■Little Girl【16】 将臣

 元いた部屋に戻ってきた将臣は、どさりと腰を下ろして柱に凭れた。 抑えようのない苛立ちに、わしわしと頭を頭を掻き毟る。
 ふと差した影に顔を上げると、目の前には一足先に部屋に戻った望美。 伸ばしてくる腕の細い手首を思わず掴んでいた。
「……じっとしててよ」
「なんでだよ……つーか、お前、何考えてる?」
「何って……別に」
「とぼけるな、訳わかんねぇ会話ばっかしやがって……俺にも分かるように全部話せ。場合によっちゃ協力してやるから」
まあ……協力してもらわないと困るっていうか……
 顔を背けての歯切れの悪い呟きが聞き取れなくて、はぁ?、と聞き返して掴んだ手に少し力を込めた。
 痛みを感じたのか眉間を僅かに寄せて、ふぅ、と息を吐いた望美がぺたんと座り込む。 将臣はゆっくりと手を放した。
「その前に……清盛は何か言ってなかった?」
「何か、って……お前のことをか?」
「ううん、『大事なものがなくなった』とか」
「いや……特に何も聞いてねぇ」
「そっか……」
 と、望美は両手で自分の襟を掴んで肌蹴るように引っ張った。
「なっ !? お前っ、な、何す── それ……まさか……」
 こくん、と頷いた望美の鎖骨の中間の少し下辺りに、丸みを帯びた多角形の黒いプレートのようなものが貼り付いていた。
「黒龍の逆鱗……さっきの男の子が持ってきてくれたみたい」
「マズイな……バレたら確実に半狂乱で大騒ぎだぜ」
「はがれないから返せないの。だから、バレそうになったら適当にごまかして、あの子が怒られないようにフォローしてあげて?」
「それはかまわねぇが……」
 とりあえず、言仁との会話の謎が解けた。 さてその時が来たらどう対処しようか、と頭を巡らせる。
「── この逆鱗がここにある限り、平家はもう怨霊を生み出せない。だから……和議を結んでね」
 胸元の黒い鱗を指先でなぞりながら、望美はぽつりと漏らす。 その言い方がまるで他人事のように聞こえてカチンときた将臣の口元に皮肉っぽい笑みが浮かぶ。
「そうだな、源氏に戻った白龍の神子様が怨霊を封印しまくりながら攻め込んできて、突きつけるんだろうよ── 和議という名の『降伏』をな」
 こんなことを言いたいわけじゃない── 解かっているのに、冷静さを欠いた将臣の口からは彼女を傷つける尖った言葉が滑り出していた。 自分自身を殴り飛ばしたいほどの後悔をしても、音にしてしまった言の葉はもう取り消せない。 『なんでそんなこと言うの !?』と頭ごなしに怒鳴られるのを覚悟していたのに、彼女の反応は違っていた。
「そう……だね、それに近いかもしれないね」
 口元に微笑みすら浮かべ、ぽつんと静かに呟いた。
「っ……悪い、言いすぎた」
 ううん、と望美は微笑んだままゆっくりと首を横に振る。
「本当のことだもの、和議というより降伏に近いんだと思う。 『平家が南へ逃げて二度と戻らない代わりに、源氏はこれ以上攻め込まない』、っていう……」
「だろうな……俺としちゃ戦うよりはその確約が取れた方がいいんだがな……何しろ全員乗れるほど船が集まらねぇ」
「大丈夫、和議の後ならヒノエくんが船を出してくれるよ」
「けどな、その和議は源氏の罠ってわかってるんだぜ? 成せもしねぇ和議の後のことを考えても──」
「ううん、和議を結ぶの。絶対結べるから」
「お前が考えてるほど簡単な話じゃないって── だがそこまで言うんだ、どんな策があるってんだ?」
「私が──」
 望美は言葉を切って、小さく喉を鳴らした。 すうっと大きな深呼吸ひとつ、ニコリと笑う。
「── 私がこの世界の歪みを正すの」
「はぁっ !? 世界の歪み? そりゃまたデカい話だな。お前、そんな大層な力持ってたのか?」
「私にはそんな力なんてないよ。『龍の宝玉』を使うの」
「龍の……宝玉…?」
「そう……八葉を選び、力を与える宝玉」
 将臣は緩慢な動きで左耳に手を当てる。 指先につるんとした硬い感触が触れた。 今になって気付いたが、チクチクと僅かな痛みがある。 心臓があるかのように拍動さえしている感じもあった。 以前、ピアスホールを開けた時に似た痛みだ。 そしてその拍動は例えようのない不安を波紋のように身体中に広げていった。
「これ……か?」
「うん……今は八葉のみんなの身体に埋まってるけど、元は一つの宝玉なんだって」
「ちょ、ちょっと待て──」
 ふと気付いた将臣は、ゆっくりと指折り数えてみる。 一時期行動を共にした、実の弟を初めとした敵方の男たちの顔を思い浮かべながら。
「……ひとり足りなくねぇか?」
 大丈夫、と望美は右手の手のひらを将臣に向けて突き出す。 その中央辺りに大きな真珠のような艶やかな宝玉が埋まっていた。
「敦盛さんの宝玉……もうもらっちゃったから」
「あ、敦盛 !? あ、あいつも八葉だったのかっ !?」
 望美は、そうだよ、と事もなげにさらりと頷く。
 なるほど、あの唐突な『握手してください』にはそういう意味があったのか、と初めて将臣は理解した。 そういえば握り合った二人の手の間に光が見えた。 その時敦盛の手のひらにあった宝玉を望美が譲り受けたのだろう。
「だから、将臣くんの宝玉も──」
 膝立ちになって、突き出していた手をそのまま耳元へと伸ばしてくる。 その手を再びガシッと掴んだ。 望美は困ったように眉をひそめた。
「この宝玉が八葉としての力の源なんだよな?」
「……うん」
「だったら、俺のはラストにしてくれ」
「でも」
「お前をあいつらのとこに送っていく間に何かあったらマズイだろ。 俺も一応、お前を守る八葉なんだからさ」
 なんとなく、ただ衝動的に掴んだ腕をぐいっと引っ張った。 きゃっ、と小さな悲鳴を上げてよろけた望美の身体を反転させながら受け止め、まるでぬいぐるみのように膝の上に抱える。
「んで、宝玉を集めて何をするんだ?」
 小さな頭の上に顎を乗せ、極力明るい声を出すように努めた。
「それは……」
 彼女の背中と密着した胸に直接響いてくる声が震えているように感じて、将臣は思わず華奢な身体をぎゅっと抱き締めた。
「……みんなと合流してから話すよ」
「なんだよ、ケチ。 いいから話せって」
 腕に力を込めて、ぐいぐいと締め上げる。 逃がれようともがく彼女の身体を決して放さぬように。
「だ……だって、同じこと何度も説明するの、面倒なんだものっ!  身体が小さくなった時も、同じことを何回も話さなきゃならなくて大変だったんだからっ!」
「わかったわかった。わかったから暴れるなって」
 幾分大人しくなった彼女を抱き締める腕の力を緩めることができなかった。 どうしてかは解らなかったけれど、そうしなければならないような強迫観念のようなものがあった。 彼女はしっかりと腕の中にいるはずなのに空虚感が消えない。 耳の宝玉を中心に押し寄せてくる不安はますます大きく膨らんでいった。

