■闘う者たち【4】
那智の滝。
那智大社のご神体だけあって、荘厳な雰囲気が辺りに漂っている。大量の水が流れ落ちる轟音が、あたりの音をすべて飲み込んでいた。
深い滝壷の上には、綺麗な虹が弧を描いている。
その側に望美と将臣の二人の姿。どうやら知盛は遅れているらしかった。
滝壷から煙る水飛沫が、疲れた身体にひんやりと心地よかった。
「ん〜、気持ちいいね〜。なんかマイナスイオン効果って感じ?」
背伸びをしながら、全身に飛沫を浴びる望美。あまりの爽快感からか、すっかり機嫌は直っている。
「だな。だが… 誰もいねぇみたいだな…… チッ、空振りか……」
辺りをキョロキョロと見回しながら、将臣が声を張り上げる。それでも滝の轟音が声を掻き消し、隣にいる望美にも聞き取りづらかった。
「それはいいとして……、望美、暑いからってあんまり滝に近づきすぎて、落ちるなよ」
ニッと笑う将臣に、望美はぱたぱたと手を振る。
「あはは、やだなぁ、子供じゃあるまい── し?」
将臣の方へ身体の向きを変えようとして足を動かした瞬間、濡れた岩で足元がずるりと滑った。
「─── っ !?」
「望美っ !?」
(落ちる─── っ!)
ふいに襲った浮遊感に、望美は思わずぎゅっと目を瞑った。直後、手首と肩にズンとした痛みが走る。
「大丈夫かっ !?」
上から降って来た声に、恐る恐る目を開けると── 目の前に土の壁があった。
パラパラと乾いた音を立てて、壁から小石が崩れ落ちる。それを目で追うと、足元に地面はなく、プラプラと足が揺れていた。
遙か遠くに泡立つ水面からの大粒の飛沫が身体にまとわりつく。
急に襲ってきた恐怖に、背筋が寒くなった。
見上げれば、将臣が必死の形相で覗き込んでいた。伸ばした手は、望美の右手首をしっかりと掴んでいる。
「ま、将臣… くん…」
「あ… っぶねぇ…… ったく、俺の冗談を本気にすんなよ」
将臣はふんっと力を込めて、望美を引っ張り上げた。そのままもつれ合って地に倒れ込む。
「…… こ… 怖かった……」
もしもあのまま落ちていたら── 考えるだけで心臓がバクバクして、震えが来る。
剣の腕に多少自信のついた今では、怨霊と出くわした時すら恐怖は感じない。目の前の敵を倒せばいいのだから。
だから、自分ではどうすることもできないこういう状況の方がよほど恐ろしいのである。
転がったまま、腕の中で小さく震える望美を、将臣は優しく抱きしめた。
「ガキの頃から変わってねぇな。危なっかしくてしょうがねぇ」
子供をあやすように、ポンポンと優しく望美の背中を叩く。
「あ… そういえば、子供の頃の旅行でも、滝に落ちちゃったんだよね… 今日は将臣くんがそばにいてくれてよかったよ、ありがとね」
最後の方は、将臣の胸に顔を埋めたせいで、声がくぐもっていた。
「ま、一緒にいる時ぐらいは、ちゃんとお前の八葉やらなきゃな」
「うん、頼りにしてるよ」
望美は将臣の胸から顔を上げ、にっこりと笑う。将臣は珍しく少し照れ臭そうな顔で笑みを返すと、もう一度望美をギュッと抱きしめた。
「あ、そうだ」
「ん?」
将臣は名残惜しそうに腕を解くと、望美に手を貸して身体を起こしてやった。続いて自らもひょいと身軽に起き上がった。
望美は一応起き上がったものの、ぺたりと地面に座り込んだ。滝に落ちそうになった恐怖の名残りなのか、
将臣に抱きしめられていた余韻なのか、身体に力が入らなかった。
大きな深呼吸をしてから、口を開く。
「あのね、さっきのことなんだけど」
「あー、悪い。あれ、忘れてくれ。なんか俺も大人げないっつーか──」
バツが悪そうに頭を掻く将臣。
「それはいいの」
「は?」
「どうして知盛が、白龍の神子の力を借りた技が使えたんだろう…」
口元に軽く手を添えて考え込む望美。頬にはまだほんのりと赤味が残っているものの、その眼差しは真剣そのものだった。
「ああ、そっちか…。ま、今ここで考えてもしょうがねぇだろ。俺たち八葉が技を出せることですら謎なんだからな。
それより今は怨霊退治が先だろ」
「でも…」
「使えるもんはありがたく使っときゃいいのさ。さ、次行こうぜ。立てるか?」
将臣はいまだ悩み続ける望美の頭をぽむぽむと叩くと、さっと立ち上がって望美に向かって手を差し延べた。
「そう… だね…」
差し出した手を望美が掴むと、将臣はしっかりと握ってぐいと引っ張り、立ち上がらせてやった。
「いつまでもここにいてもしょうがねぇしな── 瀞八丁とやらに行ってみるか」
