■闘う者たち 〜現代編〜 【1】 将臣

「いってきまーす」
「車に気をつけるのよ〜」
「わかってるってばー」
 望美はいつもと同じ会話を母と交わしながら玄関を出ると、通学カバンを抱きしめながら、爽やかな朝の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
「んーっ、今日も元気だ空気がウマイっ!」
 目の前の道路を1台の車が通り過ぎた。排気ガスの臭いにむせそうになる。
 つい先日までいた異世界の方が圧倒的に空気は澄んでいる。けれど、この生まれ育った世界に戻ってきてからは車の排気ガスすら懐かしく思えた。
「── あ、おはよう!」
 ふと目をやった先で小脇にカバンを抱え、隣家の塀に寄りかかっている人物── 有川将臣に声をかけた。
 将臣は笑いながら片手をひらりと振って返事をすると、壁から背を離した。
「最近いつも早いね。ちゃんと起きられてるんだ」
「ん? … まあな。しっかし、お前もお袋さんも、朝からホント元気だなー」
 駅までの道を並んで歩きながら、将臣はケラケラと笑った。
「まぁ、それだけが取り柄ですから。けど、毎朝あの調子なんだよ。もう子供じゃないっつーの!」
 望美は、子供じゃない、と言いながらも子供が駄々をこねるように片足をバンッと踏み鳴らした。
「はは……、─── 子供じゃねぇから困ってんだけどな」
「え、どうして将臣くんが困るの?」
 将臣は、思わず呟いてしまっていた言葉を望美に聞き返されてギクリとした。だが、その焦りを顔には出さないように冷静さを装った。
「いや、別に」
「? ヘンな将臣くん…… そうだ、知盛、どうしてる?」
 望美の一言に、将臣の眉間に皺が刻まれる。
「どうって…… 家でゴロゴロしてるさ。うちの親とは妙にウマが合ったらしくて、親父とは毎晩一緒に酒飲んでるぜ」
 将臣の口調に微妙に不機嫌さが現れていることに、望美は気付かなかった。
「へぇ… 結構こっちの世界を楽しんでるのかな……。こないだの遊園地の時は機嫌悪かったじゃない?  やっぱりいきなりジェットコースターは刺激強すぎたのかな? 全然悲鳴なんて上げてくれないから、勝負は引き分けだったけど。 あ、でもでも、コースターから降りた時、膝がカクンってなってたよね。顔、真っ青だったし、ちょっと悪いことしちゃったかなぁ」
 楽しそうにクスクス笑いながら興奮気味にまくしたてる望美に、将臣は前を見据えたまま答えなかった。
 望美がしゃべればしゃべるほど、将臣は身体中がザワザワするような感じが増していく気がしていた。
 このザワザワが何なのかを、将臣は知っている。
 前に知盛に対する望美の想いを疑い、夢の中で望美が知盛の話を始めたときと同じものだった。
(── 俺もつまんねぇ男だな……)
 将臣は心の中でひとりごちて、苦笑した。
 あの時は誤解だとわかったが、やはり望美が知盛の名前を出すと苛立つことに変わりはない。
 今ではこのザワザワが『嫉妬』という名を持つ感情であることを、将臣ははっきりと自覚していた。
「── けど、知盛ってなんでこっちの世界に来る気になったんだろうね」
 将臣の中で何かがプチンと音を立てて切れた。
 知盛が望美に対して執着心を持っていることは火を見るよりも明らかだった。
 それに気付かずそんな疑問を感じている望美はあまりに鈍すぎる、と将臣は思った。
「── お前、本気で言ってんのか?」
「え…?」
 将臣の地を這うように低く冷たい声に、望美の足が止まる。
 それに合わせるように、将臣も数歩先で立ち止まった。
「── 俺は知盛じゃねぇ。気になるんなら、本人に直接聞けよ」
 さっきよりは幾分柔らかいものの、背を向けたままの将臣の言葉の冷たさは変わらなかった。
 いつもと様子の違う将臣に言い知れぬ不安を感じ、望美の心臓はドキドキと激しく鼓動を始めた。
「将臣… くん…?」
「…… 悪ぃ」
 将臣は大きく肩で息を吐くと、くるりと振り向いた。その顔に、さっきの声の冷たさはもう見られなかった。
「望美、ウマイのは空気だけでいいのか?」
「はい? …… あ、さっきの…?」
「今日俺バイトなんだ。なんかおごるぜ?」
 将臣がバイトしているのはこぢんまりした佇まいの店で、昼はカフェキッチンとしてランチが女性客に人気があり、 夜はカフェバーとしてマスター自慢のカクテルが仕事帰りのサラリーマンやOLに受けているらしい。
 以前一度だけ連れていってもらったことがあるが、雰囲気のいい店だったことは望美も覚えている。 家ではカップラーメンくらいしか作ったことのない将臣のエプロン姿に大爆笑したものだ。 とはいえ、異世界に赴く前のことで、ずいぶんと記憶は薄れてしまっていた。
 最初は元々そこでバイトしていた友人のピンチヒッターで行ったところ、将臣の客あしらいのうまさにマスターが惚れこんだとかで、 それ以来そこで働いていると聞いたことがある。
「でも… いいの? ダイビング資金貯めてるんでしょ?」
「お前ひとりにおごったくらいでどうにかなるわけじゃないさ。おごるって言ってんだから、素直におごられとけ」
 ニッと笑う将臣の顔に、望美の不安も薄らいでいった。そうなると、誘ってもらったことが嬉しく思えてくる。
「うん…… じゃあ、お言葉に甘えて。─── あっ!」
「なんだよ、なんか用事でもあるのか?」
「そうじゃなくて! 時間っ!」
 望美が腕時計を将臣の目の前にかざした。
「あっ、やっべぇ!」
 迫る電車の発車時刻に、二人は大慌てで駅へ向かって駆け出した。

