気がついた。
 それもそのはず、前に伸ばした腕の中にすっぽりと収まっている千尋の身体。 その背中がアシュヴィンの胸にピタリと密着しているのだから。
 その背中が妙に緊張しているように感じられた。
 ── 何を硬くなっている?  いつものことなのに。
 『いつものこと』?
 頭に浮かんだ言葉を反芻してみて不思議に思う。 今のアシュヴィンに誰かと麒麟に二人乗りした記憶はないのだ。
 それに当たり前のように彼女を先に乗せたことも。
 普通に考えれば、自分が先に乗り、彼女を後ろに乗せて自分に掴まらせておいたほうが麒麟を御しやすいというのに。
 こうして彼女を半ば抱き込むようにして麒麟に乗っているのが至極当然で、やけにしっくりしているような気がしてくるのだ。
 記憶なんて戻らなければ戻らないでも別に構わない、と思っていたアシュヴィンはじわじわと襲ってくる頭痛に眉をひそめながらも、取り戻せるものなら取り戻したい、と思い始めていた。

〜つづく〜

【プチあとがき】
 アシュヴィン、再び千尋にフォーリンラヴな予感です(笑)
 やっとこさタイトル通りの展開に。  あ、書き忘れてたんですけど。
 ゲームでは麒麟に乗ってる二人を見て『手綱さばき』がどうこう言ってるシーンがありましたが。
 いや、さすがにペット化してるとはいえ神様に手綱つけるのもなーと。
 という訳で、たてがみを掴ませてます。
 あまつさえ背に乗られ、たてがみ掴まれるたびに『イテテテテ』とか思ってる神様ってのも
 どうかと思うけど(笑)

【2008/10/18 up】