■Little Girl【6】
「── おっ、やっぱここか」
一夜の宿を提供してくれた龍神温泉近くの民家の庭先で、姿の見えない望美を探しに行った仲間たちを焦れる思いで待っていた朔は、聞き慣れない声にドキリとして振り返った。
「あら……将臣、殿…?」
生垣の向こうで、よ、と手を上げる長身の青年。
日に焼けた逞しい彼は仲間の一人の兄であり、彼女の対の神子の幼馴染みであり、神子を守る八葉の一人でもある。
ただ、春に下鴨神社で出会ったものの翌朝には姿を消していたから、ほとんど面識はないに等しい。
戦続きの緊張しっ放しの毎日で顔かたちは忘れかけていたが、
畏怖の念すら抱かされるような堂々とした風格と親しみやすい気さくさが奇妙に同居した不思議な雰囲気は記憶に残っていた。
「まあ! 望美っ !?」
彼が大事そうに抱えているのは、紛れもなく皆が必死に探している人物。
彼の首に抱きついて、恐らく眠っているのであろう彼女の小さな背中で長い髪が風に揺れていた。
思わず朔が駆け寄ると、将臣は呆れたような苦笑を浮かべ、
「やっぱ、こいつを探してたのか」
「ええ……朝餉を知らせに行ったら姿が見えなくて……みんな、近くを探しに行っているわ」
「……ったく、人騒がせなヤツだな。
そこの林の中で射撃練習みたいなことをしてたところを拾ったんだが……何なんだあの武器?
つか、こいつに何があった?」
将臣から質問攻めにされて、朔は困惑顔に手を当てて眉を曇らせた。
「あの武器は、これまで使っていた剣の代わりに白龍が望美に与えたものよ。
子供の姿になってしまったのは『空の傷』に触れたせいかもしれない、と言っていたけれど……
この子自身にもよく解らないみたいだわ」
「『空の傷』…?
……そこらへんは本人に直接聞くしかないってか」
庭に招き入れた二人はまるで親子のように見えて微笑ましい。
ちらりと見えた望美の寝顔はいつになく穏やかで、うっすらと笑みを浮かべていた。
「望美から何も聞いていないの?」
「ああ、泣くだけ泣いて寝ちまったからな。ここの場所を聞き出すだけで精一杯だった」
「そう……」
身体に異変が起きて以来、望美は塞ぎ込むことはあったが泣いたことは一度もなかった。
もしかすると一人になった時には涙を零していたのかもしれないけれど。
思い詰めたように唇を噛みしめている望美を朔はずっと心配していた。
何でも内に溜め込んでしまいがちな彼女をきちんと泣かせてくれる人物が現れたことは彼女にとって良いことだ。
きっと泣き疲れて眠ってしまったに違いない──
朔は微笑んだ。
「── 少し休ませてあげましょう。床を用意するわ」
「いや、その必要はねぇよ」
将臣は抱えた望美の小さな身体をあやすように軽く揺すりながら声をかける。
「おーい望美ー、起きろー。俺がハゲたら責任取れよー」
何を言っているのかと首を傾げつつ、無理に起こすこともないのに、と止めようとした朔はくるりと背を向けた将臣を見て思わず吹き出した。
「まあ……!」
幸せそうな顔で眠り込む望美の可愛らしい手が将臣の後ろ髪を一房握っている。
望美の手が揺れるたび髪はびんっと引っ張られて、将臣がイテテと声を上げた。
彼女はよほど放したくないのか、相当な力で彼の髪を握り締めているらしかった。
* * * * *
タイミングを逃した、と後悔しても「時すでに遅し」だった。
わらわらと戻ってきた男たちに見つかり、その中の一人に説教を食らう羽目になってしまったからだ。
その相手がなまじ血縁者だったばかりに無碍にもできなかったというか──
一度は再会して無事は分かっていたが、きっと久しぶりの血の繋がった者との会話(非常に一方的ではあったが)に浸っていたかったのかもしれない。
近くでやたら髪の長い武将── 九郎から同じく説教を食らってしょんぼりと項垂れている望美の様子をチラチラ窺いながら、彼女はここで大切にされているのだと感じた。
