■闘う者たち【11】 将臣

 将臣は額に手を当て、その肘を膝の上についた。それからゆっくりと上へと手を滑らすと、苛立たしげに自分の髪の毛をグシャッと掴んだ。
「………… そうか……… お前が… な。 ── 知盛も、知ってたのか?」
 自分の腕の影から知盛を睨み据え、将臣は絞り出すように唸った。
 知盛は喉の奥でクッと笑う。それは肯定の意味に外ならない。
「チッ… 知らなかったのは俺だけかよ……」
 将臣は背を丸めて、うな垂れた頭をわしわしと掻いている。おそらく、今の将臣にとって、望美が源氏の神子だったことよりも、 そのことを知盛が知っていたことのほうがショックだったのかもしれない。
「ごめん…… 黙ってて…」
 小さな声で呟く望美を見れば、しょんぼりと俯いてしまっていた。
 望美にしても、相当な心の葛藤をしていたに違いない。『源氏に加護をもたらす神子』の噂は、平家の一員である将臣の耳にも入っていたし、 町の人の口の端に上るほど有名なのだ。それを簡単に明かすことはできないだろう。望美本人も言っていた、相当な『覚悟』があったに違いない。
 しかし、平家だとわかった上で知盛に明かしたことは理解ができなかった。払拭できない醜い想いに、将臣は唇を噛みしめた。
 が、いつまでもそこにこだわっていても、前には進めない。
 将臣は気持ちを切り替えるように、握ったままの望美の手をポンと軽く叩いた。
「気にすんな、黙ってたのは俺も同じだしな。── だが… もしかしたら、とは思ってた…… いや、そうじゃなければいいと思ってたってのが本当だな。 だいたい役者が揃いすぎだろ。『九郎』に『弁慶』に『景時』…… 思いっきり源氏方の主要人物の名前だもんな。 ……… そうか… あいつら、やっぱ源氏かぁ…」
「へぇ、有名なんだ」
 感心したような声を上げる望美に、将臣の動きが一瞬止まる。直後、乾いた笑いと共に、望美の頭をぐりぐりと撫で回した。
「お前、日本史苦手だったもんなー」
「…… なんかムカつくんですけど」
 望美は不機嫌そうに唇を尖らせて、上目遣いに将臣を睨んだ。
「悪い悪い。主だった将の名前ってのは敵陣にも知れるもんなんだよ。だいたいこの時代の人間関係ってものは複雑だしな。 反目しているとはいえ、親戚縁者が少なからずいる。実際、源氏にも『重盛』やら『知盛』やらの名前は伝わってただろ?」
「そういえば……、そうかも」
「な?」
 将臣はニッと笑って見せるものの、望美は納得いかないのか、わずかに眉根を寄せていた。
「…… じゃあ私、バカにされ損ってこと?」
 再び望美の唇が尖った。
「悪かったって。機嫌直せよ。…… とにかく、お前の考えを聞かせてくれるか」
 将臣の催促に望美の表情が真面目なものになり、コクンと深く頷いた。

*  *  *  *  *

「…… 今夜は満月、か……」
 将臣は濡れ縁に座り、夜空を見上げていた。
 勝浦で望美と別れ、現在の平家の本拠地である屋島に戻ってから、すでに数日が経つ。
 望美の持ちかけてきた計画を実行する機会を伺いつつ、いまだその機会を見出せずにいた。
「… ったく、とんでもないことを言い出しやがって」
 軽く握った手の中の硬い感触を確かめながら、将臣はひとりごちた。

