■闘う者たち 〜現代編〜 【3】 将臣

「よう、神子殿」
 声をかけられるまで立っている知盛に気付かなかったのか、思わず足を止めた望美はビクリと身体を震わせた。
「── なんだ、知盛か…… びっくりした。これからお散歩?」
 寒さのせいか赤くなった顔をほんわりとほころばせる望美。知盛の眉がピクリと動く。
 いつもと違い、望美がおとなしく見える。というよりなんとなく覇気がない、と知盛は感じた。
 望美と顔を合わせるのは絶叫マシーン対決以来の知盛は、ふとあることを思いついてその口元に意地悪そうな笑みを浮かべた。
「なんだ、とはご挨拶だな…… クッ… 気が変わった…… 少し付き合え」
 知盛はレジ袋を持っていない方の望美の腕を掴んで強引に引っ張った。
「ちょ、ちょっと待ってよ知盛!」
「… 待てんな」
「…… わかったよ、散歩くらいなら付き合うってば。これ、お母さんに渡してくるから離してくれない?」
 望美が持ち上げたレジ袋が揺れてガサリと音がした。どうやらおつかいの帰りだったらしい。
 知盛はふむ、と唸ると望美の腕を解放した。
「じゃあ、ちょっと待ってて」
 そう言って望美は自宅に入って行くと、すぐに手ぶらで出てきた。
 知盛はすかさず望美の腕を掴み、引っ張って行く。さっき出てきたばかりの有川家の門をくぐり、広い庭へと出た。
「なによっ !? 散歩じゃなかったの !?」
「そのつもりだったが……、気が変わった、と言っただろう…?」
 知盛はにやりと笑うと、掴んでいた望美の腕から手を離し、ふらりとどこかへ姿を消した。
 望美は有川家の庭にぽつんと取り残された。
「………… ちょっとぉ、何なのよぉ……」
 ただボーッと立っているのも面倒臭くなってきて、庭に面した濡れ縁にでも座ろうと歩き始めた時。
 後ろから「おい」と呼ばれ、望美は思わず振り返った。
 視界の中に入ったのは、顔に向かって飛んでくる細長い物体── 望美は避けながらも咄嗟に手を出すと、パシンと音を立てて手の中に収まった。
「え…… 木刀…?」
 手の中の木刀から声の聞こえた方へと視線を移すと、知盛も一振りの木刀を手に携えていた。
「こんなもの、どこから持って来たのよ」
 知盛は返事の代わりに口の端を少し上げると、望美の喉元に木刀の先端を向けた。
「さあ… やろうぜ…」
 刃はついていないとはいえ、武器を喉元に当てられていい気分ではない。望美はコクリと唾を飲み込んだ。
 おもむろに聞こえたヒュンと風を切る音の直後、カンッと硬く乾いた木の音が辺りに響く。
 反射的に受け止めた鋭く重い一撃に、望美の手が痺れた。
「いきなり何するのよ…っ!」
 不自然な形で知盛の振り下ろした木刀を受けた望美を、知盛はお構いなしにぐいぐいと押してきた。交差した木刀を挟んで、二人は睨み合う。
「クッ…… あれで勝負が終わったなどと… 思ってないだろう…?」
「あれ、って…… もしかして、ジェットコースターのこと、やっぱり根に持ってる !?」
 知盛は苦々しげに、ふん、と鼻で笑った。
「…… 最初からこうすればよかったな……。木刀では肌を刻むことはできんが… 仕方あるまい」
 望美は、木刀の向こうに見える知盛の目が炎のように赤く輝いたような気がした。
 木刀を握る手に力を込め、受けている知盛の木刀を全身の力を込めてぐいっと押し戻した。望美はその反動で後ろへ飛び退り、間合いを取る。
 知盛が剣を合わせることを望んでいるとわかっていながら絶叫マシーン対決などという反則的な勝負を仕掛け、 そのせいで知盛に生まれ育った時空を離れさせてしまったことに、望美には少なからず罪の意識があった。
 やはり一度は本気で相対せねばならないのだろうか。
 木刀だって当たれば痛いし、骨くらいは軽く砕けるかもしれない。どうやら本気らしい知盛相手にいい加減な気持ちで向かえば 痛い目を見るのは自分だ、と悟った望美は、知盛との間合いを測りながら、木刀を握り直した。

