■闘う者たち【9】 将臣

 舞い終えた望美たちに、賞賛の言葉が降り注いだ。
「なんて美しいのでしょう」
「まるで絵巻を見ているよう──」
「本当に素敵な舞でしたわ」
 顔をぽっと上気させた女房たちが、口々に褒め称えている。後白河院も満足そうに頷いていた。
「あ、ありがとうございます」
 望美は皆に向かってぺこりとお辞儀をすると、閉じた舞扇を胸元にしまいながら将臣の元に駆け寄った。その後ろにゆっくりと知盛が続く。
「あー、終わった終わったぁ。緊張したよー」
 望美の顔に、舞っていたときの艶やかさはもうない。いつもの望美に戻ったようで、将臣はホッと息を漏らした。
「ははっ、お前ら芸達者だなー。たいしたもんだぜ」
「へへへ、京に来てから朔に習ったんだよ。けど、知盛もすごいよね、ただの『戦バカ』じゃなかったんだ」
「『戦バカ』ぁ !? ははは、言いえて妙、だな」
 望美の言葉に賛同したものの、将臣はふと気付く。『戦バカ』呼ばわりされるほど、知盛は戦って見せただろうか?
「これぐらい… 宮中の付き合いで仕方なく覚えたようなものだ… 一門には、もっとこの道に長けた者がいる。俺がやることじゃないさ」
「へぇ、お付き合いで舞なんて… 宮中って、優雅なところだね。なんか楽しそう」
「… 神子殿は宮中にご興味が…? あいにく、宮中の楽しい話など… 俺はにできない… あそこは退屈なだけだ」
「ふぅん、じゃあ、知盛の楽しいことって?」
「さて、な……しいて言えば、死の見える場所で、焔の眼を持つ獣と刃を交える時…、だな」
 ニヤリと笑った知盛が、意味ありげな視線を望美に送る。望美の表情が一瞬険しくなった。
「お前の冗談、性質悪すぎなんだよ」
 珍しく会話を楽しんでいるような知盛の様子に、将臣が口をはさんだ。
「クッ… 冗談… ね」
 知盛はそう言うと、さっさと酒の席に戻っていった。
 その後ろ姿をじっと見つめる望美の横顔に、将臣は気がついた。先程までの息の合った舞姿が頭を過ぎり、胸の中に何か黒い感情が わだかまっていくようだった。が、よく見ればその視線に表れているのは決して甘さを含んだような類のものではなく、 寄った眉根に悲壮感が漂う思い詰めたものだった。
(── 何故、望美はそんな表情で知盛を見るのだろう…?)
「望美…?」
 思わず将臣はその名を呼んだ。
「え…? なぁに?」
 名前を呼ばれて振り向いた望美は、いつもの愛らしい笑顔だった。
「あ… いや… なんでもねぇ」
「ふふっ、変な将臣くん。── 芸達者と言えば、あの怨霊…… 怨霊のくせにとってもいい声だったよね」
 眉をひそめてボソッと呟く望美に、将臣は思わず吹き出した。
「なんだよお前、怨霊にライバル意識燃やしてんのか?」
「そうじゃないけど… 怨霊にしとくのもったいないっていうか…… あの怨霊も、人間だった頃があったのかな、って」
「ああ…… そう、だな…」
 望美の悲しげな呟きに、将臣は何も言えなかった。自分が身を置く平家がこんな怨霊を作り出しているのだから。
「── さて、これからが本番だね」
 望美の目が真剣さを帯びた。胸元で拳を握り締めている。
「おう」
 将臣が励ますように望美の肩をポンと叩くと、二人も宴の席へと戻った。

 怨霊女房は依然として後白河院にべったり張り付いていた。張り付かれている院も、すっかり鼻の下を伸ばしている。 このままでは手も足も出せない。
 その時、ふらりと知盛が立ち上がり、おもむろに院の側に腰を下ろした。
「おお、中納言。先ほどの舞、まこと見事であったぞ。宮中でそなたらを華と称えておったのを懐かしく思い出しておった」
「光栄にございます、院。我ら一門、みな院の御世のもとで育ったものばかり。皆、院に再び見えること、切に願っております。 深き忠義にはいささかのゆるぎもございませぬゆえ」
 深々と頭を下げる知盛。
「ほほ、そなたらの忠節を疑ったことなど、露ほどもないぞ。久しぶりの再会だ、さ、中納言にも酌をしてやってくれ」
 後白河院に促されて酒を注ごうとした怨霊女房を、知盛はやんわりと手で制した。
「お手を煩わすことはしますまい── ああ、酒がなくなったようだ。女房殿、言ったそばからすまぬが、この器に酒を満たしてきてはもらえぬか」
「…わかりましたわ。お待ちくださいませね」
 愛想良く知盛の手から器を受け取ると、席を立つ怨霊女房。
 持ってきた樽の方へ向かう女房を見て、知盛はニヤリと笑い、杯に残っていた酒を一息に飲み干した。

