■闘う者たち【8】 将臣

 翌朝。
 … といっても、那智大社に着いた頃にはすでに陽は高いところまで昇っていた。
 結局、三人ともが揃いも揃って朝寝坊、ブランチな時間帯の朝食を軽く済ませると、宿の下男を一人借り受けて、大急ぎで宿を出発したのだ。
 那智大社は静かな佇まいを見せていた。暑い日差しを避けるためか、参詣客の姿もない。
 ただ一人、大社内の見回りをしているのか、舎人が歩いていた。
 望美たちは幾つかの樽を載せた荷車を引く下男をその場に待たせておいて、舎人の元へと駆け寄った。
「すみません、法皇様は──」
「ん? 何奴だ !?」
 当然といえば当然なのだろうが、腰から剣をぶら下げた3人組に、舎人は明らかな警戒を見せた。
「あ、あの、私たち、怪しい者じゃありません。その、法皇様とはちょっとした知り合いで、遊びに来いとお誘いいただいたものですから」
「何だと? お前たちのような者と院がお知り合いのはずなかろう! 帰れ帰れ!」
「本当です! 法皇様に聞いてもらえばわかります!」
 舎人に向かって必死に訴える望美を見て、知盛がクッと喉の奥で笑う。
「… 俺たちのいでたちでは… いくら怪しくないと言われても、そう簡単には信じてもらえまい…」
「確かにな… ま、あいつも張り切ってるみたいだし、任せてみようぜ」
 将臣と知盛のひそひそ話をよそに、望美と舎人の攻防戦は続いている。
「だから、春に神泉苑でもお会いしたし、最近も勝浦でお会いしたんですってば!」
「何? 神泉苑…? もしや、雨乞いの儀のことか? … いや、まさか……」
 舎人は思い当たることがあったのか、急に考え込んでしまった。
「もしや貴女は…、雨乞いの舞を奉納された、白龍の神子様ではありませんか…?」
 舎人の口調が変わり、望美の姿を見定めるような視線を送りながら、おずおずと訊いてきた。
「… そう… ですけど」
 望美の返答に、舎人は急にガバッと地に伏し、深々と頭を下げた。
「こここ、これは大変失礼仕りましたっ! 初めに言ってくだされば── 神子様もお人が悪い……。 雨乞いの儀の折の舞、私も拝見させていただきました! この世のものとも思えぬ美しい舞に応えて、龍神も雨を降らせたのでございましょう。 大変見事でございましたっ」
「え… 雨乞いの…」
 ひれ伏したまま一気にまくし立てる舎人の一言に、望美の顔から血の気がサーッと退いた。
 春の神泉苑での出来事が頭を過ぎる。
 成り行きで舞った舞を見た後白河院が、望美を召し抱えようとしたのである。それを九郎が咄嗟に自分の許婚だと偽って、なんとか免れたのだ。
 だから、後白河院は望美のことを『源氏の大将』に縁があることを知っている。
 これから会う院が、そのことを口に出さなければいいが、と望美は一抹の不安を覚えた。
「わ、私の方こそごめんなさい。頭、上げてください。あの、それで…… 法皇様は──」
「はい、那智の滝に向かわれました。ご案内いたしますっ」
 いそいそと滝の方へと向かう舎人の後ろ姿に、将臣がひゅぅと口笛を鳴らした。
「たいしたもんだな、白龍の神子ってのは」
「もう、からかわないでよ…」
 よほどエキサイトしていたのか、望美は額の汗を拭うと、ぱたぱたと手で顔を扇いだ。
「さてと、作戦開始、ってとこだな」
「うん─── 頑張ろうね」
 ニッと笑う将臣に、力強く頷いてみせる望美。
 待たせておいた下男を手招きで呼び寄せると、三人は舎人の跡を追って那智の滝へと向かった。

 那智の滝に着くと、楽しげな笑い声が聞こえてきた。見渡してみると、滝壷から少し離れた木陰に設けられた席で、 後白河院が女房や貴族たちに囲まれて楽しそうに杯を傾けている。その中には、怨霊が化けた女房も涼しげな顔で紛れ込んでいた。
「おお、これは白龍の神子ではないか。よう参ったな」
「こんにちは、法皇様。お言葉に甘えて、来ちゃいました」
 傍まで近づくと満面の笑みの後白河院に迎えられ、望美も笑顔を返した。
 が、その笑顔の裏で、望美は必死に神に祈っていた。今ここで将臣に自分が源氏に身を置いていることを知られては、 怨霊退治どころではなくなる可能性もある。
(── お願い、話題に出さないで!)
 望美は笑った口元がヒクついているのを感じていた。
 この時、同じ思いを抱いている者がいることにまで、望美の頭は至っていなかった。
 源氏にも平家にも通じている後白河院は『将臣=還内府』であることを知っている。将臣もまた、内心ヒヤヒヤものなのだ。
「いやいや、そなたのような美しい舞姫の訪問が嬉しゅうない者はおるまい」
「はは… ありがとうございます…」
 引きつった笑いで礼を述べておく。頭の片隅に『セクハラおやじ』という単語がふいに浮かび、苦笑に変わった。
「それはそうと、今日は─── ほぅ」
 後白河院は、望美の背後の二人に視線を移し、すっと目を細めた。
「お久しぶりでございますね、院」
 望美の隣に進み出た知盛が頭を下げる。同じく望美を挟むように将臣が立ち、軽く手を振って挨拶した。
 院の後ろに控えていた武士が威嚇するように手を刀の柄にかけて立ち上がろうとしたのを後白河院は手で制し、三人に歩み寄った。
「こんなところでそなたらに会えるとは、実に奇遇よの。どうして熊野へ…… いや、聞くまでもないかの」
 後白河院の顔に笑みが一瞬消え、再び戻ると同時に望美へと向き直った。
「ふむ、龍神の神子とは、世の常識にとらわれぬものとみえる」
「あ、あのっ、法皇様っ!」
 このまま後白河院にしゃべらせておいてはマズイと思った望美は、慌てて話を切り出した。
「私たち、法皇様にお酒をお持ちしたんです。よろしかったら召し上がってください」
「ほう、酒、とな。余は俗世から身を引いたとはいえ、酒には目がなくての。なんとも嬉しい贈り物じゃ。おお、そなたらも一緒にどうだ?」
「はい、喜んで」
 望美は将臣と知盛にそっと目配せした。