『だからね、将臣くんたちは黒龍の逆鱗を清盛から奪ってほしいの。本当は朔に返してあげたいけど…… 最悪の場合、壊してもいい。 朔はわかってくれると思う』
『…… わかった。で、お前は何をやらかすつもりだ?』
『私は──── 荼吉尼天を倒す』
 望美の目は、前を見据えていた。その目に浮かぶ決意は揺るぎないものだとわかるほど、強い光を湛えている。
『荼吉尼天── !?』
 荼吉尼天のことは将臣も知っていた。
 鎌倉にいる魂を喰らう異国の神── 人や怨霊の魂を喰らい、自分の力とする。
 以前、鎌倉に差し向けた怨霊がすべて喰らわれたという。その時、近くにいた源氏の兵士たちも、なす術なく無差別に喰われたらしい。
『うん…、どういう経緯(いきさつ)かは知らないけど、政子さんの中にいるの。何をしたくて頼朝さんに近づいたのかはわからないけど……』
 力を奪われ、国を追われた神が戦乱の世でしたいこと──。
『そりゃひとつしかねぇだろ。… 力を取り戻して、自分をこんな目に遭わせた奴らへ報復でもしたいんだろうな』
 さすがに人の魂を喰らい続ければ、再びこの国を追われることになるだろう。それならば、平家が無制限に生み出す怨霊を喰らっていれば、 何も問題はない。無料の食べ放題のレストランにいるようなものだ。それ故、源氏の棟梁に近づき、戦いを煽っているのかもしれない。 それなら源氏が和議を結ぶという選択を頑なに拒否する理由が、将臣にもうなづけた。
『そっか…。それならなおさら倒さなきゃいけないね』
『ちょっと待て! んなバケモノと戦うんなら、俺も──』
 将臣は思わず望美の肩を掴んでいた。
『大丈夫だよ』
 望美はふわりと笑う。
『倒すって言っても、剣を持って戦うわけじゃないんだ。源氏には優秀な陰陽師がいるから大丈夫、きっと封印できる。 ……あ、でも、もしかしたら平泉まで足を伸ばすかも』
『平泉って…… 奥州のか? なんでそこで平泉が出てくるんだ』
『ふふっ、平泉にね、荼吉尼天研究家がいるの』
『なんだそれ?』
『まあ、いいじゃない。とにかく、そういうことでよろしくね』
 にっこりと笑う望美。
 もう少し突っ込んで聞きたい将臣だったが、すべてを聞いたところで混乱することは必至だ。今は望美の笑顔にごまかされてやることにした。
『じゃあ、今からお前の宿に行って、あいつらと段取りを相談するか』
 将臣の提案に、望美は首を横に振った。
『先生や他の人はともかく、九郎さんを説得するのには少し時間がかかると思うんだ』
 将臣の脳裏に、いきり立って自分に剣を向ける、堅物な男の姿が浮かぶ。
『まあ… 確かに。いきなり「俺が還内府だ、共同戦線張ろうぜ」とか言っても素直に聞くわきゃねぇな』
 ボリボリと首筋を掻く将臣。
『ふふっ、わかってるね、将臣くん』
 望美は楽しそうな笑顔を浮かべた。

 満ちた月が照らす将臣の顔はうっすらと微笑んでいた。
 それに気付いた将臣は、意識して表情を引き締める。
 おもむろに持っていた硬質なモノを頭上に投げ上げた。端につけられた細い組紐が放物線を描く。
 戻ってきたそれをパシンと横から掴み取ると、ゆっくりと指を開いた。

『じゃ、ここからは別行動だな。…… 無茶はすんなよ』
『うん、将臣くんも頑張ってね』
『ああ、お前もな』
 お互いに軽く手を振ると、望美は名残惜しそうにゆっくりと背を向け、歩き始めた。
『あ、そうだ』
 望美はくるりと踵を返してぱたぱたと将臣に駆け寄ると、首にかけられていた組紐を外して将臣に差し出した。
『これ、将臣くんが持ってて。たぶん役に立つと思うから』
『…大事なもんだろ、お前が持ってないとマズくねぇか?』
『うん、だから後でちゃんと返してね』
 満面の笑みで差し出す望美の手からぶら下がる紐の先で、白いモノが揺れ、きらりと光った。

 将臣は手のひらに乗った白いモノをもう一方の手で取り上げ、月の光にかざしてみた。
 陽の光の下では虹色に輝き、きらきらと光を反射していたが、今の月の光の下ではそれ自体がうっすらと淡い光を纏っているように見えた。
「白龍の逆鱗、か…。これで時空を越えるってか? ── ったく、常識の域を超えてるぜ」
 将臣はフッと笑うと、紐を首にかけ、単の襟元をぐいと掴んで、そこに白龍の逆鱗を落とし込んだ。

