■闘う者たち【5】
将臣の姿が見えなくなると、望美はふぅと息を吐いて、後ろの木にもたれかかった。
横を見れば、知盛は依然自前の腕枕で静かに横たわっている。
辺りは那智大社へ向かう参拝客と、茶店で一息つく客たち、そして真夏の象徴とも言える蝉の声で賑わっている。
そんな喧騒をBGMに、望美は頭の中でいろんな思いを巡らせていた。
知盛が束縛の術をかけた意図も理解できなかったし、八葉でもない知盛が白龍の神子の力を借りた術を発動できたことが気になっていた。
しかし、熊野川に異変をもたらしている怨霊を倒す、という目的があるにせよ、しばらく離れたままになっていた将臣と一緒に旅ができるのは、
望美にとって嬉しいことだった。並んで道を歩き、一緒にものを食べ、軽口を言い合う。元の世界にいたころは当たり前だったことが、
何故か新鮮で嬉しかった。
目的を達すれば、再び敵と味方に別れてしまう。そのままこの運命を進めば、いずれ対峙することになるのだ。
そんなことにならず、誰一人欠けることなく戦いを終わらせることができる運命に辿り着くことができれば、それに越したことはない。
が、もし戦わなければならないのなら、自分と仲間の身を守るために剣の腕を鈍らせるわけにはいかない。
が、今の状況── 源氏の人間と平家の人間がひとつの目的で行動を共にしていることが、この世界から戦いを無くすきっかけになりそうな気がしていた。
『源氏の神子』と『平家の将』が、お互いをそれと知った上で、並んで木陰で休息を取っている。関係者が見れば、驚くことは間違いない。
この世界から戦をなくすために、自分には何かできるはず──。
いつまでもぐるぐると頭の中を巡り続ける思考は、一向にまとまる気配はなかった。
行き交う人々は楽しそうに笑い、隣で横になっている知盛の背中がゆっくりと上下している。
平穏そのものの光景。
あまりに考えすぎて疼き始めた頭を軽く振りって大きく深呼吸する。入道雲が立ち昇る夏の青空を木陰から見上げた。
「ふふっ… なんか、いいよね、こういうの」
飽和状態の思考を一時停止して、ふと浮かんだ思いを口に出して呟いてみる。
「──── 白龍の神子殿は、平穏を愛す… か」
「うわっ、起きてたの !?」
眠っていると思っていた知盛から返事が返ってきた。望美は驚いて、反射的に身構えた。
知盛はゴロリと転がって仰向けになると、両手を頭の下に敷いた。チラと望美を見た後、視線を空に向けて眩しそうに目を細めた。
「… 敵に背を向けて眠るなど… 愚か者のすることだろう?」
「敵って… 私のこと?」
「クッ… 他に誰がいる? 首を取らなくてよかったのか? 平家の戦力を削ぐ好機だったろう」
知盛はゆっくりと起き上がり、片膝を抱くようにして座ると、口の端に笑みを浮かべ、望美の反応を楽しむかのように顔を覗きこんだ。
「なっ !? こんな人の目がたくさんある中でそんなことしたら大騒ぎになっちゃうでしょ!」
「ほぅ… では、人の目がなければ、そうしたということか…」
知盛の顔が意地悪そうな笑みになる。
「そうじゃなくて! 寝てる人を斬りつけるなんて卑怯な真似、しないわよ。それに── 今は敵じゃないし」
視線を落とした望美の前にすっと影が差した。
「え?」
気がつけば、すぐ目の前に知盛の顔があった。
知盛は身を乗り出し、望美の足の向こう側と、望美の頭上の木の幹に手をついて身体を支えている。
少し身じろぎすれば、鼻先が触れそうな距離だった。
「わわっ、ちょ、ちょっと知盛近すぎっ!」
逃げようにも望美の背後には大木がそびえている。望美は精一杯両手を突っ張って、知盛の身体を押し戻すしかなかった。
「… 再びお前を縛して、さっきの続きを楽しんでもいいが……」
「や、やめてってばっ!」
口元を歪めた笑みに、望美の背筋に寒気が走る。
「俺は… お前が敵でよかったと思ってるぜ? 一刻も早くお前と剣を交えたいと願っている。なんならここで剣を抜いてもいいが?」
「馬鹿なこと言わないでっ! 人が一生懸命、戦をなくして平和になる方法考えてるっていうのにっ!」
「福原を攻め落とした源氏がよく言う……」
「それは──」
望美は言い返せずに言葉を詰まらせた。成り行きとはいえ、平家の安住の地となったかもしれない町に攻め入り、
平家の人々を追い出してしまったのは紛れもない事実だった。言い訳のしようもない。
