■Little Girl【15】 将臣

 あはは、と乾いた笑い声の後、望美の顔が殊勝なものに変わった。 床に広がった畳みかけの袿を脇に除け、もぞもぞと座り直して居住まいを正して背筋を伸ばす。 顔を合わせ辛かったのか、視線は斜め下の床の辺りを彷徨っていた。
「えと……心配かけてごめんなさい」
「いや、まあ、起きられるようになったんならいいさ……にしても、やけに急に復活したもんだな」
「まあ……ね」
 へらり、と困ったように笑った望美は、将臣の足元を見て目を瞬いた。 首を傾げてしばし考え、ふわりと微笑む。
「あなたが……持ってきてくれたの?」
 微笑みかけられて慌てて将臣の後ろに隠れた言仁が、盾にした将臣の脚にしがみつきつつ半分身を乗り出して、真っ赤に茹で上がった顔を小さく縦に振る。 将臣は『このマセガキが』と頭を小突いてやりたくなる衝動に苦笑した。
「そっか……ありがとう」
 言仁はぷるぷると首を横に振る。
「でも……ごめんね、今ちょっと返せなくて……」
「わ、私はっ、の、望美殿が元気になってくれれば、それでよいのだっ」
 精一杯の告白めいた言仁の発言に望美は一瞬目を見開いて、ありがと、と微笑む。
「げ、元気になったのなら、一緒に遊べるのだな!」
「そう、だね……先にやっておきたいことがあるから、また後でね」
「わかった! 約束だぞ!」
 ぱぁっと光が射したように顔を輝かせた言仁が部屋を飛び出していく。
 やれやれ、と苦笑しながら『恋する少年』を見送った将臣は、何とはなしに望美の方へと視線を移した。 同じような苦笑を浮かべつつひらひらと手を振っていた望美が同じように顔を巡らせてくる。 目が合った瞬間、将臣の眉間に皺が寄った。 望美の顔から笑みが消え、すぃと視線を逸らしたからだ。
「あのね、将臣くん……私、ここを出るね」
「…………ああ」
 身体の自由が利くようになった以上、彼女がそう言い出すだろうとは予想はしていた。 将臣にそれを止めることはできない── 彼女は最後まで『源氏の神子』として戦うつもりなのだろう。 時に空回りするほど強い責任感を持っていることを、昔からよく知っているから。
 自分も似たようなもんだけどな、と思わず苦笑が浮かぶ。
「……大変だな、神子様ってのは」
 ピクリ、と小さな身体が震えたように見えた。 膝の上にあった手が、きゅっと拳の形に握られる。
「私は、はく── 龍神の神子だから…… 私にやれることをやるだけだよ」
 望美は除けてあった袿を引き寄せ、畳み始めた。
 将臣の眉間の皺は消えない。 ずっと望美が目を合わせてこないことも気になったが、話す途中で一瞬辛そうに唇を噛んだことが気になって仕方なかった。 それとは別に例えようのない違和感を感じているのだが、その正体が将臣にはわからず苛立ちは募っていった。
「── ね、和議はいつ?」
「……九日後、だ」
「そう……あんまり日にちがないんだね」
「心配すんなって、ちゃんと送り届けてやるから」
「え…?」
 畳み終えた袿をぱんっと叩いた望美の手が宙でぴたりと止まった。 頑ななほど合わせようとしなかった視線が絡み合う。 ぱちぱちと音がしそうなほどに望美は瞬きを繰り返していた。
「そういう約束になってんだよ」
「約束、って……」
「……お前の居場所、ここにはないだろ」
 少し躊躇ってから口にした言葉は、もしかすると彼女を傷付けてしまうかもしれないと思った。 けれどそれは動かしようのない事実。
