■Little Girl 【1】 将臣

「── かのものを、封ぜよ !!」
 望美の紡いだ封印の言葉に、力を失った怨霊たちが光の粒となり、龍脈の流れへと帰していく。
 ふぅ、と息を吐き、前に突き出していた両手をゆっくりと下ろし、何気なく空を見上げた。
「え……」
 空に何かが光ったように見えたのだ。
 見間違いだったかと辺りを見回す。
 宇治上神社の境内のあちらこちらに積もった雪が、冬の澄んだ陽光を浴びてキラキラと光っている。
 しかし、見えたのは確かに空だった。
 雪の反射が目に映ったわけではない。
 望美はもう一度空を見上げ、目を凝らす。
 首を少し傾けると── やはり何かがきらりと光った。
 ゆっくりと近づくと、遙か遠くの虚空にあるように見えたそれは意外とすぐそばにあった。
 天から垂れ下がったピアノ線のようにも見えるそれに、望美はゆっくりと右手を伸ばした。

*  *  *  *  *

「…… あれが、白龍の神子の… 封印の力……」
 宙に舞う光の粒を見つめながら、九郎が呟く。
「… そのようですね。しかし、剣の腕の方も大したものですよ」
「女の子なのに、すごいよね〜」
 弁慶と景時も、九郎と同様に感嘆を含んだ声で呟いた。
「正直、ついてくると言った時はどうなるかと思ったが……戦力になりそうだな」
「ええ、特に平家の怨霊相手の戦いでは、源氏にとって最大の武器になるでしょうね」
 ゆっくりと腕を下ろす望美の動きを目で追いながら、源氏の三人の将の呟きは続く。
「あれ? 彼女、何やってるんだろうね? もしかして、白龍の神子の儀式だったり?」
 空に向かって手を伸ばす望美を見て、景時が首をひねった。
 腕が伸びきったところで、望美の身体がビクンと震えたように見えた。
「春日先輩っ! どうかしたんですか !?」
 三人と同じように望美の小さな異変に気づいたのだろう、譲が慌てて望美に駆け寄った。
「え…… あ、ううん、なんでもないよ…… うん、なんでも」
 譲の声に振り返った望美の顔は少し青ざめ、強張っているようだった。
「本当に大丈夫ですか?」
「大丈夫だってば。もう、譲くんは心配性なんだから」
 こちらに歩いてきながらパタパタと手を振る望美の顔には明るい笑顔が浮かんでいた。
 今の緊張した表情は何だったのだろうか── 三人の将は不思議に思った。
 たった今終えたばかりの戦いを思い出して恐怖したのだろうか?
 しかし、余裕のある戦いぶりからは数体の怨霊相手に恐怖するようには思えない。
 現に今見せている笑顔には恐怖感の微塵も見受けられない。
「えっと……惟盛もいなくなっちゃったし、ここでの戦いは終わりですよね?」
 九郎の前まで行くと、望美は小首をかしげてニコリと笑う。
「あ……、ああ、そうだな」
「じゃ、行きましょうか」
 望美に先導されるようにして、一行は京へと向かった。

*  *  *  *  *

 望美は瞑っていた目をゆっくりと開いた。
 暗さに目が慣れると、ようやく周りの調度がおぼろげに見えてきた。
 梶原家が借りている京邸の一室。
 何度か時空を越えた望美にとって、この京邸はすでに自分の家のようにも感じる見慣れた場所だった。
 宇治上神社での出来事をたどるように、半分闇に溶けた天井に向けて手を伸ばす。
 最初は糸のようなものがぶら下がっているのかと思った。
 しかし、それはそこに在った。
 空の絵が描かれたキャンバスを鋭いナイフで切り裂いたような── 虚空に直接刻まれた傷。
 望美はそう感じていた。
 そして、その傷に触れた瞬間の感覚。
 雷に打たれたような痺れ。
 全身に針を刺されたような痛み。
 痺れと痛みを伴う鋭い冷気。
 そして、身体からズルリと何かが引きずり出されるような、嫌な感覚。
 それが、空の傷に触れた瞬間に一気に襲ってきた。
「あれは……なんだったんだろう…?」
 望美はあの出来事以来、自分の身体に違和感を覚えていた。
 京に入ってから、何度か怨霊退治に出かけている。
 外の空気はすっかり春めいていた。
 何度か時空を行き来したおかげで、並の怨霊数体なら、自分ひとりで相手しても負ける気はしない。
 が、日を追うごとに、何かがずれていく感じがしている。
 戦いの中での一瞬の判断が鈍っているわけではない。
 その判断に身体がきちんと反応してくれないような気がするのだ。
 ヒヤリとしたことも一度ではない。
「疲れてる……のかな…?」
 言葉とは裏腹に、言い知れぬ不安が頭を掠める。
 望美は伸ばしていた手をぱたりと身体の上に落とすと、襲ってきた睡魔になすすべなく身を委ねた。