「うん、そうだね」
ぱたぱたと身体の泥を払いながら、望美も同意する。元来た道を引き返そうと並んで歩き始めた時、ふいに望美が足を止めた。
「あ、その前に──」
くぅ〜っと響く音。俯いた望美の顔がみるみる赤くなる。それを見て、将臣がぷっと吹き出した。
「やっぱ色気より食い気じゃねぇか」
「… 何か言った?」
ボソッとつぶやいた将臣の言葉にすかさず反応する望美。
「いや、なんでもない。腹の虫が悲鳴上げる前になんか食おうぜ。那智大社あたりまで戻れば店もあるだろ」
「イマイチ納得できないんですけど…… あ、知盛」
再び歩を進め、滝の水が落ちる轟音が少し後ろに遠ざかった頃、山道の木陰で知盛が待っていた。
「知盛ーっ! お腹空かない? お昼ごはんにしようよ!」
ぱたぱたと知盛のところへ駆けていく望美の姿に、将臣は深い溜息を漏らした。
「── ったく、やっぱ食い気じゃねぇか。にしても、無防備っつーかなんつーか…… 人の気も知らねぇで…」
再び溜息を零し、苛立たしげに前髪をかき上げると、望美のあとを追った。
「あー、おいしかった。ごちそうさまでした〜」
律儀に手を合わせ、食事を終える望美。
膝の上には、大きめの盆に空になった3枚の皿と3つの湯飲みが置かれている。
那智大社の境内は、さすがに神聖な場所なせいか、食べ物を売る店は構えていなかった。
大社を出て、勝浦から北へ伸びる街道にぶつかるまでの小道にようやく茶店を見つけ、軽い昼食を取ったのだ。
団子にお茶という、質素なおやつ的メニューではあったが、お腹が減っていれば何でもおいしく食べられるものだ。
小さな茶店は、那智大社への参詣客でそこそこ賑わっていた。店構え自体が小さい上に、他に店がないのだから、完全独占営業だった。
店の中に入れなかった三人は、盆を借りて近くの木陰に腰を落ち着けた。一本の大きな木の幹を背もたれにして、望美を挟んで両側に将臣と知盛。
伸ばして座った望美の足の上に置かれた盆がテーブル代わりである。
「腹ごしらえも済んだし、そろそろ行くか─── 望美、水はまだあるか?」
「あ、ううん、もうないよ」
朝、竹筒に入れて持ってきた水は、とうの昔に空っぽだった。この夏の暑さの上に、何度も怨霊との戦闘をこなしているのだから。
「脱水症状起こしてもしょうがねぇしな… 店でもらってくるか。── おい、知盛……?」
望美の隣に座っているはずの知盛を覗き込んでみれば、いつの間にやら昼寝体勢に入っていた。腕を枕に、望美たちに背を向けて身を横たえている。
「ったく…」
将臣は立ち上がると、伸ばした望美の足をまたいで、知盛の腰に結わえた竹筒を取った。3人分の竹筒を盆に載せると、それを抱えて店へと向かった。
すぐに将臣が戻ってきた。
「どうしたの?」
「ここには井戸がないらしくてな、裏山の湧き水を汲んでるんだと。… 店のオヤジが案内してくれるらしいが……」
将臣はいらだたしげに後ろ頭を掻く。
竹筒3本分の水汲みなど、3人で連れだっていくほどのことではない。自分ひとりで事足りる。
が、二人をここに残して、自分が離れることの方に抵抗があった。
「私も一緒に行こうか?」
頭を掻きながらぶつぶつ呟いている将臣に、望美が怪訝な顔で声をかける。
「あ、いや… お前疲れてるだろ。しばらく休んどけ── 俺が行ってくる」
たかが水汲みに、並々ならぬ決意表明をする将臣の姿に、望美はプッと吹き出した。
「大丈夫だよ、怨霊が来てもちゃんと戦えるよ。知盛もいるし」
にっこりと笑う望美。
怨霊よりも、その知盛が最大の敵である、という複雑な男心に、望美は気付くこともなく。
はぁーっと大きな溜息を零すと、将臣は再び茶店へと向かった。
【プチあとがき】
知盛、存在感なし(笑)
次で活躍することでしょう。
ゲームのイベントをアレンジしてますが、どうなんでしょうねぇ。唐突すぎますか?
将臣たん、こんな人じゃないと思うんですが。完全なニセモノですな。
ま、基本が「将望ベースの裏熊野」というありえねー設定ですから。
つーか、平安末期に茶店とかってあるんでしょうか。
時代劇の見過ぎでしょうか。
ま、別の時空のファンタジーですから、なんでもアリっ!ってことで。
甘い話をご所望の神子様方には物足りないことでしょうが、もうしばらくお付き合いを。
加筆修正により、ストーリー展開に一部変更があります。
【2005/11/22 up/2006/1/14 改】