■闘う者たち【16】
「政子様よりのお言葉をお伝え申し上げます。政子様は今朝よりご気分が優れぬご様子。神子様の数々のご武勲のお話など賜わり、
塞いだ気を晴れやかにしていただきたいと申されております」
「わかりました。すぐに伺います」
梶原邸の一室で、政子からの使者の女房が深々と下げていた頭を上げ、にこりと微笑んだ。
「ありがとうございます。それでは、御所にてお待ち申し上げております」
女房は再び一礼すると、さやさやと退出していった。
女房の姿が完全に見えなくなると、望美はふぅと溜息を吐いた。
「すごいな… 弁慶さんの言った通りになったね」
「そうですね。こちらから押しかけては警戒されるから、向こうから呼びつけるように仕向けるなんて」
後ろに控えていた譲が感心の声を漏らす。
「ホント、弁慶さんって、人を言いくるめるのがうまいよね」
「そ…、そうですね」
元々源氏の一員である九郎、弁慶、景時の三人は、ここにはいない。鎌倉にいる限りはなにかしらの仕事があるらしく、すでに大倉御所に行っている。
本人がこの場にいないから、望美も口に出せたのだが。
「それに、景時さんの結界も効果が出てるみたいだし」
少しでも荼吉尼天の力を弱めるために、先発した景時が密かに御所に結界を張ることになっていた。真言を使った結界、ということだが、
詳しいことは望美にはわからない。
一方、今頃は後白河院が頼朝を鶴岡八幡宮に呼び出しているはずだった。
一人になった政子に弁慶がちょっとした助言を与え、たった今、その政子からの呼び出しがあった、という訳だ。
「行こう、大倉御所に」
望美はすっくと立ち上がり、胸元で拳を握り締めた。
対面した政子は、少し青白い顔で、なよやかに脇息にもたれていた。
「─── それで、カエルの怨霊を封印できたんです」
「まあ、お嬢さんは女の身でありながら、勇ましくていらっしゃること」
政子に請われるまま、熊野で滝夜叉を封印した時のことを話していた望美は、心の中でこっそり毒づいた。
(…… 自分は怨霊を喰らっておいて、よく言うよ……)
しかし、顔は笑顔のままである。
「失礼します」
背後の障子の向こうから声が聞こえた。サッと開いたそこには、九郎たち三人が控えていた。
「政子殿、お加減はいかがですか?」
「ええ、とても楽しく聞かせていただきましたわ」
愛想良く問う弁慶に、政子はぐったりと脇息に寄りかかったまま、青ざめた顔に弱々しく笑みを作る。
その時、弁慶が景時に目配せした。
景時は小さく頷くと、懐からいつも使っている陰陽道を発動させる銃を取り出すと、政子に向けて構えた。
「ナウマク・サンマンダ・ボダナン・マカカラヤ・ソワカ!」
「!」
引き金を引くと、ヒュンと音を立てて銃口からまばゆい光が撃ち出された。光は政子の頭上で5つに分かれ、床に着地する。
その瞬間、光は床に五芒の星を描き、淡い光が壁となって立ち昇り、政子の身体を包み込んだ。
「か、景時っ、何をっ !? グ、グアアァァァッ!」
政子の口から発せられた叫びは、すでに政子の声とは別の、背筋が寒くなるような叫び声だった。
景時は銃を構えたまま、大黒天の真言を唱え続けている。
悶え苦しむ政子の首が、力なくカクンと下がったその時。
それまで身体を支配していたモノが抜けて倒れる政子の首筋から、スゥッと何かが姿を現した。
「それはマハーカーラの──っ !? お、おのれぇぇぇっ!」
鬼のような形相、瞳のないその目は紅くギラギラと輝いている。
またがっている白い妖狐がグワッと醜く牙を剥いた。
力を削いでいく真言から逃れようともがく手は骨ばっていて、鋭く長い爪が伸びていた。しかし、その手は光の壁に阻まれて虚空を掴むだけだった。
「これが…… 荼吉尼…… 天……」
光の中で足元から消え始めた荼吉尼天をじっと凝視している望美の後ろで誰かが呟いた。
「これで── 戦いが、終わる……」
望美が呟くと同時に、廊下をバタバタと走ってくる足音が聞こえた。
「望美っ! 無事かっ !?」
声に反応して、望美が振り返る。長い髪がサラリと揺れた。
「… まだ…… 白龍の… 神子… を… 喰らえば………!」
キンッと頭の奥を刺すような耳障りな音が響いた。
「将臣く──ん………?」
開け放たれた引き戸の向こうに将臣の姿を見つけてパッと咲いた望美の笑顔がすぅっと消えた。
何が起きたのかと望美は振り返ろうとしたが、それはできなかった。
すでに胸元まで消えている荼吉尼天の腕が光の壁を突き破り、望美の背中までありえない長さで伸びていた。
刹那、醜い爪が生えているように見える望美の胸に真っ赤な染みが広がっていく。
将臣の心臓がドクンと脈打った。
「望美っ!」
将臣が望美の元に駆け出した時、ニヤリと口の端に笑みを浮かべた荼吉尼天の顔が、望美を貫いていた腕と共に消えていった。
