■闘う者たち【12】 将臣

 浜辺で将臣たちと別れた後、望美は仲間たちの待つ宿へと戻った。
 自分の選択は正しかったのだろうか── ふと、そんな不安が過ぎる。
 けれども、選んでしまったからには、もう後戻りはできない。前に進むしかない。
 が、それよりも。
「… なんかドキドキするなぁ。『親に嘘ついた挙句、朝帰り』って、こんな気分なのかな…。もう夕方だけど」
 逗留している部屋に向かって歩きながら、少しピントのずれた心配で心を痛める望美。
「…… そうだ、今はこんなこと考えてる場合じゃないんだ……」
 頭を軽く振って、大きく深呼吸をすると、すでに目の前まで来ていた部屋の障子をそっと開けた。
「おかえりなさい、望美」
 望美の対である黒龍の神子、朔が笑顔で迎えてくれた。
「あ… 朔、ただいま。…… あの、なんか静かだけど、みんなは?」
「熊野川の穢れが消えたらしいの。明日には本宮へ出立できそうだから、その準備と、町の様子を見てくるといって出かけたわ」
「そっか……」
 ほっとしたような、出鼻を挫かれてがっかりのような、複雑な思いで溜息を零す望美。
 その様子に、朔の表情が曇った。
「どうかしたの? 何か思いつめた顔をしているけれど……」
「えっ、う、ううん、なんでもないよっ」
 慌てて否定する望美を見て、朔はくすっと笑った。
「きっと疲れているのね。熊野川を穢していた怨霊を、将臣殿と一緒に封印してきたのでしょう? 白龍がそう言っていたわ、よく頑張ったわね」
「え」
「それに、慣れない子守りも疲れの原因かもしれないわ」
「は?」
「違うの?」
 そういえば、将臣がそんな口実を捏造したと言っていた。
「あ、そうそう、そうなの。もうくたくただよ」
「ふふっ、みんなが戻ってくるまで、ゆっくり休んでいるといいわ」
「うん……、そうさせてもらうね」
 朔はにっこり笑うと、部屋を出て、静かに障子を閉めた。
 望美は後ろめたさにいたたまれなくなって、大きな溜息を吐いた。

 望美は両足を投げ出して部屋の壁にもたれ、天井を見つめていた。
 どう切り出そうか。
 どう言えば信じてもらえるだろうか。
 あれこれと考えを巡らせていた望美の耳に、ドタバタと複数の足音が響いてきた。
「先輩っ! いますかっ !?」
「は、はいっ!」
 必死さ溢れる息を切らした声に、思わず望美は伸ばしていた足を折り曲げ、姿勢を正した。
 ガタンと大きな音を立てて開いた障子の向こう側には、仲間である望美の八葉たちがぞろりと勢揃いしていた。
「…… 無事でよかった」
 望美の顔を見て、ホッと胸を撫で下ろす譲。
「さすがはオレの神子姫だね」
 ヒノエがひゅうと口笛を鳴らした。
「怨霊を倒したそうだが── なぜ俺たちに黙って行ったっ!」
 九郎は不服そうに拳を握り締めている。
「まあまあ、望美ちゃんが無事ならいいでしょ」
 景時が九郎をなだめ、場の空気を和らげる。
 その後ろ、一歩下がったところに、嬉しそうな白龍と、柔らかく微笑んだ敦盛、口元を隠しているせいで表情はわからないが、 おそらく安堵しているであろうリズヴァーンが立っている。
「そうですよ、九郎。望美さんが戻ってきて、明日には本宮大社へ向かえるんですから」
 弁慶はそう言って、胸元で握り締めた九郎の拳をそっと押し下げた。
「あのっ──、そのことで、みんなに話があります!」
 仲間たちの視線が望美に集中する。
「できれば、他の人に聞かれたくないんだけど…… そういう場所あるかな、ヒノエくん」
 この宿はヒノエの定宿ということで連れて来てもらっていたのだから、熟知した人間に聞くに限る。
「ないこともないだろうけど?」
「お願い」
「…… 聞いてくるから、ちょっと待ってな」
 望美の真剣な表情から何かを感じとったのか、ヒノエは帳場の方へと向かった。

