■Disaster 【後編】
まもなく夕暮れ、という頃、将臣は今日の仕事を終え、自宅へと戻ってきた。
家の前でひとりの女房が真っ青な顔でうろうろと歩き回っていた。将臣宅の食事の世話をしている女房だった。といっても華美な衣装は身に着けておらず、
一見町娘のようないでたちである。自分たちのことは自分たちで、という将臣たちに、世話をするの一点張りで、根負けした将臣は女房たちのするがままに
させているのだ。という訳で、ここにいる彼女は現在、望美のお付き女房状態になっている。
「おう、いつもゴクローサン。どうかしたのか? 顔、青いぞ?」
女房は将臣の姿にほっとしたのも束の間、すぐに険しい表情になった。
「将臣殿っ! 望美さまは── 望美さまはご一緒ではありませんでしたの!?」
「いや……… 望美がどうかしたのか?」
「先ほどわたくしが夕餉の支度にこちらに参ったら、望美さまのお姿が見えませんの。お散歩でもなさっているのかと思い、
しばらくお待ちしてもお戻りになりませんし…。こんなこと、これまでありませんでしたから心配で……他の者に聞いて回ったのです。
浜からお戻りになる望美さまをお見かけしたという者はおりましたけれど、それ以降は誰も───」
迸る水流のような女房の言葉を聞きながら、将臣の顔も険しくなっていく。
「将臣殿…?」
「あ、ああ。悪かったな、心配かけて。そのうちひょっこり戻ってくるだろうから、大騒ぎしないでやってくれ」
「……… はい……」
何でもない風に笑顔でそう言う将臣に、腑に落ちないながらもペコリと頭を下げて、女房は帰っていった。
女房の姿が見えなくなると、将臣の眉間に皺が寄る。確かに、望美が食事時にいないというのは初めてのことだった。
嫌な予感を覚えつつ、チッと舌打ちすると、将臣は望美探索を開始した。
陽はまだ完全に落ちきっていないが、確実に夕闇は迫ってくる。
将臣は用意した松明をかざしながら、望美を捜した。
村の中で望美の姿を見た者がいないのなら、あちらには行っていないのだろう。それなら家の中か、裏手の森の中か。
家の中は、床下を含めてすべて捜したが、望美の姿はない。そうなると裏の森──。
家の裏手の森には下草を踏んだ新しい道ができていた。その先を見やれば、木の枝に麻紐がくくりつけてある。
「なるほど── アイツにしちゃ上出来だな」
紐を辿って進むと、一本のマンゴーの木の前に出た。
「へぇ、こんなところにマンゴーが自生してたのか。マンゴーといえばアイツの好物だったよな─── ん?」
松明で照らした地面に何かが滑り落ちたような跡を見つけた。崖の下の方を照らしてみれば、さほどの高さはない。
「ははーん、『あ、マンゴーだ』と駆け寄って─── 落ちた、と」
推理するまでもない。その時の望美の様子が目に浮かぶようで、将臣は思わずプッと吹き出した。
「おっと、そうも言っていられねぇな」
将臣はひらりと崖下に飛び降りると、再び踏み荒らされた下草を辿っていった。
しばらく進むと小さな水音が聞こえてきた。音がするほうに松明を掲げてみる。
「!!」
将臣の背筋を冷たいものが走る。そこには小川に足を突っ込むようにして望美が倒れていた。
「おいっ、望美っ! しっかりしろ!」
駆け寄って肩を揺さぶり、大声で呼びかける。
望美は、ん、と一瞬苦しげに眉をしかめたかと思うと── にんまりと笑った。
「んふふっ………まさおみくぅ〜ん」
幸せそうにそう一言呟くと、再び望美は夢の中へと戻っていく。
「こ…コイツ、寝てやがる………」
一瞬にして緊張感が霧散した。しかし、愛しい恋女房の夢の中に自分が出演中となれば、将臣だってもちろん悪い気はしない。
いやむしろ嬉しいかもしれない。状況を考えてほしいもんだと呆れつつも、将臣は自分の頬が緩んでしまうのを止めることができなかった。
「ここはちょっと甘やかすわけにはいかねぇな」
松明を地面に突き立てると、将臣は両手で自分の頬をパンパンと叩き、表情を引き締めた。そして、おもむろに望美の耳を引っ張ると、
すぅっと大きく息を吸う。
「くぉら望美っ! んなとこで何寝てんだよっ! 起きろこらっ!」
「うわぁ何っ!? ── あれ、将臣くん?」
寝起きの悪い望美にも、今の大声は効果テキメンだったようだ。
「将臣くん、じゃねぇだろ。こんなところで何やってんだ」
「あ… えと…… ちょっと森の探検を…… エヘッ」
少し首をかしげてにこりと笑う望美の可愛らしさに、つい許しそうになるが、そこは必死でこらえる。
パシャッと水音を立てて小川から引き上げた望美の足に巻きつけられた布を見て、将臣は眉をひそめた。
