■闘う者たち【7】 将臣

「こちらでございます」
「はあ… ありがとうございます…」
 宿のおかみであろう恰幅のよい年配の女性に案内されて通されたのは、たいして広くもない部屋。そこには場違いなほど立派な屏風や几帳がでんと置かれ、 それらに囲まれたところに設けられた座の側にはこれまた無駄に立派な脇息が置かれている。
「急ごしらえのお部屋で申し訳ございません。けれども、調度はこの宿一番の物をご用意させていただきましたわ」
「はあ… すみません…」
 部屋の設えによほど自信があるのか、鼻息も荒く胸を精一杯反らしている、やたら迫力のあるおかみに気圧されて小さくなる望美。
「もうしばらくしましたら、夕餉をお持ちいたしますわね。それまでごゆっくりおくつろぎくださいまし」
 おほほほ、と笑いを残し、パタンと障子が閉められた。
 一人取り残された望美は、部屋の中をぐるりと見回した。ゴテゴテと置かれた調度類が迫ってくるようで、なんとも居心地が悪かったが、 一日歩き回った疲れには勝てず、足を投げ出してくつろいだ。
「けど… なんなのよ、部屋から一歩も出るなって……」
 部屋に通される前に将臣に言われた言葉を反芻して、ひとりごちる。
 将臣は宿の帳場で部屋を取ってくれた後、『晩メシは一人で食ってくれ、日が落ちたら迎えに行く、 とある貴族の姫君のお忍びの旅だと言ってあるから一歩も部屋を出るな』と一方的にまくしたてると、 望美をおかみに預け、さっさと自分の部屋へ戻っていったのだ。
「もう… わけわかんないよ…」
 望美はゴロリと横になると、天井を見つめた。
 ふと、どうして自分は今、こんなところで寝転がっているのだろう、と疑問に思う。
 ここにはいない仲間たちの顔が頭を過ぎった。
 それでも。
「蛍、かぁ…」
 いつになく余裕のない様子で自分を強引に引き止めた将臣の顔を思い浮かべ、望美は顔を緩ませた。

「── み、望美っ!」
 肩を揺すられ、意識が戻る。
 『貴族の姫』が効いたのか、出されたのはそこそこ豪華な夕餉。それを一人寂しくつつき、ぼーっと考えごとをしているうちに、 いつの間にか脇息にもたれて眠っていたらしい。
「え… あ、将臣むぐっ」
 手のひらで口を塞がれ、目を白黒させる望美。
「バカ、声出すな」
 小声ではあったが、その語勢は強い。
「な、なにするのよっ!」
 望美は将臣の手を引き剥がすと、同じく語気の強い小声で抗議した。
「お前がここにいること、知盛には内緒なんだよ」
「え」
「ま、気にすんな。行こうぜ」
 将臣は望美の手を引くと、障子を少し開けて頭だけを出して周囲の様子を伺い、するりと廊下に出た。

 夏とはいえ、日が落ちた後の戸外を吹く微風が心地よい。
 見上げた宵闇の空に、山の稜線が黒々と影絵のように浮かび上がっていた。
 目線を下ろすと、小さな水の流れにまとわりつくように、たくさんの蛍光色の粒が闇の中に乱舞している。
「わあ…… っ」
 その幻想的な光景に、望美は思わず声を上げた。
「すごいだろ」
「うん、すごく綺麗!」
 目を輝かせて川面を飛び交う蛍を見つめる望美の横顔を、将臣は満足そうに眺めていた。
「初めて見たときに、お前にも見せてやりたいと思ったんだ。実現できてよかったぜ」
「私も── 見れてよかったよ。ありがとう、将臣くん」
 満面の笑みで振り仰いだ望美の顔に、将臣は目を奪われた。思わず喉がコクリと小さく鳴る。
 素直に喜ぶ望美のあまりのいとおしさに、抱き寄せようと手を伸ばした時──。
「あ、そうそう」
「んあ?」
 望美が急に表情を変えたため、将臣が伸ばしかけた手は所在なく望美の肩を通り越して、ガシガシと後ろ頭を掻くことになった。
「ね、みんなに何て知らせたの? 私がここに泊まる理由」
「ああ、それか。…… 俺の連れにガキがいて、そいつがお前のこと気に入って離さないからってことにした」
 将臣が川の土手に座ると、望美も隣に腰を下ろした。
「やだ、何それ」
「仕方ねぇだろ。お前が病気で寝込んだとか言えば、あいつらすっ飛んでくるだろ? だからって他の人間を病気にしたってお前が帰らない理由には ならねぇしな…… まるで学校のズル休みの口実考えてるみたいだったぜ」
 将臣は、ははは、と自嘲の混じった乾いた笑いを漏らす。望美もつられるようにクスクスと笑った。
「やだなぁもう。でも、私のこと離さない子供って、将臣くん自身──」
 望美は言いかけて、うっ、と言葉を詰まらせた。同時にそむけた顔が赤く染まっていくのが暗がりでも見てとれた。
「そうだな…… 俺もたいがいガキだよな……」
 将臣はポツリと呟いて、望美の頭にポンと手を乗せた。

