■Little Girl【17】 将臣

 ぐずぐずしている暇はない、と将臣は我に返った。 急に襲ってきた息苦しさに大きく呼吸する。 知らず息を詰めていたらしい。
 面子は揃っていることだし、『合流してから話す』という約束を果たしてもらおうと、仲間との再会を喜んでいる望美の後ろ姿へと再び目を向けた。
 望美は彼女を取り囲む八葉たちに何かをねだっていた。 くいくいっと袖を引き、小さな彼女と視線を合わせるようにしゃがみ込んだ相手と他愛ない話をしながら身体にさりげなく触れる。 それは腕であったり、胸元であったり、首筋であったり、場所は相手によってまちまちだった。
「──!」
 彼女の行動の意味を、将臣はすぐに理解した── 宝玉を回収しているのだ。
 両手で握っていた弁慶の手を離すと、望美はリズヴァーンの前へ立つ。
「……先生」
 懇願にも似た瞳で見上げる望美を厳しい表情で見下ろす彼女の師は、
「── 神子、八葉の力の源を手にして何を望む?」
 その言葉にハッと何かに気づいた八葉たちが、望美が触れた部分に手を当てる。 問われた望美はきゅっと唇を噛んで深く俯いた。
「宝玉が……消えていますね」
 自分の手の甲を呆然と見つめながら、弁慶がぽつりと呟く。 立ち尽くす望美に目を向け、皆一様に瞠目した。 さっきまで自分の身体にあったはずの八葉の証が今はそこになく、彼女の身体の同じ場所に埋まっているのを認めたからだ。 九郎はいきなり彼女の細い腕を掴んで息を飲んだ。 着物の布の下に硬い感触があったからだろう。
「神子、話してみなさい」
 望美が大きな息を吐いて、すっと顔を上げた。 今の彼女からすれば巨大といっていいであろう師の顔を真っ直ぐに見上げて口を開く。
「── 龍の宝玉の力で、この世界の歪みを正します」
 またそれかよ、と将臣は小さく嘆息した。
 リズヴァーンの眉間に訝しげな皺が寄る。
「……この世界から全ての怨霊がいなくなります。 だから、白龍の神子も、神子を守る八葉の役目も終わります」
 だからみんなから宝玉が消えても問題ありません、ときっぱりと言い切った彼女の言葉は、将臣の耳にはただの言い訳のようにしか聞こえない。
「── へぇ、そんなことができるなら差し出す価値がありそうだね。 オレの宝玉も献上いたしましょう、神子姫様?」
 ヒノエがつかつかと進み出て、望美の前に恭しく跪いた。
「……ありがとう、ヒノエくん」
 望美はそっとヒノエの額に手を当てた。 ぽぅ、とほのかな光が見えた次の瞬間、望美の額に赤い宝玉が出現する。 望美が手を下ろすと、ヒノエの額には何かが埋まっていた痕跡は何も残っていなかった。
「……選んだのだな、神子」
「── はい」
 確認するかのようにリズヴァーンが問う。 望美は小さくはあったけれど揺るがぬ意志を持つ声で答えた。
 それを受けて、リズヴァーンは瞑想するように目を閉じる。 しばしの後、小さな息を吐いて目を開けた彼は、望美の前に膝をつき、宝玉の埋まる頬を差し出した。 望美はそれに手を伸ばし、微かな光とともに彼女の頬に宝玉が現れる。
「……けれど望美、あなたが皆の宝玉を身に受けて、一体何をしようとしているの?  すべての怨霊を浄化するなんて、そんな力が──」
 心配そうな対の神子の問いに、望美はただ薄い笑みを浮かべただけ。 顔を向けることすらせず、少し離れたところで彼女の儀式のような行動を悲痛な顔でずっと見守っていた小さな白い龍神の元へと向かう。 彼女の小さな背中に皆の視線が集まった。
「……ごめんなさい、神子……ごめんなさい……」
「ううん、私は大丈夫だよ。 それより──」
