■Little Girl 【2】
将臣は桜の舞い踊る下鴨神社の境内に佇んでいた。
元々ここに来る予定はなかったのだが、昨夜見た夢が将臣をここへと導いたのだ。
やけにリアルなその夢の中で約束をしたから──。
夢の中の出来事を信じるなんて子供みたいだとは思ったが、将臣には確かな実感のようなものがあった。
── 『やっと逢えるかもしれない』、と。
「あ、将臣くん!」
その名で呼ばれるのはどれぐらい振りだろうか。
忘れもしない懐かしい声に将臣はゆっくり振り返る。
声の主は一直線に将臣に向かって駆けてきた。
ぶつかりそうになって咄嗟に将臣が出した手に倒れこむように掴まると、将臣の顔を見上げてにこりと笑った。
「── よう、望美。ほんとに会えるもんなんだな」
「うん。だって、約束したもの」
当然のように言い切る望美に、将臣は眉をひそめた。
宿の庭から見た夜桜が印象的だったのか、桜の咲いている場所というだけでこの下鴨神社を思いついて思わず口に出しただけなのに。
それも夢の中で。
なのに、当然のように望美は『約束したから』と言う。
不思議なことではあったが、これ以上考えても答えは出そうにもなく、将臣は考えることをやめた。
「…… そっか」
「うん」
望美は嬉しそうににこりと笑う。
「に、兄さん !? どうしてここに?」
追いついてきた譲が驚きの声を上げる。
パタパタと他の仲間たちも駆けつける足音が聞こえると、望美は掴まっていた将臣の手から離れ、将臣の隣に移動した。
将臣は空いた手を軽く上げて、よ、と譲に応えた。
「あ〜、もしかしてこの人が譲くんのお兄さんの──?」
「有川将臣だ」
この名前で自己紹介するのも久しぶりだ、と思うとなんだか背中がむずがゆかった。
「オレは梶原景時。景時、でいいよ。こっちが九郎ね。それから──」
景時の自己紹介に将臣の顔が一瞬引きつる。
敵方の武将の名は当然伝わってきている。
『景時』に『九郎』、あとは『弁慶』が揃えば──。
「将臣くん、どうかした?」
望美に呼ばれ、将臣は我に返る。
「…… いや、なんでもねぇ」
「あ、もしかして今、話聞いてなかったでしょ?」
「バレたか」
ニヤリと口の端を上げる将臣。
「やっぱり……」
望美は大げさにガクンとうなだれる。
「とにかく!
将臣くんは神子を守る八葉なんだから、一緒にいる間は私のことしっかり守ってね」
「え……」
将臣は再び固まった。
「お前が…… 神子…?」
望美は返事の代わりに辛そうに微笑んだ。
その微笑みは一瞬で、すぐに屈託のない笑顔に変わる。
「みんな行っちゃったよ。
私たちも行こう?」
望美は将臣の返事を待たずに将臣の手首を掴んで引っ張り、仲間たちを追った。
* * * * *
「はぁ……」
思わず零れる溜息にうんざりしながら、将臣は盃の酒をあおった。
濡れ縁の前に広がる庭は柔らかな月の光に照らされていて、手入れが行き届いていることがよくわかる。
自分が身を置く邸はその日の生活に精一杯で、庭の手入れなんぞに心を配る者など皆無に近いのに。
またひとつ、溜息が漏れた。
望美と再会できたのはいいが──、行動を共にしている者たちはどう考えても……。
いつか訪れるであろう戦場での邂逅を思えば、背筋が震えた。
馴れ合う前にここを立ち去ろう── そう考えれば、また溜息が零れる。
ふいに背後に人の気配が現れた。
瞬時に身体を緊張させて耳を澄ませると、濡れ縁をひたひたと歩く足音が聞こえてきた。
「── やっぱり将臣くんだ。ひとりで月見酒?」
月明かりに浮かぶのは単の上に袿を羽織った望美だった。
ふぅっと緊張が霧散する。
「… まあな」
「晩酌だね。ふふっ、なんだかお父さんみたい」
「悪かったな、オヤジくさくて」
望美はくすくす笑いながら、足をかばうようにしてゆっくりと腰を下ろす。
「まあまあまあ、そんなにふてくされないの」
望美は二人の間にある盆の上から酒の器を取ると、将臣の持っている盃に酒を注ぐ。
「もしかして、眠れない?」
今、自分が居る場所を考えれば、眠れるはずもない。
闇の中で横になっていることにストレスを感じ始めて、部屋を抜け出してきたのだ。
ちょうど邸内の見回りをしていた雑兵に出くわして、酒を用意させて今に至る。
「…… いや、習慣、だろうな。
俺が世話になってる家に気の合う奴がいてさ。
寝る前にしょっちゅうそいつと飲んでたら、飲まなきゃ落ち着かねぇ身体になっちまった」
嘘と本当が半々の答えを返して、ははは、と笑う。
「あははっ、なんか将臣くんらしいっていうか、らしくないっていうか」
「どっちなんだよ」
「うーん……まぁ、とにかく飲みすぎにだけは気をつけてよね」
「言われなくてもわかってるって」
二人は顔を見合わせて、ぷっと吹き出した。
「それより……足、大丈夫なのか?」
「うん、平気。ちょっとすりむいただけだから。
それに、これぐらいの怪我はしょっちゅうだし」
望美はポリポリと頬を掻きながら、へへっ、と照れ臭そうに笑った。
昼間、下鴨神社から京邸へ戻る途中に怨霊と遭遇し、戦いになった。
即座に剣を抜き、怨霊へ向かっていく望美の姿に、将臣は『戦い慣れしている』と感じた。
だが、怨霊武者と何度か斬り結んだ後、止めを刺そうと踏み出した望美の足は前へ出ず、その場へガクンと膝をついてしまったのだ。
態勢を立て直そうとする望美に向かって容赦なく振り下ろされる怨霊の剣──。
助けなければ、と将臣が駆け出そうとした時、九郎の剣が怨霊武者の剣を受け止めていた。
「無茶するな! お前は下がってろ!」
九郎の怒声に望美はごめん、と呟き戦列を離れる。
そして怨霊たちの動きが止まりつつある時に聞こえる望美の声。
「めぐれ、天の声! 響け、地の声! かのものを封ぜよ !!」
声とともに怨霊たちが光の粒となってはじけていった。
怨霊が封印される場面を初めて見た将臣の脳裏に、惟盛の言葉が過ぎる。
── 源氏の……神子…?