それは彼女が怨霊を封じる力を持つ神子だからなのか、それとも別の理由があるのかは分からないが、ともかく安心するに足りた。
反面、別の昏い感情が湧きあがってくるのも確かで。
弟との会話で熊野での目的地が同じだと分かり、将臣は同行することに決めた。
ただし、極力慣れ合わないように。
理由をつけて先に発つこともできたはずだった。
だが、あんな姿になってしまった彼女を放っておけないではないか──
そう自分の選択を正当化するしかなかった。
勝浦で投宿したのは大きくて立派な宿だった。
八葉のひとりであるヒノエの口利きだというが、こんな宿が馴染みだなんて彼は一体何者だろうかと訝りつつも、同行するのは本宮までのあと僅かなのだからと考えるのをやめた。
そんなことよりも、考えなければならないことが多すぎる──
将臣は強い意志を持って広い宿の中を望美の姿を探して歩き回っていた。
龍神温泉からこの勝浦まで、望美は不自然なほどに将臣のことを避けていた。
せっかく会えたというのに、避けられている方はたまったものではない。
問い質す権利がある、と将臣は心の中で主張する。
廊下の角を曲がろうとした時、突如目の前に影が差した。
「── きゃっ!」
「っ! 悪いっ!」
あやうくぶつかりそうになったのは朔。
驚かせてしまったのだろう、目を見開いて胸元をぎゅっと押さえつけている。
「将臣殿……ごめんなさい、ぼんやりしていて」
「いや、こっちも前方不注意だった──
そりゃそうと、望美どこ行ったか知らねぇか?」
まるで姉妹のように仲の良い彼女のことだ、何か知っているだろう、と思って聞いては見たが、返ってきたのは残念ながら否定の言葉だった。
「ごめんなさい、私も探していたところなの。
熊野川の増水が治まるまでしばらくかかりそうだから、必要な物を買い足しに行くのにあの子を誘おうと思ったのだけれど」
「そっか……引き止めて悪かったな」
別の場所を探すか、と将臣が踵を返したちょうどその時。
「── あっ、朔!」
元気な声が聞こえたと思ったら、ぱたぱたぱたと近づいてくる軽やかな足音。
将臣は咄嗟に壁際に背を張り付けた。
「ねえ朔っ、ヒノエくんが船に乗せてくれるって!
朔も一緒に行こうよ!」
死角にいる将臣には気づかずにはしゃいでいる望美。
もちろん将臣からも望美の姿は見えないのだが、廊下の角の大きな柱の向こうにオーバーアクションな彼女の小さな手がちらちらと見え隠れしていた。
ふと朔と目が合った。
すかさず口元に人差し指を立てる。
彼女はニコリと笑い、顔を向こうへ──
望美の方へと向けた。
壁沿いにじりじりと距離を詰めていく。
そして、ひらひらと動き回っていた細い腕を素早く掴んだ。
「── っ!」
「捕獲成功♪」
大きな瞳がこぼれおちそうなほどに大きく目を見開いている望美に向かって、将臣はニヤリと口の端を上げる。
ひくっ、と望美のこめかみが引きつった。
「さてと、ここまで俺を避けまくってた理由をゆーっくりと聞かせてもらおうか?」
「べ、別に、り、理由なんて……ぅわっ !?」
引き寄せた望美の身体をひょいと小脇に抱え上げた。
「ちょっ、なっ、何するのよっ!」
「朔、悪いがこいつ、ちょっと借りてくな」
「ええ、夕餉までには戻って来てね」
「さ、朔っ !? 将臣くんっ、降ろしてってばっ!」
望美がじたばたと暴れまくるのもものともせず、将臣はそのまま宿を出ていった。
【プチあとがき】
えーと……なんとなく続きを書いてみました。
実に21ヶ月ぶりの更新(笑)
考えてた展開はすーっかり忘れちゃってるのですが。
もう需要もないかもしんないなー、とか思いつつ。
確か、眠ってるチビ望美を抱っこしてる将臣を書きたくて、書き始めた話だったんだよね。
はっ……もう終了か?
【2009/12/24 up】