【パラレル劇場】貴族と町娘(5)
【お題】音楽用語のお題(by 恋したくなるお題さま)/01. elegy 《悲しみの詩》
千秋がこの小さな田舎町に逗留し始めてから約1ヶ月。
彼に与えられた長期休暇のほぼ半分が過ぎ、普段とは違う生活リズムが徐々に当たり前のことになりつつあった。
午前中は宿の部屋で学生の本分である勉強に勤しむ。
休みが明けてすぐ行われる試験で落第点を取ることなど、自分のプライドが許さない。
ただ、週に一、二度は気分転換も兼ねて広場に赴き、子供たちの相手をしてやることにしていた。
昼にはかなでのいる工房へ向かい、昼食を一緒に食べる。
『まるで三人家族になったみたい』と彼女が嬉しそうに笑うから、千秋もまた嬉しくなってくるのだ。
その後は工房の一画でヴァイオリンを弾く。
学力だけでなく、演奏の腕も落とすわけにはいかない。
工房での練習を申し出たのはかなでだったのだが、千秋は最初断った。
音を出せば作業に集中できないだろうと思ったのだ。
だが、『集中してしまえば、音は気になりませんから』という彼女の言葉に甘えることにした。
夕方になれば近くの市場に買い物に出かける彼女についていく。
普段テーブルにつけば何も言わなくても食事が出てくる生活だから、こうして食材を買い集めるというのはなかなか興味深かった。
今はもちろん食費を出している。
以前と同じくかなでは受け取ろうとしなかった。
千秋は『だったら、もう工房には来ない』と言ってやった。
ちょっとした賭け──
そうですか、わかりました、と言われてしまえばそこで終わり。
だが賭けは千秋の勝ち。
少し困った顔の彼女に金を受け取らせることに成功したのだった。
そして、1日のうちのわずかな時間、千秋はかなでにヴァイオリンを教えている。
人を惹きつける音だが自己流の演奏をしていた彼女に、ほんの少しアドバイスをしてやる。
飲み込みの早い彼女の演奏は、たったそれだけで劇的に上達していった。
それが嬉しくて、教えるのが楽しくなってくる。
「── あ、そろそろお買い物に行かなくちゃ」
窓の外に見える日の傾きを見て、かなではヴァイオリンを片付け始めた。
今日の練習時間は30分程度だったろうか。
「……もうそんな時間か。
もう少し練習時間が取れるといいんだがな」
「ふふっ、楽しくてすぐに時間が経っちゃいますけど……今でも十分ですよ?」
宝物を扱うようにヴァイオリンを布で拭き、丁寧にケースにしまい込む。
ぱたん、とケースの蓋を閉めると同時に、千秋は彼女の腰に腕を回して引き寄せた。
「あっ……えと、その……お夕飯は、な、何が、いいですか…?」
真っ赤な顔を俯けて、蚊の鳴くような声で聞いてくる。
「そうだな……お前の作る食事は何でも美味いから迷うな」
「あ……ありがと…ございます…」
「── かなで」
ますます深く俯いてしまった彼女の耳元にわざと顔を近づけ、名前を呼ぶ。
ゆるゆると上げられる真っ赤な顔。
そしてかなでは長いまつ毛を微かに震わせながら、ゆっくりと目を閉じる。
これもこの1ヶ月間の成果と言えるのかもしれない。
そう考えれば込み上げてきてしまう笑いを必死に堪え、千秋はそっと彼女の唇を塞ぐ。
それがこの1ヶ月、ささやかなふたりきりの時間の終わりを告げる合図になっていた。
* * * * *
翌日、千秋が工房へ向かうと、扉にはしっかりと鍵がかけられていた。
こんなことは初めてで、何か良くないことでもあったのではないかと不安になってくる。
が、
「── ごめんなさい、遅くなっちゃって!」
裏通りの奥からかなでが駆けてきた。
「珍しいな、こんな時間に工房を閉めてるなんて」
全力疾走したのだろう、膝に手をつき、大きく肩を揺らして息を整える彼女の背中を撫でてやりながら問いかける。
「……ちょっと、おじいちゃんを、見送りに、行ってて……」
「見送り?」
かなでは少し落ち着いたのか、身体を伸ばして大きく深呼吸。
それからニコリと笑い、
「はい、近くの町の職人さんと一緒に、北の国まで木材の仕入れに行ったんです」
なるほど、そういえば北の国の森林地帯に木材で有名な町があったな、と思い出す。
記憶が確かならば、この町から北の国の木材町までは、西の国の千秋の家からここまでの距離の倍以上はあったはずだ。
「国境近くの町で一泊して、到着は明日のお昼すぎになると思います。
だからおじいちゃん、仕入れに行くと一週間は戻ってこないんですよ」
顔に出ていたのか、かなでがしっかりと疑問に答えてくれた。
「へぇ、一週間、か」
「ほんとはもう少し在庫があるんですけど……千秋さんのヴァイオリンを作るのにもっといい木が見つかるかもしれないからって」
「そりゃありがたいことだな。
だが……お前ひとりじゃ淋しいだろう?
