■闘う者たち【10】
「はあ〜っ、終わったぁ〜〜」
望美はその場にへなへなと座り込むと、前に足を投げ出し、腕を後ろについて、空を仰いだ。
「ったく、無茶しやがる── 剣、早めに手入れしといたほうがいいぜ。塩分で錆びるとマズイだろ」
将臣はさっきまで怨霊がいた場所に転がっている望美の剣を拾い上げると、一振りして水分を落とし、望美に差し出した。
「あ、ありがと。うん、そうするね」
望美はにっこり笑って剣を受け取ると、鞘に剣を収めた。
「クッ… たいした度胸だな…… 大きな賭けではあったが…」
「まったくだぜ。何やってんのかと思えば、樽ひっくり返して剣に海水かけてるだろ。ま、やりたいことはわかったけどな」
目を細めて望美を見つめる知盛と、呆れ顔で頭をガシガシと掻いている将臣── 対照的な表情だった。
「あ… あはは…っ、だって、あの怨霊の弱点って、海の水しか思いつかなかったんだもの」
戦いの最中、望美の目に入ったのは転がっている樽だった。中身は酒ではなく、勝浦の海岸で汲んだ海水。
怨霊の正体を暴くためについさっき使ったものだ。横倒しに転がっていて、緩く弧を描いた胴の内部に少しでも海水が残っていればと思い、
近寄って中を覗いてみた。ラッキーだった。
相剋で剣が通じないなら、剣に相手の弱点を纏わせればいい。望美は樽の中にわずかに残った海水を剣に振りかけ、怨霊の背を貫いたのだった。
「けど、助かったよ。立ち位置ずらして死角増やしてくれたし、大きな声で怨霊の気を逸らしてくれたでしょ?」
望美の側にひょいと座り込み、その顔を覗きこむ将臣。
「へぇ… 意外と冷静に見てたんだな…… たいしたもんだ。ま、ともあれお疲れさん。よく頑張ったな」
わしわしと頭を撫でながらの将臣の褒め言葉に、望美はくすぐったそうに肩をすくめ、心底嬉しそうに笑った。
激しい戦いを終えて人心地ついている三人の元に、後白河院がぞろぞろとお供を引き連れてやってきた。
さすがに法皇の前で座り込んだままでいるわけにもいかず、望美は将臣に引っ張ってもらって立ち上がると、後白河院に微笑んで見せた。
「そなたらには助けられたのう── 知盛、還内府、そして白龍の神子」
「な…っ!」
後白河院の一言に将臣は硬直し、すぐに望美の顔を見た。
「法皇様、ご無事でよかったです」
「── 神子の力、とくと見せてもらったぞ。実に見事な戦いぶりであった」
「いえ、そんなことありません。いきなり捕まっちゃって… かっこ悪すぎますよね」
望美は恥ずかしそうに顔を赤らめ、照れ笑いをしている。
「何を言う。挫けず立ち向かい、最後は見事に封印したではないか。その勇気、余も見習わねばならぬかの」
「それよりこの那智の滝って、那智大社の御神体って聞いたような気がするんですけど… こんなところで戦っちゃってよかったんでしょうか?」
今度は一抹の不安が顔に浮かんでいる。
「なに、皆の命を案じてのこと。熊野の神も咎めたりはせぬよ。気にせずともよかろう」
「あー、よかった。ありがとうございます、法皇様」
安堵の笑みを浮かべる望美。
後白河院と会話する望美の表情は百面相のようにくるくると変わっていく。豊かな表情は、元の世界にいたころからだった。
将臣にはそれがおもしろくて、授業の合間の休み時間に友達と話している望美を眺めていることもしばしばだった。
が、今は違う。
(── 聞こえて…… ない? いや、そんなはずは……)
確かに後白河院ははっきりと『還内府』と口にした。よくも悪くも『還内府』が『黄泉から還った平家の総領』だということは、
この世界の者には知れているはずだ。普段この世界の者と同行している望美も知らないはずはない。
望美は眉ひとつ動かすこともなく、朗らかに後白河院と会話を続けている。
いつになく動揺を隠せない将臣の様子を、知盛は可笑しそうに眺めていた。
「あれだけの戦いの後だ、那智大社で休んでいってはどうかの」
「ありがとうございます、法皇様。けど、私たち、まだやることがありますので、今日は帰りますね」
