■闘う者たち【17】 将臣

 将臣は屋島に戻っていた。
 外の雨音も耳に入らず、眉間に皺を寄せ、考え込んでいる。
 もう同じことを繰り返すわけにはいかなかった。
 早い時期に黒龍の逆鱗を破壊し、一日も早く鎌倉へ行き、望美が荼吉尼天と対峙する時には傍にいてやらねばならない。
 将臣は胸元の赤い組紐をギュッと握り締めた。

 勝浦で望美と別れる前。
「全部終わるまで絶対に目を離すな。でないと──」
 そこまで言って、思わず言葉を飲み込んだ。
 不思議そうな顔をして見る望美に、『でないと、お前は死ぬ』とは言えなかった。
 言葉にすれば、また同じ過ちを犯してしまいそうだったからだ。
「──とにかく、最後まで気を抜くなよ」
 将臣にはそう言うしかなかった。

 前の運命と同じように、別れ際に望美は白龍の逆鱗を差し出したが、将臣は受け取らなかった。
 時空を越え、時が戻ったというのに、この組紐だけはなぜか残っていた。
 不思議に思いながらも、自分への戒めの気持ちがあったのか、将臣はそれを外すことができなかった。
 組紐から手を離すと、将臣は目の前にいる知盛へと目を向けた。
「──清盛が新たに怨霊を作り出す前に、黒龍の逆鱗を壊す」
「クッ……、何をそんなに焦っている…?」
 知盛はニヤリと笑みを浮かべる。
「もう……失うわけにいかねぇんだよ」
 奥歯を噛みしめ、拳を握り締める将臣の様子に、知盛は浮かべていた笑みを消し、真顔になった。
「父上は、数日中に倶利伽羅へ赴くと耳にしたが」
「チッ…怨霊、か。──んな遠くまで行ってられっか」
 知盛の情報に、将臣は吐き捨てるように呟いた。
「知盛、協力してくれ──と、その前にひとつ言っておく。黒龍の逆鱗を壊せば、清盛は消える── お前の父親だし、俺にとっても恩人だ……それでも──」
 将臣の言葉を最後まで聞かず、知盛は鼻で笑った。
「今さら──とうに死んだ人間さ…… あるべき場所へ帰るのだろう?」
「……たぶんな」
 しばらくの沈黙の後、二人は簡単な打ち合わせをして、部屋を出た。

*  *  *  *  *

「ほぅ、そなたがそのようなことを言ってくるとは── やっと我のやり方の素晴らしさを理解しおったか」
 ストレートに『逆鱗を見せてほしい』と申し出た将臣に、清盛はひとしきりの高笑いの後、嬉しそうにそう言った。
 清盛の側に控えていた二位ノ尼や経正は怪訝な顔をして将臣を見つめていた。
「まあ…俺もいろいろ考えてみたが、源氏を潰すのに必要なら、使えるモンは使ったほうがいいだろ?  そう思ったら、どんなもんか興味出てきてな」
 軽い口調での将臣の言葉に、部屋には入らず廂に座っていた知盛が可笑しそうにクッと笑った。
「嫡男であるそなたが我と志をひとつにすれば、源氏など敵ではないわ」
 俄然機嫌をよくした清盛は、懐に仕舞っていた逆鱗を取り出すと、将臣に差し出した。
 受け取った瞬間、将臣の身体をゾワッとした悪寒が駆け抜け、全身が粟立った。
「へぇ……こんなちっちゃいモンでな……」
 陽に透かして見るようにしながら、将臣はゆっくりと後ろを向く。
 その先にいる知盛に視線で小さく合図を送ると、将臣は逆鱗をヒョイっと知盛に向けて投げつけた。
 受け取った知盛はすかさず袖の中に隠し持っていた短刀を床に突き刺した──黒龍の逆鱗ごと。
 突然の二人の行いに、周囲の者はあっけに取られ、固まっていた。
 短刀に貫かれた逆鱗がパシッと小さな音を立てて砕け散った。その途端。
「重盛っ !? そなたら、な、何を !? ゥオオォォォォォッ !!」
 耳をつんざく清盛の悲痛な絶叫とともに、清盛の姿は消えていった。

 清盛の姿が完全に消え去ってから、将臣は二位ノ尼の前に進み出て、深く頭を下げた。
「すみません、尼御前──」
 肩にそっと触れた感触に、将臣は頭を上げる。そこには二位ノ尼の少し寂しそうな、それでいて安堵したような笑顔があった。
「いいのです、いいのですよ、将臣殿……黒龍の逆鱗に囚われた魂がやっと解き放たれたのですから」
 将臣はもう一度深く一礼すると、経正へと視線を移した。
「経正、こっちのことは頼む」
「還内府殿は…?」
「俺と知盛はこれから鎌倉へ向かい、荼吉尼天を倒す」
「荼吉尼天……頼朝殿を加護する異国の神と戦うとおっしゃるのですか !? ならば私も──」
 腰を浮かせた経正を、将臣は手で制した。
「心配すんな。源氏のヤツら──いや、白龍の神子たちが動いてくれてる。その応援に行くだけさ」
「ですが……」
「大丈夫だって、ちゃんと和議って土産を持って帰る。──尼御前たちを頼んだぜ」
「──御意」
 意を決したようにそう答え、頭を下げる経正に満足そうな笑顔を向けると、将臣は部屋を飛び出した。
 続いて知盛もゆったりと立ち上がると、その後を追った。

*  *  *  *  *

 鎌倉入りした将臣たちは、大倉御所を目指し馬を走らせていた。
(頼む、間に合ってくれ…っ!)
 将臣には焦りの表情がありありと浮かんでいる。
 倶利伽羅には行っていないというのに、鎌倉に入るのが前の運命と同じ日になってしまったのだ。
 天候が将臣たちに牙を剥いた。
 朝から降っていた雨がやむことはなく、海は台風の時のように荒れ狂っていた。
 幾日も船が出せず、足止めされ続けていたのだ。
 清盛の怨念がそうさせたような気がして、イラついた。
 まもなく大倉御所の門が見えてくる頃、将臣は馬に鞭を入れ、スピードを上げた。

〜つづく〜

【プチあとがき】
お久しぶりの『闘う者たち』でございます。
あははー、なんじゃこりゃ。
ごめんなさい、中身が薄くて。
まあ、こんなふうに歴史が変わったのよ、ってことで。
経正さんについては、いろんな点でスルー推奨。
恐らく、次が最終話になりそうです。

【2006/04/16 up】