俺が工房に泊まり込んでやろうか?」
「えっ !?」
かなでの顔が、ぽんっ、と爆発したかのように一気に赤く染まる。
千秋はすかさず、おろおろと目を泳がせる彼女の顎を軽く掴んで、ぐいっと顔を近づけた。
「今、何を考えたか言ってみろよ。
答えによっては、ご期待に応えてやらないこともないぜ?」
「な、何も期待なんてしてませんっ!」
とん、と胸を押されて、彼女の顎から手が離れた。
くるんと背を向けた彼女は、せわしない動きでようやくポケットから取り出した鍵で扉を開ける。
ようやく開いた扉に半分だけ身体を滑り込ませて、
「その……いつもよりちょっとだけ、長く一緒にいられたら、嬉しいかなって……」
小さな声で呟いた後、工房の中に隠れるように飛び込んで、バタンと扉を閉めた。
「……おい、俺がいるのに閉めるなよ」
千秋は小さくぼやいてから、彼女が見せた可愛らしい反応に思わずぷっと吹き出した。
* * * * *
いつものように過ごしていた昼下がり。
じっくりと自分の音に集中していた千秋は、工房の扉が開く音に遮られて演奏を止めた。
かなでもまた、奥の作業台で木を削っていた手を止め、顔を上げる。
「いらっしゃいませ──
あれ?」
入ってきたのは男が四人。
千秋にとってはどれも見知った顔だった。
その中でも先頭にいたのは、
「── なんや千秋、やっぱりここにおったんか」
大仰に溜息を吐いたのは親友・蓬生だ。
残る三人は、父の側近。
話したことはほとんどなく、顔を見たことがある程度の記憶しかないけれど。
「なんだ、俺を探したのか?」
「……最初からここやないかと見当はつけてたんやけどな」
蓬生はもう一度大きな溜息を吐いて、
「……千秋、家の人に行き先も言わずにここに来たんやろ。
俺にまで内緒にしとうやなんて、寂しいことしてくれるわ」
「それは悪かったな。
だが、俺の休みは俺のものだ。
俺がどう使おうと勝手だろう?」
「それは屁理屈ってもんやで、千秋。
とにかく、今日のところは俺の顔を立てて、おとなしゅう家に戻ってや」
しばし考え込んだ後、今度は千秋が深い溜息を吐く。
「わかったわかった、一旦戻ってやる」
千秋は手早く楽器を片づけると、工房の隅にそっとケースを置く。
それから工房の奥へと目をやって、
「そういうわけだ。
今夜は一緒にいてやれなくなって悪いな」
かなでは少し蒼褪めた顔をふるふると横に振る。
彼女が胸元で握り締めているのは、今まで木を削るのに使っていたノミだ。
まるで喉元に刃を突き付けているように見えて、一瞬ドキリとした。
そんな嫌な想像を振り払うように小さく頭を振り、千秋は苦笑しながらかなでの元に歩を進める。
彼女の手からそっとノミを取り上げ、作業台の上に置いた。
「寂しくなったら……そうだな、パン屋にでも泊めてもらえ。
あそこの子と遊んでいれば、気も紛れるだろう?」
「……大丈夫、です。
おじいちゃんが留守にするのは、初めてのことじゃありませんから」
「……それもそうか」
そうやって、彼女は祖父と二人、今まで暮らしてきたのだから。
「ほら、そんな暗い顔をするな。
すぐに戻ってくる」
千秋は苦笑を深め、彼女の額に軽く唇を触れた。
すぐさま踵を返して工房を横切り、扉へと向かう。
「── 行くぞ、蓬生」
「ああ、俺はちょっと別口の用事があるんよ。
千秋はその人らと一緒に先に帰ってや」
「……わかった」
工房を出ると、三人の男に囲まれながら大通りまで歩いた。
歩いているうちに、まるで連行される罪人のような気分になってきて、唾を吐きたいほどに胸がムカムカした。
大通りに停まっていた馬車に乗り込んだ。
一人は御者台に上がり、残りの二人は千秋に続いて馬車の中に乗り込んできた。
ますます監視されている罪人の気分が膨らんでいく。
── 何も言わずに家を離れたくらいのことで、この扱いかよ。
厳格な父親を心の中で睨みつけながら馬車に揺られる。
帰ったら自分の所在を言い置いておけばそれでいいのだろう。
すぐさま引き返せば、夜中には工房に戻れる──
ふと、さっき見たかなでの悲愴な表情が脳裏に浮かんだ。
馬車の揺れはリズムへと変わり、いつしか千秋の心の中ではむせび泣くような切ないヴァイオリンの音色が響いていた。
【プチあとがき】
シリアスへまっしぐら〜(笑)
うぅ、日本語ってムズカシイ……
【2011/09/10 up】