■闘う者たち【2】 将臣

「おはよう、将臣くん!」
 将臣が宿の玄関を一歩出たところで声をかけられる。声の主はもちろん、白龍の神子・春日望美。
「よ、早いな。今からそっちの宿に向かうところだったんだぜ。迎えに行くって言ったろ?」
「ごめん、待ちきれなくて」
 将臣に駆け寄り、えへへっと笑う望美の頭をくしゃりと撫でる将臣。その将臣の顔もまた笑顔になる。その優しい表情は、 『還内府』としての彼しか知らぬ者が見れば、目を疑ったことだろう。
「どうだ、傷の具合。まだ痛むか?」
「ううん、平気。上っ面だけだったし、弁慶さんの薬よく効くし── ちょっと叱られたけど」
 望美はぺろっと舌を出して、小さく肩をすくめてみせる。ちょっと、と望美は言うが、相当お灸を据えられたことは将臣の想像に難くない。
 実際のところ、将臣と話をしてくると言って出かけた望美が傷を負って戻ってきたのである。八葉マイナス1と対の神子はいきり立った (白龍は、望美と繋がる龍脈で大した危険はないとわかっていたらしい)。何処へ行った、何をした、無茶するな、自重しろ、と皆に詰め寄られた。 確かに同じ傷でも、負った状況がわかっているのと、そうでないのとでは心配の度合いが違う。望美はひたすら謝るしかなかった。
「うわ、マズイな… お前、俺と一緒に行動してるって言ってるんだよな?」
「もっちろん。将臣くんが一緒なら安心だから、って送り出してくれたんだよね〜」
 実際は今日も出かけるという望美を、八葉たちは総出で引き止めた。しかし、今日こそは外を出歩かないと固く約束する望美に 根負けした形で渋々送り出したのだった。
 守れない約束に後ろめたい気持ちもあったが、望美にとっては将臣に会えることのほうが重要だった。 だから、危険を承知で平家の将に立場を明かしたのだ。そうすれば僅かの間でも将臣の傍にいられるということを、 望美は別の時空で知っていたから──。

「かーっ、次合流した時、叱られるんだろうな、俺も」
 将臣は額に手を当て、大げさに天を仰ぐ。
「うん、覚悟しといたほうがいいよ。譲くん、カンカンだったから」
「だろうな…… 譲にしても、他の奴らにしても、お前が一番大事だからな」
 弟を筆頭とした八葉たちに叱られる場面でも想像したのか、うんざりした顔で頭をがしがし掻いている将臣。
「あれ〜? 将臣くんにとっては一番じゃないの?」
「バーカ、当たり前のこと聞くな」
 そう言って、将臣は少し拗ねた望美の鼻をきゅっと軽くつまんだ。つままれた鼻先が妙にくすぐったい。
「へへっ……、じゃ、今日は心して私を守るように」
「ははーっ、承知つかまつりましたーっ」
 手を腰に、胸を思い切り反らして鷹揚な物言いをする望美に向かって、将臣は立ったままひれ伏す真似をする。
「うむ、苦しゅうない。面を上げよ」
 素直に顔を上げる将臣と目が合って、望美はぷっと吹き出した。
 往来を行く人々の視線も何のその、二人はゲラゲラと笑う。お互い秘めた心の内を、笑いの中へと押し隠すかのように。

