■Little Girl【9】 将臣

「── 神子…っ」
 悲痛な呟きが聴こえたのは、将臣が指先の滑らかな感触を手繰り寄せ、手の中にぎゅっと握り締めた時だった。
 うつ伏せのまま顔だけを上げてみれば、白龍が見開いた大きな目からはらはらと涙をこぼしていた。 立っていることもままならないのか、譲と朔に両側から支えられた状態で。
 ── 悲しいなら泣き喚けばいいのに。
 将臣はぼんやりとそんなことを考えていた。
 神に年齢の概念があるのかどうかは怪しいものだが、子供の姿をしているからには見た目相応の行動をしてほしい。 静かに泣く子供なんて、見ているだけで胸が締め付けられて気分が悪い。
「大丈夫か、白龍?」
「……神子を、感じられない」
「え…?」
 心配そうに問いかける譲の言葉も耳に入らない様子で虚空を見つめたまま、白龍は呟く。
 思わず譲は眉をひそめた。
「どういう、ことだ?」
「龍と神子、つながってる。 でも……今は途切れた」
「じゃあ……先輩は神子ではなくなったということなのか?」
 白龍は首を横に強く振った。 銀色の長い髪が激しく波打ち、大きな瞳に溜まっていた涙が飛び散った。
「……今、この世界に……私の神子は……いない…」
 一斉に皆が息を飲んだ。

 小石がジャリジャリと擦れる音を立てながら、将臣は立ち上がる。 手の中のものを懐にしまい込み、パンパンと大きな音を立てて装束の汚れをはたき落とした。
「── んじゃ、俺は先に行かせてもらうぜ」
「兄さんっ !?  先輩を探さないのかっ !?」
 ぐるりと見回せば、食ってかかってきた弟を筆頭としてすべての顔に『薄情者』と書いてあるように見えて、将臣は思わず苦笑した。
「あのな譲、白龍が言っただろ、望美はこの世界にいないって。 だったらやれることから先に片づけてった方が建設的ってもんだぜ」
「そんなこと言って、心配じゃないのかっ !?  先輩は兄さんの──」
 言いかけた言葉を飲み込んだ譲は、悔しそうに唇を噛んで足元に視線を落とす。
「将臣!  望美は幼い頃から共に育った幼なじみなのだろう!  それを見捨てるのか !?」
 声を荒げる九郎を一瞥しただけで、将臣は俯く弟に近づき、ぽん、と肩に手を置いた。
「お前らには白龍っていうレーダーがあるだろ?  あの消え方からして、またひょっこりどこかに出てくるさ── 俺は、俺なりの方法で探す」
 もう一度ぽん、と肩の上で手を弾ませてから横を通り過ぎた。 その手を頭上でひらりと振って、
「── じゃあな」
 振り返ることなくそう告げた。
 川を渡り、本宮へ続く山道へと歩を進める。
 前に進もう── 今はそれが最善の選択だと思う。 思いながらも知らず奥歯を噛みしめる。
 気づけば懐に突っ込んだ彼女の銃がほわんと熱を帯びていた。 着物の上からそっと触れてみると、
『大丈夫だよ、迷わないで』
 そんな彼女の声が聞こえたような気がした。 なんて都合のいい解釈だ、と将臣の口元には薄く自嘲の笑みが浮かんでいた。

*  *  *  *  *

「── 将臣があんな薄情な奴だとは思わなかった!  同じ青龍の加護を受ける者として情けない」
「……ああなったら何を言っても無駄ですよ、あの人は…」
 一人憤慨を隠しきれない九郎とは逆に、最初に将臣に食ってかかった譲はすでに冷静さを取り戻していた。 彼の言葉通り、諦めたとも言える。
「……先輩のことを一番心配しているのは兄さんなんです。 たぶん……気が狂いそうなほどに」
「そうは見えなかったが?」
「あの二人の間には幼なじみ以上の……強い感情がありますから」
 譲は直接的な言葉は敢えて口にするのを避けたが、どういう意味なのかはさすがに伝わったらしい。 九郎は、そうか、と言っただけで黙り込んだ。 すでに彼らの間柄に気づいていた者たちにも重い沈黙が落ちた。
「だが、それならなおさら必死に探そうとするんじゃないのか?」
「……本当は兄さんもそうしたいんだと思います。 けれど……本宮行きが誰かに頼まれたことなら、そちらを優先すると思います。 いい加減に見えて、人一倍責任感の強い人ですから……」
 言って譲は唇を噛んだ。 表情には悔しさがありありと滲んでいる。
「じゃあ、本宮へ向かう前に俺たちでこの辺りを探して──」
「── 待って、九郎」
 踵を返して望美の捜索へ向かおうとした九郎を制したのは、白龍── 心細いのか胸元で握り締めた手は微かに震えていて、青白い顔は今にも泣き出しそうだった。
「将臣が言ったこと、間違ってない。 今、熊野を探しても……神子には辿り着けない…」
「だが……」
 ふぅ、と大げさな溜息が聞こえて、進み出たのは弁慶だった。
「九郎、ここは大人しく本宮へ向かいましょう。 将臣くんに優先すべき目的があるのと同じく、我々にも本宮へ急がねばならない理由がある── 違いますか?」
「それは……そうだが」
「── じゃ、決まりだね」
 重苦しい空気をヒノエが明るい声で断ち切った。
「オレは先に行って、あんたらが頭領に会えるように段取っておいてやるよ。 今からじゃどうせ本宮で一泊することになるだろうし、いろいろと準備もあるからね」
「そうですね……ではお願いしますよ、ヒノエ」
 意味ありげな微笑みを浮かべる弁慶に棘のある視線を向けつつ、ヒノエはついさっき将臣が向かった方向へと姿を消した。
「それでは本宮へ向かいましょうか」
 やけに晴れやかな弁慶の掛け声とは裏腹に、ずいぶんと数を減らした一行は重苦しい空気を背負ったまま本宮へと続く山道へと入って行った。

