■Disaster 【前編】 将臣

 ここはとある南の島。
 平家の落人が平和に暮らすのどかな場所。
 心の平安を取り戻しつつある人々の中で、悶々とした日々を送る人物がいた。
「あー、つまんないつまんないっ!」
 集落から少し離れた場所にある一軒家で、(元)白龍の神子・春日望美は床の上に大の字になって、ひとり駄々をこねていた。
 ひとしきりこねた駄々も、誰も聞いていないとなれば、虚しいだけ。
 天井を見上げながら、はぁーっ、と大きな溜息を吐いてみる。
 朝早くからの畑仕事などの共同作業も済ませ、ゆっくりした時間が取れると、ふと思う。
 ── この島には、娯楽がないっ!
 すべて承知でここに来たはずなのに、穏やかな日々が続けば続くほど頭をもたげるその思い。贅沢なもんである。
 オマケに自分たちは新婚さんだというのに、ハネムーンすらしていない。もちろん望美だって、『10日間ヨーロッパの旅』などというものは さらさら期待してなどいないが、せめて数日間、ふたりっきりでゆったり過ごしたいと切望するのも女心である。
「あ、そうだ」
 望美は、先日晴れて夫となった有川将臣にかまってもらおうと、彼を探しに外へ出た。

 将臣は浜辺で、他の男たちと共に漁の道具の手入れをしていた。将臣の着物の背中をくいくいっと引っ張る。
「ねぇ、将臣くん。ちょっといいかな」
「なんだよ、今忙しいんだよ。帰ったらいくらでも聞いてやるから」
 あっち行ってろとばかりに、追い払うしぐさをする将臣。望美はその手をはっしと掴むと、将臣を脇に連れて行った。
「ね、ね、ハネムーン、しない?」
「はぁ? お前、いつも突飛なこと言うよな─── んなもん無理に決まってるだろうが」
 すげなくあしらわれ、望美はぶぅと頬を膨らませた。
「それに、毎日ハネムーンみたいなもんだろ?」
「どこが」
「南の島で、コテージみたいな家で寝泊りして、すぐそばにプライベートビーチがあるんだぜ? 泳ぐもよし、甲羅干しするもよし。 あ、甲羅干しするんなら、オイル塗ってやるぜ? サンオイルねーから、なたね油だけどな」
 ハッハッハッと豪快に笑う将臣に冷ややかな視線を送ると、
「バカ……… もういい」
 望美は踵を返し、浜辺を後にした。
 その後ろ姿を見送りながら、将臣はひとり呟いた。
「ハネムーンか……… それもアリかもな」

*  *  *  *  *

「よしっ、島の探検してみよっと」
 とりあえず自宅に戻り、あれこれ思案した挙句の結論である。
 望美は鼻歌交じりで、端切れで作った巾着袋の中に、おやつと太目の麻紐、藪を刈るためと護身用を兼ねた短剣を入れると、意気揚々と家を出た。

 家の裏手から森の中に入ると、袋の中から麻紐の束を取り出し、短剣で適当な長さに切って、近くの枝に結び付けていく。
「目印、っと。これで森の中で迷子にならないよね」
 某師匠にでも教わったのか、望美にしてはなかなかの生活の知恵(?)である。
 邪魔な枝や草を切り落としつつ、目印をつけながらしばらく進むと、一本の木が目に入った。
 その木には、大人の男の拳よりふた周りも大きな黄色い実がたわわに実っている。
「うっわ〜、もしかしてこれってマンゴーじゃない? やーん、私、マンゴー大好きなのよね〜♪」
 思わず駆け寄った望美が、実をもぎ取ろうと一歩踏み出した時──
「ぅきゃ……っ!?」
 ふわりとした感覚の後、高速の下りエレベーターに乗っているかのような重力と、背中を走る痛みを感じた。
 ずざざざざざっどすん!
 ラストにお尻に襲ってきた鈍い痛みと共に落下感が終了した。
「い…… たたたた………」
 ぐるりと首を回し、自分が今滑り落ちた方を見てみると── 相当な高さがあると思った崖は、たかだか2メートルほど。 崖っぷちに立つマンゴーの木に気を取られて、枯れ枝や落ち葉の積み重なった部分を踏み抜いて落ちてしまったらしい。 この程度の高さなら、何とか這い上がれるだろう。
「なんか…… ケチついちゃった感じ? 身体痛いし……… 帰ろっかな」
 望美が立ち上がろうと足に力を入れたとき、右の足首に鋭い痛みが走った。あまりの痛みに、望美の眼にうっすら涙が浮かぶ。
「うっ…… も、もしかして… 捻挫しちゃったとか!?」
 恐る恐る足首に触れてみると、すでに熱を持っていた。
「どうしよう………」
 考えている間にも、足首は疼き始める。
 望美は何かを思いついたようにきりりと顔を上がると、おもむろに着ていた小袖の両袖を引きちぎる。さらに細く帯状にちぎると結び合わせ、 履いていた草履も一緒に固く巻きつけた。
「これでなんとか歩ける… かな」
 よいしょ、と立ち上がる。地を踏みしめることは痛くてできないが、なんとか歩けるだろう。
「えっと…… あっちから来たんだから、こっちへ迂回すれば浜の辺りに出られるはずだよね」
 崖伝いに歩いていくが、浜が見えるどころか、森の緑はどんどん深くなっていった。
 足は既に限界が来ている。まるで足首にもうひとつ心臓があるかのように、ズキンズキンと疼いていた。
 近くの木に寄りかかり、歩き始めてもう何度目かも覚えていない休憩を取る。痛みと疲れのせいで、じっとりと嫌な汗をかいていた。 喉もカラカラだった。座ってしまうと立ち上がるのに苦労するため、立ったまま木に背中を預け、大きく息を吸い込む。
 すると、鳥の声に混じって小さく水音が聞こえた。辺りをきょろきょろと見回してみると、さっきは気づかなかったが、 木々の間を縫うように、綺麗な水の流れる小川があった。
「川!? 助かった〜」
 喜びのあまり小川に駆け寄る── ことは足の痛みのせいで無理だったが、重い身体を引きずるようにして川縁までたどり着いた。
 とりあえず膝をつき、小川に手を差し入れてみる。小さな流れはとても綺麗な水で、ひんやりと冷たかった。
 手と顔を洗い、渇いた喉を潤すと、痛む足を流れにつけてみた。
「ん〜、気持ちいい〜っ!」
 足を川につけたまま、望美はごろりと横になった。
「はぁー、疲れた……… ここ、どのあたりなんだろ……… 将臣くん………」
 愛しい人の名前を呟くと、なんだか急に心細くなってきた。こんなことになるんなら、家でおとなしくしていればよかったと後悔しても、 時すでに遅しである。
 そのうち、望美の身体は疲れに勝てず、うとうととまどろみの中に引きずり込まれていった。

〜つづく〜

【プチあとがき】
 すんません、長くなりそうなので前編・後編に分けます。
 すんません、超お約束な話で。
 すんません、更新激遅で。

【2005/09/07 up】