言いよどむ望美を見て、知盛がふっと笑う。
「人は権力を求めずにはおられまい… 権力は力によって奪われ、力は力によって捻じ伏せられる……。
戦は… 終わることはない。平穏という毒に蝕まれ、ゆるゆると死んでいくくらいなら、戦の中で花と散るほうが、よほどいい…」
夢を語るような知盛の言葉に、望美の瞳が揺れた。
ふと手の中に『感触』が甦る。いくつもの別の時空で、目の前にいる男を斬った時の、剣の柄から伝わる鈍い衝撃。
同時に、望美の中に哀れみと罪悪感が押し寄せてきた。
そんな思いが表情に出てしまっていたのか、それに気付いた知盛が眉をひそめた。
「なぜ… そんな目で、俺を見る? ── 見るのならば、戦いの中でお前が見せる、焔のようにたぎる目にしてほしいものだな…」
「だから戦いはやめ── っ !?」
知盛は木の幹から手を離し、突っ張っていた望美の手首を掴んで軽く捻り上げると、ぐいと身体を寄せて顔を近づけた。
「… 剣を振るうお前は美しい……。… 俺を、楽しませてくれよ…」
「知盛、手、放して」
望美は痛みに歪めた顔で、キッと知盛を睨みすえ、低い声で唸った。
知盛は軽く鼻で笑うと、腕を捻る手に少し力を込めた。
「い… っ!」
望美の顔がさらに歪む。
その時、知盛は望美の手首を掴む手の中に、違う感触があることに気がついた。よく見れば、袖口から伸びる細長い布を一緒に掴んでいた。
望美の精彩を欠いた動きと、過剰な痛みの訴えを、知盛は納得した。
知盛は手を放すと、身体を戻して座りなおした。
「… 袖を上げてみろ」
「え?」
「袖、だ。… 包帯が解けているのだろう?」
「あ」
望美がそろそろと袖を捲り上げていく。
解けた包帯が、螺旋を描いて腕にまとわりついている状態だった。かろうじて傷の上に止まっている当て布には、血が滲んでいた。
「いつからだ?」
「あー、えっと… 3回目の戦いの後くらい… かな…… ほら、傷もたいしたことないし、動くと擦れてちょっと痛いかなーぐらいで」
「… 幼なじみ殿に言えばよかろう。遠慮する仲でもあるまい?」
「そうだけど… ちゃっちゃと済ませて、帰って手当てしてもらおうかなー、なんて」
平家の存亡がずっしりと肩に圧し掛かっているであろう将臣に、僅かなことでも心配させるのが憚られるのだった。
「クッ… 気丈な女だ…」
話す間に、知盛はくるくると器用に包帯を巻き取ると、望美の腕に巻き直しはじめた。
「あ、ありがと…… 知盛って、結構優しいんだね」
知盛の片眉がピクリと上がる。「優しい」などと言われつけていない知盛は妙に居心地の悪い思いだった。
「クッ… 利き腕を敵に預けているというのに、呑気なものだな」
「だから、今は敵じゃないってば」
「── クッ、あくまで言い張るか… 悪いが、俺は… 優しくなどない……」
「ふぅん… でも、やっぱり優しいと思うけどな。戦うことしか考えてないんだと思ってたよ。ちょっと見直したかも」
知盛はフンと鼻で笑って、答えなかった。巻き終わりをしっかり結わえると、すっと立ち上がり、望美に背を向け歩き始めた。
「ちょっとどこ行くのっ !?」
「さあな…… すぐに戻る。神子殿はここで有川を待っていればいい」
「知盛っ !? … もう……、勝手なんだから…」
もうすぐ将臣も戻ってくるだろう。二人してここを離れるわけにもいかないし、下手に追いかけて再び束縛の術をかけられるのもゴメンだった。
結局、望美は浮かした腰をストンと下ろした。
知盛は背後に望美の姿が見えなくなると、足を止めた。
望美と話していると、どうも調子が狂わされる。今までに彼が出会ったどの女とも違うタイプだからかもしれない。
思う存分剣を合わせたいと願う自分と、彼女が望む平穏を見てみたいと思い始めた自分がいる。
そんなジレンマに居心地が悪くなって、望美の前を立ち去ってはみたものの、行く当てもなく。
強い陽射しを避けて木陰に入ると、根元に腰を下ろし、幹に背を預けた。
見上げれば、広がる蒼穹の高い位置に雲がゆっくりと流れていく。
(… 平穏も悪くない… か……)
ふと過ぎった考えに、知盛はフッと自嘲の笑みを零した。
【プチあとがき】
語り合う望美と知盛。今回、兄貴出番なし。
戦いの中だけでなく、普段の神子殿にも恋愛フラグ成立か(笑)
普段のチモは結構優しいと、あたしは思うのさ。
加筆修正してます(汗)
【2005/12/2 up/2006/1/14 改】