*  *  *  *  *

 本宮へ着いた将臣は、熊野の頭領── 熊野別当への面会を申し出た。
 取り次ぎの者には少し迷ってから『平 重盛』を名乗った。 初めは他人の名を名乗ることには抵抗があったが、近頃では随分と慣れてきた。 この名を背負う覚悟も決めたつもりだ。 何よりこの名が熊野水軍を動かす力になるなら、それでいい──
 重盛── 還内府の名は熊野にも浸透しているらしく、取り次ぎの男は畏怖の表情を微かに浮かべて下がっていった。
 それから待たされることしばし。 ただ待つだけの時間はあれこれと考え事をしてしまう。 ここにいる理由を忘れてしまうほどに、頭に浮かんでくるのは姿を消してしまった望美のことだった。 気がつけば膝に置いた拳を爪が食い込むほどに握り締めていた。
「── へぇ、あんたが還内府だったとはね」
 人の気配にも気づかないほど思考に没頭していた将臣は、聞き覚えのある声にはっと顔を上げた。 目の前に立っていたのはついさっきまで一緒にいた人物だった。
「ヒノエ……」
 彼は熊野水軍の一員だとは聞いていた。 だからここにいてもおかしくはないのではあるが。
「……俺は頭領に会いに来たんだがな」
「知ってるよ。 だから、今あんたの目の前にいるのが頭領なんだって」
「っ !?  ……へぇ……お前が熊野別当だったなんてな」
 彼の物言いを真似て言い返したが、たぶん動揺は隠しきれなかっただろう。 将臣の中での『熊野別当』の人物像は『壮年の肌の浅黒い屈強な海の男』だったからだ。 あまりに想像とはかけ離れている上、一時期同じ旅の空にあった人物だったとは。
 ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべるヒノエは将臣の前にドサリと腰を下ろし、胡坐をかいた膝に頬杖をついて笑みを深くした。
 彼の年齢で別当職とは驚きはしたが、大して年齢の違わない自分の立場もさして変わりはないと思えば気持ちに余裕が生まれてきた。
「……ってことは、熊野は源氏についたんだな…?」
「それはどうかな?」
「お前があいつらと一緒にいるってことは、そういうことだろ」
「『ヒノエ』のオレは八葉らしいからね。神子姫様を守るのが役目なんだろ?  聞けばあのちっちゃな姫君はホントはオレと変わらない歳らしいし、元の姿を一目拝むまでは離れるわけにはいかないってね。 たとえ元の姿に戻れないとしても、あと五年もすれば立派な姫君だ。 その頃には堂々と口説けるだろ?」
「お前な……」
 将臣は呆れ半分、苛立ち半分で力任せに頭をガリガリと掻き毟った。 冗談なのか本気なのか判別できないヒノエの笑みが癪に障る。
「『別当湛増』のオレとしては、今は様子見ってとこかな。 今の段階じゃ平家についても源氏についても、熊野にとっては利がないからね。 還内府が来ようが源氏の総大将が来ようが、熊野は中立を守るよ」
 将臣は腕を組み、長い息を吐き出して考え込んだ。
 彼の言葉をそのまま信じていいものか?
 将臣の知る歴史では、最終的に熊野水軍は源氏方として動いていたはずだ。
 だが熊野が中立を守るというなら、歴史は変わる──
「── いいだろう、今はそれで十分だ」
 立ち上がった将臣は出ようとした部屋の戸口で足を止めた。
「あいつらには──」
 俺の正体は黙っていてくれ── その言葉を飲み込み、首を振る。
「……あいつらによろしく言っといてくれ」
 たぶん次に会うのは戦場だから。
「姫君の行方が分かったら知らせてやるよ」
「ああ……頼む」
 ひらりと手を振って、その場を辞した。
 彼にしろ自分にしろ、京で胡坐をかいている狸親爺のことを悪く言えないほどに狸だな。
 ふと脳裏にそんなことがよぎって、可笑しくもないのに笑いが漏れた。

〜つづく〜

【プチあとがき】
 また悪いクセが……
 長編は必ずグダグダになるという(笑)
 ゲームプレイ中、本宮に行った将臣はどうしたのか、といつも疑問に思ってて。
 『熊野は中立』と平家に報告してるんだから、誰かしらに会ってるよね。
 それがヒノエ本人だったなら、という妄想でございます。
 お互い知ってて知らぬふりだったら面白いな、と。

【2010/01/18 up】