■Little Girl【5】 将臣

 季節は移り、夏。
 九郎たち源氏の一行は、棟梁である頼朝の命で熊野に来ていた。
 目的は、熊野水軍の協力を得ること。
 この世界にとって望美の身体が小さくなってしまったことはほんの些末なこと、と思い知らされるかのように、前の運命とほぼ同じ道を辿っていた。
 もちろん、望美にとっては些末で済ますことなどできるはずもなく。
 かといって、元の姿に戻る方法は皆目見当がつかない。
 苛立ちが募る中、気づいたのはひとつだけ。
 怨霊との戦いの後、見上げた空に傷が穿たれていたということ。
 毎回、というわけではなかったが、単に目に付く場所になかっただけかもしれない。
 望美は、あの空の傷は怨霊と関係がある、と結論づけた。
 これまで怨霊の封印は白龍の失われた力を取り戻すための行動だったのだが、今は望美自身のためでもある。
 封印さえすれば元に戻れるという保証はないのだが、今はやれることをやるしかないのだ。

 熊野入りしてすぐ、龍神温泉で長旅の疲れを癒した翌朝。
 誰かに呼ばれるような夢を見たせいか、胸にもやもやしたものが残っているのを振り払おうと、望美は急かされるようにして散歩に出かけた。
 なんとなく、誰にも告げず、こっそりと。
 告げれば今の子供の姿の望美がひとりでふらふら出歩くなんて、絶対に止められると思ったから。
 世話になっている民家から少し離れ、鬱蒼とした森を迂回するように走る細い道を歩いていて、望美はふと足を止めた。
 ── そういえば、ここを歩いていると将臣くんに会っちゃうんだよね…。
 会いたい。
 けれど、今の姿では会いたくない。
 こんな姿で戦いの中に身を置いていると知られれば、心配させてしまう。
 望美は道から外れ、木々の間を奥へと進んでいった。

 しばらく進んだところに、少し開けた場所があった。
 誰かが整備したわけでもなく、単に木々の間隔が広いだけではあるが。
 朝の柔らかな日差しが梢の隙間から降り注いでいて明るかった。
 伸びた下生えは柔らかそうで、寝転がったら気持ちいいだろうな、なんて考えるほどに穏やかな風景。
 鳥の声や虫の音が響いている。
 穏やかすぎて、逆にこれから訪れるであろう厳しい戦いのことに思いを馳せてしまう。
「……そうだ、射撃練習しよっと」
 望美は1本の木に目をつけると、地面から石を拾って幹に印をつける。
 幹に傷をつけるのが申し訳ないのか、ごめんね、と呟きながら。
 ガリガリと引いた2本の線は、ちょうど大人の胸の位置。戦う頻度の高い怨霊武者を想定して。
 役目を終えた石をぽい、と手放し、その木から10メートルほど離れると、腰につけたなめし革のホルダーからパールホワイトの銃を取り出した。

*  *  *  *  *

 単身熊野に乗り込んでいた将臣は、一夜の宿を提供してくれた民家を辞し、本宮を目指し森沿いの小道を歩いていた。
 いずれ来る海での戦に備え、熊野水軍を味方に引き入れるために。
 本当は戦いなどせず、平家の生き残っている者たちを生き永らえさせることができればいいのだが。
 そして最も気になっているのは敵方に身を置く弟と── 望美のことだった。
 戦さえなければ、彼女たちの安全も確保されるはずだ。
 生きてさえいれば、いつか再会することもできるだろう。
 しかし、将臣の胸中はずっと嵐のように騒いでいた。
 噂に聞こえていた『美しくも腕の立つ源氏の神子』の話が、春以降ぱったりと聞かれなくなったのだ。
 代わりに、年端も行かぬ幼い少女が封印の力を振るっていたという話が出てきた。
 三草山で白龍の神子に会ったという経正も、神子は10歳ほどの童女だったと言う。
 経正は『神子は複数いるのかもしれない』と言っていたが、聞きかじった龍神の伝承では白龍の神子はひとりのはずだ。
 望美の身に何かあったのだろうか?
 将臣はそっと耳に手を当てた。
 指先に感じる、滑らかで硬い感触。
 神子を守る八葉である証はまだそこにあった。
 神子は何らかの理由で代替わりしたが、神子を守るという役目が終わってないから、ということなのか。
 それとも、神子に選ばれた望美を守る役目がまだ終わってないから、なのか。
 できれば後者の理由であってほしい。
 どちらにせよ、望美が無事でいてくれればそれでいい──。