「ふむ、そうか…… 折りを見て、また遊びに来るとよいぞ」
「はい、そうします」
望美は院に向かってぺこりとお辞儀をすると、くるりと踵を返して歩き出した。
「お、おいっ、望美っ !?」
慌てて望美の後を追う将臣。
「クッ……… では、御前を失礼いたします、院」
後白河院に一礼すると、知盛はゆったりと身を翻し、急ぐこともなく二人の後に続いて歩き出した。
「あの二人を従えておるとは── 『源氏の神子』、何を企んでおるのかの」
後白河院は小さく呟き、楽しそうに笑うと、歩み去る三人の後ろ姿を見送った。
三人はほとんど無言のまま、勝浦まで戻ってきた。
将臣は何度か望美に訊いてみようと試みたが、望美はそれを受け付けない雰囲気を漂わせいて、仕方なく諦めた。
夕暮れにはまだ早く、港には漁の後片付けや明日の準備をする漁師の姿がちらほらとあった。
望美は港から少し離れた人気のない海岸に、将臣たちを連れて行った。
「なんだよ、こっちに何かあるのか? 宿で休んだ方が──」
「ううん、宿じゃ誰が聞いてるかわからないもの。密談なんてできないよ」
「はぁ? 密談 !?」
黙ってコクンと頷く望美。その眼差しはいたって真面目だった。
確かに、人の出入りの多い宿よりも、こんな海岸の方が密談にはうってつけだろう。押し寄せる波が声をかき消してくれるからだ。
「二人に、相談があるの」
「どうした? 改まって」
「クッ… 小難しい話は…、俺は御免被る…」
手をひらひらと振って去ろうとした知盛の袖を、望美はキュッと掴んで引き止めた。
「だめ。知盛にも手伝ってもらわなきゃいけないんだから」
知盛はフンと鼻で笑うと、望美の手を軽く振り払い、近くに転がっていた流木に腰を下ろした。
俯きがちに立ち尽くす望美。何かに思いをめぐらせていることは、その強く握った拳からもよくわかる。
張り詰めた沈黙がしばらく続いた後。
「私── この戦いを終わらせる」
唐突に口を開いた望美の言葉は強い意志を孕んでいて、その強さに将臣は息を飲むほどだった。
「終わらせるって── お前一人でどうにかできる問題じゃ──」
「うん、もちろん私一人じゃ無理だよ」
あっさりした望美の答えに、将臣の肩がカクンと下がる。
「あのなぁ──」
「だから、みんなの協力が必要なの」
「あー、わかったわかった。だが、できることとできないことがあるぜ。俺はともかく、知盛に他の八葉たちと合流しろってのは、絶対無理だからな」
そう言うと、将臣はふてくされたようにドサリと座って胡坐をかいた。望美もペタリとその隣に座った。
「それくらい、わかってるよ── あのさ、将棋って、先に王将の駒を取った方が勝ち、だよね?」
「はぁ?」
突然脈絡のない話を持ち出されて、将臣の頭に『?』が充満した。
「お前、何言ってんだ? それと戦が何の関係があるんだよ」
「いいから聞いて。── 王将取った方が勝ち、取られた方が負け。だったら、横から両方同時に王将取り上げちゃったら、どうなる?」
「そりゃ…… ノーゲームだろ。勝ちも負けもねぇ── ってお前っ !?」
望美がコクコクと頷く。
「あ、でも安心して。頼朝さんに刺客送ろうとか、清盛を封印しようとか考えてるわけじゃないから。
両方の一番偉い人から『武器』を取り上げちゃうの。両方が力を失えば、和議を結ぶのも楽になるはずだよ。
── 今、ここで動かなきゃ、また壇ノ浦で戦うことになっちゃうよ──」
望美は首にかけられている白龍の逆鱗をキュッと握り締めた。
「な…っ !?」
「クッ… 神子殿はまるで見てきたように言うんだな…… 壇ノ浦で、俺と神子殿は相見えるのか?」
「と、知盛っ… !?」
将臣が驚愕の声を上げる。
望美が静かに頷くと、知盛はニヤリと笑って立ち上がった。
「ならば… 俺はここまでだな…… 夢にまで見た神子殿との手合わせを… ふいにすることもない…」
そう言うと、知盛は二人に背を向け、歩き出す。
「だめっ!」
望美の激しい制止に、知盛の足が止まった。
「私が── 勝つよ」