*  *  *  *  *

 それから数日は穏やかな日々が過ぎていった。
 望美は約束通り言仁と折り紙をしたり、絵を描いたりして遊んでやっていた。
 その間、将臣は万が一のことを考えて戦に向けての細かい準備に勤しんだ。
 不思議なことに清盛は逆鱗の紛失にはまだ気づいていなかった。 それとなく訊いてみると、前もって怨霊を増やしておくことはせず、戦で出た死人を怨霊に変えて使役するつもりらしい。
 還内府の片腕である経正は、ずっと部屋に籠って何かをしたためているようだった。

 そして、和議を翌日に控えた日の午後。
 将臣は望美と共に馬にまたがり、『周辺の見回り』と称して邸を出た。
 合流地点に指定しておいたのは有馬から少し南に下った、街道から少し入ったところにある開けた場所。 文に書いた簡単な地図では多少分かりづらいかもしれないが、ここなら人目にさらされずに済む。 だが心配をよそに、将臣たちが到着した時にはすでに見慣れた顔があった。
「── 望美!」
「朔っ!」
 馬の背からひょいと飛び降りた望美が駆け寄ってきた対の神子に勢いよく抱きついた。
「おかえりなさい、望美」
「ごめんね、心配かけて」
「いいのよ、あなたが無事でさえいてくれれば」
 望美の身体をしっかりと抱き締め、長い髪をそっと撫でる朔の声には涙が滲んでいる。 熊野で見た二人は本当に仲の良い姉妹のようだった。 離れている間、彼女は妹の身を案じて心を痛めていたに違いない。
「── よう、将臣」
 感動の再会から少し離れ、降りた馬を近くの木に繋いでいた将臣は背後からかけられた声に振り返る。
「ヒノエか……いろいろと世話になったな」
「お前の世話はしてないぜ。すべては可愛い神子姫様のため、ってね」
 ヒノエは、ふふっ、と意味ありげに笑って、茶目っ気たっぷりに片目を瞑る。
「男にウィンクされてもな……ま、とにかくありがとな」
 ぽすぽすとヒノエの肩を叩きながら、再会を喜ぶ集団の顔触れをぐるりと見回しつつ将臣は呟く。
「へぇ……全員揃ってんのな」
 一人二人の欠けはあるだろうと予想していた。 陣は有馬。 戦の前に将がこぞって陣を留守にするなど、普通はあり得ない。
「それがさ、九郎は陣に残るって言い張ってたんだけど、白龍が『みんな一緒に』って駄々こねてさ。 ま、神様には逆らえなかったんだろうね、九郎も渋々ついて来たって訳さ」
「へぇ……」
「白龍といやぁ何日か前からずっとグズグズ泣きっ放しで、鬱陶しいったらなかったぜ」
 神子と龍は繋がっている、と聞く。 白龍の対の存在である黒龍の逆鱗が望美の手に渡ったことと、何か関係があるのだろうか?  景時にぐしぐしと頭を掻き回されながら笑っている望美をぼんやりと見つめながら、将臣は眉根を寄せた。

〜つづく〜

【プチあとがき】
 セリフに頼りすぎな状況説明話(汗)
 あー、話が進まない。
 そして、教えてチャンな将臣(笑)
 それより、あっつんの宝玉って手のひらでよかったよね? ね?

【2010/02/24 up】