「さて… 挨拶が済んだなら、行くか?」
 宿の戸口に寄りかかってた知盛が、二人を背に歩き出した。二人から顔は見えなかったが、微妙に不機嫌さが声に表れている。 それは朝が苦手な知盛が早朝から叩き起こされたことへの不満だけではないらしい。
「あ、知盛もおはよう! 今日も頑張ろうね!」
 声をかけられて知盛は立ち止まり、肩越しに望美の方を振り返った。不思議そうに片眉をつり上げている。
「あー、ちょっといいか」
 将臣が言いにくそうに望美に話しかけた。
「ん? なに?」
「今の挨拶、ツッコミどころ満載だったんだが…」
「どこが?」
「『知盛も』って付け足しみたいでかわいそ過ぎじゃねえか? それから『今日も』はおかしい。昨日あいつ全然戦ってないし。 もうひとつ── なんで『知盛』って呼び捨てなんだ?」
 最後の質問にツッコミ以上の感情が入っている。日頃、自分自身の感情はあまり表に出さない将臣の意外な一面を見たようで、 知盛はクッと小さく笑った。
「え? それは…… んー…」
 望美は腕を組んで考え始めた。特に思うところなく出た言葉だったのだから、なんで、も何もない。最後の質問に関しては、 以前ここではない時空で会った知盛が敵だったから、としか言いようがないのだが── 将臣には言えるはずもなく。
「えーと、じゃあ…… 『知盛くん、おはよう! 今日は頑張ろうね!』? …… うわ気持ち悪ぅ〜」
 真冬の屋外に放り出されたかのように身震いして自分を抱きしめる望美。
「…… すまん、俺が悪かった」
 将臣はバツが悪そうに後ろ頭をわしわしと掻く。『知盛くん』に対する望美の感想に同調したらしい。
 自分の名前の呼び方で盛り上がる二人をフンと鼻であしらい、知盛は再び歩き始めた。
「わーっ、知盛待って待って! 今日はそっちじゃないの!」
「なんか当てでもあんのか?」
 すたすたと歩み去ろうとする知盛を呼び止めた望美に、将臣が質問する。
「うん、白龍がね、北に穢れと水気の偏りを感じるって」
「へぇ、マジでレーダーみたいな奴だな…… それにしてもアバウトすぎじゃねぇか。ここから北といえば、熊野のほとんどが当てはまるぜ?」
 望美は腕を組み、顎に手を当てて考え込む。
「そうだよね… けど、水があるところだと思うんだよね。あ、そういえばあの怨霊、『潮の香りが嫌い』って言ってたの。 だから海の方には行かないと思うんだけど… そういう場所に心当たりない?」
「ということは、川か湖、か…」
 将臣も望美に釣られるように、腕を組んで考え込み始める。
「… この季節に涼を求めるなら……、那智の滝か、瀞八丁、だろうな…」
 ぽつりと呟いたのは、二人の傍まで戻ってきていた知盛。将臣と望美の視線がバッと集中した。
「おー、ナイス知盛っ! さすがだな〜」
「わー、頼りになるね〜」
 二人並んで、顔の前で小さく拍手する。
 小馬鹿にしたような喝采に、知盛の機嫌はさらに悪化した。チラリと一瞥すると、無言で二人の側を通り過ぎ、北へ伸びる街道を歩き始めた。
「ね、知盛ってばご機嫌ナナメ?」
 将臣の肘をちょいと引っ張って、望美が聞く。
「あー、あいつ、朝弱いからな。俺が叩き起こしたからじゃないか?」
 自分たちの行動を棚に上げ、無責任に答える将臣。
「へぇ…… けど、将臣くんも朝ダメだよね。よく起きれたね」
「否定はしねぇが…… お前がそれを言うか? 二人していつも遅刻ギリギリだったろ」
 大真面目な顔の望美を、将臣がジト目で軽く睨む。
 この世界は夜が早い。日が落ちれば辺りはすぐに闇に包まれてしまう。物資の豊かでない暮らしをしていれば、 自然と早寝早起きが身についてしまう── そんな現実的な理由には、お互い気付かない振りをする。
「あははっ、そうだったね。じゃ、そんな朝ダメダメの三人がこんな時間に活動してるって、もしかして奇跡?」
「ははっ、違いねぇ。── おっと、知盛見失っちまう。急ごうぜ」
「うわっ!」
 将臣は望美の手を掴むと、すでに小さくなった知盛の後ろ姿を追って駆け出した。