 どれくらいそうしていたのか──。
 冬の夕暮れの訪れは早く、辺りはすでに薄暗くなっていた。
 久しぶりに剣を振るったからなのか、身体は重く、思うように動かない。
 知盛が振り下ろす木刀を受け止めるか受け流すことしかできなかった。攻め込もうと思っても手は痺れ、足にも力が入らない。 短距離を思い切り走った後のように息が上がり、肩は大きく上下していた。意識も朦朧とし始めた。
「知盛…っ、もういいでしょっ !?」
 知盛は返事もせずに木刀を望美目がけて振り下ろす。
 まともに受け止めるには、手の力が限界だった。受け流しておいて間合いを取ろう、と望美は身構えた。
 その時、知盛は木刀の動きを変え、構えた望美の木刀を下からすくい上げた。
「あ……っ!」
 すでに力の抜けた望美の手からすっぽ抜けた木刀は、くるくると回転しながら宙に弧を描き、乾いた音をたてて地面に転がった。
 それを目で追っていた望美が、気の抜けた溜息を漏らした。
「参りました、降参です。ね、おしまいにしよう? もう私、体力の限界── うわっ」
 木刀の着地点から知盛へと視線を移した望美は思わず怯んだ。
 知盛が怒りの混ざった不満の表情で睨んでいたのだ。
「…… ど、どうかした…?」
「… お前の剣の腕は、この程度のものではないだろう? それとも…、俺ごときに本気でかかるまでもない…、と?」
 知盛の低く冷たく響く声が、望美の背筋を凍らせる。
「そ、そんなことないってば! 知盛の方が私のこと買いかぶりすぎなんだよ── とにかく、今日はもうおしまい。暗くなってきたし。 木刀、どこから持ってきたの? 私、片付けておくよ」
 ここはさっさと退散しようと、知盛の顔を見ないようにして早口で一気にまくし立てる望美。
 弾き飛ばされた木刀を拾い上げようと身体をかがめた時、足元がグラリと揺れたような気がした。
(── あれ…?)
 照明が消えたかのように一瞬目の前が暗くなったかと思うと、地中に引きずり込まれるような感覚の後、ぼふっと音がして顔に軽い衝撃を感じた。
(── あれれ?)
 息苦しさから逃れようとぐいっと首を伸ばして顔を上げると、うっすらと笑みを浮かべた知盛の目にぶつかった。
 望美は、知盛の腕の中にいた。現在置かれた自分の状況に昨夜の将臣との出来事がオーバーラップして、望美の心臓が一際高く跳ねた。
「えっ、なっ、なにっ !?」
「クッ… 優しく抱きとめろと言ったのは…、神子殿だったと思うが…?」
 確かに言った。熊野の山道で。
 勝手に先へ進もうとした知盛を追ったらなぜか束縛の術をかけられ、その最中に怨霊が現れた。
 不意に術を解かれ、倒れそうになったところを知盛が襟を掴んで助けてくれたのはいいのだが、 その猫の子をつまみ上げるような助け方にカチンと来た望美が腹立ち紛れに確かにそう口走ったのだ。
「そそそそんな昔のこと、覚えてないよっ」
 余裕たっぷりに口の端を上げる知盛に、不覚にも望美の声は上ずった。
「昔…… ね」
「な、何よっ」
 知盛は意味深な笑みを浮かべる。
「とにかくっ! 助けてくれてありがとう、もう大丈夫だから」
 望美が知盛から離れようと両手で知盛の胸を押し戻すと、逆に望美の身体を支えていた知盛の腕に力が込められた。
 かぁっと顔が熱くなり、鼓動が早くなる。
(── な、なんで私、知盛に抱きしめられてるのっ !?)
 望美はパニック状態になりながらも、知盛の腕から逃れるために胸を押す手に力を込める。
 しかし、抵抗虚しく解放されることはなかった。
「ちょっと知盛っ! 抱きとめて、とは言ったけど、抱きしめて、なんて言ってな───」
「身体が…… 熱い…」
 吐息交じりの知盛の声が望美の耳をくすぐり、背中がゾクリとして全身が粟立った。
「ちょっ、なっ、なに勝手に興奮してるのよっ !?」
「…… 俺じゃない」
「え?」
 身体を締め付ける知盛の腕が不意に緩んだかと思うと、目の前にかざされた知盛の手──。
「… 風邪でも召されたか?」
「え…… か、風邪…?」
 額に当てられた知盛の手が、ひんやりと冷たくて気持ちよかった。
(── え…、私、風邪引いてるの…? じゃあ、今日一日顔が熱かったのも、ドキドキしてたのも、 身体が思うように動かないのも、風邪のせい…!?)
 そう自覚した瞬間、望美の身体から力が抜け、視界は闇に閉ざされた。