 ふと、廊下を歩く足音と、微かな衣擦れの音が聞こえてきた。
「なんだ、お前か…」
 気配の生まれた方を見やれば、月明かりに照らされた知盛が静かに佇んでいた。
「クッ…… 麗しい望月の君との睦言を、邪魔してしまったか…?」
「はぁ?」
 知盛は将臣の隣にふわりと腰を下ろすと、月を見上げた。
 その動作が合図だったかのように、わらわらと女房たちが姿を現した。膳を二人の傍に置くと、深々と一礼し、静かに姿を消した。
「…… 満ちた月…… 今宵の月のように……」
 杯に酒を注ぎながら、知盛がポツリと呟く。
「あ?」
「美しい、望月… か……。お前が目を奪われるのも、無理はない……」
 天空で柔らかな光を放つ満月を見上げ、杯をあおる知盛。
「お前、回りくどすぎ。 もうちょっとわかりやすく言えよ」
 そう言いつつも、知盛が望美のことを言っているのは容易にわかっていた。
 知盛は将臣の不満げな顔をチラリと見ると、口元に笑みを浮かべた。
「クッ…… わかっただろう? あの女が、お前の知っているような女ではない、と……」
「……………………」
 確かに知盛が言う通りなのかもしれない、と将臣は思った。
 望美の気が強いのは、将臣も否定しない。否定どころか、思いっきり勝ち気だと思う。
 おとなしくしていればどこかのお嬢様でも通用するだろうに、とからかったこともある。
 くるくると変わる豊かな表情と、人を惹きつける愛らしい笑顔。
 その笑顔を曇らせないために──。
 どんなに強気でも、将臣にとって望美は『守ってやらなければならない』相手だった。
 だが、この異世界で再会した望美は、一見変わっていないようでも、将臣の知らない面を時折見せた。
 自信に満ちた目はまっすぐに前を見据え、操る剣は見事なまでに美しい軌跡を描き、すべてを悟ったように迷いなく前へ進んでいく。
 将臣が守るよりも、逆に望美に守られているような気さえする。
 それは『白龍の神子』という肩書きがそうさせるのか、それとも別の何かが──。
「だが…… あいつはあいつさ」
 将臣のその一言は、知盛へ向けたものというよりは、自分に言い聞かせるような響きを含んでいた。
 知盛は含み笑いでそれに答えた。
「お前、いつから知ってた?」
「…… 涙に濡れるのを厭って、葉陰に身を寄せた時…… だな」
 うっとりと月を見上げる知盛。
「は? …… ああ、雨宿りした時ってことか。そうじゃなくて、あいつが源氏の神子だと──」
「だからそう言っているだろう」
 将臣の反応を確かめるように一瞥すると、知盛は杯を傾ける。
「っ !? じゃあ、最初から知ってたっていうのか !? …… 無理矢理聞きだしたのか?」
 知盛はふっと鼻で笑い、将臣が無意識のうちに手にしていた空のままの杯に酒を満たした。
「… 神子殿本人が自分から名乗った── 自分は源氏に与する白龍の神子だ、とな…」
「まさか──」
「クッ… 信じられぬなら、当人に聞いてみればいい…。俺のことも、還内府殿のことも知っていた… 切り捨てていこうとも考えたが、 お前に引き合わせてみるのもまた一興かと思ってな… そうしたまでさ…」
「な…っ !?」
 将臣は黙りこくると、手の中の杯の小さな水面に映る満月をじっと見つめた。
「大方… 自分と同じ匂いを、俺の中に嗅ぎつけたんだろうな……」
 楽しそうに呟く知盛の言葉に、将臣は持っていた杯を投げつけるように膳の上に置いた。ガンッと大きな音が辺りに響き、 一口もつけていなかった酒が、膳の上に飛び散った。
「動くチャンスがいつ来るかわからねぇ。お前もさっさと寝ろよ」
 将臣は乱暴に立ち上がると、知盛を残して自室へと戻っていった。
 残された知盛は、夜空を照らす満月に杯を掲げると、入っていた酒を一息に飲み干した。

〜つづく〜

【プチあとがき】
「知らなかったの、俺だけか」…… デジャヴを感じる方もいることでしょう。
その通りですよ(笑)
縋りつく召喚獣もいないし、そこまで深刻でもないし、なにしろ将臣たんだから、アッサリめで。
すんません、いつもFFネタで(汗)
いやまあ、話の展開上、そうなってしまったわけですが。
将臣と知盛の酒盛りシーン、なんか好きです、あたし。
次に酒盛りするときは、楽しく飲ませてあげたいなぁ(笑)

【2006/02/10 up】