*  *  *  *  *

 まもなく那智の滝に着こうかというところ。
 木立の中を縫うように伸びる山道の道端に、三人は座り込んでいた。
「さすがに疲れたね〜。今ので何回目だっけ?」
「5回目、だな」
「うわぁ…」
 将臣の返答に、望美が絶句する。木立を吹き抜ける微風が、汗をかいた身体に心地よい。
 そう、本日5回目の戦闘の後、休憩を取っていたのである。
 遭遇した怨霊は雑魚ばかりで、苦戦することはなかったが、回数をこなした上に真夏の暑さが重なり、確実に体力は奪われていた。
「ちょっと知盛っ! 当てにしてるんだから、次はちゃんと戦ってよね!」
「ったく、気が乗らねぇと、全く動かない奴だからな、コイツは」
 ぐったりと木に寄りかかる望美と将臣をよそに、知盛は涼しい顔をしている。これまで戦いに参加していないのだから、当然ではあるが。
「クッ… 息の合ったいい戦いをしていたじゃないか。… それを俺が乱しても、仕方あるまい?」
 口の端に意味ありげな笑みを浮かべる知盛。
 その時。
「こちらでございましたかっ。お探し申しました」
 一人の舎人らしき男が三人の前で立ち止まった。馬の入れない山道のせいで走ってきたのだろう。膝を押さえ、肩でぜいぜいと大きな息をしている。
「あの… どちらさまでしょう?」
 突然現れた人物の顔を確かめようと舎人に近づく望美を、将臣はその肩に手を置いて制した。
「俺たちの客だ。── で、どうした?」
「ですが……」
 舎人は将臣の前に片膝をつくと、望美を訝しげにチラリと見て、言いよどんだ。
「こいつなら大丈夫だ── 続けろ」
 躊躇なく「大丈夫」と言い切る将臣に、知盛は喉の奥で小さく笑った。
「はっ、但馬守殿より書状をお預かりして参りました。急ぎお返事をいただくよう、申し付かっております」
 舎人は懐から一通の書状を取り出すと、頭を下げたまま、それを将臣へ差し出した。
 将臣はだるそうに立ち上がり、差し出された書状を受け取った。
「いくらなんでもここじゃ書けねぇな…… 悪ぃ、ちょっと返事書いてくる。お前ら、この辺で待っててくれ」
 そう言うと、将臣は舎人を伴って木立の奥へと姿を消した。