「── そうだね、私は『平家の神子』にはなれないし、なるつもりもないもの」
 帰って来たのは意外なほどに冷静な言葉。 彼女自ら『ここを出る』と言った直後なのだから、当然といえば当然なのだが。 彼女を傷付けるかもしれないと思った言葉は自分自身をさっくりと斬り裂いていて、将臣は少なからずショックを受けていた。
「でもね、『源氏の神子』に戻るつもりもないよ。 私は── 『龍神の神子』なんだから」
 望美はきゅっと唇を引き結ぶ。
 ── まただ。 何なんだろう、この違和感は。
「……とにかく、あいつらと落ち合う場所を決めなきゃなんねぇな。 俺の立場上、さすがにあいつらの陣へ直接乗り込むわけにはいかねぇし」
「でも……どうやって連絡取るの?」
 通信手段は文書のみのこの世界、望美の疑問はもっともである。 第三者を介せば時間がかかるし、身元を隠して使者を送りこんでも露見すれば処断される可能性もある。 彼女はその辺りの事情を心配しているのだろう。 将臣はニヤリと笑った。
「熊野の頭領が『烏』を寄越してくれてさ、この邸の下働きに紛れ込ませてあるんだ。 もちろんお前を見つけたことも連絡済み。 今から送り出せば4、5日で帰ってくるだろ」
「将臣くん、熊野じゃみんなと関わらないようにしてたのに、いつの間にそんなにヒノエくんと仲良く──」
 ひゅっと息を飲んで両手で口を塞ぐ望美。 きょろきょろと視線が宙を泳いでいる。
「……なんだ、お前もあいつの正体、知ってたのか?」
「う……うん、まあ……」
 熊野にいた頃にはまったくそんな素振りを見せなかったのに。 そもそも『ヒノエ=熊野別当』を知っていたのなら、熊野まで出向かずとも直談判すればよかったのではないだろうか?
 疑問には思うが、他の八葉たちも仲間の中に熊野別当がいるとは知らない様子だったし、知ってて黙っている彼女にも何か理由があるのだろう── そう考えておくことにした。
「……ま、そういうことだから、ここを出るのは返事が来るまで待ってろよ」
「……うん」
 小さく頷いた望美は、ふ、と息を漏らして正座していた足を崩した。 伸ばした膝を擦りながら、くすくすと笑い始める。
「なーんかいろいろと違いすぎちゃって、訳わかんなくなってきちゃったよ」
 彼女の言う『違い』というのが何と比較してのものなのか、普段の将臣ならばすぐに訊き返しただろう。 だが、彼女と一緒にいられる日数のカウントダウンが始まってしまった今の彼に、そんな余裕は皆無だった。
「── あ、そうだ。ね、敦盛さん、どこにいるかな?」
 唐突な話題転換に将臣は面食らう。
「……は? なんで敦盛?」
「え……だって、ほら、私を最初に見つけてくれたの、敦盛さんなんでしょ?  まだお礼言ってなかったし」
「そりゃ……そうなんだが……」
 会わせても大丈夫だろうか、と不安がよぎる。 望美の体調悪化は彼らの存在によるものらしい、と経正から聞いていたからだ。
 けれどどういうわけかすっかり回復したらしい今の彼女ならば大丈夫なのだろう、とも思えた。 もしも具合が悪くなったらすぐに連れ出せばいい──
「── わかった。あ、その前に烏に持たせる文を書かせろよな」
 こくん、と頷いた望美を残して部屋を出た将臣は、彼女に聞こえないように廂を少し歩いてから大きな溜息を吐き出した。