「あ、お酒のおかわりですか?」
「え、ええ…」
 宴から少し離れたところで座り込んでいた望美に声をかけられ、怨霊女房はギクリとして立ち止まった。
「神子様は… どうかなさいましたの? こんなところで」
「酔い覚ましです。お酒の匂いだけで酔っちゃって、気分悪くなってきたものですから」
 望美は少し赤くなった頬に手を当て、弱々しく笑みを浮かべた。
「まあ、それはいけませんわね。では、私はこれで──」
「あ、私も手伝います」
 早々に立ち去ろうとした女房を引き止め、望美はひょいと身軽に立ち上がった。その動きは、気分が悪くて休んでいた人間のものではない。
「いえ、そんな… 神子様はご気分がお悪いのでしょう? お休みになられていたほうが…」
「ありがとう。でも、もうだいぶいいんです。そろそろ動きたいなって思ってたところですから」
 にっこり笑うと、望美は怨霊女房に有無を言わさず付き添って、酒樽のところまでやってきた。
「あれ… もう空っぽ…。将臣くーん、次の樽開けるから、手伝ってー! あ、ちょっと待ってくださいね」
 望美は怨霊女房に向かって再びにっこりと笑うと、駆け寄ってきた将臣と一緒に荷車の上の樽を抱えた。 抱える直前、緩めて乗せておいただけの蓋を将臣が素早く取り去っている。
「どこへ下ろす?」
「その樽の横でいいんじゃない?」
「了解」
 さり気ない会話の中、酒器を持って佇む怨霊女房に近づきながら、二人は顔を見合わせ、小さく頷いた。
「「せーの…」」
 二人にしか聞こえない掛け声の直後、樽の中の液体は怨霊女房に向けてぶちまけられていた。 その途端、辺りにほんのりと場違いな潮の香りが漂い始めた。
「きゃああああぁぁぁっ !!」
 耳をつんざく悲鳴に、帯刀した男たちが何事かと駆け寄ってくる。
「みんな下がってっ !!」
 ずぶ濡れでもがき苦しむ女房の肌から血の気が失せ、ぬめぬめと青黒く光り始めた。
 口は大きく裂け、美しかった顔が醜く歪んでいく。
 膨れ上がった身体に耐え切れなくなった帯が弾け飛び、着物の合わせが広くはだけ、その間から見える肌も既に人のものではなかった。
 望美は剣を抜き放ち、怨霊に向けて構える。将臣が並んで剣を構え、遅れて知盛もそこに加わった。
「法皇様を連れて逃げてっ! 早くっ!」
 望美の張り上げた声に男たちの足が止まる。目の前で起きている光景に、座にいた女房たちから悲鳴が上がり、 男たちも一緒になってパニックになりながらわらわらと逃げていった。

「お… おのれ…… 白龍の… 神子… っ!」
 くぐもった不気味な唸り声が辺りに響いた。
 怨霊の着物の裾から何本もの触手がうねうねと伸び、宙を彷徨っている。
「正体現したわねっ! 滝夜叉っ!」
「うわ気持ち悪っ! カエルからタコの足生えてんのかよ」
「もう、将臣くんっ! こんな時に緊張感のないこと言わないでっ! 行くよっ! はぁっ !!」
 先陣を切って飛び出した望美が振り下ろした剣は、うねる触手を斬り落とす── かと思いきや、触手にめり込んで止まっていた。
「う、嘘…っ !?」
「くくくっ…、そなたの纏うのは火の気── 相剋である我に、毛筋ほどの傷一つすらつけることかなわぬわっ!」
 両生類の飛び出た目がずるく光る。
「望美、下がってろっ! 俺たちが、やるっ!」
「わかった! ── うわっっ !?」
 望美の身体に触手が巻きつき、そのまま高く持ち上げられた。
「望美っ!」
「なっ! ちょっと、放しなさいっ!」
「そうはいかぬっ! そなたから喰らってやろうぞっ!」
「うぐっ…!」
 巻きついた触手が急に強く締まり、望美は苦鳴を上げた。もがいてはみるものの、足が地についていない上に腕ごと巻きつかれていて、 何もすることができなかった。
(── いきなり捕まって、何もできないなんてっ!)
 こういう攻撃が来ることはわかっていたはずだ。以前、川に引きずり込まれたこともあるのだから。
 しかし、ここが陸上であることが、わずかに油断を生んでいたのかもしれない。
 望美は何もできない苛立ちに唇を噛みながら、身体を圧迫する力に意識が朦朧とし始めていた。
 俯瞰で見る将臣たちの戦う様子が、まるでドラマか映画のワンシーンのように見えていた。