 将臣の姿が見えなくなると、知盛は無言で山道を登り始めた。
「ちょ、ちょっとっ! どこ行くのよっ! 将臣くんがここで待ってろって言ったでしょ!」
 知盛は足を止めると、肩越しに振り返り、ニヤリと笑う。
「クッ… お待ちになりたければ…、そうなさればいい……… 源氏の神子殿」
「!! 今は神子は関係ないのっ! もうっ! はぐれちゃったら困るでしょっ!」
 再び歩き出す知盛に、望美は慌てて立ち上がり、その後を追った。
 知盛はさほど早足で歩いているようには見えないくせに、昇り坂のせいか望美はなかなか追いつけなかった。
 しばらく進んだ頃。
「知盛っ! そんな勝手なことするなら、首に縄つけるわよっ!」
 望美のひとことに、知盛の足がピタリと止まる。
 やっと追いついた望美は、知盛の前に回り込み、膝を押さえて上がった息を整えた。
「あーもう疲れた〜。 知盛、あなたねぇ── なっ !?」
 身体を起こし、腰に手を当てて見上げた知盛の顔に、望美は絶句した。
 そこには残忍そうな鋭い笑みがあったからだ。
「神子殿は…… 俺を縛り付けておきたい、と…? クッ… 情熱的なお嬢さんだ…」
「ば、バカなこと言わないで! あなたが勝手な行動するからでしょっ! もうっ、私は元の場所に戻─── っ」
 歩き出そうとした望美の足は、地面に縫い付けられたかのように動かなかった。動かないのは足だけでなく全身。 首から上は術の効き目が弱いのか、努力すればかろうじて動かせた。
「あいにく俺は、縛られるのは嫌いでな…… 代わりに神子殿を縛してみたが…」
 望美は、不敵な笑みを浮かべている知盛の顔をキッと睨みつけた。
「こんなこと、どうして─── !?」
 動かしづらい口を必死に動かし、言葉を絞り出す。
「どうして……? 奴と戦う、いい口実になる、… それだけだ」
「な、なによそれ… 奴って、将臣くん…?」
 知盛はフッと笑うと、何かに思いを馳せるように、視線を空へと上げた。
「… 奴の剣の腕は立つ。その剣と合わせてみたいと思っていた。… さすがに味方同士で斬り合うわけにもいくまい。 今ならば… 還内府殿ではなく、お前の八葉である有川将臣として剣を向けられそうだ…」
 知盛は冷たい光を宿した目で望美を一瞥し、口の端を上げてニヤリと笑った。
「クッ… 大切に思う女を傷つけられた時、奴はどんな顔で俺に斬りかかってくるか…」
 いつになく饒舌な知盛は俯いた望美の顎を軽くつまむと、ぐいと上へ持ち上げた。
「天真爛漫に笑っておられるお嬢さんの顔を、恐怖に歪めさせるのもまた一興。… 俺を楽しませて──」
 上げられた望美の顔をみて、知盛の眉がピクリと跳ね上がった。
 恐怖のあまり、上げることができないのだろうと思っていた望美の顔は、半眼で冷めた視線を送る、最上級の呆れ顔だった。
「知盛って……、ホント『戦バカ』」
「は?」
 望美の予想外の返答は、知盛の思考を混乱させた。きょとんとした顔の知盛にはお構いなしに望みは続けた。
「出会うたびに『俺を楽しませろ』とか言って剣抜いて── 戦うことしか考えてないわけ? あのね、私たちは戦いのない世界から来たの。 早くこの戦を終わらせて、元の世界に帰りたいの。だから、無駄に争いを起こさないでくれない?」
 ── 相手は龍神の加護を受けた『源氏の神子』なのだ。戦いに身を投じ、剣を使い、怨霊すら消し去る。 この程度の術をかけられたところで泣き叫んで助けを求めるような女ではないということか。
 知盛は自分の見当違いを悟った。
「クッ… そういうお前も、剣を手に戦っている。有川とて同じこと。… 違うか?」
 ニヤリと笑う知盛。
「── 違う」
 望美は強い意志を孕んだ目で知盛を見据える。その意志の強さに、知盛の顔から笑みが消え去った。
「全然違うよ。── 私たちは、あなたみたいに戦いたいから戦ってるわけじゃない── 大切なものを守るために戦ってるんだから」
 一旦消えた笑みが再び知盛の顔に戻る。
「… クッ、神子殿はご立派な大義名分をお持ちだ…」
 楽しそうに忍び笑いする知盛に、望美は訝しげに眉をひそめた。
「何が言いたいの、知盛」
「お前は… 俺と同類だ…… お前の戦いぶりを見ればわかる…」
「な… !?」
「剣を振るうたびに輝きを増す、その目… 嬉々として怨霊に向かっていくお前は、俺と同じだと思うが…?」
「ば、バカなこと言わないで! 私は──」
 言いかけて、望美は急に黙り込み、辺りの様子を伺うように視線を左右に動かした。
「知盛! 術を解いてっ!」
 望美が叫んだ直後──。

 キシャアアァァァッ!

 横の木立の間から、数体の怨霊武者が姿を現した。

〜つづく〜

【プチあとがき】
 ふぅ… またやっちまったぜぃ。訳わからんくせに続き物。
 というわけで、「闘う者たち」続編です。
 知盛が勘違い野郎な上にヘンタイです(笑)
 現在、脳が活動してないため、いずれ書き直すかも。
 この後の展開すら決まっておりません。
 確実なのは、次の冒頭は大好きなバトルから始まるということくらい(笑)
 あぁ、あたしも戦い好きの「獣神子」なのですね…

 加筆修正により、相当キャラの性格、ストーリー展開が変更になってます(汗)

【2005/11/13 up/2006/1/14 改】