 しばらくして戻ってきたヒノエに先導されて向かったのは、こぢんまりした離れ。中庭の池の対岸に位置し、 その池の上にかかる渡り廊下の先にあった。
「ここならいいだろ? さて、話してもらおうかな、姫君?」
 望美を取り囲むようにして全員が腰を落ち着けたところで、ヒノエが促した。
 望美はすぅっと息を吸い込むと、コクンと頷いた。
「本宮へは行きません。一緒に─── 私と一緒に、鎌倉へ行ってください」
 仲間たちがどよめく。
「何故だっ !? お前は本宮へ行くために、熊野川を穢していた怨霊を倒したんじゃないのかっ !? 平家に勝つためには熊野の助力を──」
「九郎、人の話は最後までちゃんと聞いてくださいね。… 望美さん、続けてください」
 弁慶に諭され、九郎はしぶしぶ浮かせた腰を下ろした。
「熊野の協力を得る必要はないんです。── 熊野は中立でいてくれるよね、ヒノエくん」
「…… なんでオレに訊くんだい?」
 ヒノエは『熊野は必要ない』と言われて機嫌を損ねたのか、憮然として聞き返した。
「ヒノエくんだからだよ」
 きっぱりと言い放った望美の言葉に、弁慶がくすくす笑い始めた。
「ふふっ、ヒノエ、観念したほうがよさそうですね。我々の神子殿は神通力でもお持ちなのかな。君の素性を、望美さんはご存知のようですよ」
 訝しげに望美の顔を見るヒノエに、望美は頷いた。
「… まいったな……。わかった、熊野は中立を守るよ」
 ヒノエはあきらめたように片手をヒラヒラと振って、望美に答えた。
「中立を守るとヒノエが言っても、水軍の一員の意見を簡単に聞いてくれるものなのか?」
 至極もっともな譲の疑問に、再び弁慶がくすっと笑った。
「もう隠していても仕方ありませんね。ヒノエは皆さんが会いに行こうとしている熊野別当、本人なんですよ」
 ええぇぇぇっ!と驚きの声が上がる。
「チッ…、ベラベラしゃべりやがって……」
「どうして弁慶さんがそんなことを知ってるんですかっ !?」
「僕は熊野出身と言いましたよね? ふふっ、実はヒノエの父親は僕の兄なんですよ」
 ええぇぇぇっ!、再び。
「じゃあ…、弁慶さんとヒノエは……」
「ええ、叔父と甥、です。全然懐いてくれませんけど」
 弁慶は楽しそうに笑みを浮かべる。この場の混乱を完全に楽しんでいるように見えた。
「お前みたいな奴に誰が懐くかっ !? 人の話を最後まで聞けって言ったのはお前だろっ! 望美の話が途中になってるだろうがっ!」
 ヒノエは弁慶に掴みかからんばかりの勢いで捲くし立てると、ゼイゼイと肩で息をした。
「そうでしたね。すみません、望美さん。それで、熊野に助力を求めず、鎌倉へ行くのは何故ですか?」
「……… 戦いを終わらせるために───、荼吉尼天を倒します」
「ちょ、ちょっと待て! 戦を終わらせるのと、その荼吉尼天というものが、どう関係しているんだ !?」
 九郎が身を乗り出し、望美に詰め寄る。
「…… 荼吉尼天が、この戦いを煽ってるんだと思うんです。だから、荼吉尼天がいなくなれば、頼朝さんだって和議に応じてくれると思います」
 はぁ〜、と大きな溜息が聞こえた。溜息の主は景時だった。
「そこまで言うってことは……、望美ちゃんは荼吉尼天がどこにいるのか知ってる、ってことなのかな…?」
「はい。荼吉尼天は政子さんの中にいます」
「なっ…!」
 望美の爆弾発言に景時以外の全員が息を飲む。
「そっか、知ってたんだ…」
「そういう景時も知っていたんですか?」
 衝撃からいち早く立ち直った弁慶が、少し困ったような顔つきの景時に問いただす。
「ま、まあね〜。……… だけど、荼吉尼天の力は強大だよ。勝ち目はあるのかな?」
「あります。よくは覚えてないけど…… 何か呪文のような言葉を唱えると、荼吉尼天は消えてしまいます。泰衡さんに聞けばわかると思うんですけど…」
「泰衡…… もしかして、奥州藤原の泰衡殿のことですか?」
「はい。泰衡さんに協力してもらうことはできませんか」
 弁慶は口元に手を当て、ふむ、と考え込んでしまった。
「…… なぜ望美さんが泰衡殿のことを知っているのかは、今ここで問うのはやめておきましょう。君にはいろいろと秘密がおありのようですから。 …… ですが、泰衡殿に協力を仰いだとして、万が一、僕たちが失敗した場合、奥州を戦に巻き込んでしまうことになる。 それはぜひとも避けたいところですね」
「あ……、そう… ですね……」
 荼吉尼天を倒すことばかり考えていて、そこまでの考えに至っていなかった。それどころか、泰衡に協力してもらうことで、 荼吉尼天との戦いは楽勝だと思っていた。そんな自分が、望美は恥ずかしかった。現時点では中立を守り、 平和に過ごしている奥州にまで戦渦が広がってしまう可能性を含む計画を立てることはできない。
「確か、泰衡殿は陰陽道に長けた方だったよね。望美ちゃん、その呪文っていうのを少しでも覚えてないかな? オレならわかるかもしれないし、 わからなければ調べるよ?」
 落ち込んでしまった望美を励ますように、景時は明るい語調で言った。
「………… 最後に『そわか』って言ってたと思うんですけど……」
「『ソワカ』? ああ、何かの真言だね。うん、それがわかれば調べられるよ」
 にっこりと笑う景時につられるように、望美にもほっとしたような笑みが戻った。
「だが、倒す相手が荼吉尼天だとしても、まずは政子様に刃を向けることになる。それは兄上に刃向かうことでもある。そんなこと、俺には───。 それに、平家はどうするっ !? こうしている間にも、平家は怨霊を生み出し、勢力を膨らませているんだぞ !?」
 当然の事ながら、九郎はいきり立った。
「それは将臣くんに頼んであります」
「先輩、どうしてそこで兄さんが出てくるんですか?」
 思わぬところで兄の名が出てきて、譲は思わず訊いた。
「それは……… 将臣くんが────」
「神子っ!」
 それまで黙って聞いていた敦盛が声を上げる。
「将臣くんが… 還内府だから──」
「なにっ !?」
 完全に暴露合戦の模様を呈している中で、最も大きなどよめきが起こった。
「将臣が…… 還内府…? 敦盛、本当なのか?」
「…… ああ。だが、将臣殿が自ら望まれたことではない。苦境を助けていただくうちに、重盛殿の生まれ変わりだと言われるようになり、 それを将臣殿は受け入れられた」
 呆然とした九郎の問いに、敦盛が静かに答えた。
「源氏はこれまで、還内府に苦汁を飲まされて来ました。その還内府と手を組むことは、いささか抵抗がありますね」
 眉をひそめる弁慶に、望美は唇を噛む。
「でも、将臣くんは源氏を滅ぼそうとして戦ってたんじゃありません。自分を助けてくれた平家を滅ぼさないために戦ってたんです!  京で出会ったのも、和議を進めるために法皇様に会いに行ってたからだし、船を用意して遠い南の島に逃げることも考えてるし──」
「確かに…… 俺たちの知っている歴史通りなら、平家は壇ノ浦で滅亡します。そうさせないために兄さんが動いていたなら…… 一ノ谷の平家の陣が罠だったのもわかりますね」
 譲の言葉に納得したかのように、皆の口がつぐまれた。しんと鎮まった中、望美が口を開く。
「将臣くんには、清盛から黒龍の逆鱗を奪うよう頼みました。黒龍の逆鱗がなくなれば、怨霊を生み出すことはできません」
「黒龍の…っ !?」
 黒龍の神子である朔が悲痛な声を上げた。
「朔…… もし、うまく奪えなかった時は、その場で逆鱗を壊してしまうかもしれない…… ごめん」
 朔は頭を下げる望美の側に近づくと、膝の上で握られた拳をそっと取った。
「…… 謝らないで、望美。そんなことに逆鱗を使われていることは、黒龍も望んでいないわ。存在していれば、誰かがまたその力を欲する。 それなら壊して欲しいと黒龍も願うはず。私もそうして欲しいわ…」
 微笑む朔の目には、うっすらと涙が滲んでいた。