 襟元を探り、細い組紐を引っ張り出した。 その先に、小さな金具で留められた白く輝くものがゆらりと揺れる。 手のひらに乗せ、今にも泣き出しそうな白龍の前に差し出した。
 小さくうなずいて、白龍は望美の手に己の手をそっと重ねる。
 ぱっ、と白い光が瞬いた瞬間、白龍の姿はもうどこにも見えなかった。
「── お、おい、白龍はどこに消えたんだ !?」
 九郎が長い髪を揺らして辺りをきょろきょろと見回す。 他の皆の頭も同じように左右に動いていた。
「── 白龍なら、ここにいるよ」
 望美の手の上、白い欠片はさっきよりも輝きを増しているように見えた。
「……っていうより、この逆鱗に力を注ぎこんだから、人の姿を保てなくなったっていうのが本当のところなんだけど」
 穏やかな声で呟きながら、望美は白い欠片をきゅっと握り締め、そこから伸びる紐をぐいっと引っ張る。 そのまま下ろされた手から、外れた金具と一緒に紐がするりと地面に流れ落ちた。
 襟の合わせに指先を入れ、少し肌蹴させると、その胸元に逆鱗を乗せた手をそっと当てる。
 その瞬間、さっきよりも数倍強い光が辺りに満ちた。
 眩しさに皆目を伏せる。
 光が収まり、顔を上げた時── そこには元の姿に戻った望美の姿があった。
 ひゅう、と口笛が鳴る。
「これは……噂にたがわぬ美しい姫君だね。 天から遣わされた天女様、ってとこかい?」
 幼い姿の望美しか目にしたことのなかったヒノエの声音は茶化すでもなく、心底感心しているらしい。 彼が望美を『天女』と例えたのには理由があった。 彼女の身体が光のヴェールを纏ったかのように淡い光を帯びているからだ。
「やだな、ヒノエくんってば……」
 くすくすと笑いながら、望美がゆっくりと振り返った。 長い髪が風を孕んでふわりと舞う。
 向けられた強い視線に、将臣は思わず息を飲んだ。
 手を延べながらゆっくりと近づいてくる彼女にひどく違和感を感じる。 そこにいるのは望美であって、望美でないような──
「── 将臣くん……ラストだよ」
 将臣の足が、じり、と後ろに下がる。 自然と首が左右に振れた。
「── イヤだ」
「もう、将臣くんってば何駄々っ子みたいなこと言ってるのよ。 約束通りラストにしてあげたんじゃない」
「……約束って言うなら、お前も約束を果たせよ。 皆と合流したら、お前が何をしようとしてるのか話すっていう約束をなっ!」
 近付いてくる望美の手から逃れるようにじりじりと後退りながら、将臣は声を張り上げた。 ずっと感じていた刺すような不安で震える声を誤魔化すために。
「……やっぱり言わなきゃダメかな…?」
 望美が困ったような苦笑を浮かべた。
「当たり前だろっ。 簡単に約束を反故にするような奴の言うことなんて、聞いてやる義理はねえ!」
 そうだよね、と望美は苦笑を深めて溜息混じりに呟いた。
「── ごめん」
 呟いて、望美はスローモーションのような至極緩慢な瞬きを一度した。
 何が『ごめん』なんだよ── 怒鳴ろうとして、できなかった。
 ── 身体が、動かない。
 目は見えているし、感覚もあるらしい。 けれど指の先すらぴくりとも動かせず、声も出ない。
 この場にいる全員がそうなのだろう。 それぞれの顔に驚愕と困惑が現れていた。
 唯一動きを止めていない望美が、将臣の前に立った。 すっと踵を浮かせ、ふわりと包み込むように抱きついて、甘える子供のように首筋に顔を埋めてきた。
 首に回された腕も、寄り添う身体も小さく震えているのに気付いた。 抱き締めたくても身体は見えない鎖に絡め取られたかのように動かせない。 悔しくて唇を噛み締めたいのに、それすらもできなかった。
 う、と小さな嗚咽が聞こえ、首筋に熱い雫がぽたりと落ちて流れていくのを感じた途端、将臣の心の中に絶望が満ちた。

