■闘う者たち【13】 将臣

 満ちた月の光の中での知盛の言葉は、確実に将臣の気持ちを乱した。
 話しているうちに、それまで特に気にも留めずに流していたことが、だんだんと気になってきていた。
 昼間の望美と知盛の、すべてをわかりあったような会話も気に入らなかった。
 望美が知盛に『源氏の神子』であることを明かした真意を理解できないことが、将臣を更に苛立たせた。
 夜具に身を横たえ、天井を睨み据えれば、ささくれ立った心はますます尖っていく。
 冴えた目を無理矢理瞑れば、心の中の靄はますます膨れ上がっていった。
(こんなこと考えてる場合じゃねぇっつーのに)
 将臣はギリと音がするほど、奥歯を噛みしめた。

 気がつくと、将臣は夕暮れの教室にいた。
 ずらりと並んだ机と椅子、チョークの跡がうっすら残った黒板── 懐かしい風景はいつも茜色に染められていた。
「なんだ…… 俺、寝ちまったのか…… さすがに疲れには勝てねぇか」
 これが夢の中であることは、将臣もわかっている。
 ここで約束したことは実現するし、触れた感触も目覚めた後まで残っている、不思議な夢だ。
 それは決まって満月の夜に訪れる。
「こんな時にあいつに会いたくはないんだがな…」
 たぶん、今のまま望美に会ったなら、醜い気持ちをストレートにぶつけてしまいそうだった。
 将臣は深い溜息を吐いて、夕暮れの教室を見回す。
「………… 嘘だろ」
 目を疑う光景に、将臣の目が丸くなった。
 後ろの方の席に望美が座っていた─── 机に思いっきり突っ伏して。
 苛立った気持ちがすっと霧散し、将臣の表情が緩んだ。
 席に近づき、望美の顔を覗きこんでみると、気持ち良さそうに寝息を立てていた。
 見慣れていたはずの望美の顔に、思わず見惚れていたことに気付いて、将臣は小さく頭を振った。
 閉じられた瞼を長いまつ毛が縁取っている。
 うっすらと微笑んだ顔は、どんな楽しい夢を見ているのかと思わず想像してしまう。
 夢の中でも夢を見るのだろうか、と疑問に思って、将臣は苦笑した。
 無意識のうちに伸ばした将臣の指先が望美の柔らかい頬に触れると、望美はゆっくりと目を開けた。
「悪い、起こしちまったか」
「あ、将臣くん、遅かったね。待ちくたびれちゃったよ」
 まだ眠そうな望美の顔に笑みが広がる。
「ああ…… 月、見てた」
「月? 私も寝る前に見たよ。とっても綺麗な満月だったよね」
「ん、あ… ああ……」
 将臣は思わず言葉を濁した。そういう風に言われてしまうと、『満月を見ながら望美のことを考えていた』など言えるはずもない。
「ん? どうかした?」
「いや、なんでもねぇ。… にしても、夢の中で眠っちまうとは……… お前も器用なヤツだな」
「あ、あはは…、だって眠かったんだもん。不思議だよね、どうして夢の中でも眠いんだろうね」
 考えてもわかるはずのないことを本気で悩み始めた望美に、将臣は苦笑した。
「さあな…… ところで、どうだ? そっちの状況は」
 望美はしっかり目を覚まそうと、自分で自分の頬をパシパシと叩いた。
「うん、今は鎌倉にいるんだけど…… 着々と準備中、ってところかな。将臣くんのほうはどう?」
「なかなかチャンスが巡って来なくてな、待機中だ」
 望美は椅子から立ち上がり、うーん、と背伸びをする。
「そっか……… うまくいくといいな……」
 望美の表情がわずかに曇る。
「なんだ、弱気だな。どうせこの先何が起きるのか、お前は知ってるんじゃねぇのか?」
「ううん、この運命は初めてだから── 私にもわからないよ」
 襟元をぎゅっと掴む望美の手が少し震えている。
「へぇ……、『この運命』、か……。じゃあ、白龍の逆鱗が役に立つって言ってたのは、なんなんだ?」
「んー…… なんとなく、そんな気がしたから」
「は?」
「黒龍の逆鱗は陰の気で、白龍の逆鱗は陽の気なの。だから、陰と陽を近づけたらプラスマイナスゼロになりそうじゃない?  そしたらなんとかなるんじゃないかなと思ったんだ」
 とてつもなくアバウトな望美の回答に、将臣は思わず吹き出してしまった。
「あれ? 私、何か変なこと言った?」
「…… いや、そんなことないと思うぜ─── ま、お前がそう言うんなら、そうなんだろ」
 将臣は望美の頭の上に、ぽん、と手のひらを乗せると、望美は少し不満げに首をすくめた。