将臣の中で、木のそばの滑り跡とこんな時間まで帰って来なかった理由が結びついた。
「何がエヘッ、だ。ちょっとした段差で足滑らせて怪我するようなヤツが探検ゴッコなんかすんな。── 帰るぞ」
「………ごめん─── きゃっ」
将臣は、俯いてしおらしく詫びの言葉を呟く望美の脇の下に手を入れると、軽々と持ち上げて立ち上がらせる。
すっと身体を低くすると、望美を肩に担ぎ上げた。
「うわっ、お腹苦しいっ、頭に血が上るっ」
「うるせぇ、おとなしくしてろ!」
暴れる望美のお尻をぺしんとひとはたきする将臣。が、望美は依然暴れ続ける。それでもうまくバランスを取りながら、
地面に立てておいた松明を拾い上げると、暴れる望美にお構いなしに将臣は歩き始めた。
「これって人攫いみたいだよぉ」
「文句言うな。松明持ってんだから仕方ないんだよ。騒ぐと落とすぞ」
「うぅ………」
そして、ようやくおとなしくなった望美は、無事家に運ばれたのだった。
* * * * *
「ねぇ将臣くーん、ごめんってばぁ………」
家に戻るなり、心配のあまり待機していた女房たちにわらわらと着替えさせられ、薬師が湿布薬を用意し、女房が作っておいた夕飯を黙々と食べ、
食卓の上が綺麗に片付けられた後。
食卓に肘をつき、背中を向けたままの将臣の着物の裾をくいくいっと引っ張りつつ、猫撫で声で謝り続ける望美だった。
そんな彼女を肩越しにちらりと睨みつつ、これ見よがしな溜息を吐く将臣。
「お前なぁ…… お前になんかあった時に心配する人間が何人いると思ってんだよ、まったく。もう少し、自分の行動に責任を持て」
「…… ごめん」
そのままふたりとも黙り込み、しばらくの間、辺りを外から聞こえる虫の声と、望美の足に貼られた湿布薬の薬草のきつい臭いが支配する。
「ね、将臣くん……」
「あん?」
「将臣くんも……… 心配、だった?」
あぐらをかいた状態のまま、身体をくるりと回して望美の方へ向かい合う。無言で上げられた将臣の右手に、望美はひっぱたかれるのかと
目をぎゅっとつむり、首をすくめて身構えた。
が、いつまで経っても衝撃は襲ってこないし、痛みもない。望美は恐る恐る片目を開けてみると、そこには困ったような呆れたような、
複雑な表情が入り混じった将臣の笑顔があった。その瞬間、頭が後ろにぐらりと揺れた。将臣が額を軽く小突いたのだ。
「当たり前のことを聞くな」
「えへへ……… ありがと」
その時、将臣が動いた。望美の背後に素早く回り、チョークスリーパーをかます。
「何す…っ、けほっ、く、苦しいってば…っ」
「お前さぁ、森でどんな夢見てたんだ? ん?」
首にかかる圧力の苦しさにもがく望美にかまわず、将臣は耳元で意地悪く囁きかける。
「なっ、わ、忘れちゃったわよっ」
「ほぉ、にへら〜っと笑って、俺の名前言ってたぞ。ほら、白状しろよ」
「ひ、秘密だよ、は、放してってば」
「言ったら放してやるけど?」
「わかった、わかったからっ」
剣術はともかく、体力で将臣に敵うはずもなく。足の怪我もあって、望美はしぶしぶ白旗を掲げる。
解放されて楽になった首をすりすりとさすると、大きく深呼吸した。
「あのね……… 夕日を見てたの。大きな客船でね、デッキの手摺りにもたれて、水平線に吸い込まれていく大きくて真っ赤な太陽を見つめてるの。
隣には── 将臣くんがいて……… ふふっ、すごい幸せな気分だったんだ」
「そう… か」
夢見るように、楽しそうに話す望美。背後にいるため表情は見えないが、将臣には望美のうっとりした顔が目に見えるようだった。
将臣はおもむろに望美の肩を引き寄せた。バランスを崩した望美の背中が、将臣のたくましい胸にどすんと音を立ててぶつかり──
そのまま、将臣は望美の華奢な身体をギュッと抱きすくめる。
「いつか── 行こうな……… 水平線のでっかい夕日見に」
「うん、きっと、ね」
とある南の島の夜は、楽しい夢と共に更けてゆく。
〜おしまい〜
【プチあとがき】
えーと、一応『素敵なサプライズ』からの続きとなっております。
新婚さんとはいえ、旅行なんかする状況じゃないだろうし、『新婚旅行』の慣習もない時代だし。
激しくニセモノの将望でありますが、いかがでしたでしょうか。
どうもあたしは甘い話は書けないようで(泣)
最後のほう、頑張ってはみたものの…… 微妙?
2、3粒でも砂を吐いていただければ幸いです。
ちなみに、タイトルの『Disaster』はゲームなんかでは『災厄』などと訳されてますが、
ここは『遭難』という意味で使っておりますです、はい。
【2005/09/10 up】