■闘う者たち【14】 将臣

 チチチチチ……ッ
 鳥のさえずりが耳をくすぐる。
 将臣は朝の陽射しに目をしばたたかせ、寝転がったまま背伸びをすると、だるそうに身体を起こした。
 いまだ腕に残る感触。
(望美……)
 夢の中で抱きしめた華奢な身体の感触の余韻に浸るかのように、将臣は自分の腕をじっと見つめた。
「…… 月の姫の夢でも、ご覧になられたか……、兄上…?」
 不意に現れた陽射しを遮る影に、ギクリとしながらもそれを表に出さないようにして、眠そうな目でちらりと一瞥する。
「んあ? … 朝っぱらから何言ってやがる……」
「クッ… 図星か…? その締まりのない顔は、よほど楽しい夢だったと見える…」
 すでに戦装束に身を包んだ知盛が、薄笑いで見下ろしていた。
「うるせぇ。…… だが、珍しいな。お前がこんな朝早くに起きてるなんてな」
 陽の射し具合からして、まだ夜が明けてからそんなに時間は経っていない頃だ。知盛付きの女房は、なかなか起きない知盛に仕度をさせるのに、 さぞかし苦労したことだろう。
「…… 父上が、倶利伽羅へ向かうらしい」
「っ! 怨霊を生み出すつもりか……、清盛… っ!」
 奥歯を噛みしめ、言葉を絞り出すように吐き捨てると、将臣はすっくと立ち上がった。
「知盛! 俺たちも行くぞっ! お前は清盛を捕まえとけ!」
「クッ……」
 大慌てで着替え始める将臣を横目で見ながら、知盛はいつにも増して何かを含んだような笑いを漏らした。
「なんだよ」
 その時、部屋の外にふっと気配が生まれた。
「重盛! 重盛はおらぬかっ! なんだ、まだ仕度をしておらぬのか! 怨霊を生み出す様をお前が見たいと申しておると知盛が言うから、 待っておったのに! 我は先に倶利伽羅に向かっておるぞ。知盛と共に急ぎ参るがよい!」
 少年の甲高い声が辺りに響く。誰あろう、平家の棟梁、平 清盛だった。怨霊として甦った清盛は、年端もいかぬ少年の姿をしていた。 早世した嫡男によく似た面差しの将臣を、今では本当に自分の息子だと思い込み、その名で呼んでいた。
 清盛は夜具の上で呆然と立ちすくんでいる将臣にそう言い放つと、フッと姿を消した。
「な…… !? チッ、言いたいことだけ言って、消えやがった…。…… 知盛、いやに手回しがいいな」
「… 神子殿との手合わせが待っていると思えば……、何でもするさ…。… 俺は厩(うまや)で待つ…」
 知盛はそう言うと、不敵な笑みを残し、姿を消した。
 勝浦での望美の言葉が甦る。
 ──声も出せないくらいの恐怖を味わわせてあげるから、覚悟してなさい──
「… まさか、本気でやり合うつもりか…? … ま、とっとと元の世界に帰っちまえば問題ないか」
 将臣はひとしきり頭を掻くと、思い出したように着替え始めた。

 将臣たちは乗ってきた馬を近くの木に繋ぎ、佇む人影へと向かって歩き出す。それに気付いた人影── 清盛が上機嫌で二人を手招いた。
「おお、遅かったではないか。さあ、近くへ。我らの戦力が生まれいずる瞬間を、とくとその目に焼き付けておくがいい」
 清盛の手にはしっかりと黒龍の逆鱗が握られていた。
「知盛…… どうする?」
「クッ… なるようにしか… ならんさ……」
 小声で訊いた将臣を残し、知盛はスタスタと清盛の方へと近づく。
「お、おいっ!」
 将臣は知盛を追い、清盛のいる方へと駆け寄る。一歩一歩近づくごとに重くなる空気に、息苦しさを感じた。
「父上…、この知盛に黒龍の逆鱗とやらを見せてはいただけませぬか。平家の繁栄を約束する逆鱗を、是非この手に取って拝見しとうございます」
「な…っ !?」
 知盛のストレートすぎる切り出し方に、将臣は息を飲んだ。たとえ息子だとはいえ、そう簡単に清盛が逆鱗をその手から離すとは考えられない。
「くくくっ、そなたも興味があるのか? 人の身であるそなたには、黒龍の逆鱗の放つ陰の気は強すぎるやもしれんが……、まあいい。 我らの力の源だ、その手に取って、よく見ておくがいい」
 この古戦場で大量に怨霊を生み出せると気が大きくなっているのか、将臣の予想に反し、清盛はいとも簡単に逆鱗を知盛に渡した。
 触れた瞬間、知盛は全身が粟立つのを感じた。
「う……っ、この… 纏わりつく陰の気……、吐き気すらする……。確かに、よいものではなさそうだな…」
 凄まじい悪寒に襲われながらも、知盛はニヤリと笑った。
「知盛、もうよいであろう。逆鱗を返せ─── なっ、何をするっ !?」
 慌てた清盛が必死で手を伸ばす。
 知盛は持っていた逆鱗を高く放り上げたのである。
 弧を描いて落ちてくる逆鱗を、将臣は咄嗟に受け止めた。途端に襲ってくる激しい悪寒に、思わず呻く。
 その時。
 将臣の胸元から光が零れた。
 首元の紐を手繰り、白龍の逆鱗を取り出すと、目も眩む光は一気に溢れ出し、辺りを白一色に染め上げた。
「なっ、なんだこれは…っ !?」
 将臣の手の上で、黒龍の逆鱗が軋む。
 ピシ……ッ
 黒龍の逆鱗にみるみるひびが走り、パキン、と軽い音を立てて砕け散った。
「重盛っ! そなた、な、何をしたっ! ゥオオォォォォォッ !!」
 耳を塞ぎたくなるような清盛の悲痛な絶叫が辺りに響き渡る。
 すぐに白い世界に徐々に色が戻り始めた。それと反比例するように、清盛の身体は徐々に透けていき、形を失っていった。