「そういえば、知盛はどうしてる?」
 望美の口から不機嫌の種である知盛の名を聞いて、忘れていた感情が戻ってきた。
「知盛のことだから『やっぱりやめた』なんて、ヘソ曲げたりなんかしてない?」
「…… あいつのこと、よくわかってるみたいに言うんだな」
 将臣は自分の口調に棘が生まれるのを止められなかった。たぶん、目つきもきつくなっているのだろう。望美がわずかに眉をひそめた。
「どうしたの、将臣くん…… なんか変だよ?」
「お前、知盛の命を助ける、みたいなこと言ってたよな。そのために── 知盛を死なせないために動いてるのか?」
「将臣… くん…?」
 望美は怪訝な眼差しで将臣を見つめた。将臣の眉間には皺が寄り、表情も一層険しくなった。
「勝浦で初めて知盛に会った時、自分から源氏の神子だと名乗ったのも、そのためなのか?」
 将臣は自分の口から発せられた言葉が、静かではあったが詰問口調なのに気付いて驚いた。途中で口調を和らげようと思ったが、 心に膨らんだ靄はそれを許さなかった。
 口は意思とは無関係に勝手に動く。制御不能だった。こんな夢、早く覚めてしまえばいい、と将臣は願った。
「ちょ、ちょっと待って、将臣くん! 何か勘違いしてるよ! 確かに知盛の命を救いたいとは思ってる。 今までは戦いの中でしか出会ったことがなかったけど、一緒に行動してみて、敵じゃない知盛を知ってしまったら、もう戦えないよ。 それに、私が源氏の神子だって明かしたことだって─── 前に同じような運命を辿った時、うっかり口滑らせてバレちゃって…… そしたら知盛が将臣くんのところに連れて行ってくれたから…… それを知っていたから──」
 望美の声は徐々に小さくなり、恥ずかしそうに視線を落とした。その顔はだんだん赤く染まっていった。
「─── 将臣くんに、会いたかったから……」
「…… っ !?」
 将臣はゆっくりと手を伸ばす。
 望美は、腕に触れた将臣の手に気付いて、俯いていた顔をはっと上げた。
「将臣く─── !?」
 将臣は望美の腕を掴んで引き寄せると、しっかりと抱きしめていた。
 それは望美が息苦しさを感じるほど強かった。
 誰にも渡さない、という強い意志を身体で表したような抱擁だった。
「悪い、カッコ悪いとこ見せちまったな」
 望美も将臣の背中にそっと手を回し、将臣の陣羽織をキュッと掴んだ。
「ううん…… ちょっと嬉しいって言ったら、怒る?」
「嬉しい?」
「うん…… 将臣くんが、ヤキモチ焼いてくれた…… それって──」
 突然、辺りが白くフラッシュした。
「あ… 夢が終わっちゃう……」
 離れようとした望美の身体を、将臣はさらに強く抱きしめた。
「目が覚めるまで…… このままでいさせてくれよ」
「うん……」
 そして、茜色の教室は、真っ白な眩しい光に飲み込まれた。

〜つづく〜

【プチあとがき】
ちょっと短いお話ですんません。
時系列的には(11)の続きになります。
ちょびちょびと書いたので、支離滅裂になってる可能性大ですが。
ちょっとイチャイチャさせてみたかったのさ。

【2006/02/25 up】