*  *  *  *  *

 将臣は京の外れにある宿の濡れ縁で、ひとり盃を傾けていた。
 宿から見える山肌に、月明かりに照らされた桜の花がぽぅっと白く浮かび上がっている。
 この異世界に来てから四度目の桜の季節だ。
 廂に沿って灯された炎が、ぼんやりと庭を浮かび上がらせて、風に揺らめく炎に庭もまた揺らめいた。
 考えるのは次に起こるであろう戦のことだった。
 正確には、その戦を起こさずに、一人でも多くの者の命を救うにはどうすればいいか、ということだ。
 福原から一人京に出て来たのも、源氏との和議を画策しているからだった。
 それが、異世界で自分を拾ってくれた家に対する恩返しだと思っていた。
 なぜなら、将臣はこの一族がこれから辿る運命を知っているから。
 細かい相違はあるにせよ、自分がこの世界に来てからの三年は、歴史の授業で習ったとおりに進んでいる。
 それならば、おそらく結末も知っている歴史の通りに迎えることになるのだろう。
 それだけは避けたかった。
 今、将臣は『平 重盛』としてここにいる。
 黄泉から還った『還内府』として。
 敵方では自分のことを怨霊だと思ってるんだろうな、と思うと苦笑がこみ上げてくる。
 俺は俺だし、ちゃんと生きてるし──。
 怨霊なんて、元いた世界では完全にフィクションだ。
 しかし、この世界には実際に存在している。
 どういう仕組みかは知らないが、瞬間移動をしたりする。
 初めの頃は突然隣に出現されてビクついたりもしていたが、今ではすっかり慣れてしまった。
 今や平家の主だった将の半数ほどは怨霊なのだから。
 それに、怨霊化した将が姿を現す時には、決まってひんやりと冷たい空気が流れる。
 その空気の動きで、だいたいどの辺りに姿を現すかが分かるようになってきていた。
 そんな能力があったら便利だろう、とは思うものの、自分が怨霊に身をやつすことは真っ平だった。
(そういえば……)
 冬に宇治上神社から戻ってきた惟盛が言っていたことを思い出す。
『神子と呼ばれる娘が怨霊を封印した』と。
 これまでは、怨霊は陰陽師が調伏してきた。
 調伏された怨霊は棟梁である清盛が難なく復活させている。
 堂々巡りで戦いは続いていた。
 しかし、『神子』に封印された怨霊は復活させることができないらしい。
 先走った者たちが京に放った怨霊も、ことごとく『神子』に封じられているという。
 元々将臣は戦いに怨霊を投入することに反対だったから、突如現れた『神子』という存在は光明のような気がしていた。
 後は清盛に新たな怨霊を生み出すことをやめさせることができれば、無駄な戦いを避けられるかもしれない。
 そうすれば、一族が生き残る道が開ける可能性が高くなるはずだ。
 冬以降、怨霊を封印し、剣の腕も立つという『神子』の話を耳にする度に、将臣は心がざわめくのを感じていた。
「源氏の……『神子』……か……」
 将臣は、はぁ、と深い溜息を吐くと、空になった盃に酒を満たした。
 盃の中の小さな水面に映る月を見ていると、将臣の頭にこの世界に飛ばされた時にはぐれた二人の顔が過ぎった。
「あいつら……今頃何してるんだろうな…」
 順調に行けば二人とも大学生か。
 何かサークルとか入ってんのかな。
 高校の時も帰宅部だったんだから、入ってねぇんだろうな。
 案外合コン三昧とか?
 将臣は想像を膨らませてクククッと笑う。
 浮かんだ笑みは、溜息と共に消えた。
 二人とも、そんな何気ない生活を送っていればいい。
 こんな物騒な世界に飛ばされたのは自分ひとりで十分だ。
 将臣は空に浮かぶ満月を見上げる。
 この世界に来てから一日だって忘れたことはない。
「── 望美…」
 将臣は盃をあおると、その場に盃を置いて自分の部屋へ戻っていった。

 その夜、将臣は夢を見た。

〜つづく〜

【プチあとがき】
 また始めちゃった続き物。
 過去の作品と似ないようにしなきゃ。
 無理だけど。
 まだまだイントロダクションのようです。

【2006/11/21 up】