■Little Girl【7】
数歩前を同じような背丈の同じくらいの髪の長さの少年と手を繋いで歩いている望美は数年前の記憶の中でよく見知った姿で。
後ろ姿だけですぐに判別できるほど見知っているのに見慣れているわけではないのは、当時から自分がいかに彼女の後ろではなく隣を歩いていたかを改めて思い知る。
将臣は知らず口元に自嘲の笑みを浮かべた。
今の自分たちはもう隣に並んで歩くことはできなくなってしまったのかもしれない。
恐らく── 敵同士だから。
けれど、今だけ── 本宮へ到着するまでの僅かな時間だけ、昔のままの優しい時間を過ごしていたいと願った。
意を決して、すぅっと深く息を吸い込んだ。
「── おい望美、どこまで行くつもりだ? つか、いつまで拗ねてんだよ」
「………………拗ねてなんかないもん」
ぼそっと呟いて、望美は振り向きもせずにどんどん先に進んでいく。
彼女としては一生懸命早歩きしているのだが、思いがけず広がってしまった体格差はどうしようもなく。
これ以上彼女の機嫌を損ねても、と将臣は少しペースを落としてつかず離れずの距離を保っていた。
「それのどこが『拗ねてない』んだよ。あーあれか、宿を出た時に変な目で見られたこと、怒ってんのか?」
甲冑をつけた大柄な男が「放して!」と暴れる少女を小脇に抱えていたら、普通『人さらい』だと人は思うだろう。
確かに宿を出た瞬間、通行人からそういう眼差しを向けられたのである。
逃げないから下ろして、とぼそっと呟く望美の言葉を信じて下ろしてやり、彼女の進む後をついてきて今に至る。
目的地があるのかないのか歩いているうち町の喧噪は遠くなり、鬱蒼とした木々の間を縫う山道には鳥のさえずりや蝉の声が賑やかに響き渡っていた。
どこからか小さな水音も聞こえてくる。
「なあ、望美」
望美が足を止めた。
目の前には岩場から流れ出る小さなせせらぎがあった。
水は濁りなく澄んでいる。
本宮行きを阻んでいる増水した熊野川とは違う水系なのかもしれない。
「────── ったのに」
振り返ることなく紡がれた小さな声は自然の音に掻き消されてほとんど聞き取れない。
「聞こえねぇ」
「……会いたくなかったのに、なんで会っちゃうのよっ!」
一転望美は大声を張り上げる。
驚いた鳥たちが一斉に飛び立った。
ここが渓谷なら、見事なやまびこが返って来たことだろう。
だが将臣はその内容に眉をぴくりとつり上げた。
「はぁっ !? 心配してやってる人間に普通そういう言い方するか?」
「だから! ……心配なんてさせたくなかったのに」
しょんぼりと俯いてしまった望美の小さな背中が一層小さく見えて、将臣は眉根を寄せた。
「── じゃあ、お前はどうなんだ?」
「え…?」
振り返った彼女の目元がうっすら赤く染まっていた。
必死に涙を堪えていたのだろう。
将臣はわざと口元に笑みを浮かべ、言葉を続ける。
「この世界はどこにいたって戦と無関係にはいられねぇ。
それはお前もよく解ってるだろ?」
こくり、と望美が小さく頷いた。
「だったら考えるだろ。
俺がケガしちゃいねぇか、とか、どこかで野垂れ死んでんじゃねーか、とか」
「考えないわけないじゃない!
いつも思ってるよ……次もお互い無事に会えるようにって」
将臣はニヤリと口の端を上げた。
「だろ?
それはつまり『心配してる』ってことだろうが」
はっと瞠目した望美が、次の瞬間眉をしかめ、唇を噛んで視線を逸らした。
将臣は大股で彼女に近づき、ずっと保っていた距離を詰めた。
ぽん、と頭の上に手を乗せて、ぐしゃぐしゃと掻き回す。
「俺だってずっと思ってたぜ。お前が無事で──」
ふと将臣は言葉に詰まった。
春に再会するまでの三年間はずっと、彼女がどこかで生きていていくれればいいと思っていた。
できれば元の世界で無事に暮らしていてくれれば、と。
彼女が怨霊退治をしていると知ってからは、頼むから死ぬな、と願った。
自分が何とか事を片付けるまで、どこか田舎にでも隠れて暮らしていてほしい。
だが、怨霊を封印する能力を持つ彼女を源氏が手放すことなどありえない。
かといって、自分が彼女を連れていけるわけがない。自分は怨霊を生み出している側──
平家の人間なのだから。
このまま源氏に身を置いているほうが、彼女が生き残る確率は格段に高い。
真夏だというのに身体がすっと寒くなった。
一瞬だけ、彼女と剣を交えている自分の姿が脳裏を横切ったのだ。
ギュッと目を瞑り、水浴びをした後の犬のように頭をブルブルッと振って、嫌な想像を振り払う。
目を開けると見上げてくる望美の怪訝そうな視線とぶつかった。
大きな瞳に胸の内を見透かされているような気がしてドキリとするも咄嗟に動揺を封じ込める。
「あー……」
ぽんぽん、と彼女の小さな頭を軽く叩いてから、小さな身体をひょいと抱き上げた。
きゃっ、と小さな悲鳴が上がる。
「つまりだな、『お前が無事でいてくれるといい』って思うのと、『ちっちゃいお前が無事でいてくれるといい』って思うのと、そんな大差ねぇだろ、ってことだ」
「……ちっちゃいって言わないでよ……気にしてるんだから」
ぷくっと頬を膨らませる望美。
思わず吹き出してしまった。
笑いながら、悪い悪い、と詫びれば、じとっとした目で睨まれた。
「── もしかしたら、何か意味があるんじゃないのか?」
「意味?」
「俺たちがこっちの世界に飛ばされたのも、お前が白龍の神子、俺と譲は八葉に選ばれたから、っていう意味があったろ。
だから、お前の身体がちっちゃくなったことにも意味があるんだろ、たぶん」
「そう……なのかな…?