「では、話を整理してみましょう。
 僕たちが倒すべき敵は、荼吉尼天。
 景時が荼吉尼天に対抗するための神の真言を調べ、調べがつき次第、鎌倉へ向かう。
 平家では、還内府── 将臣くんが清盛から黒龍の逆鱗を奪い、怨霊の発生を阻止する。
 双方が力の源を失ったところで、和議を成す。
 ── そういうことでよろしいですか? 望美さん」
「はい」
 弁慶の要約に、望美は力強く頷いた。
「俺は賛成できない。平家の── それも還内府の言うことが信じられるかっ !?」
「九郎がそう言うのも、無理はありません。僕だって、今望美さんから聞いた事柄をにわかに信じることはできませんから。 しかし、政子殿に荼吉尼天が憑いているのは本当のようです。それならば、僕たちが荼吉尼天を倒すことは、政子殿を救い、 ひいては鎌倉殿を助けることになりはしませんか?」
 九郎は、うっ、と呻いた後、大きな溜息を吐いた。
「…… 本当にお前は、人を丸め込むのが上手いな。そうまで言われれば、何も言い返せん」
「ふふ、それは褒め言葉と受け取っておきますよ」
 楽しそうに笑う弁慶に、周りの者たちもつられて笑った。

 そして翌日、望美たちは鎌倉へと向かうことになった。

〜つづく〜

【プチあとがき】
 ただ長いだけの蛇足的な回になっちゃいましたが。
 弁慶さん大活躍ですな(笑)
 何しろ軍師ですから。
 九郎さん、あっさり納得するし。
 さて、次にやることをここまで明かしてしまうと、
 実際に実行するシーンを書くのが難しいですな。
 さあどうする?

【2006/02/18 up】