*  *  *  *  *

 額の上にズシリと乗っていた重みがふっと掻き消えた。
 ぴちゃぴちゃと跳ねる小さな水音の後、重みを伴って冷たさが額を包む。
 ゆっくり目を開けて、目だけで周りを見回す。
 薄暗い上に視界がぼやけてはっきりとは見えないが、ここが見慣れた自分の部屋であることはすぐにわかった。
 窓の方へ目を向けると、カーテンが開かれたままの窓に、外の薄明かりに照らされて浮かび上がった人影があった。
「…… 誰…?」
 身体を起こそうと身じろぎしたが、上から押さえつけられているかのように重くて動けなかった。
「目が… 覚めたのか…?」
「… 知盛…? あ… そうか…、知盛と戦ってて……、私、倒れちゃったんだ……」
 望美の勉強机の椅子のキャスターが転がる音がした。知盛が椅子をベッド際に引き寄せて座ったのだろう、椅子がすぐ近くでギッと小さく軋んだ。
「クッ…… 俺のせい、か。体調が悪いことに気付かず戦わせて、申し訳なかった──」
「え…?」
 知盛らしくない物言いに、望美は思わず首を捻って薄闇の中の知盛の顔を見上げた。望美の頭の動きに合わせて、 額の上に乗せられていたタオルが枕の上に滑り落ちる。
 急に動いたせいなのか、目眩がして視界がグラリと揺れる。その歪んだ視界の中で知盛が楽しそうに笑っているように見えた。
「── とでも言って欲しいのか…?」
「そ、そんなこと…っ! …… 言ってないでしょ。…… もう、珍しく知盛が素直だと思って感心してたのに」
 椅子がギシッと軋み、知盛が椅子から立ち上がる。
「あっ、ご、ごめんっ、怒らせるつもりじゃなかったの!」
 失言を後悔しつつ、望美は慌てて謝った。おもむろに手を伸ばしてきた知盛に、もしかすると首でも絞められるのかと 身体を硬くして鼻まで布団に潜った。
 しかしその手は望美の喉ではなく、額にそっと乗せられた。
 知盛は望美の顔を覗き込むと、ふっと笑みを浮かべた。
「俺は……、いつも自分に素直に行動しているぜ…?」
 そう言うと知盛は枕の上に落ちたタオルを拾い上げ、机の方へと向かった。
「あ、あのっ………、あの後、ここまで運んでくれたんでしょ? ごめんね、迷惑かけちゃって」
 知盛は無言で机の上に置かれた洗面器の中の氷水にタオルを浸す。絞って広げながらベッド脇に戻ってきて、望美の額に乗せた。
「あ… ありがと……。やっぱり知盛って結構優しいよね。前に腕の包帯巻き直してくれたこともあったし、今日だって看病してくれてるし」
 知盛は再び椅子に腰を下ろし、ゆったりと足を組む。
「クッ…、前にも言っただろう? 俺は優しくなどない、と。それに…… 昔のことは忘れたとの仰せだったはずだが?」
「うっ… それは…… そ、そのことは覚えてたのよっ」
 バツが悪そうに言葉に詰まる望美を見て、知盛が珍しく声を上げて笑った。
「なに笑ってるのよっ! あーもう、疲れちゃった」
「ああ…、少し眠るといい…」
「うん、そうする」
 望美が目を閉じると、熱で体力を奪われた身体がすぐに望美を眠りの中に引きずり込んだ。
 その寝顔を知盛が信じられないほど穏やかな表情で見つめていることも知らず──。

*  *  *  *  *

 ついさっきまで会話をしていたというのに、すでに望美は静かな寝息を立てていた。
 ふと、しんとした室内にブンと耳をくすぐるような振動音が響く。
 見回すと、机の上に置かれた携帯電話がイルミネーションを輝かせながら小さく震えていた。
 この物体が何であるか、知盛は知っていた。
 知盛自身は持っていないが、将臣たちが使っているのを何度も見ていたし、使い方も聞いたことがある。
 普段なら賑やかな音のする携帯が音を立てずに震えているは『マナーモード』になっているからだということも理解していた。
 恐らく風邪で思考能力の落ちた望美が解除するのを忘れたのだろうが、今はせっかく眠りに就いた望美が目を覚まさずにすんでよかった、 と知盛は思った。
 知盛は振動を止めようと音を立てないように椅子からそっと立ち上がると、机の上の携帯を手に取った。
 ディスプレイに表示された着信相手の名前に、知盛はニヤリと笑う。
 知盛は折りたたまれた携帯を開くと、ためらうことなく通話ボタンを押した。

〜つづく〜

【プチあとがき】
 「優しく抱きとめる」のは、闘う者たち第3話より。
 その他、いろいろと闘う者たちネタが転がってます。
 迷宮クリスマスイベネタもあったりして。他キャラのだけど。
 ていうか、ありきたりな展開ばっかりで申し訳ない。
 なんか先が見えないまま迷走してしまいそうな気が…(汗)

【2006/05/12 up】