知盛の眉がピクリと上がる。
「… 最初に知盛に会ったのは、火をかけられた京の町だった── その時、私は知盛に負けた。
仲間たちみんなが傷ついて── 炎に飲まれた。
私だけが白龍の逆鱗で助かって── だから私はみんなを助けるために戻ってきた。
大切な仲間を助けるために、何度も時空を越えて…… その度に知盛と戦った── 生田でも、壇ノ浦でも」
望美は硬い表情で、絞り出すように言葉を紡ぐ。
「お前がここにいるということは…… その度に、俺はお前に負けたとでも…?」
おもしろくもなさそうに、知盛は口の端を上げて笑みの形を作った。
「そう、私は勝ったよ── その度に、私に斬られた知盛は…、悟り澄ました顔で壇ノ浦の海に身を投げた──」
訪れた沈黙はあたりの空気を緊張させ、帯電したかのようにピリピリと肌を刺した。
「クッ… クッ…… ハハッ…… ハハハハハッ!」
高らかに声を上げて笑うのは、知盛しては珍しいことだった。ギョッとした望美と将臣はその顔を見つめた。
「面白い…。… そこまで聞けば、なおさらここで和議など結ばれるわけにはいかんな…。違う時空とやらの俺にだけ、
楽しい思いをさせておくのは、口惜しい」
心から楽しそうに笑う知盛を、望美はキッと睨みつけた。
「そんなこと、させないよ── 私は、戦を終わらせる。確かにこれまでに失った命は戻らないかもしれない。
── でも、これから傷つくかもしれない命は、絶対に守ってみせる…… 知盛も含めて、ね」
「クッ…… お優しい神子殿は、敵にも情けをかけると?」
「私は、この世界も、大切な仲間たちも、守ると決めた── 一緒に怨霊退治したんだもの、知盛だって立派な仲間だよ」
ふわりと微笑む望美に、知盛は一瞬驚いた顔を見せたものの、再び口元に笑みを浮かべた。
「…… お心遣いはありがたいが…… 俺は、俺のやりたいようにさせていただく…」
知盛は望美たちに背を向けると、町の方に向かって歩き出した。
「わかった…… 相手してあげる」
望美の声に、足を止める知盛。肩越しに振り返り、望美の顔を見た。
「ただし、全部終わらせたあとでね。─── 声も出せないくらいの恐怖を味わわせてあげるから、覚悟してなさい」
知盛を見据える望美の目が、焔の色を纏う。いつも知盛がやるような皮肉っぽい笑みを浮かべ、望美はそう言い放った。
「…… いい眼だ……… クッ… その言葉、忘れるなよ…」
知盛は嬉しそうに笑うと、元の場所まで戻って、再び流木の上に腰を下ろした。
「お、おいっ、ちょっと待てっ! お前らだけで勝手に話を進めんなっ!」
完全に置いてけぼりにされていた将臣が、やっとのことで会話に割って入った。望美と知盛の顔を交互に見比べている彼の頭の中が
パニックになっていることは、その慌てぶりで明らかだった。
「望美、今の話…っ !? お前ら、知って── !?」
望美は将臣の手首をそっと掴んで持ち上げると、腕相撲をするかのようにその手を握る。
「ね、『還内府』と、『源氏の神子』が手を組んだら、最強だと思わない?」
そう言って、望美はにっこりと笑った。
【プチあとがき】
さぁて、大風呂敷がどどーんと広がってしまいました(笑)
望美ちゃんは一体何を企んでいるのでしょうか(バレバレですが)。
ゲーム中、瀞八丁で怨霊を倒した後、後白河院が『還内府』と呼んでいるのに気付いたことが、
このシリーズを書こうと思ったきっかけでございます。
あのシーン、たぶん3人が近くにいるはずなのに、みんながスルーしてるのがあまりに不思議で。
将臣くらいはもうちょっと慌ててくれてもいいんじゃないかと思うのですが。
えー、一応裏設定として、このお話の神子殿は、恋愛EDは迎えたことがありません。
恋愛する間もなく、誰かのピンチを救うために、時空を跳びまくっていた、ということで。
つーことは知盛ルートのフラグが立たないから、このお話は将×望なのか。あぁなるほど。
それでもやはり、知盛が絡むと「バトル大好き獣神子」になってしまいますね(笑)
【2006/02/03 up】