*  *  *  *  *

「すっかり遅くなっちまったな」
「そうだね」
 とっぷりと日も暮れた住宅街の道を、将臣と望美は家を目指して足早に歩いていた。
「悪かったな、残業に付き合わせた上に店まで手伝わせちまって。家、大丈夫か?」
 将臣はすまなそうに頭を掻く。
 この日、店には客がひっきりなしに訪れ、てんてこ舞いの状態だった。見るに見かねて望美も料理を運んだり、皿を洗ったりしたのだった。 将臣のバイト終了時刻になっても客は途切れず、結局バイトは1時間延長。今はすでに10時を回っていた。
「うん、将臣くんのバイト手伝うって電話かけといたから。将臣くん、うちの親の信頼厚いから大丈夫」
 クスクスと笑いながら、将臣の腕をパシンとはたく望美。
「ふふっ、結構楽しかったしね。それに、いつもと違う『働く将臣くん』を見られたのも、なんか新鮮だったし」
「そっか? …… なんかそれって俺がいつもグータラしてるみたいに聞こえるぜ?」
「あっれ〜? 違ったっけ〜?」
 望美は後ろ手にカバンを持って、茶化すように将臣の顔を下から覗き込む。
 将臣は一瞬合った視線を少しずらすと、困ったように再び頭を掻き毟った。
「…… 否定はできないか…。ま、俺だってやるときゃやるんだよ」
 少しふくれっ面の将臣の顔を見て、望美は可笑しそうに笑った。
「そういうことにしておきますか。── けど、私までバイト代もらっちゃってよかったのかな?」
「いいんじゃね? マスターも『可愛いお嬢さんがいると店が華やぐ』とか言って喜んでたしな。繁盛したのもお前のお陰かも、とか言ってたぜ。 ははっ、お前、招き猫みたいだな」
「何よそれっ! 失礼ねっ! でも今月お小遣いピンチだったから助かっちゃった♪」
 えへへ、と嬉しそうに笑う望美を見て、将臣は目を細めた。
 戦に明け暮れた異世界での日々が、夢の中の出来事だったような気がしてきた。
 そうではない。
 大切なものに気付かせてくれたのも、大切なものがそばにある幸せを感じることができるのも、あの日々があったからこそなのだ。

