■闘う者たち【15】 将臣

 勝浦で望美たちはは二手に分かれた。
 陰陽師である景時は、昔師事していた安倍家で荼吉尼天に対抗しうる『真言』を探すために、京へと向かった。調査の手伝いのために、 譲も同行している。
 他の者たちは、荼吉尼天に対峙する下準備をするため、鎌倉へ向かった。
 望美たちが鎌倉に到着してから数日が経つ。
 気持ちは焦ってはいるものの、別行動している景時たちが戻ってこないことには動きようがないのが実状だった。
 鎌倉入りしてすぐ、源氏の本拠である大倉御所に熊野の中立の確約が取れたことを報告に行った九郎と弁慶によると、 現在全く動きのない平家の動向を睨みつつ、今後の戦いに備えている、といったところらしい。
 鎌倉の町は平穏そのものだった。

 望美は秋の気配が感じられ始めた梶原邸の中庭で、ひとり佇んでいた。
 その手には白龍から譲り受けた細身の剣が握られている。
 ただじっとしているのももどかしく、集中しようと剣の稽古を始めてみたものの、いざ抜き放った剣を構えてみれば、稽古にも身が入らない。
 わずかに眉間に皺を寄せて剣を構えたその様子は、傍目から見れば瞑想しているようにも見えただろう。
「将臣くん……」
 不安げに小さく呟く名前。
 計画は上手くいっただろうか。頭領に仇なす行為をしたがゆえに危険な目に陥っていないだろうか。
「─── 将臣くんなら、大丈夫だよ、うん」
 自分を納得させるように、声に出して呟いてみる。
 そして、望美の思考はこれから自分が成すべきことへと移る。
 果たして上手く事が運ぶのだろうか。もし失敗すれば、仲間たちもただではすまないことは目に見えている。
 湧き上がる不安に、思わず剣の柄をぎゅっと握り締めた。
 不意に甦る感覚。
 夕暮れに染まる教室で将臣に抱きしめられた、心地よい息苦しさ。
 夢の中の出来事のはずなのに、鮮明に覚えているその温かな感覚が、自分を励ましてくれているような気がした。
「弱気になっちゃダメだ…… 私も── 頑張らなきゃ」
 望美はすぅっと息を吸い込むと、気合いの声と共に剣を振り下ろした。

 望美は剣を鞘に収め、ふぅ、と一息吐くと、集中の切れた耳に人のざわめきが飛び込んできた。
 音のする方へ急いで走っていくと、駆け続けて鼻息の荒くなった二頭の馬が雑色に引かれて行くところだった。
 その向こうで京から戻った二人が、凝りをほぐすようにコキコキと身体を動かしている。
「景時さん! 譲くん! お帰りなさい!」
「あ、先輩。ただいま戻りました」
「いやぁ、望美ちゃんに出迎えてもらえるなんて、感激だな〜。長旅の疲れも吹っ飛んじゃうよ」
 勢いよく駆けてきた望美に、二人は笑顔で答えた。
「ふふっ、お疲れさまでした。── で、どうでした?」
 途中から声をひそめた望美の問いに、二人の表情は明るかった。
「うん、バッチリだよ。あー、けど、こんなとこで話せることじゃないよね。ええと、みんないるのかな?」
「九郎さんと弁慶さんは頼朝さんのところに行ってます」
「そっか… じゃあ、みんなが揃ってからにしようか。話する前に、ちょっと腹ごしらえしたいんだよね〜。 オレも譲くんも、昼も食べずに馬を飛ばしてきたからさ〜」
「あ、じゃあ、何か作ってもらうように、頼んできますね!」
 踵を返して厨の方へと元気よく走っていく望美の後ろ姿に、景時と譲は顔を見合わせてクスッと笑った。