支えを失って崩れ落ちる望美の身体を駆け寄った将臣が抱き止めた。背中に当てた手が、みるみる生温かさに包まれ、ズルリと滑った。
「おい… 望美…」
将臣が揺すっても、望美は目を開かなかった。
望美の背中を支える手には絶え間なく温かいものが伝わっていく。逆に、手の中の望美の身体は刻一刻と熱を失っていった。
目の前の信じられない光景に、その場にいた者たちは、時が止まったかのようにただ呆然と立ち尽くしていた。
「望美! 一緒に元の世界に帰るんだろっ! 最後の最後で何やってんだよっ !!」
将臣が望美の身体を揺すったことで、胸元にあった望美の手が力なく床へ滑り落ちた。
「望美ーーーーーっ !!」
将臣は望美の身体を抱きしめ、吠えた。
心の中で自分を責めながら。
自分が声を掛けたばかりに、望美に隙を作らせることになってしまったのだ。
悔やんでも悔やみきれない。
その時、将臣の首元が淡く光を帯びた。
望美から預かった白龍の逆鱗は、すでに失われている。
しかし、力を失い、砂粒のように崩れ去った逆鱗の欠片は風に煽られ、まだ将臣の首に掛けられたままだった組紐に絡み付いていた。
そして、将臣の慟哭に応え、一旦使い果たした力をさらに振り絞り、ラメのようにわずかな光を放っていた。
将臣は足元がグラリと揺れたような気がした。辺りにブワッと光が溢れ、声が聞こえた。
『…… 将臣── 神子を── 神子を、救って──』
その声は、遠くから聞こえたようでもあり、耳元で響いたようでもあった。
不意に何かをくぐり抜けたような感覚を覚えた。
気がつくと将臣は何もない空間に佇んでいた。
目を凝らしても、広がるのは一点の光もない漆黒の闇。
どんなに歩いても、全く進んでいるように感じない。それでいて、高速で移動しているような風圧を頬に感じた。
「ここは……」
その時、将臣の視界に何かの映像が見えてきた。
映像の中にはいつも望美がいた。
仲間たちと楽しげにはしゃぐ望美。
凛々しい顔つきで怨霊に立ち向かう望美。
凶刃に倒れた仲間に駆け寄り涙する望美
目つきの鋭い二刀流の男と対峙する望美。
そして、紛れもなく将臣自身と剣を交える望美。
スライドショーのように絶え間なく流れ続けるいくつもの映像は、視覚として見えているのではなく、頭の中に直接投影されているようだった。
「これが…… 望美の通ってきた、運命……?」
将臣は、望美がの強い決意を抱くに至った理由を垣間見て、拳を握り締めた。
「今度は…… 俺がお前を守る!」
そして、再び何かをくぐり抜けたような感覚と、急に目の前に溢れた光に、ギュッと瞼を閉じた。
「──は俺のやりたいようにさせていただく」
聞き覚えのある声に、将臣は恐る恐る目を開けた。
── 足元に広がるのは、白い砂浜。
「ただし、全部終わらせたあとでね。─── 声も出せないくらいの恐怖を味わわせてあげるから、覚悟してなさい」
「…… いい眼だ……… クッ… その言葉、忘れるなよ…」
聞いたことのある会話に、将臣は耳を疑った。
(── ここは、勝浦…? このやり取りを、俺は知っている…… 時間が、戻った? これが時空を越えるってことなのか…?)
知盛が向こうにある流木に腰を下ろす。
将臣の隣には、紛れもなく望美がいた。
ふわりと手首を掴まれる感覚──。
「ね、──っ !?」
望美が息を飲んだのが将臣にもわかった。
(── このあと『還内府と源氏の神子が』って続くんだよな…)
将臣はなぜか笑いたくなった。というよりも、自分が滑稽な気がして仕方なかった。
ふと、望美が自分の顔を覗きこむような気配に、将臣は顔を上げた。
「ごめん……、将臣くんが泣くほどショック受けると思わなかったよ…」
「…… は…?」
頬に手を当てると確かに濡れていた。いつの間にか涙が頬を伝っていた。
(歴史が── 変わっている? 変えられる! … こうやって、望美は大切なものを守ってきたんだ……!)
「わわっ!」
将臣は望美をぐいっと引き寄せ、その温もりを確かめるように強く抱きしめた。
「……サンキュー、白龍」
妙な空間に放り出された時に聞こえた声の主に向けて、口の中で小さく呟いた。
「ま、将臣くんっ !?」
「はは…っ、上等じゃねぇか──」
将臣は望美の肩を掴んで抱きしめていた身体を離し、前に望美がやったようにガシッと手を握り合わせると、ニッと笑った。
「この戦、終わらせてやろうぜ── お前と俺…… 『源氏の神子』と『還内府』の最強タッグの手でな!」
「……… まっ、将臣くんっ、ちょ、ちょっと待っ──、え…? えええぇぇぇぇぇっ !?」
望美の上げた素っ頓狂な声が、辺りに響き渡った。
【プチあとがき】
さてと、結局将臣たんが時空越えしちまいました(笑)
相当ご都合主義ですが。
ま、ファンタジーですから、何でもあり(笑)
【2006/03/13 up】