 その間、将臣たちが何もしなかったわけではない。
 望美に巻きついている触手とカエル本体をカバーするように、何本もの触手がうねっている。既に何本斬り落としたかわからない。 ブジュッと鈍い音を立てて斬り落とされた触手は、地に落ちるとのたうちながら液状化し、 ずるずるとアメーバのように怨霊の着物の裾の下に移動していった。そして、しばらくすると新しい触手が生まれてくるのだ。
 いっそ触手を無視して本体を攻撃することも考えたが、本体に向けたどの攻撃も、すべて触手に阻まれていた。
 結果、望美を助けることもできず、本体もいまだノーダメージのままだった。
「チッ、きりがねぇっ! 下からがダメなら─── 知盛っ!」
 左右に展開して戦っていた知盛に声をかけると、将臣は怨霊を回り込むようにして知盛の方へと駆け出した。
 それに気付いた知盛は、両手に持っていた刀を地面に突き刺し、わずかに腰を落として身構える。
 勢いよく踏み切った将臣の足を宙で受け止め、そのまま上へと投げ上げた。
 将臣の身体は、見事に怨霊の頭上へと舞い上がる。虚空で身体を捻って体勢を整えると、落下の力と太刀自体の重みと自分の力をすべて込め、 望美を掴み上げている触手に太刀を振り下ろした。
「でやああぁぁぁぁっ !!!」
 バヂュッ!
 耳障りな音を立てて斬られた触手が望美ごと地に叩きつけられる。幸運にも、肉厚の触手がクッションとなって、望美は全く痛みを感じなかった。
「グアアァッ! おのれぇっ!」
 怒りに狂った怨霊の攻撃が、一層激しくなった。

 望美は、戦いから少し離れた場所で、肩で大きな息をしていた。
 締め付けられていた影響から、身体にはまだ息苦しさと痺れが残っているものの、傷を受けていないことはラッキーだった。
 戦いは膠着状態── だが、人間である将臣と知盛の体力が尽きるのも時間の問題だ。
(── どうすれば…… 勝てる…? … 私にできることは…)
 痺れた手足をさすりながら、望美は戦況を見つめていた。
 今は自分を助けてくれた直前のように、怨霊の左右から攻撃を仕掛けている。
 よく見れば、怨霊の背後── 長く尾を引くような着物の裾からは触手は出ていないようだった。おそらく、触手は怨霊の腹部から出ているに違いない。
(後ろから攻撃すれば── けど、私の剣は、通じない……)
 唇を強く噛みしめた望美の視線の先にあったのは──。
(もしかしたら── やれる !?)
 望美は抜き身のまま置いていた剣を手に取ると、ゆっくりと立ち上がり、怨霊に気取られないようにじわりじわりと目的の物に近寄っていった。
 その望美の行動に気付いたのか、将臣と知盛はその間隔を少しずつ狭めつつ、望美が目指している場所が怨霊の真後ろになるように、 怨霊をうまく誘導していった。
 そして。
「てめぇの目的は何だっ !? 後白河院に取り入って何するつもりか知らねぇが、いい加減鬱陶しいんだよっ !!」
 バシュバシュと触手を斬り落としながら、将臣は大声を張り上げる。
 不気味なカエルの顔が余裕の笑みを浮かべた。将臣に言葉を返そうと大きく口を開いた瞬間、その笑みは苦痛に歪んだ。
「ギ、ギャアァァッ! な、何がっ !?」
 動きが止まった一瞬を見逃すはずもなく。将臣は触手ごとカエルを袈裟斬りし、続いて知盛が振るった剣はカエルの首を刎(は)ねていた。
「めぐれ、天の声! 響け、地の声! かのものを、封ぜよっ !!」
 背後で紡がれた封印の言葉に、怨霊の身体は白い光に包まれ、弾け散り── その身体を貫いていた望美の剣がカランと音を立てて落ちた。

〜つづく〜

【プチあとがき】
 ヌルいバトルが続いてすんません(汗)
 もう少し、臨場感溢れる文章が書ければよいのですが…
 おまけに、甘いシーンも全くありませんしね。
 将臣&知盛の連携。こんなことやるかなぁ… チモ。
 二人して場数を踏んでいると思うので、意外にあうんの呼吸でやれるような気もする。
 逆の兄貴が力技パターンも考えたけど、チモが走りそうにないので、兄貴に走ってもらいました(笑)

【2006/01/29 up】