将臣の中で「もしかしたら」が「やっぱり」に変わった瞬間だった。
「……神子ってのは、いつもああやって怨霊と戦ってるのか?」
「まあね。
怨霊を封印しなきゃ、白龍の力も戻らないし。
でなきゃいつまで経っても元の世界に帰れないし」
二人は並んで月を見上げる。
「けど、お前の戦い方、危なっかしすぎ」
「そ、そう? そう……だよね……最近ちょっと調子がイマイチっていうか……でも、みんなが助けてくれてるから大丈夫だよ、うん」
将臣は望美の方へ視線を移した。
月を見上げる望美の横顔には、穏やかな微笑が浮かんでいた。
元の世界にいるころから、望美はいつもそう言った──『大丈夫』、と。
傍から見て全然大丈夫ではない時でも、相手を心配させまいとして笑顔でそう言っていた。
しかし、今の将臣にできることはない。
例え、自分が神子を守る八葉のひとりだとしても、この先ずっと望美の側にいるわけにはいかないのだから。
ただ、今望美が口にした『大丈夫』が望美自身に向けられているように思えたのが気になっていた。
「……あんまり無理すんなよ」
「うん」
「……それにしても、全然変わってないな、お前」
「え…?」
振り向いた望美と目が合う。
今度は将臣の方が視線を外し、月を見上げた。
「……いや、変わったのは俺の方なんだろうな」
「それは……変わったのは、私も同じだよ……」
望美も再び月を見上げたのが気配でわかった。
会話が途切れ、静寂が二人を包む。
「── 望美」
ん?、と望美が首を少しかしげて将臣を見た。
「俺は明日の夜明け前にここを発つ」
「……うん」
意外な返事に将臣は望美の顔をハッと見た。
望美の顔には、昼間下鴨神社で見た辛さの入り混じった笑みが浮かんでいた。
「聞かねぇのか? どうして、とか、どこへ、とか」
「……言えないんでしょ? だから、聞かない」
将臣は返事の代わりに、望美の頭をそっと胸に抱き寄せた。
二人の間にあった盆に望美の手が当たり、カチャリと音を立てた。
「大丈夫だよ。生きてさえいれば、また会えるんだから」
「そうだな……」
「一緒に── 元の世界に帰ろうね」
将臣はそれには答えぬまま望美の額に軽く口付けて、すっくと立ち上がった。
「お前も早く休めよ── じゃあな」
望美に背を向けたままそう言うと、将臣は部屋へ戻っていった。
* * * * *
翌朝、望美は肌寒さを感じて目を覚ました。
夜具の上で上半身を起こせば、肌蹴ていた単が肩からずるりと落ちて小さく身震いする。
「…… 私、寝相悪かった…?」
まだぼんやりとした頭のまま襟を掻き合わせる。
立ち上がろうとすると、単に引っ張られるようにしてどさりと転んだ。
「あれ?」
これまでに感じていた身体の違和感とはまた別の違和感に、望美は自分の身体を見回した。
借り物のようなブカブカの単。
再び肌蹴た胸元に目を疑った。
「…… え…?」
慌てて掻き合わせた襟をそっと開いて確認すると、やはり見慣れた胸の隆起はなくて──。
「ええええええぇぇぇぇぇぇっ !!」
望美の絶叫が京邸にこだまする。
すぐにバタバタと足音が聞こえ、望美の部屋の戸がシャッと開いた。
「どうしたんですかっ! 先輩っ!」
「何かあったの、望美っ !?」
慌てて駆けつけた譲と朔の目の前には、10歳ほどの少女の姿になった望美が夜具の上にちょこんと座っていた。
【プチあとがき】
あらあらあら、これから一体どうなっちゃうんでしょうか。
いや、どうするつもりなんだ、あたしは。
【2006/12/04 up】