■Little Girl 【3】 将臣

 ── どうしたらいいんだろう。
 望美は締め切ったままの薄暗い部屋の隅で膝を抱えていた。
 まるで親に叱られでもした少女が拗ねているような姿。
 紺地に花柄の可愛らしい着物は通いの下働きの者の娘の物で、とりあえず、と朔が借りてくれたものだ。
 今頃、望美サイズの着物が大急ぎで作られているだろう。
 はぁ、と大きな溜息を吐いて膝頭に埋めていた頭を起こし、顔の前に手をかざした。
 ── 小さな、手。
 ゆっくりと開いては閉じ、閉じては開き── またひとつ溜息を吐く。
「……こんな手じゃ、剣なんて握れないよ……」
 何のために戻ってきたのかわかんないじゃない、そう弱々しく呟く望美の声は、再び顔が膝頭に埋められたことによってくぐもって、更に弱々しくなった。
 こんな身体で一体何が出来るというのか。
 これからのことを考えると、不安で押し潰されそうだった。
「……将臣くん…」
 もちろん返事はない。
 将臣はすでに早朝この邸を発ったのだから。
 わかっていても、その名を口にせずにはいられなかった。
 望美はなんとなく寒気を感じて、何か包まる物を、と膝を抱えたまま部屋の中に視線を巡らせた。
 朝まで使っていた夜具は片付けられ、几帳も部屋の端に寄せられていた。
「この部屋って、こんなに広かったんだ……」
 改めて自分の身体の小ささを自覚して、望美はぶるっと身体を震わせた。
 ふと目に留まったのは、部屋の隅に置かれた文机。
 その上にはきちんと畳まれた、見慣れた戦装束が置かれている。
 立ち上がるのも億劫で、文机まで赤ん坊のように這っていくと、一番上に置かれた桜色の着物に手を伸ばした。
 一瞬躊躇って、それでも寒いよりはマシだ、と掴んだ着物をバサッと広げ、ふわりと肩に羽織る。
「……え…?」
 驚くことに、桜色の着物はシュッと衣擦れのような小さな音を立てて望美の身体に吸い付くように縮んでいく。
「……うそでしょ……」
 動きの止まった着物は今の望美の身体にぴったりの大きさになっていた。
 望美は借り物の着物を脱ぐと、桜色の着物を着直し、スカートを穿き、陣羽織を羽織る。
 それらの衣類は、望美が足を通し、腕を通すごとに身体にフィットしていった。
 そしてそこには一人の小さな女武者が出来上がっていた。