 それからおよそ半刻後の敦盛の居室の前。 御簾越しに『話がしたい』『会えない』と押し問答がしばらく続いた後──
「私は大丈夫ですから、入りますよっ!」
 しびれを切らした望美が承諾も得ずに御簾をくぐっていった。
 ったく、と舌打ちひとつ、将臣も彼女の後に続いて御簾を持ち上げ、中へと入る。 そこに見えた『怯えた猫のように部屋の隅に蹲るいい歳した公達が、小さな少女に詰め寄られている』という構図が余りに滑稽で、思わず吹き出しそうになった。
「わ……私に近づかないでくれっ」
「だから、もう平気なんですってば」
 はふ、と溜息を噛み殺し、望美の背後に近づいて、ぽむぽむと頭を軽く叩く。
「望美、あんまり敦盛をイジメてやるなよ」
「どこをどう見たらイジメてるように見えるのよ」
「どこをどう見てもイジメてるように見えるんだって」
 望美は肩越しに振り返り、ぷくっと頬を膨らませて恨めしそうに睨んでくる。 今度ばかりは将臣も堪えきれずに吹き出してしまった。
「とにかくっ! 敦盛さん、助けてくれてありがとうございましたっ!」
 蹲る敦盛の背中に向かって、がばっと頭を下げる望美。
「い、いや……わ、私は……」
 振り返るに振り返れない敦盛の僅かに見える横顔が不安そうに歪んでいた。 目を合わせたら望美が倒れてしまうのではないかとでも思っているのだろうか。 生真面目な兄からよほどきつく『白龍の神子に近づくな』と釘を刺されているのかもしれない。
 今のところ、彼の持つ気が望美に悪影響を与えているようには見えなかった。
「まあ……こいつも妙に律義なとこがあるからな、素直に気持ちを受け取ってやってくれ、敦盛」
「還内府殿……」
 敦盛はしばし考えた後、床に手をつき身体の向きを変えた。 ただし横向きに。
「── 私は礼を言われるようなことはしていない。だが……元気になってよかった」
 俯きがちの横顔に、ふわりと優しい笑みが浮かぶ。
 そんな彼に向かって、望美がすっと手を突き出した。
「じゃあ、握手してください」
「なっ !?」
「お、おい、望美っ !?」
 相当驚いたのだろう敦盛が、信じられないものを見るような目で望美を振り仰いでいた。
「……道で芸能人に遭遇した一般人か、お前は」
「私、もうすぐここを出て行くんです。だから、握手」
「……シカトかよ」
「敦盛さん、手」
「お前な……」
 ガリガリと頭を掻いて、将臣は膝を床についた。 そのまま手を伸ばして後ろから望美の身体を抱きすくめる。 理由はわからないがあのイモムシ状態から一時的にでも回復させられたのだ、こうしておけば大丈夫だろう、と考えた上での行動だ。
「敦盛……悪いが言う通りにしてやってくれ。 こいつ、言い出したらきかねぇし」
「ですが……」
 縋るような視線に、将臣は頷いてみせる。 観念した敦盛はおずおずと手を差し出した。
 望美はすかさずその手を握った。 大きさのずいぶん違う手にもう一方の手をそっと重ねる。
「── 私、敦盛さんの望みを叶えますから」
「っ !?」
「だから……ごめんなさい」
 握った二人の手のひらの隙間にぽぅっと光が生まれ、すぐに消えた。
 敦盛は見開いていた目をゆっくりと閉じる。 次に目を開けた時、彼の顔には限りなく穏やかな微笑みが浮かんでいた。
「……詫びる必要はない。そうか……あなたが……」
 ありがとう、と噛み締めるように呟いて、敦盛は望美の小さな両手の中から自分の手をそっと引き抜いた。
 中身のなくなった手を一瞥した望美は、その手をきゅっと握り締める。 よし、と呟くのが抱き締めた身体から直接伝わってきた。
「……将臣くん、もう放して」
「あ……わ、悪い」
 緩めた腕をすり抜けて、望美は振り向くことなくすたすたと部屋を出て行く。 将臣は溜息混じりに追いかけて、御簾をくぐりながら振り返り、
「悪かったな、あつも……り…?」
 敦盛はついさっき望美と握手をした自分の手のひらを茫然と見つめていた。

〜つづく〜

【プチあとがき】
 これからどーすんだ、あたし !?
 ごめんよあっつん、君の平家残留を活かしきれなかったよ…

【2010/02/16 up】