*  *  *  *  *

 ── ごめんね、将臣くん。
 約束はちゃんと果たすから許してね。

 私ね、封印の力を失っちゃったんだ。
 怨霊がつけた『空の傷』に力を吸い取られたの。
 そのせいで身体まで小さくなってしまったみたい。
 それでね、私の力は怨霊の通り道── ほら、前に話したでしょ、『大きな掃除機のホース』の話── あれを通って清盛が持ってた黒龍の逆鱗に流れ込んでたの。
 黒龍から力を返してもらえればよかったんだけど……無理だった。
 だから、私はもう『白龍の神子』として怨霊を封印することができません。

 あ、そうだ。
 朔……私、黒龍に会ったよ。
 はっきりと姿は見えなかったけど、なんだか不器用そうで、でもすごく優しかった。
 流れ込んだ私の力の中に、朔を感じたんだって。
 朔がいつも私のこと気にかけてくれて、優しくしてくれて、仲良くしてくれたからだと思う。
 おかげで力を預けてもらえたんだよ。
 ……ありがとね、朔。

 それでね、私の中には今、白龍と黒龍がいます。
 だから、今の私は『白龍の神子』じゃなくて『応龍の神子』。
 ……というのもちょっと違うかな。
 白龍の力は弱くなってた。
 黒龍の力はもっと弱かった。
 応龍になるには力が弱過ぎるし、力のバランスも違い過ぎる。
 それでも応龍としての力を使うために『器』が必要になった。
 ── それが、私。
 この世界とは異質なものである私という器の中で、無理矢理応龍になってる。
 でもまだまだ力が足りない。
 だからみんなの『宝玉』をお借りしました。
 その全ての力を使って、この世界の歪み── 歪んだ力でこの世界に引き止められた悲しい存在をみんな連れて行きます。
 龍脈を流れている間に浄化されて、いつか新しい何かに生まれ変わるの。

 だから── 和議を結んでね。
 これ以上、血も、涙も、流しちゃ駄目だよ。

 九郎さん、頼朝さんの説得、よろしくお願いします。
 政子さんに取り憑いてる荼吉尼天っていう異国の神の力を得ている頼朝さんは、和議と偽って平家に攻め込もうとしているの。
 大丈夫、荼吉尼天も一緒に連れて行くから。
 平家にはもう戦う力はほとんど残ってないから、逃がしてあげて?
 ちゃんと話せば頼朝さんもわかってくれると思う。
 弁慶さん、景時さん、九郎さんに力を貸してあげてくださいね。

 ヒノエくん、お願いがあるの。
 残った平家の人たちのために船を出してあげてほしい。
 戦いとは無縁の、静かに暮らせるどこか遠いところへ。

 先生、今まで色々なことを教えてくださってありがとうございました。
 この方法を選んだこと、私は後悔してませんから。

 譲くん、将臣くんのそばにいてもらえるかな。
 いつか龍神が力を取り戻した時、きっと元の世界に帰れるはずだから。
 その日が来たら、二人一緒に帰って。
 それまで、将臣くんを支えてあげてほしいんだ。
 お願いね、譲くん。

 みんな── 今まで私に力を貸してくれてありがとう。

 ── それから、将臣くん。
 ぼんやりしてちゃダメだよ。 将臣くんにはまだやらなきゃいけないことがあるんだから。
 残ったみんなをちゃんと安全なところに導いてあげてね。
 ……将臣くん……
 ずっと……
 ……大好きだったよ──

*  *  *  *  *

 眠りに引き込まれていくように薄まっていく意識の中、温かい感触がふわりと耳に触れ、視界の端に微かな光が一瞬だけ灯った。
「── ごめんね」
 痛々しい小さな声が耳に届くのと入れ替わりに、身体を柔らかく包んでいた温もりがすっと消える。
 目を合わせないまま踵を返した望美は、振り返ることなくどこかへ歩いていった。 彼女を包む光は、歩を進めるごとに強くなっていく。
 遠ざかる後ろ姿が光に紛れそうになった頃、一層強く輝く白い光に視界が焼きついた。 同時に残りわずかだった意識も突風に吹き飛ばされたように消えていった。

〜つづく〜

【プチあとがき】
 あー……
 なんかこう……
 まあ……言い訳はすまい。
 ……にしても、今回クドいよね、うん。
 次回、最終回(予定)。

【2010/07/23 up】