 戦装束を身に着けていると思うと、気持ちは自然と引き締まった。
 閉じこもっていた部屋を出れば、外の眩しさが目に痛い。
 手のひらを庇代わりにして空を見上げれば、春の柔らかな日差しを降らせる太陽はずいぶんと高い位置にあって、まもなく正午になるらしいことを告げていた。
 朝、自分の身に起こったことに取り乱し、『ひとりにして』と部屋に逃げ込んでから丸半日経ってしまったのかと思うと、仲間たちに顔を合わせるのが少し恥ずかしくもある。
 京邸はしんと静まり返っていた。
 この静けさは、考え事をするには丁度いい。
 望美は部屋の前の階(きざはし)に腰を下ろすと、膝の上に両手で頬杖をついて、中庭ののどかな風景にじっと視線を据えた。
 まずは今の自分の状況。
 どこをどう見ても、10歳くらいの女の子。
 胸元で揺れていたはずの白龍の逆鱗は、今は鳩尾(みぞおち)の辺りにあって、やたら大きく見えた。
 しかしこうしてあれこれ考えることが出来るということは、小さくなってしまったのは身体だけ。
 それだけはありがたいと思うべきなのだろう。
 それから、身体が小さくなってしまった原因。
 思い当たるのは、宇治上神社での出来事しかない。
 あの『空の傷』に触れた時の嫌な感覚が蘇ってきて、望美は思わず小さく身震いした。
 あれ以来感じていた身体の変調は、こうなることの前兆だったに違いない。
 あの傷の正体が判れば、元の大きさに戻れる方法も見つかるのだろうか?
 その時がいつ来ても、この自分の身体に合わせて伸び縮みしてくれる装束を着てれば恥ずかしい思いをしなくて済むな、などと考えていることに気づいて、望美の顔は苦い笑みに歪んだ。
 そして、この小さな身体で何が出来るのだろう。
 違う、何をしなければならないのか、を考えなくては。
 いつまでも今の状態を嘆いていていい状況ではないのだ。
 望美は膝を抱えて、親指の先を噛んだ。
 ギリリとこめかみに振動が伝わり、指先の痛みが思考をクリアにしてくれた。
 剣を手にして戦うのは無理。
 この世界に自分を召喚した白龍の力によるものか、衣類が身体に合わせて大きさを変えてくれたように、同じく白龍の力によって作られたと思われる剣も小さくなってくれると思いきや、 残念ながらそこまで都合よく話は進んでくれなかった。 例え剣が今の望美が振るえる大きさに変化したとしても、戦力になるどころか足手まといにしかならないだろうが。
 おそらく、いや確実に九郎は今の望美が前線に出ることを良しとしないはず。
 だからといって怨霊を封印せねばならない望美は戦いに近い場所に出ていなくてはならないのだ。
 あらかた怨霊の動きが止まるまで後ろに下がっているとしても、戦闘中に神子と八葉の力を必要とする術が使えないのは確実に不利になる。
 これまでと同じように、やはり自分は戦いの中にいなければいけないのだ、と望美は実感した。
 『しなければならないこと』── 怨霊を封印して白龍の力を取り戻し、仲間たちを守り、この世界の人たちを守り、そしてこの世界の平和を見届けてから、 ここへ来た3人が揃って在るべき場所に帰ること。
 できるなら、この運命でそれをやり遂げたい──。
 自分なりに考えを纏めた望美はすくっと立ち上がると、鳩尾の上で揺れる白龍の逆鱗をギュッと握り締めた。