「── 白龍の神子よ」
 作戦開始の機会を伺いながらお酌をして回っていた望美は、急に声をかけられて思わず酒の器を取り落としそうになった。
「は、はいっ、なんでしょう?」
 振り返ると、たっぷりアルコールの入った後白河院が赤くなった顔を緩ませていた。
「せっかくの機会じゃ、そなたの舞をもうひとたび見せてはくれぬか」
「ええっ !? 舞、ですかっ !?」
「神泉苑での雨乞いの舞は、まこと見事であったからな」
 座がざわめいた。法皇がそれほどまでに褒める舞とはどんなものかと期待しているのか、きらきらした視線が望美に集中した。
「あの時、そなたを召し抱えておれば、いつでも舞を楽しめたであろうに、九郎にあのように言われては、余も引き下がるしかなかったからの」
「め、召し抱えるって !?」
「… 九郎…… か…」
 望美の反応を楽しむような後白河院の戯れ言に、将臣と知盛がそれぞれ別の部分で反応した。
「わーっ、法皇様っ! やります、舞いますってばっ!」
 放っておけば何を口走るかわからない後白河院を黙らせるには、そう言うしかなかった。

 轟々と落ちる滝を背景に、皆の注目を集めつつ、望美は朔から譲り受けた舞扇を手に佇んでいた。
(はぁーっ、なんでこんなことに……)
 深い溜息を零してうな垂れる望美の耳に、澄んだ笛の音が聞こえてくる。
 笛の嗜みのある貴族が申し出たのだ。こんなところにまで笛を持ってきているとは、貴族というのは本当に雅な生活をしているものだと、 望美は感心半分、呆れ半分で、伴奏を頼むことにした。音がなければ舞うに舞えないというのもあったのだが。
 そして、あろうことか、あの女房に化けた怨霊が、舞に合わせて今様の歌を吟ずることになったのだ。 怨霊女房は望美に向かって挑戦的な視線を投げかけてきたが、望美はわざとらしいほどの笑顔を返した。 もちろん内心穏やかではなかったが、下手にやり返してこちらの企みを気取られるわけにはいかないのだから仕方がない。
 笛の音に怨霊女房の怨霊とは思えぬ美しい声が重なり、望美はすぅっと息を深く吸い込むと舞の中に入っていった。

 望美が気持ちよく舞に身を任せていると、不意にバサリと扇を開く音がした。
「え?」
「共にひとさし… 舞わせていただこうか…」
 意外なことに、それは知盛だった。望美の動きに寄り添うように、優雅に舞い始めた。その途端、女房たちからうっとりとした羨望の声が上がった。
(ええぇぇぇっ! ウソでしょぉ !?)
 戦うことしか知らないと思っていた知盛にこんな雅な特技があるとは── 望美は目を丸くして知盛を見た。
「クッ… そんなに意外だったか?」
「うん… びっくり」
「… そう堅くなるなよ。取って食いはしないさ…… 今はな」
 『今』を強調してニヤリと笑う知盛。
 冷たい口調はゾッとするものだったが、その舞は優しく柔らかなものだった。こんな優しい舞のできる人物と、 いずれ剣を交えることになるかもしれないと思うと、望美の胸中は複雑だった。しかし、今この場は、心地よさが望美の身体を支配していた。
 将臣は苦い顔でその様子を見つめていた。
 望美が知盛にうっとりとその身を預けているように見えたからだ。そして何より、艶やかで美しかった。
「望美………」
 寄り添う二人の間に乱入して引き離したい衝動に駆られたが、ここで騒動を起こすわけにもいかず、将臣はただ拳を握り締めて耐えていた。

〜つづく〜

【プチあとがき】
 舞イベ、入れてみました(笑)
 甘い部分がなくてすんません。長い目で見ていただけると…。
 この後の展開は一応決まってるのですが、なかなか話が進みませんね。
 前話で予告した火神子関連も次回以降に持ち越しです。
 うーん、この話はいつまで続くのか…。

【2006/01/23 up】