でも、この身体で何をすればいいのか……何ができるのか、全然わかんないよ」
「ま、その時が来れば自然とわかるんじゃないか?
あんま考え込むなって」
「…………うん」
望美の顔に微かに笑みが浮かんだ。
熊野で再会してから初めて見る笑顔だった。
吸い寄せられるように顔を近づければ、望美の顔が面白いようにぱあっと赤く染まっていった。
「ま、将臣くん?」
「……俺、今ならロリコンのヤツの気持ちがわかるかもしんねぇ」
茶化した物言いだが、将臣にとっては嘘偽りのない本心だった。
大人の姿だろうが子供の姿だろうが、望美が望美である限り彼女を愛しいと思う気持ちが変わるはずもない。
彼女が実際に今の姿だった頃よりももっと前から将臣の中に膨らみ続けていた想いは、呼吸をするのと同じくらい彼にとって自然で重要なものだった。
ニッと口の端を上げて、更に顔を近づける。
その時、腕の中の望美がピクリと身体を硬くした。
ほとんど同時にまとわりつくような嫌な冷気が身体を撫でる。
「グギャアアアァァ!」
耳障りな叫び声を上げて虚空から姿を現す怨霊武者。
みるみる数は増え、十体ほどが朽ちた鎧をギチギチと軋ませ近づいてくる。
将臣は望美を下ろして素早く太刀を構えた。
「二人で相手するには数が多いが── いけるな?」
「うん、援護するよ」
望美もすでに臨戦態勢を整えていた。おもちゃみたいな小さな白い銃を構えている。
「んじゃ封印は頼んだぜ── はああぁぁぁっ!」
太刀を振り上げ、将臣は怨霊の群れへと突進していった。
* * * * *
望美は将臣から離れた位置にいる怨霊武者と、自分に気づいて近づいてくる怨霊武者を狙って光弾を放つ。
一体に一発ずつ当てれば将臣の戦いも楽になるだろう。
光弾の陽の気を浴びた怨霊は動きが格段に鈍くなるのだ。
だが怨霊は痛みを感じない。
斬り伏せられても、動ける限り立ち上がり襲ってくる。
それに望美の光弾も百発百中というわけにはいかなかった。
動く的に当てるのは難しい。
怨霊の半数を相手に斬り結んでいる将臣を見失ったのか、数体が望美に気づいて近づいてくる。
左右に動くには当てにくいが、近づいてくるなら止まっている的とそう変わらない。
望美は銃の先に集まる気をギリギリまで高め、発射と同時に分割させて一気に当てることにした。
感じ始めた疲労感からすると、たぶんこれがこの戦いで撃つことのできる最後の一発になるだろう。
5つくらいに分ければいいかな、と頭の中でイメージを描く。
意識がすっと一瞬遠のいた。
この後封印もしなければならないことを考えれば、そろそろ限界が近い。
銃の先の光球は大きめのビーチボールほどのサイズになっていた。
── 今だ!
外さないように下半身をしっかり安定させようと足を踏み代えたその時、ずるりと足元が滑った。
戦っているうちにいつしか望美は小さな川のすぐ傍へ戻ってきていたのだ。
飛び散ったせせらぎの水で地面はぬかるんでいた。
転ばないように踏ん張った。
だが身体に力を入れた瞬間、望美の指は銃のトリガーを引いていた。
最後の光弾は近づいてくる怨霊ではなく、何もない空へ──
「えっ…!?
やだ── だめっ !!」
パッ!
上空で光が弾けた。閃いた光は消え去ることなく細かな粒となり、真下でうごめく怨霊武者たちに降り注ぐ。
痛みを感じるはずのない怨霊たちが、ギギ、と苦鳴を漏らして動きを止め、あるいは膝をついた。
「── 将臣くんっ !?」
怨霊と斬り結んでいた彼もまた光のシャワーを浴びている。
望美が目にしたのは、よろめいた彼の大太刀が滑って辿り着いた相手の刀の鍔でなんとか身体を支え、倒れないよう地面を踏み締めるところだった。
「……だい、じょうぶ、だっ」
将臣は歯を食いしばり、まだ立っている怨霊に一太刀浴びせていく。
最後の一体が地に伏した時、望美は封印の言葉を紡ぎ始めた。
【プチあとがき】
ああ、またヌルいバトルを書いてしまった……
【2010/01/07 up】