 オォン、と風の唸りのような不気味な響きを残し、清盛の姿がすっかり見えなくなると、場に漂っていた重苦しい空気もいつの間にか霧散していた。
 将臣の手の中の逆鱗の欠片は、風に溶けるように消えていった。
「…… 封印、したのか?」
「いや…、封印は白龍の神子にしかできないらしい……」
 さっきまで清盛が立っていた空間を呆然と見つめ、二人は独り言のように呟く。
 突然、知盛がさも可笑しそうに笑い始めた。
「ククッ……、父上は黄泉の国へ舞い戻られたか……。こうも簡単に事が運びすぎると…、興醒めだな」
「興醒めって……、いやにあっさりしてるんだな、お前は。怨霊とはいえ、父親が目の前で消えたんだぞ?」
「…… 当の昔に死んだ人間さ。何を悲しむ必要がある?」
 苦々しい笑みを浮かべ、そう呟く知盛の視線が、まださっきまで父親が立っていた場所から動かされていないことに、将臣は気付いていた。 将臣にとっても、清盛はこの世界で自分を拾ってくれた恩人だった。結果的にその恩人を消し去ってしまったことに、複雑な思いで深い溜息を漏らした。
「……『プラスマイナスゼロ』か…、なるほどな。逆鱗の陰と陽が干渉を起こして力を失い──、逆鱗の力に頼りきっていた清盛は 自分の身体を維持することができなくなった…… ってところか…? ── じゃあ !?」
 将臣はハッと胸元の白龍の逆鱗を見下ろした。
 ついさっきまできらきらと不思議な輝きを放っていた白龍の逆鱗は、白く濁った土の塊のようになっていた。
 恐る恐る胸元に伸ばした将臣の指が触れた瞬間、砂時計の中の砂粒が落ちるように崩れ落ちていった。
「── こっちも力尽きちまったか……」
 ふいに脳裏に過ぎる望美の笑顔。
 ── 後でちゃんと返してね───
「… 悪いな、返せなくなっちまった」
 将臣は苦笑混じりに呟くと、首に残った細い組紐に親指を掛けて引っ張った。
 その瞬間、将臣の身体をスゥッと冷たい感覚が走った。
 予感めいた感覚は抑えられない不安へと変わっていく。
「行くぞ知盛っ!」
 将臣は突然駆け出すと、木に結びつけた手綱を引きちぎるように解き、馬に飛び乗った。
「何をそんなに慌てている…? 何処に向かうと───」
 将臣の乗った馬が高らかに嘶いた。将臣に腹を蹴られ、瞬時に走り出す。
「決まってるだろっ! 行き先は─── 鎌倉だっ!」

〜つづく〜

【プチあとがき】
え、逆鱗の扱い方が間違ってるって?
まあ、そこはオリジナル設定ということで(笑)
とはいえ、すでにどなたかが使っている可能性は高いですが…。
さて、前々回に将臣の手に逆鱗が渡った時点で、将臣が逆鱗で時空跳躍すると思っていた方、残念でした。
壊しちゃいました(笑)
さあ、これからどうなるっ !? いや、どうするつもりだ、あたしっ !?

【2006/03/02 up】