*  *  *  *  *

「─── というわけなんです」
 望美は身体に起きた異変の原因と思しき出来事、纏っている戦装束に起きた不思議な出来事について一気に話すと、ふぅ、と息を吐いた。
 同じことを話すのはこれで三度目。
 一度目は階に佇む望美を見つけて駆け寄ってきた朔に。
 二度目は望美に栄養のあるものを食べさせようと市に出かけていた譲と白龍に。
 そして日も落ちて職務から戻ってきた九郎と景時に三度目となる話をたった今終えたところなのだ。
 福原へ潜入している弁慶と、まだ仲間としてここにいない八葉たちにも同じ話を繰り返さなければならないのかと思えば、いささかうんざりもする。
 そして今朝早くにここを去った将臣にも。
 事情説明に織り交ぜて皆に将臣が発ったことを話した時、実の兄弟である譲以外は特に気にも留めていないようだった。 実質半日しか同行していなかったのだから無理もないとはいえ、少し寂しくもあったが。
 次に再会した時、将臣はどんな顔で自分を見るのだろう── 望美は唇を噛んで、膝の上で拳をギュッと握り締めた。
「しかし信じられん── 人の身体が小さくなった上に装束までもが小さくなるとは」
「けどさ〜、実際にちっちゃくなった望美ちゃんがちっちゃくなった装束着てるんだから、信じる信じないの問題じゃないでしょ、九郎?」
 腕を組み難しい顔で考え込む九郎に、苦笑を浮かべた景時がパタパタと扇ぐように手を振る。
「……とにかく、今の望美が童の姿である以上、今後の戦に同行させるわけにはいかん」
 やっぱり、と望美の握る拳に力が篭った。
「しかし怨霊と戦わねばならない我々にとって、白龍の神子の封印の力は必要不可欠なものではありませんか?」
「え……」
 思いも寄らない方向から聞こえてきた声に振り返ると、そこには静かな笑みを湛えた弁慶が立っていた。
「なんだ、弁慶か」
「なんだとはご挨拶ですね、九郎。もう少し早く戻れると思ったんですが、少し遅くなってしまいました、すみません。おや、これは噂通り本当に可愛らしい。 こんなに愛らしい童女姿の望美さんを戦に連れて行きたくない九郎の気持ちもよくわかります」
「べ、弁慶さんっ !?」
 望美の前にすっと跪き、微笑みを浮かべて頭を撫でる弁慶に、望美は照れで赤くなった顔を隠すように深く俯いた。
 完全に子供扱いされていることは多少気に入らなかったけれど。
「なっ !? そういう意味では…!」
「ふふっ、わかっていますよ。いくら望美さんの剣の腕が立つとはいえ── 今の姿では戦力になりませんからね」
 皆が言えずにいたことを、弁慶はズバリと言い放つ。
 その一言に部屋の中は一瞬水を打ったようにしんと静まり返り、重苦しい空気が漂い始めた。
「しかし、神子の封印の力が必要であることは事実です。望美さんには酷な話かもしれませんが、望美さん抜きで平家の怨霊と戦うのは得策とは言えませんよ。 陰陽師の調伏では、怨霊は完全に消え去るわけではありません。平家に怨霊を生み出し蘇らせる手立てがある限り、白龍の神子が封印しなければ、これから先、怨霊は増える一方です」
「それはそうだが……」
「あの……」
 口を開いた望美に皆の注目が一斉に集まった。
「その件で、景時さんにお願いがあるんですけど」
「えっ、オレに? な、なにかな? オレで役に立つなら何でも言って、うん」
 望美の次の言葉を待つ全員の喉が小さくコクリと音を鳴らした。
「……私に── 銃を作ってもらえませんか」
「えぇぇっ !? 銃って……銃 !?」
「はい、いろいろ考えたんですけど、今の私に使えるのは銃しかないんです。弓矢も考えたんですけど、力のない今の私が放つ矢の威力なんて高が知れてますから」
「の、望美ちゃんの気持ちはわかるけど…」
「それから、できれば人に当たっても傷つかない── 怨霊にだけ効果のある銃ってできませんか?」
「えっ、いや、それはちょっと難しいんじゃないかな〜。オレの銃だって陰陽術の応用だけど、攻撃に使うのは実弾だから、当たれば血が出ちゃうしさ〜」
「無理は承知です! お願いです、何とかできませんか?」
 望美と景時のやり取りを皆が静かに、或いは望美を諌めつつ見守る中、白龍はおもむろに立ち上がると、望美の前に静かに佇んだ。
「── 神子は、戦いを望むの?」
 白龍は望美の真意を覗うように、じっとその瞳を見つめる。
 その表情には、幾ばくかの悲しげな色が見て取れた。
 望美はその視線から目を逸らすことなく、ほとんど睨んでいるに近い眼差しで白龍を見詰め返していた。
「私は戦いを望んでいるわけじゃないよ── でも、私は戦う。だって私の戦いは滅ぼすための戦いじゃなくて、守るための戦いだから」
 愛らしい子供の声であるにもかかわらず、その声には不似合いな厳しい決意と覚悟が含まれていた。
 京に加護を与える龍神と、その龍神に選ばれた神子との対話は、この場にいる者たちの誰にも口を挟むことをさせなかった。
 部屋の中に満ちた重苦しい空気と緊張が最高潮に達した時──
「── それが神子の願いなら」
 厳かに一言だけ呟くと、白龍は瞑想するかのようにゆっくりと目を閉じた。
 胸元まで上げた手のひらの上にぽぅっと白く淡い光が生まれる。
 その光はだんだんと濃さを増し、何かを形作り始めた。
 そして突然起きた閃光に思わず目を瞑った望美たちがおずおずと目を開けた時、白龍の手の上にあったのはパールホワイトに輝く一挺の美しい銃だった。

〜つづく〜

【プチあとがき】
 ガンナー望美誕生!
 完全に趣味に走ってます(笑)
 ちなみにこの望美ちゃんは景時ルートを通ったことがありません。
 景時さんが○○って知ってたら、あんな無謀なお願いできませんって。

【2007/06/13 up】