*  *  *  *  *

 梶原邸が主の帰宅で賑やかになった頃、九郎と弁慶は、鶴岡八幡宮を訪れていた。
 大倉御所で意外な人物が鎌倉入りしていることを耳にしたからだ。
「院、この鎌倉に参られたと聞き、ご挨拶に───」
「ああ、堅苦しい挨拶はいらぬよ。ほんの気まぐれに立ち寄っただけでな」
 通された広間で、床に額をこすり付けるほどの礼をする九郎の挨拶を遮って、後白河院は面倒臭そうに手に持った扇を振った。 周りに侍っている女房たちが、扇で口元を覆ってクスクス笑っていた。
「しかし、ほんの気まぐれにしては、この鎌倉は少々遠いような気もしますが」
 含みを持たせた弁慶の言葉に、後白河院は笑みを返した。
「ほほ、鎌倉より芳しき花の香りが漂ってきての。花見に来たのだよ」
「花… ですか?」
 意外な言葉に、九郎はきょとんとした顔で聞き返した。
「うむ。あれは確か、東に咲く花だと思うておったが、熊野にて西の揚羽蝶と戯れておるのを見かけての。 彼の地より鎌倉に移り、今度はどのような花を咲かせるのか… 楽しみなことよ」
 熊野での出来事を望美から聞いていた弁慶は、後白河院の言う意味をすぐに理解した。
 『花』とは望美のことである。『西の揚羽蝶』とはもちろん平家のことを意味する。
 神泉苑で源氏の大将の許婚だと紹介された望美が、還内府である将臣と共に現れたことに興味津々、といったところだろう。
 弁慶は、ふむ、と唸ると、軽く握った拳を口元に当てて考え込んだ。
 しばしの沈黙の後、弁慶は意を決したように顔を上げた。
「では院──、この鎌倉で美しい大輪の花を咲かせるために院のご威光をお借りしたいと申し上げたら、院はどうなさいますか?」
 まっすぐに後白河院を見据える弁慶に、後白河院は真面目な顔で大きく頷いた。
「そのような素晴らしい花を目にすることができるなら、余の力など惜しまぬぞ」
「ありがとうございます。では……」
 弁慶は、後白河院の側に控えている女房たちの方にチラリと視線を送った。それに気付いた後白河院がコホンと咳払いをひとつすると、 女房たちはさらさらと衣擦れの音をさせて部屋を出て行った。
 室内には九郎と弁慶、そして後白河院の3人だけが残された。

*  *  *  *  *

 全員が揃った梶原邸では、最終作戦会議が開かれていた。
「望美ちゃんが言ってた『ソワカ』は、大黒天の真言みたいだね。昔、荼吉尼天は大黒天に調伏されたことがあるらしいんだ。 だから、大黒の真言を政子様に聞かせれば、荼吉尼天は政子様の身体から離れて、力を失うと思うよ。 で、問題はどうやって聞かせるか、なんだけど──」
「それは、手を打っておきましたよ」
 景時の言葉を引き継いで、弁慶がさらりと答えた。
「面白い人が鎌倉に来られていたんです。ついさっき、その方にお願いしてきました」
 弁慶は鶴岡八幡宮での後白河院とのやり取りをかいつまんで話した。
「はぁ〜……、後白河院ってやっぱり、食えない人っていうか、なんていうか……」
「院とて戦乱の世が続くことはお望みではないのでしょう。使えるものは使わない手はありませんからね」
 呆れ顔の景時に、弁慶がクスクスと笑った。
 不意に、望美は耳の奥がキンと鳴ったような気がして、キョロキョロと周りを見回した。車座に座った仲間たちも、耳を軽く押さえたり、 望美と同じように周囲を見回したりしていた。
 次の瞬間、突然吹きつけた風に、皆が息を詰まらせた。
 その風は、外から吹いてきたものではなかった。なぜなら、声が外に漏れないように、廊下に面した障子を閉めていたからだ。
「な…っ !?」
「この風は一体… !?」
 耳鳴りを感じた時と同じように、皆がそれぞれ周りを見回していた。その視線は次第にひとつに集まった。
「白龍………?」
 呆然とした顔つきで、自分の身体をゆっくりと見回す白龍。
「急に… 力が…… 溢れた…」
「力が戻ったの !? おめでとう、白龍! よかったね!」
「今の風は、龍神の強い力を人の身の僕たちが風として感じた、ということなのでしょうね」
 状況を分析して、弁慶がポツリと呟く。それに白龍は頷いてみせた。
「けれど、龍の姿に戻るには… まだ少し足りない……」
 白龍は申し訳なさそうに俯いた。
「そっか…。でも、急に力が戻るなんて……。そうだ! 将臣くんたちが成功したんだよ、きっと!」
「うん、西に偏っていた陰の気が消えて、龍脈が流れ始めた── 龍脈の中に、黒い龍を感じたよ」
「え…」
 望美は不安げに眉を曇らせた。
 それは、逆鱗として存在していた黒龍がその形を失い、龍脈に還ったことに他ならない。
「大丈夫だよ〜、望美ちゃん。黒龍は龍脈の中で復活の時を待ってるんだよ。ね、白龍」
 景時の言葉に、白龍は力強く頷いた。
「黒い龍は私の半身。力が満ちれば、黒い龍と白い龍はひとつになるよ」
「応龍、ですね。荼吉尼天が取り込んだ五行の力を解放すれば、恐らく龍神は復活するでしょう」
 弁慶の推測に白龍が再びコクリと頷いた。
「そうか……。じゃあ、あとは私たちが荼吉尼天を倒すだけですね!」
「そういうことです。── 決行は明後日あたりになりそうですよ」
 急に活気付いた一同は、迫る最終決戦についての計画を練り始めた。

〜つづく〜

【プチあとがき】
す、すまんっ(汗)
更新遅いくせに、中身なくて(泣)
頭がすっきりしたころに書き直すかも。

【2006/03/13 up】