 その時、ガサリと地を踏む音が聞こえた。
 将臣も望美も咄嗟に腰に手をやるが、そこには何もない。二人とも剣を宿に置いてきていたのだ。緊張感に息をひそめ、身体を低くして身構えた。
「ほぅ…… 白龍の神子殿と密やかな逢瀬だったとはな……」
 蛍の放つ淡い光に照らされて現れたのは、静かな笑みを浮かべた知盛だった。
「と、知盛っ !? なんでっ」
「お前と酒でも酌み交わそうと思ってな…」
 よく見れば、知盛の手には小振りの酒瓶が提げられていた。
 将臣は小さく舌打ちすると、浮かしていた腰を力なくぺたりと下ろした。
「お前…… 俺の跡をつけてきたのか…?」
 知盛は恨めしそうに唸る将臣の問いにはすぐには答えず、ぐるりと回り込んで望美の隣に腰を下ろした。
 緊迫感溢れる二人の男に挟まれ、望美は落ち着かなかった。
「あ… じゃあ、二人で飲むんなら、私は移動するね」
 険悪なムードにいたたまれなくなって早々に退散しようと腰を浮かした望美の目の前に、すっと差し出された杯。 思わず出した手の上にそっと置かれた。
 もう一つの杯をひょいと将臣に投げておいて、それぞれに酒を満たす知盛。
「え、ちょ、ちょっとっ」
「… 飛び交う蛍を肴に飲む酒か… なかなかの風情じゃないか…」
 喉の奥で小さく笑うと、知盛は杯を傾けた。
「なんだ、やっぱり気付いてたんだな… こいつがいること」
 知盛は返事の代わりに片眉を吊り上げた。
「じゃなきゃ、杯が三つある説明がつかねぇ…… たく、油断も隙もねぇな」
「さてな…… お前があまりにも心ここにあらずなのが気になった…… とでもしておくか…」
「チッ… お前がそんなに心配性だとは思わなかったぜ」
 知盛は望美越しに睨んでいる将臣を意に介さない様子で、酒を飲み続ける。
「あ、え、でも、私、お酒は……」
 意見を求めるように、キョロキョロと両サイドの男の顔を伺う望美。
 知盛は静かに杯を傾け、将臣はヤケ酒とばかりにグビリとあおっていた。
「それ一杯くらいなら大丈夫だろ。何事も経験だと思って飲んどけ」
 望美は意を決してチビリとすすってみた。
 初めて口にした酒の口当たりは思った以上にまろやかだった。ふわりとアルコールが鼻に抜ける。
 が、飲み下した途端、酒は望美の喉を焼いた。
「う゛わ゛あ゛」
 妙な叫び声を上げて咳き込む望美。
「ははっ、お前に酒はまだ早かったな」
 将臣は望美の持っていた杯を取り上げると、残っていた酒を飲み干した。
 杯を傾ける手を止め、その様子を眺めていた知盛は、再び自分の杯に戻った。

