■ぴろーとーく?
【お題】キスの詰め合わせ(by 恋したくなるお題さま)/02 言葉を封じるキス
「── それでね、そのお店のおばさん、とってもいい人でね、梨を2つもおまけしてくれたんだよ♪」
広い寝台にうつ伏せに転がり、少し起こした上半身を立てた肘で支え、その上ににっこにこの顔を乗せ、泳げるようになったばかりの子供のバタ足のように交互に足をぱたぱたさせている少女・葦原千尋。
見た目は少女のようではあるが、これでもれっきとした常世の国の后妃である。
荒れ果てていた常世の国も、禍日神の滅び以降、復興を遂げつつあった。
更に豊かな国を取り戻すべく、皇・アシュヴィンは周辺諸国との外交に力を入れ、各地を飛び回る毎日。
妃である千尋は留守がちな夫の代わりに根宮の内向きの仕事と国内の復興状況の確認のための視察とに忙しい日々を送っている。
ふわり、と鼻をくすぐる甘い香り。
寝台から少し離れたテーブルの上に置かれているのは、今日彼女が赴いた西方のとある村で開かれていた市で買った果物。
よく熟れたみずみずしい果実が放つ甘い香りが部屋を満たしていた。
新鮮な食べ物が流通し始めている。それは国が豊かになりつつある証拠であり、千尋にはそれが嬉しくて話がついつい長くなってしまうのだ。
「……へぇ」
気のなさそうな返事を返したのは、もちろん彼女の隣に横たわるアシュヴィン。
彼女に背を向け身体を丸め、肩まで引き上げた上掛けに包まっている様子はまるでカブトムシの幼虫のよう。
連日の激務に身を置く彼はさすがに疲れ果て、すでに眠りの淵に片足を突っ込んでいる状態である。
「ねえ、聞いてる?」
千尋は真横にある丸まった背中をぺちぺちと叩く。
常世広しといえど、皇の身体をぺちぺちできるのは彼女ひとりだろう。
「……ああ……聞いてる…さ…」
アシュヴィンはごろんと転がって仰向けになる。
その動きは日頃の彼の持つ鋭さからは信じられないほど緩慢だった。
重い瞼を懸命に持ち上げ薄目を開けると、そこには頬を膨らませて唇を尖らせている愛らしい妻の顔。
二人して各地を飛び回っているのだから、ゆっくり話せるのは夜だけ。
彼女の視察報告にずっと付き合ってやりたいのはやまやまではあるが、眠りの神はアシュヴィンを捕らえて離さないのだからどうしようもない。
瞼はまたも落ちてきた。
彼女も同じように激務をこなしているというのに、どうしてこうも元気なのだろうか、と不思議になってくる。
「それは……お前が常世の皇の妃だからだろう?
后妃様に覚えもめでたくありたいと思えば、梨のひとつやふたつ、安いものだ」
「私、身分なんて明かしてないわ。
普通の村娘の格好で行ったもの」
初耳だった。
きっとどこへ行っても『常世の后妃』として歓迎を受けているものとばかり思っていたのだ。
「……だが、護衛の者たちがぞろぞろついて歩いていれば、自ずと知れたんだろう?」
「ううん、みんなには少し離れたところにいてもらったから、バレてないはずよ」
よほどアシュヴィンが怪訝な顔をしていたのだろう、千尋はくすっと笑うと、
「どうしてそんなことをするのか、って聞きたい?」
「…ああ、そうだな」
またも千尋はくすくすと笑い、
「それはね、アシュヴィンが一番知ってると思うよ、『旅人』さん?」
「……………なるほど、な」
アシュヴィンの口元にも笑みが浮かぶ。
かつて彼らがまだ敵同士だった頃。
アシュヴィンは高千穂の現状を探るべく村を訪れた時、『旅人』と名乗っていたのである。
『常世の皇子』と名乗れば警戒もされるが、ただの『旅人』相手ならば村人たちも口が軽くなる。
真実を知るためには肩書きが邪魔になることもあるということは、彼はよく知っていた。
彼が妻にした姫は、思った以上に賢かったらしい。
口元の笑みが深くなった。
感動すら覚えて、アシュヴィンは彼女を抱きしめ──
ようとしたけれど、いかんせん身体は言うことを聞いてくれなかった。
さっきより意識ははっきりしたものの、疲れた身体はすでに眠りに入っているらしい。
愛しさは募るものの抱擁は諦め、ふぅ、と息を吐いて目を瞑る。
「……いいからお前ももう休め。
明日もまた早いんだろう?
いつまでもそうしてると明日起きられなく──」
肩口にぐっと重みがかかった。
直後、唇に柔らかいものが押し付けられ、紡いでいた言の葉は遮られ。
柔らかな感触と肩の重みが同時に消えた。
瞬間、さっきまであれほど重かった瞼は簡単に持ち上がり、アシュヴィンはぱっちりと目を開けていた。
そこに見えたのは身体を乗り出して自分の顔を覗き込んでいる千尋の顔。
そして。
「聞いて♥」
にっこり。
極上の笑みは天上の天女のものか、はたまた黄泉の禍つ神のものか。
更けゆく夜、彼に安眠は訪れるのだろうか?
【プチあとがき】
このカップリングでこのお題、となると「封じる」のはアシュの方だと思ったでしょ?
ところがどっこい、それじゃあまりに予想通りなので千尋ちゃんに封じていただきました(笑)
千尋ちゃんは相当話を聞いてほしかったらしいです(笑)
【2008/09/08 up】