 ふと、視界の端で何かが光ったような気がした。
 耳を澄ますと、パシュッと軽い音がして、驚いた鳥たちがバサバサと一斉に飛び去っていった。
 将臣はなぜか気になって、森の中に足を踏み入れた。
 気配を消し、足音を極力立てないように下生えを慎重に踏み。
 すぐに木立の途切れた明るい場所に出た。
 そこに佇むひとりの少女の後ろ姿。
 年齢は、自分たちが守っている『帝』と呼ばれる少年より少し上か。
 足を肩幅に開いて立つ少女は、奥の木に向け真っ直ぐに両手を伸ばしている。
 その手には白く光るものが握られていて。
 ── まるで射撃だな。
 しかしこの時代には銃はない。
 いや待てよ、春に会った敵方の陰陽師はライフルみたいなのを持ってたな。
 陰陽道じゃ割とポピュラーな武器なのか?
 将臣が思考を巡らせている間に、少女の手の白い物体の先にぽぅっと光が集まり、バスケットボールほどの大きさの球が出来上がった。
 グリップを握る少女の指の小さな動きと同時に、光の球は奥の木に向かって放たれ、短い一呼吸の後、木の幹に当たってパシュッと音を立てて弾け消えた。
「んー、止まってるものには当てられるようになったけど──」
 不満そうな少女の声が響く。独り言らしいが、やけに声が大きいのに彼女は気づいているのだろうか。
「── 戦ってる時って、相手も動いてるんだよね──」
 どこか懐かしく聞こえる声は、子供らしからぬ物騒な内容で。
「── もっとスピードが出ないと、当たるまでのタイムラグがやっぱり厳しいよね」
 スピード? タイムラグ?
 この世界にはないはずの言葉が聞こえて、将臣は動揺した。
 足元で踏んでいた小枝がパキリと音を立てた。
「っ !?」
 突然の物音に、少女が息を飲んでこちらを振り返る。
 長い髪がふわりとスカートのように広がった。
 驚きに目を丸くしている少女は、思い出の中にある幼い頃の望美に瓜二つだった。

「ま───」
 何かを言いかけた少女は、ギュッと唇を引き結び、くるりと踵を返して駆け出した。
「お、おいっ!」
「ぅきゃっ !?」
 将臣が追いかけようとした瞬間、よほど慌てていたのか少女は足をもつれさせてズサッとスライディングするように転んでしまった。
「大丈夫か !?」
 駆け寄って起こしてやり、少女の正面に片膝をついて着物についた草の切れ端を払ってやる。
 見上げた少女の顔は、見れば見るほど望美にそっくりだった。
 目が合った瞬間、少女は唇を噛んで、赤くなった顔をふいっとそむける。
 将臣は少女の両手の手首をそっと掴んだ。
「望美?」
 ぴくり、と少女の身体が震える。
 将臣は、目の前の望美にそっくりな少女は、どういうわけか子供の姿になってしまった望美本人だと確信した。
「ちっ、違いますっ!」
「しばらく会わない間にずいぶんちっこくなっちまったなぁ」
「だから違いますってば!」
「ネコ型ロボットの秘密道具でも使ったのか? それとも黒ずくめの組織に妙な薬でも飲まされたか?」
「そ、そんなマンガやアニメみたいなことがあるわけないでしょっ!」
「へー、この世界にマンガやアニメがあるんなら見せてもらいたいもんだな」
「っ!」
 少女は逃げ出そうとするが、将臣が手首を掴んでいるため逃げられない。
「望美?」
 逃げるのを諦めた少女がぐずっと鼻をすする。
「……将臣…くん……」
 望美の目から、ぽろりと涙が零れた。
 手首を握っていた手をそっと開いて解放してやると、望美はその手をゆっくりと上げ、将臣の首に伸ばして倒れこむようにして抱きついた。
 最初は小さな嗚咽だったものが、堰を切ったように流れ出す。
 望美は声を上げて泣いた。
 将臣はその小さな背中をいとおしむようにそっと撫で続けた。

〜つづく〜

【プチあとがき】
 将臣たんとチビ望美の邂逅。
 さて、あたしはこの後どうしたいのか?(笑)

【2008/03/24 up】