 通夜の席のような酒宴はまだ続いている。
 最初の一口でギブアップした望美は、男二人の間から抜け出す機会を逸し、いつの間にかお酌係になっていた。
 この最悪な雰囲気を何とかしようと、望美は酒瓶を抱きしめ、必死に考えを巡らせていた。
 これまでにも他愛ない話題を振ってみたものの、一言二言で会話は終了していた。
「……… えと… あー…、そうだ、蛍ってさ、結構いろんな種類いるよね」
「… そうだな」
「ここにいるのはなんだろうね。ゲンジボタル? ヘイケボタ… ル……?」
 一瞬にしてその場が凍りつく。
(うわ、しまったっ! 虫の名前とはいえ、よりによって「ゲンジ」と「ヘイケ」っ !?)
 さらりと流してしまえばまだよかったものの、言いよどんでしまったことを将臣はどう思っただろうか── 望美は頭を抱えてどこかに逃げ込みたかった。全身から嫌な汗が吹き出してくる。
 おもむろに知盛がクッと笑った。
「… お前の世界では、蛍にそんな名前がついているのか…?」
 望美はゴクリと唾を飲み込んだ。
「そ… そうだよ」
「小さき虫にその名を冠され、美しいと喜ぶべきか、矮小だと憂うべきか── 複雑だろうな…… 源氏も、平家も…」
 知盛はゆらゆらと舞う蛍の光に目をやり、楽しそうに笑みを浮かべた。
「── 望美、知ってるか? 蛍ってな、卵の時から光るんだぜ」
 話題転換のために無理矢理絞り出した話題だとすぐにわかった。将臣にとっても、望美の前で「源氏と平家」について口にしたくないはずだ。 望美は将臣が持ち出した話題にありがたく飛びついた。
「えっ、そうなの?」
「全部が全部そうなのかは知らねぇが… 幼虫も、サナギも光るんだと」
「へぇ、そうなんだー。将臣くん、詳しいね」
「ガキの頃、昆虫図鑑で見たきりだけどな」
 将臣は懐かしそうにそう言って、酒を喉に流し込む。
「ふふっ、男の子って、昆虫好きだもんね。私は苦手だけど」
「そういや、小学校の頃、肩に止まった蝶にビビッて大泣きしてたもんな」
「怖いものは怖いんだもん、しょうがないじゃない」
 唇を尖らせ、軽く拗ねてみせる望美。
「怨霊は怖がらねぇくせに」
「もちろん、最初は怖かったよ。けど─── 私にしか封印できないんだもん、覚悟ができちゃったよ」
 望美は正面を見据えてポツリと呟く。声は小さかったが、はっきりとした意思を感じる呟きだった。
「クッ…… 覚悟、か……」
 これまで口を閉ざしていた知盛が感慨深げに言葉を紡ぐ。
「そう、覚悟。白龍が大変な思いをしてわざわざ私を神子に選んだのも、私にしかできないことがあるからだと思うの。 この世界の人が思いつかない、突拍子もない考えが浮かぶかもしれない…… だから私は、自分にできることを精一杯やらなくちゃ。 もう誰も傷付けないないために、もう誰も失わないために──」
 望美は思いつめた表情で胸元の白龍の逆鱗をぎゅっと握り締めた。
 その様子に将臣の眉根が寄る。話はわからなくもないが、ここまでの覚悟を見せる望美に何があったのだろうか、と訝った。
「望美…?」
 そっと肩に置かれた将臣の手の感触に、望美はハッと我に返り、キョトキョトと周りを見回した。
「え、あ… わ、私、何ひとりで盛り上がっちゃってるんだろうね、あ、あははは」
「あんまり思いつめるな──」
「だ、大丈夫だよ、うん…… さ、明日に備えて、もう休もうよ。酒盛りはおしまい!」
 望美は将臣と知盛の手から杯を取り上げると、二人を残してさっさと宿へと向かって歩き出した。
 残された二人も気だるそうに腰を上げ、望美の後に続く。
 川辺には静寂が戻り、宴はお開きとなった。

 その夜、望美はなかなか寝付くことができなかった。
 思っていたことを声に出して言ってみて、やはりそれしかないと決意する。
 ──すべては明日。
 望美は大きく深呼吸すると、しばし身体を休めるため、目を閉じた。

〜つづく〜

【プチあとがき】
 おやおや、またストーリー破綻か?(笑)
 前回、将臣が『蛍』を出したところで、ネタにお気づきの神子様方も多いことでしょう。
 源平がモチーフの話に、こんなおいしい小道具、使わないわけにはいきませんわ。
 生かしきれてませんが。
 つーても、この寒い中、夏の情景を書くのは難しい。
 さて、次回より本格的に怨霊退治へ行きます(たぶん)
 で、注意事項として、うちの神子、火属性です。あたしの誕生日で登録したら、そうなりました。
 おかげでチモ戦が楽だったけど。
 それは置いといて。
 このお話の望美も火属性ということにしてください。次回の話の中にそれが関わってくるかもしれません。
 いや、もしかしたら、ですが。

【2006/01/19 up】