【パラレル劇場】貴族と町娘(4)
【お題】音楽用語のお題(by 恋したくなるお題さま)/06. whisper 《ささやき声》
千秋が週末のたびに工房を訪れるようになって、早1ヶ月──
週に一度、夜が明ける頃に家を出発し、賑やかな学校もどきに付き合って、真夜中に家に戻るというのも悪くないと思い始めていた。
最初は子供なりに不審に思っていたのだろう、緊張した顔つきで遠巻きに視線を送ってくるだけだったが、何度か顔を見せるうちに少しずつ距離が縮まってきた。
今ではヴァイオリンの練習をする子供たちにちょっとした指導をしてやったり、駆け回って遊ぶ子供たちに混じってみたりする。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん」と懐かれるのは今までにない経験で、思った以上に楽しんでいる自分がやけに愉快だった。
午後は工房で静かに過ごすのが常だった。
なぜ、かなでが子供たちの相手をするのが午前中だけなのか。
それは彼女が午後の時間をヴァイオリン製作の修行の時間に当てているからだった。
祖父と孫娘、というだけではなく、師匠と弟子の関係なのだ、と彼女は楽しそうに笑っていた。
子供たちが使っているヴァイオリンは、かなでが作ったものなのだという。
まだまだ修行中で売り物にはできないから、子供たちに使ってもらっているのだ、と。
彼女が作業をするのを隣に座って眺めながら、いろんな話をする。
最近あった面白い話だとか、幼い頃のことだとか。
彼女の両親は別の町で暮らしていて、ヴァイオリンが好きな余り祖父の元に身を寄せることを自分で決めたらしい。
初めのうち、かなでの祖父は千秋が作業中の工房に立ち入ることにいい顔はしていなかったが、最近はもう諦めたようだった。
会話をしていても、徐々に作業に集中していくかなでの口数はどんどん減っていき、そのうち木を削る音と木を貼り合わせるにかわの匂いだけが工房の中に満ちる。
そうなると千秋も口を開くことはなく、彼女の作業をただ見つめている。
子供たちと遊んでいる時の笑顔もいいが、こんな真剣な眼差しもいい、と彼女の横顔を見ながら思う。
それに物を作る過程というのは、見ていて面白い。
だからついつい見入ってしまうだけではあるが、千秋が彼女の邪魔をすることがないとわかって、彼女の祖父も黙認してくれているに違いなかった。
その証拠に少し早目に作業を切り上げて、自由に過ごせる時間を与えてくれたりもする。
おかげですっかり馬を気に入ったかなでを乗せ、北にある牧場にまで足を伸ばしたりもできた。
そして、夕食の後で帰途に就く。
彼女はいくら言っても食事代を受け取ろうとはしないから、次に来る時に馬に目いっぱい乗せられるだけの西の国の名物や美味しそうなお菓子などを見繕ってくるのだ。
* * * * *
そろそろ夏という頃。
東の国に向かう千秋の心は、軽やかに駆ける馬の足取りよりも軽かった。
町に到着すると、千秋は必要な場所に寄ってから広場に向かう。
今日も元気な子供たちの声と、お世辞にも上手いとは言えないけれどやけに楽しそうなヴァイオリンの音が響いていた。
「── あっ、お兄ちゃんだ!」
「今日は遅かったねー」
「悪かったな、ちょっと寄り道してたんだ」
千秋の姿を見つけて駆け寄ってきた子供たちの頭をぐりぐりと撫でて、
「少しの間、お姉ちゃんを借りるぜ。
お前らはここで練習してろよ」
にこにこと様子を見守っていたかなでへと視線を向けると、彼女は不思議そうに小首を傾げた。
はーい、と返事をして、子供たちは素直にキコキコと弓を動かし始める。
千秋は微かに苦笑して、かなでの手を引いて路地の奥に入った。
「あ、あのっ……何かあったんですか…?」
音が遠ざかったところで足を止めると、かなでが聞いてきた。
「── 俺が通っている音楽学校は、来週から2ヶ月間の夏休みに入る。
俺はその休みを、この町で過ごすことにした」
「えっ?」
きょとんとした顔で見上げてくる彼女。
千秋はふっと口元に笑みを浮かべ、握ったままの彼女の手をぐいっと引っ張った。
彼女は、きゃっ、と小さな悲鳴を上げて胸に倒れ込んでくる。
そのまま千秋は彼女の身体をそっと腕の中に囲い込んだ。
「えっ、あ、あのっ、千秋さんっ !?」
きっとこんなふうにされるのは初めてのことなのだろう。
どうにか逃がれようとする彼女の見事な慌てっぷりを楽しみながら、千秋は彼女の腰を囲う腕に力を込めて思い切り抱きすくめた。
「今、この近くの宿で長期滞在の手続きをしてきたんだ」
「え……それって……」
「週末だけというのも物足りないからな」
かなでの顔を覗き込み、ニヤリと口の端に笑みを浮かべる。
瞬間、彼女の顔がぱあっと赤く染まっていった。
「あっ、えっと、こ、子供たちが喜びます!
毎日『お兄ちゃん』と一緒に遊べるから──」
「だろうな──
で、お前は?」
「……へっ?」
ぱちぱちと瞬きながら見上げてくる彼女の顔に、千秋は自分の顔をゆっくりと近づけていく。
「── お前は、俺と毎日会えるのが嬉しくはないのか?」
静かに密やかに、それでも熱を込めてそっと囁く。
「あ……えと……う……嬉しい……です」
あまりの距離の近さと恥ずかしさに視線を逸らしてしまった彼女の可愛らしい唇にそっと口付けた。
ぴくん、と身を固くした彼女の反応が可愛くて、抱き締める腕にさらに力がこもる。
と、
「── あーっ、お兄ちゃんとお姉ちゃんが『お姫さまごっこ』してるー!」
広場の方からこちらを指差し、大きな声で叫ぶ一人の女の子。
さすがに驚いて千秋の腕が緩み、かなではぱっと身体を離した。
「っ !?
お、お姫さまごっこ !?」
「そうだよ、王子さまがお姫さまに『ちゅー』するの!」
「えっ !?」
どうやら一部始終を目撃されてしまったらしい。
女の子はキラキラと目を輝かせ、くるりと踵を返す。
「みんなーっ!
お兄ちゃんとお姉ちゃんがー」
「だめーっ!
お願いだから内緒にしてーっ!」
女の子を追って駆け出すかなでの後ろ姿に、千秋は小さく吹き出した。
こんな他愛無い日常のあるこの小さな田舎町を、千秋は好ましく思っていた。
それはただ雰囲気がいいというだけではないと気付いたのはずいぶん前だ。
彼女が住む町だから──
好ましいのは彼女自身なのだ、と。
【プチあとがき】
ちょっと進展しました(笑)
ちょっとだけ糖分補給。
でもまだまだ微糖(笑)
【2011/08/31 up】