 不意に腕に何かが触れるのを感じて、将臣は視線を落とした。
 視線の先には将臣の制服の袖をくしゃりと握り締める望美の白い手があった。
「…… 夢じゃない…よね…?」
 俯いて呟いた望美の声は少し震えていた。
「… 望美」
「私ね…… 夜眠るのが怖いんだ…… 本当はまだ異世界にいて…… 目が覚めたら朔や源氏のみんながいて、また怨霊と戦って…… 本当はこうやって将臣くんと一緒にいるのが夢の中のことなんじゃないかって…… 夢なら覚めなければいいのにって……」
 望美がグスッと鼻をすする。顔を上げた望美の眼からは、やはり涙が零れていた。
「もう… 離れ離れにならないよね…?」
「!」
 将臣の脳裏に敵同士として剣を合わせる自分と望美の姿が一瞬過ぎった。将臣が一度だけ龍神の力を借りて時空を遡った時、 真っ暗な空間で垣間見た望美の記憶とおぼしきヴィジョンだった。
 将臣自身にその記憶はなかったが、『平家の還内府』と『源氏の神子』として異世界で離れて過ごしてきたことに変わりはない。
 次の瞬間、将臣は望美を抱きしめていた。
 腕の中にすっぽりと収まる細い身体。
 異世界に飛ばされるまではごく普通の女の子だった望美が、こんな華奢な身体で剣を手に取り、怨霊を封印し、 身体にも心にも多くの傷を負いながらも幾度も時空を越え、更に傷つき、その上あの世界を平和に導いたのだ。
 些細なことで感情を剥き出しにして、あまつさえそれを望美にぶつけてしまっていたことに、将臣は自分が情けなくなった。 あまりにバカバカしくて、我知らず自嘲の笑みが零れていた。
「ま、将臣くんっ、く、苦しいっ」
「── あ、悪ぃ」
 望美のくぐもった声に気付いて、将臣は抱きしめる腕を少し緩めた。思った以上に力が入っていたようだった。
 顔全体を胸で塞いでしまっていたのか、望美はぷはっと息を吐くと、少し赤くなった顔で上目遣いに将臣を睨んだ。
「もう! 鼻がつぶれるかと思ったじゃない!」
 将臣は望美の恨み言には答えず、優しい眼差しで望美を見つめた。
「心配すんな。『あっち』はちゃんと平和になってるさ。お前が平和にしたんだ。今、俺たちがここにいるのも現実」
 そう言うと将臣は望美の身体に回していた腕を解き、望美の頬にそっと添えた。
「ま、将臣くんっ !?」
 次に起こるであろうことに気付いてか、上ずった声を出す望美の顔が一瞬にして真っ赤に染まる。
 そして。
「痛たたた、将臣くん、痛いってば!」
 むにっと望美の両頬をつまんで引っ張っている将臣がニッと笑った。
「よかったな、痛いってことは夢じゃねぇってことだろ」
「それなら自分のほっぺで試してよ! もう! 一瞬期待して── じゃなくてっ、あーもう雰囲気台無しっ!」
 真っ赤な顔でわめき散らす望美にぷっと吹き出すと、一転、将臣の顔がすっと真剣なものになった。 つままれて少し赤くなった望美の頬をぐりぐりと撫でていた手を止めると、少し力を込めて引き寄せた。
「──!」
 望美が漏らした驚きの声は、将臣の唇によって吸い取られた。
 重ねられた唇は柔らかくて、何より温かかった。
 『あの時』、背中を支える手を流れ落ちた生温かさではなく、『生きている』温かさだった。
 失わなくてよかった、と心から実感していた。
 ほんのり甘く感じる望美の唇から離れぬまま、頬に当てていた手を望美の背中に回す。
 そして、将臣は込み上げてくる愛しさと一緒に望美の身体を強く抱きしめた。
(── これじゃ『信頼』も何もあったもんじゃねぇな…)
 チラリと脳裏を過ぎった望美の両親に心の中で詫びつつも、将臣は深まっていくキスを止めることができなかった。

〜つづく〜

【プチあとがき】
 『闘う者たち』の続きをお届けいたしますっ!
   ↑ を読んでないと訳わかんない仕様となっておりますので、
 未読の方はそちらからどうぞ。
 テンションだけで書きなぐった、思いつき作品でございます。
 いやぁ、将×望だというのに全く甘くなかったでしょ? 闘う者たち。
 つーことで、最初からゲロ甘にしてみようかなー、
 なんて思っていきなりちゅーさせちゃいましたっ!
 さあいつまで続くか、あたしのテンションっ!(笑)
 将vs知だというのに、知盛の存在薄かったでしょ? 闘う者たち。
 つーことで、いきなり将臣たんを嫉妬に狂わせてみちゃいましたっ!
 さあいつまで続くか、あたしのテンションっ!(もういいってば)
 えー、こほん。
 もうしばらく続くと思われますので、お付き合いのほどよろしくお願いいたしますぅ。

【2006/04/25 up】